AION REAGALIA(アイオン・レガリア) 作:ネネカ大神
エテルナ帝国の朝は、常に完璧な温度で訪れる。 昨日の「神話的災害」が嘘であったかのように、大通りには焼きたてのパンの香りが漂い、運河の水は清らかに澄み渡っている。聖時計塔『クロノス・マギ』が刻む規則正しい拍動が、街全体に安寧を振りまいていた。
アイオン宮殿の広大なテラス。 アル・ゼノン・エテルナは、手摺りに肘をつき、眼下に広がる黄金の都を眺めていた。
「……昨日の狂騒が、幻のように消えたな。イシュタル」
「はい。王よ。貴方の『修復(リストア)』により、瓦礫一つ、国民の心の傷一つ残ってはいません。……ですが、戦った彼らの中には、確かな熱が残っているようです」
傍らに控える蒼穹のイシュタルが、微笑を浮かべて答える。 王の視線の先――都の各区画では、激戦を終えた十二翼たちが、それぞれの「日常」へと戻りつつあった。
都の南側に位置する巨大な演習場『獅子の庭』。 ここでは、戦闘を終えてなお血気盛んな者たちが、その有り余る星韻(せいいん)をぶつけ合っていた。
「オラオラァ! 昨日の泥公より、お前の方がまだマシな手応えだぜ、ギガス!」
激しい雷鳴と共に、寅(とら)の翼将、ラージャン・シンが空を舞う。双剣『アグニ・ガンド』から放たれる青白い稲妻が、空間を焼き、大地を穿つ。その隣には、冷静に雷撃の軌道を補正する副将シュラ・ベスタが、魔導符を操りながら控えている。
「相変わらずだな、ラージャン。……だが、私の盾を抜かねば、王への報告はさせんぞ」
迎え撃つのは、亥(い)の翼将、ギガス・ヴァハル。 山のような巨躯に重装殻『バハムート』を纏い、一歩も引かずにラージャンの猛攻を重力壁で受け止める。その背後では、副将パンサ・デュロが巨大な槌を支え、ギガスの足元の空間を「固定」し、衝撃を大地へ逃がしていた。
「……二人とも、朝から騒々しいな」
あくびをしながら現れたのは、丑(うし)の翼将、バラム・バルドス。 巨漢の武人で、性格はどこまでも豪放。彼は巨大な戦鎚『ミョルニル』をベンチ代わりに座り、汗を流す同僚たちを眺めていた。
「ほら、飲みな。バルドス様のおごりだ」
副将ヴァレリ・ギガが、主君以上の体格で巨大な水樽を差し出す。この二組は、十二翼の中でも「破壊と防御」という物理的な武力の頂点に位置していた。
一方、活気あふれる中央広場では、街の平和を守る「華」たちがいた。
「皆様、おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
午(うま)の翼将、アル・ザヒドが、白馬のような気品を漂わせて通りを歩く。彼の存在は、国民にとっての安心の象徴だ。隣を歩く副将フェリス・エル・シドは、主君の槍『ロンギヌス』を恭しく持ち、市民の要望を一つひとつ記録している。
「あら、アル様。今日も素敵だわ」
花売りの少女が差し出した一輪の薔薇を、アル・ザヒドは優雅に受け取る。
「アル、少しは真面目にパトロールしてよね。市民の相手は、私の『夢』でもできるんだから」
上空から、空間を飛び越えて現れたのは卯(うさぎ)の翼将、フィオナ・エインズ。 彼女の細剣『デュランダル』は、空間を折り畳んで移動することを可能にする。彼女と副将ミラベル・ピコのペアは、都のどこで異変が起きても数秒で駆けつける機動力を誇っていた。
「いいじゃない、フィオナ。これも王が望む『美しき日常』の一部だわ」
そう囁くのは、未(ひつじ)の翼将、ネルガル・アリエス。 彼女は銀の糸を操り、街の至る所に「夢の結界」を張っている。市民が昨日の恐怖を思い出さずに済むのは、彼女と副将ソフィア・ハマルが、眠っている間の記憶を穏やかに整律しているからであった。
宮殿の地下にある広大な書庫、あるいは作戦指令室。 ここでは、力ではなく「知識」と「毒」を扱う者たちが動いていた。
「……バラムの野郎が熱を出しすぎたせいで、北西区画の星韻(せいいん)濃度が狂っているな。調整が必要だ」
辰(たつ)の翼将、フェイロン・アシュタが、数千枚の魔導羊皮紙を前に眉をひそめる。彼は龍槍を扱う戦士であると同時に、軍の魔導工学の責任者でもある。副将ナバール・リンは、複雑な計算式を空中に展開し、都のエネルギーバランスを秒単位で修正していた。
「焦るな、フェイロン。毒も魔法も、急げば品質が落ちる」
冷徹な声で告げるのは、巳(へび)の翼将、オフィール・ゼム。 彼は毒と縛鎖を操る策士であり、帝国の諜報網を束ねている。副将ナイア・セルペンは、影のように彼の背後に控え、周辺諸国からの最新の密書を仕分けていた。
「二人とも、真面目すぎるのよ。もっと高く、広い視点で見れば、問題なんて些細なものだわ」
天井の梁に腰掛け、地図を眺めているのは酉(とり)の翼将、ガルダ・ハクロン。 空からの偵察と広域爆撃を担う彼女は、自由奔放な性格。副将アヴェスタ・ヴィは、主君が落とさないように絶えず風の結界でサポートしていた。
都の最外縁、太陽の光さえ届かない場所。
「……ふふ、影が騒がしい。王に仇なす鼠たちが、また穴を掘り始めているよ」
子(ね)の翼将、ゼフェル・カインが、不気味な笑みを浮かべて闇に溶け込んでいる。 彼の双鎌『ノスフェラトゥ』は、侵入者の魂を直接刈り取る。副将カイル・レムは、主君の影の中に潜み、いつでも命を奪える準備を整えていた。
「ゼフェル、気味が悪いぞ。お前が笑うと、空気まで凍りつく」
不機嫌そうに現れたのは、戌(いぬ)の翼将、シリウス・ヴォルク。 彼は北の守護者であり、氷結の魔狼牙『ガルム』を扱う。副将シグルド・フェンとともに、彼らは帝国の「国境線」そのものを冷気で鎖している。
「まあまあ、二人とも仲良くやりましょうよ! 王の御前では、みんな仲間なんですから!」
場を和ませるように現れたのは、申(さる)の翼将、サルマン・ハヌマーン。 変幻自在の棒術を操り、都の物理的な「隙間」を監視する彼は、十二翼のムードメーカーでもある。副将マイラ・ヴァジュは、主君の軽口に溜息をつきながらも、その俊敏な動きを星韻でサポートしていた。
夕暮れ時。 宮殿の大広間には、アル・ゼノンの招集により、二十四名全員が顔を揃えていた。
「――今日という日を、無事に終えられたことを、王に感謝する」
十二翼筆頭、アル・ザヒドの音頭で、賑やかな晩餐が始まる。 ここでは、将と副将が主従の垣根を超えて、一人の「家族」として食事を共にするのがエテルナの伝統であった。
バラムが大酒を煽り、ラージャンがそれを揶揄う。 フィオナが美しく着飾り、ゼフェルが隅の方で冷めたスープを啜る。 ガルダが空飛ぶ肉料理を笑いながら追いかけ、シリウスがそれを冷気で止める。
それは、一人ひとりが世界を滅ぼせるほどの力を持った「怪物」たちの集まりとは思えぬほど、穏やかで、人間味に溢れた光景だった。
アル・ゼノンは、玉座からその様子を静かに見守っていた。
「……イシュタル。彼らは、昨日死んでいたかもしれないのだな」
「はい。ですが、彼らはそれを誇りとしております。……貴方の庭を彩る、美しい翼であることを」
ゼノンは、手に持った杯を高く掲げた。
「……よい。明日も、この騒がしさが続くことを許そう。……余の退屈を埋めるには、この程度の賑やかさが必要だ」
王の言葉に、二十四人の視線が一斉に集まる。 そこにあるのは、恐怖ではなく、魂を根底から預けた絶対的な忠誠心。 最強の王と、彼を守る二十四の翼。 彼らの日常は、どんな神話よりも眩しく、そして儚い黄金の輝きを放っていた。
しかし、宴の最中、虚無の四天王・ゼロスが、王の耳元で囁いた。
「王よ。……一つ、奇妙な報告があります。……ガリアの跡地、砂漠の中央に、誰の目にも見えない『透明な塔』が建ち始めています。……十二翼の誰の目にも、今のところ、それは映っていません」
ゼノンの杯が、わずかに止まった。
「……私の目にもか?」
「……いいえ。……王の目と、私の虚無の視線以外には、という意味です」
「反王同盟(アンチ・レガリア)」でも「ゼノビア」でもない、第三の足音。 完璧な日常の裏側で、新たな「未知」が、音もなくその胎動を早めていた。
第八章:【透明な侵略、虚無が吼える時】