スカード・スワロウ・アンド・サンベリーナ・ドロイド   作:nallowship

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スカード・スワロウ・アンド・サンベリーナ・ドロイド #9(前編)

◆カラテが高まりゆく……◆

 

 

(……痛い)

重く冷たい雨が、風に吹かれてフードの下の顔を叩く。乾いて割れそうな唇で、白い飛沫が、白く濁った息を跳ね散らしている。一滴ごとに体温を削り取られる。ただここに立っていることを咎めるように。

うつむいた顔、瞼から睫毛を伝って落ちた滴が、泥水をつかむように震える小さな手を叩き、散って、泥水に混じった。

「ピ、ピガ……ピガガ……」

「……何これ」

その辺りにいるロボ市民とは違う、生徒の形をした半裸の機械。身支度を終えた私の気持ちを屋根ごとぶち壊し、ゼンメツとかニンジャだとか意味不明なことを言いながら暴れるだけ暴れて、今はこの様だ。意味が分からない。

「ピガッ……この……た…けて…………センセイ……」

人形は生きようとしていた。ままならない自分の身体に潰され、なおも。

「……帰り……ま…………きっと……」

「……痛い」

今度は声に出た。

泥のような雨の中に、もっと重く冷たい雨ーー切ったばかりの左手首から赤黒い雫が一筋流れて、泥に混じり、人形の指に繋がった。金属フレームとシリコンの手を掴んで引くと、傷が開き、細い糸は太く赤錆びた鎖になった。

逃がさない。安寧など許さない。なお苦しめ。生という負債を支払い終わるまで。ーーそう嘲笑う、錆びた鉄柩じみた私の身体。

「…………はあ」

まあ、いいか。

世界の全てに意味がないなら、この気持ちにも意味はない。

切りがいい。これを最期にしよう。誰も知らないところで、誰も知らない人形に看取られ、その人形を家に帰らせて、それで終わり。

ずっと「私」を見ている子供のままの「私」とも、ようやくお別れ。

 

ーーその時はまさか、中身が違うなんて思ってなかった。

 

(……何これ。バカみたい)

自分のものでない風に身体をなで回すドロイド。表情には困惑と少しの喜悦。思ってたのと違う。

最期のはずだった私の意思も、無意味だった。

「……最悪」

残りは惰性。まあ、切りのいいところまではやろうか。

その後はーー

 

 

【スカード・スワロウ・アンド・サンベリーナ・ドロイド】#9

 

 

純正NNK系列、標準価格帯の低身長モデル。要人護衛カラテ仕様。プリインストールは貴重品・精密物品取扱い対応の家事機能と、携行銃火器使用機能。対ニンジャ戦ゼンメツ・アクションモード標準搭載。医療行為機能搭載、ただし根拠法失効により医療保険適用対象外ーー

「何なんですかこの最後の一文は」

「アー……健全な学生さんにはちょっと早いっスね」

「健…全……」

手帳をめくる紅潮したケイの顔が薄闇に浮かび、すぐに陰った。密閉PVC容器めいて無機質な通路には、小さなLED照明が25メートル置きに明滅している。3つの足音が甲高く反響し、換気口から吸いだされて消える。

「これで標準モデル? かなり手がかかってるみたいだけど」

ミサキはケイの髪を数本つまみ、彼女に睨まれて放した。シキベが振り返り、ケイを見た。

「オーナーがドロイド技術の学者先生で、自分でカスタムしたんデス。実際、娘同然に溺愛されてて、護衛用のカラテ戦闘機能も今となっては自衛用っスね。機械に自我があるのが許せないって破壊して回るイカれた連中もいますから」

「何それ……。『センセイ』ってその人のことか」

「研究の助手もしていたそうです」

「へえ」

含みのある視線。

「……何ですか?」

「別に」

興味を失ったように目を反らすミサキの脇腹をケイは小突いて、マグライトを持ったシキベを追う。呆れた様子のミサキも続く。ーーその先で枯れ木がきしむような機械音がした。

暗い十字路に現れたのは、1体のオートマタだった。3人を視界に捉え、赤い走査光を放つ。本来なら即発砲のルーチンを持つ機体。だがそのカメラアイがケイに向いた瞬間、オートマタは透明な型にはめられたように硬直、直立して捧げ筒の姿勢をとる。ケイの喉から発せられた音声信号を受け、回れ右をして通路の先に消えた。

ミサキもシキベも驚きはしない。既に何度も見たからだ。

ここはミレニアム自治区内、外縁部に点在する無人の廃墟。わずかな電気がただ尽きるのを待つだけのジャンクヤード。ーーそして「名もなき神々」の遺構の一つであり、ケイの領地である。

ここにミレニアムの監視カメラはない。あちこちが隔壁で閉鎖され、ハックアンドスラッシュ探索ゲームめいた迷宮と化した構造物の中心部へと、3人は向かう。目指す宝はケイが知っている。LAN直結できる大型UNIXとそれを稼働させられる電力、そして意図せずミレニアムに物理接続していたネットワーク回線だ。いずれ特異現象捜査部が調査するはずだった。

闇が途切れ、白い隔壁が道をふさぐ。ケイが壁の制御板にLAN直結、タタミ1枚分の通路が開いた。同時に施設の情報を吸い出す。システムは些かの抵抗も見せず、制御権をケイに差し出した。

「……うん、電力は充分です」

「こういう場所があるって知ってたなら最初から言ってよ」

「私も実際来るのは初めてなんです! それにここは、普段はミレニアム側からBANされてるんです。連絡手段は別に要るんですよ!」

反射的に言い返すケイ。だが彼女はモゴモゴと口ごもり、ようやく絞り出すように言った。

「それに……不本意です。私は」

唇を噛む。こうした動作ももうすぐ終わりだ。悔しいが。

この3人でなら他の帰り道も探せるだろう。特にデータ素子の人力輸送という連絡手段ができたのは大きい。ーーだが、ここにはもう1人いる。

ケイが身体を借りているドロイドの、休眠状態にある本来の人格が。

 

 

彼女が今もこの機体にいることは、あの後、シキベがLAN直結で確かめた。

胴のエネルギー変換機構ーー人で言う胃のあたりに「名もなき神々」のレリックが埋め込まれ、ケイの人格データはそこに格納されている。データの支配権は元の人格にあり、しかしシステムログには機体の制御権を争った痕跡やエラーがない。譲られたのか、それとも託されたのか。いずれにせよケイの人格表出は意図的なものだ。

同時に問題も見つかった。記憶の混同……記憶領域に蓄積されたケイの記憶が媒介となり、2つの人格データがデフラグ、統合されようとしている。偶然とはいえ今のケイを「ケイ」と呼んだことが少なからず影響しているのだろう。ーーとケイは強く主張した。影響が出始めたのは昨夜、同時刻にケイが本体機能の制御権を要求した痕跡があることにシキベは気付いたが黙っていた。どの機能を使ったか察したからだ。厄介さは体験済みだ。

一刻も早くケイの人格データを他に移さなければならない。そのために3人はここに来た。リオへの置き手紙を残して。

 

 

「私だってそれなりの考えがあって、2人でミレニアムに行くって言ったんです。今朝。なのにもう……」

「まだ言ってる」

嘆息するケイを見ながら、ミサキは呆れたように言った。その態度がケイをより落ち込ませる。

「……分かっています。私だけの問題、何が合理的かというレベルの話じゃない、って。ですが……納得はできません」

悔しさが声に滲む。

ミサキをミレニアムに連れていきたかった。アリスたちに迎えられ、向けられるだろう安堵と歓喜、少しの怒り。その全てがミサキがいてくれたおかげだと、否定しようのない事実として突きつけたかった。

「私は……私を、ミサキに助けて欲しかったんです」

ケイの足が止まった。

足音が1つ消え、2つ消え、やがて残響も消えた。十字路のLEDボンボリが連鎖ショートし、中央でケイのサイバネアイだけが細く淡い光をこぼした。

 

 

「……少年兵」

いつもの抑揚のない声。

「え?」

「私の事情。言ったよね? またの機会に、って。次はなさそうだから」

あえて抑えたつもりはない。あの日、月の下の訓練場跡で先生に話したときもそうだった。ただ、あの時ほど感情というようなものが動かないのは意外だった。

「内戦のスラムで生まれて育った。仲間と盗みで食い繋ぎながら。内戦が終わった後は兵士。人殺しの……ヘイローを壊す訓練。他の選択肢は、反抗してヘイロー割られるか、飢えて死ぬか。大人にいいように使われて、昔の他人のどうでもいい怨みでテロやって、敗けて指名手配」

「何ですか、それ……」

ケイの瞳、その奥の絵が見えた。大丈夫だ、伝わっている。この子は前を見ている。

「その大人にも捨てられて、仲間が殺されかけたから逆に殺しに行って、後は全部ほったらかして逃げた。今も逃げてる。他の生徒には恨まれてるだろうね。帰りたいとも思わないけど」

自嘲めいたいつもの声。淡々と事実だけを。無駄なことは知る必要ない。その程度のありふれた話だ。でないとやりきれない。

「私は昔から身体丈夫なほうじゃないから、ずっと生かされてた。だから終わりにしたかった。生きてても何もない。苦痛だけ。だけど仲間は終わりにさせてくれない。私が必要な間は。……でも、もういいかな、って。もうアツコもヒヨリも手掛からない……むしろ私が世話されてる。リーダーも文句言えないでしょ。自分で言ったんだから」

皮肉な言い方だ。不必要に。この癖は最期まで直せそうにない。

「ケイは『目的は終わった』『今は普通の生徒』って言ったよね。私は逆。何もなくて、なんでもない道具になった。命令されて使われる間だけ、他人には意味があって、使い終わったらおしまい」

楽しいことがなかった訳じゃない。でも気付けば冷たい雨の下、何もない暗闇の中にいる。自分だと思っていたものが冷めて、溶けて、消えていく。温かさを感じただけ余計に……

「分かった? 『覚える必要ない』って言った意味が。住んでる世界が違う。ううん、ケイには同じ世界でも、私にはどうしたって同じに思えない。……だから、忘れて。普通の生徒には、私は邪魔だから」

「私が帰ったら、ミサキはどうなるんですか?」

目を伏せたままケイが問う。ごく普通の生徒のように。

「さあ?」

「私のために、じゃあ……駄目……ですか?」

「必要ないでしょ。実際」

「…………」

これが普通だ。

でき損ないの道具な私とは違う、普通の生徒だ。私が望むことすらできなかったーー

「まあ……当分は何とかする。ニンジャ絡みでまだ何かあるかもしれないし」

先に行こうとしたその腕を、ケイが掴み、引き止めた。幾度か腕を振るが放さない。諦め、そのままケイを曳いて歩きだす。

「ケイ、痛い」

「自業自得です!」

食い気味にケイが叫んだ。泣きそうな声だった。

「……加減して。骨折れる」

生乾きのかさぶたがある手首にケイの指が食い込み、白い包帯にじわりと赤黒いものが滲む。だがそれ以上は言わなかった。ケイの手の重さを感じながら、少しだけ歩みを遅くした。

 

 

カツ、カツと2足のブーツが鳴る。スニーカーが小さな瓦礫を蹴る音が時折混じる。ーーそしてシキベの足音が止まった。ケイとミサキも止まる。

「ここっスか?」

ケイが頷く。呼応して壁が音もなく左右に開いた。

その先は闇ーーLED灯が明転し、円筒形の電算室が現れる。四方に同じ扉。等間隔にモニタとUNIXが壁に埋め込まれ、蔦葛じみたLANケーブルが乱雑に置かれたファイヤウォールに絡んでいる。墳墓めいた終着点だ。

ミサキは無言でケイの背を押した。

ケイはうつむいたまま、LANケーブルを握ってモニタ前のチェアへと歩いた。パワリオワー! UNIXが喇叭めいた起動音を鳴らし、彼女に傅いた。

 

 

D3、現在時刻18:24。

シキベがリオに指定した、ミレニアム中枢ネットワークの最初のポート開放時刻まで、あと2時間36分。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

ザリ……ザリ……極度に圧縮され砂のようなノイズが混じるビデオメールには、黒髪に白いパーカーの少女型ドロイドが映っている。

『えっと……アリス? ……私です、ケイです。今は身体を借りているので見馴れない姿ですが……私です。心配させてごめんなさい。すぐに……必ず帰りますから』

「ケーイ♪ ケーイ♪ お帰りなさいケーイ♪」

不安げに視線をさまよわせるケイ。モニタ前のアリスとは対照的だ。

やはり通じるものがあるのか、名乗る前からアリスは彼女をケイだと看破した。既に何百回とリピート再生している動画を前に脚を、体を揺らしている。

「アリスちゃん動かないで。キレイにしてないとまたケイちゃん怒るよ?」

アリスの髪を結うミドリの表情にも、もはや緊張はない。

ケイの所在が分かったことで、アリスを除く彼女たちの役割はほぼ終わった。ユズとモモイも今は部室にいる。ここから先は、今目の前で淡々とタイプ音を響かせている先輩たちの仕事だ。アリスたちに、そのワザマエへの疑念はない。

ミレニアム某所、特異現象捜査部の部室。人と組織の運用はセミナー、電子的調査・防衛はヴェリタスに任せ、最も強固な電子的防衛能力のあるここを、ケイ奪還を指揮する首脳陣ーーリオとヒマリ、そしてトキとエイミが拠点としている。

0と1、わずかな英数字と記号のコードが黒い画面に流れている。酷使されるUNIX空冷・水冷機構の悲鳴を叱咤するように、3人分のタイプ音が途切れることはない。1人は軽やかに、1人は控えめに、そしてーー

「堪えましたか?」

「……そうね」

ヒマリに問われ、素直にリオが返す。そのタイプ音は早く、しかし重い。

アリウス分校のことだ。

多数の論理によって排除され、追いやられたのは理の埒外、賢明であろうとしても判断材料も選択の余地もなく……各々の時代や状況では最大限合理的であったはずの判断、その行き着いた果てが「存在しない」学園の不可触民。

「あなたが気にする話ではないでしょう」

「以前の私であれば、そうね。今でも合理的であることは間違っていると思っていないわ。ただ……ね」

「トロッコの墓場ですね」

リオはしばし目を閉じ、椅子に背を預けた。

彼女のタブレット端末に挿さっているのはシキベからのデータ素子だ。正面モニタの一画に投映された内容は、数時間遅れの現在地とケイの現状、今後の段取り、そしてミサキからケイの身柄と護衛役を引き継いだこと。ミサキへの報酬についても。ーー今も彼女が同行していることは伏せられている。公文書には残せない名だ。

リオが推定を外した。それが事実。

「珍しいね部長。いつもなら絶対あおりたおすのに」

「……癪ですが私も同じ予測でした。アリウス分校は事前に少し調べましたし、マイアさんからも聞いていたので。助ける気はあってもそんな余裕はない、という理由ですが」

リオとヒマリ、2人の視線は自然とメッセージの同じ位置に止まった。ケイが約束したミサキへの報酬。これが彼女たちの命の標準額。

「リオ会長、ヒマリ先輩! アリスからもミサキさんにお礼します!」

「私もです。学費や部費は使えないけどアルバイトして今からでももっとーー」

「ダメです」

無邪気な提案を、ヒマリが決断的に制した。

「アリス、ミドリ、それは私が許しません。リオに頼んでもダメです」

あえて語気を強める。申し訳ないとは思う。だがこれを認めてはーーリオに認めさせてはならないのだ。

「今のアリウスには何もかも足りていません。衣食住、社会的身分、人としての尊厳すらも。では最後に残っているのは? ーー自己決定権です。自分のことは自分で決める。誰からも認められない自分の存在をを認めるための、無慈悲な合理。それすら失くしたら、彼女たちは自らの何に拠って立てばいいんですか?」

ヒマリのコーヒーカップの陰には、小さなハッカ・キャンディーがある。マイアは受け取るのを躊躇った。他人からのこんな小さな糖の塊が、彼女には未知の恐怖だった。

「あなたたちの気持ちも優しさも理解できます。ですがそのちょっとした善意が押し退けてしまうのは、彼女たちの生きる意味。それは必ずしも救済ではなく、時に……殺してしまうんです。最後に残った心を」

感情を抑えてヒマリは言い切った。肩を落とすアリスとミドリ、そしてーー

「……言い過ぎました。ただ相手のあることですから慎重に。それにきちんと筋を通せば喜んで受け取ってくれるかもしれませんよ?」

背を向ける。ーーこれは彼女の役割だ。

「そういうことはセミナーに任せてちょうだい。そのために契約、制度、建前……納得に至るためのプロトコルがあるの。渡したいものがあれば預かるわ」

「リオ会長……」

2人から尊敬を集めるリオを尻目に、ヒマリは頬杖をついた。(いつまでもあれでは調子が狂いますからね)と言いたげに。だが、

「ですがリオ会長、今は予算執行権限がありませんよ」

「…………ユウカにお願いするわ」

(空気読んでくださいトキ……)

頭を抱えるリオ。ある目的でミレニアムの予算を私的流用した前科がある彼女は、会長職に復帰してなお会計にーーというよりユウカに口出しできない。「締まらないね」「インガオホーですよ」エイミとヒマリの呆れ声がする。

ーーそして、

「部長、そろそろ時間」

「ええ」

killコマンドが走って不要な処理を停止。ケイの帰還に純化したモニタの下、ヒマリとリオ、ミレニアム最上位のハッカー2人が無言で同じUNIXに相対した。確認の必要はない。各々の最善が最適解だ。トキがコーヒーカップを片付けて後ろに控える。エイミが調整を終えたフルダイブ用HMDを、王冠を捧げるようにアリスに手渡した。

「アリス、ケイをよろしく」

「はい!」

ミドリの介添えでHMDを装着したアリスの身体から力が抜け、正面モニタの一画が彼女のバイタルを表示する。同時に他の部室からもログインがあった。

セミナー、正面にユウカ。後方にノア。

ヴェリタス、チヒロ以下4名。

エンジニア部、正面にはケイの筐体。周囲にウタハ、ヒビキ、コトリが見える。

ゲーム開発部、モモイとユズ、散乱する資料等。

加えてもう1ヶ所、ヘリポートに接する待機所。慌ただしく装備を点検するメイドたちーーシキベたちの回収と対ニンジャ戦を担当するC&Cである。画面前には室笠アカネがいる。光る眼鏡越しに険しい表情が見えた。ニンジャの脅威については部長・美甘ネルから共有済みだ。

『アリス、準備完了しました』

部室の空気が張り詰める。

不安はない。アリスは誘導灯だ。ケイとは一心同体というべき存在、いかなる高位のレリックも彼女に優先するはずがない。ケイがアリスを、アリスがケイを見落とし、見誤るはずがない。後は時間との勝負だ。ファスト・アズ・ライトニング。ニンジャが介入してくるまでに勝負を決する。

 

モニタがカウントダウンに切り替わる。5:00……現在時刻20:55ーー

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

夢のないまどろみからミサキは目覚めた。不思議と体内時計だけは昔から正確だ。外の光は入らないのに、電算室は少し暗くなったように思えた。

「ケイ=サン、そろそろ準備を」

『いつでも大丈夫です』

聞きなれないケイの声がした。

黒い髪の小柄なドロイドは今、武骨なテクノチェアに収まっている。表情はない。この3日間が幻であったかのようにミサキは錯覚した。

ケイはまだ中にいる。それは間違いない。

『ミサキ、疲れてますか?』

壁の監視カメラがフォーカスし、モニタ内臓のスピーカーが抑揚のない合成音声を再生した。モニタには極限まで簡略化された表情アスキーアート。ケイの五感の一部は今、ドロイドの首のLANケーブルを通して電算室のUNIXに直結している。人格は埋め込まれたレリックに未だ囚われているが、ケイの感覚では別の筐体だ。人格デフラグは回避できる。

「まあね……」

ミサキは珍しく素直に答えた。実際、疲労は無視できない程度に酷い。今さらごまかす気もなかった。

ケイはずっと言葉を探していた。だが感謝も、叱咤も、称賛も、同情も、他のあらゆる行動もミサキに伝えたい言葉ではなかった。結果で示そう。そう決めた。

『ミサキ。ミレニアムで待っています。私はずっと……待ってますから』

「遠距離恋愛? 早く行って。迎えと報酬忘れないでよ」

『何ですかその言い方は! 報酬払いませんよ!』

ドット絵の三白眼がモニタに大写しになる。アリスたちは見慣れた顔だ。ミサキもなぜか見覚えがある気がした。他人の身体を借りていても、元がAIでも、ケイであることは変わらないのだろう。彼女が望むように変わっているのだから。

「無理。ケイにはできない」

『当然です』

アスキーアートがくるくると切り替わる。やっぱりケイらしいな、とミサキは思った。隣でLAN直結待機しているシキベも少し笑った。

『約束を破るのも諦めるのも、私はできませんしやりません。ワガママなんです。生きることに貪欲なんです』

「お姫様みたい」

『羨ましいですか?』

返事の代わりに肩をすくめる。暴走に生贄、姫にはろくな記憶がない。

「シキベ=サンに迷惑かけないでよ。迷子になって失敗とか勘弁して」

『心配しないでください。私は元々AIです。こっちが本来の姿、本領発揮ですよ。ーーではお先に。ミレニアムでまた会いましょう』

モニタに論理記号と半円を組み合わせた笑顔のアスキーアートが映り、消えた。小さな駆動音を鳴らしていたドロイドの筐体もカクリと脱力、停止した。ログインしたのだ。

「心配するな、とか……かえって気になるから」

どこか穏やかな顔のドロイドを見て、ミサキがひとりごちた。

 

 

「……なんでウキヨなんスかね?」

道中でシキベはこう言った。

生徒を装いミレニアムに紛れ込むなら、ただのドロイドより所作が自然なウキヨが適しているのは確かだ。だがLAN直結ならただのハッカーでも充分、ドロイドが必須だとしても、希少で反抗の恐れもあるウキヨと既製品にそこまでの差があるか? リオたちが不測の事態だと見ているミサキとの遭遇……ゼンメツ・アクションモードの暴走も解除しておける。あれは果たして偶然か?

ーー組み立てた推理に、バイオサンマの小骨めいて挟まった疑問だ。

 

 

(#9前編終わり。#9後編に続く)




「うう……暑い……なんで今年はこんなに突然暑くなるんだよ……!」
「ドーモ、カニキュラです」
「アイエエエエ?!」
「立て。貴様に真の酷暑日を味わわせてやろう。貴様は日本の夏をナメた。その報いを今、受けるのだ」
「や……やめてください!」
「ダメだ。もう全日33度以上にした」

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