スカード・スワロウ・アンド・サンベリーナ・ドロイド 作:nallowship
【スカード・スワロウ・アンド・サンベリーナ・ドロイド】#3
カリ……カリ……微かな検査機器の動作音だけが、いつもは金属加工と動力機関のけたたましい音が反響する吹き抜けの空間に流れ、高い天井に反射することもなく溶けて消えてゆく。音の中心には幾人かの生徒が集まっているが、固唾をのむことすらなく、無言でただ一点を見つめている。
ミレニアム・サイエンススクール、「外して保持」の警戒テープで出入口を封鎖されたエンジニア部の部室兼工房。
「……さて、見解を聞こうか」
工房の主、白石ウタハが顔を上げ、振り返った。隣に立つ小鈎ハレは、まだ手元のUNIX端末でエラーログを解析しているが、有効な結果が得られていないことはその表情から明らかだった。
ケイの消失が発覚してから1時間後。機密保持のため、必要最低限の生徒がこの場に集められた。アリスはじめゲーム開発部の4人。セミナーより早瀬ユウカと生塩ノア。特異現象捜査部・和泉元エイミ。C&C・飛鳥馬トキ。そしてーー
「分かったのは『何も分からない』ということね」
黒いスーツ姿の少女が答えた。セミナー会長、調月リオ。
少女らの中心には、モニタに01ノイズを高速スクロールさせるケイの機体がある。インターネット無線接続子機アンテナをはじめとして、大小様々なモニタや計器、予備バッテリーがLAN接続されたそれは、レトロフューチャーめいたオブジェクトだった。実際には機能しない、という意味においても。
不安げなアリスたちを察したウタハが、リオの足りない説明を補う。
「まず、ハード面での異常はない。AMASとしては正常に動作するだろうね」
「ソフトも異常なし。単純に、ケイの人格プログラムだけがなくなってる。他の端末に転送されたみたいだから消えてはいないけど」
ハレが全員に見えるよう、機体のログをホロモニタに投影する。マークした行には、指定したプログラムを外部端末に転送するコードがあるが、転送先は文字化けで読み取れない。それより前の行に、外部からデータ転送を要求された形跡もなかった。
「ハッキングがあったかは今、部長や副部長たちが調べてる。でもログを見る限り、ケイを狙ったアクセスはなかったみたい」
「合理的に考えるなら、『ケイが自らの意思で外部端末に移動した』ということになるわ」
「ええっと……会長、それって要するに」
「家出ね」
リオはホロモニタを見ながら、端的に言った。
……そしてスライドホイッスルの音めいて奇妙に弛緩したアトモスフィアを背に感じ、振り返った。原因が自分だと呑み込めないままに。リオはそういう性質の少女であった。
トキ以外は一様にハニワめいて口を開け、ウタハが苦笑して顔を横に振る。そしてーー
「うわあああん! ごめんなさいケイ! アリスが悪い子でした帰ってきてください! ちゃんと言うこと聞きますから!」
取り乱して泣きじゃくるアリスを、ユウカが必死に押し留める。彼女は力が強い。ロボだからだ。
ーーその時。
「リオ、言いたいことは分かりますが言葉を選びなさい」
「あ、部長」
「大丈夫ですよアリス、ケイの意思なはずがありませんから。ほらリオ、ちゃんと説明しなさい」
モスキート音めいた車椅子の駆動音と共に、裏口側の暗がりから白い人影が現れた。特異現象捜査部部長にしてヴェリタス元部長、明星ヒマリだ。嗚咽するアリスをなだめつつ、リオに促す。
リオは少し困惑した様で、説明をやり直した。
「そうね……ハッキング自体はあったと思うわ。それが偶然、今のケイにより適した動作環境ーーおそらく上位の「名もなき神々」のテックが組み込まれた端末だったために、ネットワークで繋がったケイの人格プログラムが自身を最適化するためそちらに移動してしまった、といったところかしら。……それでヒマリ、通信の解析結果は?」
「詳細なログ解析はできませんでした。ケイは通常のAIとはまったく別の規格で動いていますから。ただし通信負荷の推移からある程度の絞り込みはできました」
「アクセス元は?」
「校内、実習センターの端末からアクセスした可能性が高いですね。コタマとマキに今、監視カメラの映像解析を進めてもらっています」
「待って部長。アクセス元が分かっててまだ解析してるってことは……」
「そう、監視映像は改ざんされていました。犯人像は掴めていません。今は改ざんの痕跡からハッキング後の動きを追っていますが、恐らく既に自治区外へーー」
「アリス、ケイを探しに行きます!」
アリスが声を上げた。ユズ、モモイとミドリが間髪を容れず続いた。
物理肉体のない、今どの端末に入っているのか分からないプログラムをどう探すつもりか。ーーそう聞く者はいなかった。
これはミレニアムを揺るがす問題だ。場合によってはキヴォトス全体をも。誰もが出来ることをする必要がある。ただし、ケイの存在を知る者だけで。
「……分かったわ。ただしアリスは残ってちょうだい。ケイが戻ってきたときのために。ユウカ、シャーレに依頼を」
リオの言葉を合図に、ミレニアムというシステムは静かに動き出した。
アリスたちが退出し、工房にはウタハとリオが残った。沈黙を続ける機体を前に、リオがふと呟く。
「……本当にケイの意思で、という線も考えるべきかしら。何か環境に不満があったのかも」
「彼女なら最近、整備で時々ここに来ていたよ。待ち時間にそこのカタログを見ていたね」
ウタハが椅子が置かれた壁際を指差す。積まれた工学系生徒・企業向けカタログの一番上はサイバネ義肢特集……特に外観を生身に近付けたタイプだった。
「なるほど、つまりケイは機体を強化したかった可能性があるわね。ただ彼女を銃撃の前線に立たせることはないから重量が増えるだけで非合理だと思うけれど」
独り合点するリオに、ウタハは再び、やれやれと首を振って、ケイの機体の保全作業に取りかかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
キヴォトス某所、幾つか存在するブラックマーケットの一つ。欲と悪意が絶えず往来し、金という触媒を得て凝固したビル群には、猛毒を蓄えたホーネットめいて暗黒非合法企業体やヤクザクランが巣食う。
中でもひときわ高いビル、防弾ガラス越しに貧者を見下し、嘲笑い楽しむために作られた高層階。オフィスの主であるマッドドクガエル・ヤクザクランの幹部たちが、強化クリスタルグラスのチャブでZBR葉巻を燻らせながら、中央に立つひとりの生徒を暴力的アトモスフィアで威嚇する。
「……はい、契約通り。確かに受け取りました」
だが白いコート姿の生徒は意に介さず、数えた紙幣を懐にしまった。毒蛇めいたオヤブンの視線にも、あえて気付かない風を装い、踵を返す。
「それで充分か? 例の件、お前も聞いているはずだ。金が必要なんだろう? 情報があるなら高く買ってやるぞ」
「生憎ですが、あの型のロケットランチャーを使っていたアリウスの生徒は大勢いますので、私にはなんとも。では失礼します」
角が立たないよう愛想笑いであしらい、退出する。「役立たずめ」と舌打ちするのを聞き流して。
アリウス分校3年生、梯スバル。崩壊したアリウス自治区における、残された生徒たちのまとめ役。といっても単にやる者が他にいなかっただけ、実際プアー・トミクジに過ぎない。
すまし顔はしかし、部屋を出てすぐに憂い顔に変わった。
あの写真のロケットランチャー、持ち主は戒野ミサキだ。まず間違いない。スバルには細かい傷や整備の癖である程度見分けがつく。ーー逆に言えば、自分や他のスクワッドでなければ、同じアリウス生徒でも装飾のないアリウスの装備は見分けがつきにくい。況んやそれ以外においてをや。そんな装備を手がかりに賞金をかける、それは即ちアリウス生徒全てを標的にしている、ということだ。
(まったく……裏切った後でも厄介事を起こしてくれますね、スクワッドの連中は)
平静を装いつつ、内心頭を抱える。廊下に掲げられた「インガオホー」のショドーが彼女の気分を一層沈ませた。
旧体制の崩壊とその後のトリニティ進駐の中で、かろうじて機能していたアリウスのインフラは管理されることなく、致命的に劣化した。自給自足は困難。外貨が必要だ。今は残った者で修復しつつ、スバルの稼ぎでどうにか食い繋いでいるが、今回の一件でアリウスに向けられる目はさらに無慈悲になるだろう。いつまで今の稼ぎが続くだろうか。
何より……
「スバル先輩、どうしたんですか?……すごい顔してますけど」
「……いえ、何でもありません」
ロビーで待っていた3人の小柄なアリウス生徒が駆け寄り、不安そうにスバルを見る。
少し前に自治区から出ていったはずの生徒たちだ。雇用主に警戒されて職を失い、途方に暮れていたところに偶然出会った。脱走を咎められると思い逃げようとしたのを、何とかなだめて連れてきた。
ーー彼女たちもそうだ。
未知にすがり、すがった希望に裏切られる。か細くわずかな選択肢が、後から今を、未来を絡め取っていく。バタフライエフェクトめいた風にたわむ蜘蛛の糸のように。そうして打ちひしがれ、アリウスに帰ってくる。これからはきっと、もっと大勢が。
誰に怒ればいい……?
……分かるはずがない。
このキヴォトスにとって、自分たちは「存在しない」のだ。いない者への悪意などあろうはずもない。
(本当に……ふざけてます)
屈してなるものか。消されてなるものか。……せめてこの子たちが無事にアリウスから巣立っていくまでは。だからせめて今くらいは、風を起こした蝶をーーミサキを恨むくらいは。
「……そうですね」
心配そうな後輩たちの頭を、スバルはひとりずつ優しく撫でた。
「食料と資材を注文していますので、あなたたちはそれを持って一度アリウスに戻ってください。しばらくは出歩かないように。私はしばらく、外にいる他の子たちを助けて回ることにします。その際に少々、アリウス流で解決するかもしれませんので」
ーーだが、ミサキは今回、何かに偶然巻き込まれただけだ。彼女たちと何の違いがあろうか。
釈然とはしない。だが、少なくとも彼女の不利になることはできない。
(vanitas vanitatum,et omnia vanitas……いえ、虚無のほうがまだましでしょう。私たちにとって世界は理不尽と不条理に満ちている。……ですが……だからこそ、私が誰かの理不尽になるわけにはいかないのです)
そう、他の後輩たちのためだ。その過程で多少、囮のように狙われるかもしれないが。
行きましょうか、と声をかけて事務所の廊下を歩き、階段を下る。途中、何組かの生徒やアウトローとすれ違うたびに奥ゆかしく会釈して、ビルの裏口から曇天の裏路地へーー
「皆さん」
扉が閉まった音を背に聞いて、スバルは足を止めた。
後に続く後輩たちの足が止まり、表情が固まる。
「……最後にすれ違った、アタッシュケースの『生徒』に見覚えは?」
「え? さ、さあ……」
困惑して顔を見合わせる。ややあって、ひとりがふと気付いた。
「……あれ? さっきの人、ヘイローが無かったような……」
4人は小窓からビルの薄暗い通路を見る。3人はバイオ柳の下のユーレイを見るかのように。スバルは鋭い眼差しに殺気を湛えて。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
タン、タン、タタン、タタン、タン……
上階からこぼれる雨粒が、潮風に錆びたトタン屋根で8ビートのリズムを叩く。やれた裂け目から肘への滴りを、窮屈そうに体をひねって避けながら、ミサキは口の中のものを呑み込んだ。
「食べないの?」
「……固くて噛みきれないだけです」
また降りだした雨を避けながら、屋台で買ったイカケバブを2人で分ける。歯ごたえはゴムめいていて、間違えてPVCサンダルをかじっているのではないか、とケイは思った。
(生まれて初めての食事がコレ、ですか……)
こんなものを、アリスが隣にいないところで。
ケイは無性に惨めさを覚え、残りのイカを口に放り込み咀嚼する。流れるかも分からない涙ごとすりつぶすように。気分はまさにドンブリ・ダストだ。こんなものでも腹が満ちるーー網膜部分に投影された動力インジケータが『欠乏』から『充填』に振れていくのが、なお侘しかった。
「……美味しくないです」
「だろうね」
「…………」
「……何?」
「…………何でもないです」
皮肉を言ったつもりはなかった。失言だったとケイが言い直すより先に、ミサキが答えただけだ。まるで変化のない声色と表情で。そして会話は途切れた。
ケイは白地に赤い紐の、過剰サイズな古着のパーカーをワンピースのように着ていた。下が素肌なので、首元がやや広く開いているのと丈がまだ短いのが心許ないが、PVC手術着よりはよほどましだ。パンツは買ったので、股間のダクトテープも剥がすことができた。足にはネイビーブルーに蛍光レッドのテクノスニーカー。靴そのものよりも、ミサキにブーツを返せたことがケイにはありがたかった。
揃いのくたびれた衣服と髪色、ヘイローの色は、田舎出身の苦学生と彼女に会いにきた妹、という風であった。実際には互いに何も知らないというのに。
ここに来るまでのミサキは、言葉も行動も常に少なく、端的だった。ーー実際には彼女の初対面の相手への対応としては、丁寧で饒舌すぎる程なのだが。それを知らないケイは、隣にいるのに何かが致命的に噛み合っていない、そんな感覚に耐えられなくなった。
「……ミサキ。囮にされたこと、私は怒ってます」
あえて強く言う。遠慮するのは彼女に対して、却ってシツレイに思えたからだ。
「でも助けてくれたことに感謝もしています。その上で聞きます。結局、あなたは私をどうしたいんですか? いい加減説明して欲しいんですが」
ミサキは少し考えたが何も言わず、おもむろに残りのイカを口に放り込み、足元の石を拾ってケイの手に載せた。
「握ってみて」
「何ですかいきなり? それで何が分かるとーー」
鋭く、そして軽い破砕音。苛立つケイの台詞は唐突に遮られた。
「…………え?」
「やっぱり気付いてなかったんだ」
ケイの手の中で、石は賞味期限切れのウエハースめいて砕けていた。指の間から砂がこぼれ、スニーカーの爪先が白く覆われる。開いた手から落ちたアズキ・ビーンズ大の欠片が、雨の中にいくつも転がった。
オモチシリコンの柔らかさは表面だけだ。内部フレームは強靭であり、表皮にも傷はない。痛みもほとんど感じていない。まさか、この身体はアリスと同じくーー
「そのボディは戦闘用だよ。昨日、その馬鹿力でビルの天井突き破って、私が休んでたところに落ちてきた。で、いきなり襲われた。素手で。銃持ってなかったから当然だけど。私の火器壊されて回収できなかった」
「襲った……? 私が、ミサキを?」
「覚えてないよね。あれはたぶん、自動防衛システム的な何か。結局、雨の中追い回されて、その途中でいきなり動かなくなって、ヤクザがケイを追ってたみたいだから担いで逃げてきた。因縁つけられた時に交渉材料がないとまずいと思って。ーー自我があるとは思ってなかったけど」
ミサキは小さくため息をつき、頬袋のイカを咀嚼して呑み込んだ。
「じゃ、じゃあ、今朝言った『最悪』っていうのは……」
「ケイをヤクザに引き渡すことも、置き去りにして逃げることもできなくなった、ってこと。モノならともかく、いかにもヤバそうな生徒を見捨てて、後でバレてミレニアムにまで追われるなんて冗談じゃない。……で、その結果がバカみたいな額の賞金首。完全に目をつけられた。ほんと、バカみたい」
電波が入っていない携帯UNIX端末で、不良のIRC-SNS画面の写真を見せる。ヤクザに押さえられたロケットランチャーの写真。悪意に満ちた文面。そして『生死を問わず』の一文。
ーーここにきてケイはようやく、自分がただならない事態の渦中にあること、否、自らがその中心であることを理解し、慄然とした。理解しておきながら平然としているように見えるミサキに、激しい苛立ちを覚えるほどに。
ただのシステムトラブルではない。明確な悪意を持った敵がいる。そして自分が、ミサキを生死の瀬戸際に引きずり込んだ。
「……私はどうすればいいですか?」
「どうもしなくていいよ。知らん顔してケイをミレニアムに届けて、誘拐犯のヤクザを徹底的に潰してもらう以外、私にはもう逃げ道ないから。適当に旅行気分でいればいいんじゃない? その方がバレないだろうし」
「で、でも!」
ケイは悲鳴めいて叫んだ。
罪悪感ゆえか、それとも他の何かか。はっきりとは分からない。ただ、黙っていることに我慢できなかった。
「……じゃあ、お金」
ミサキはそう言って、ジーンズに突っ込んでいた薄い財布を見せる。
「もしもの時に、ってアツコとヒヨリが……仲間が手持ちのほとんどを置いてってくれて、その服買うのに使った。埋め合わせしてもらわないと二人が生きていけない。だから、お金。必要経費だから、必ず払ってもらうから」
そう言って提示された額は、セミナーからケイに小遣いとして支給されている額よりもずっと少なかった。
最後にミサキはこう付け加えた。
「……ケイ。私とはぐれて、それでもミレニアムに帰れたら、報酬は私の仲間に渡して。シャーレの先生に言えば取りついでくれるから」
ケイはやや上の空で、はい、と答えた。その言葉の意味を深く考えることもなく。
一時間後。
ケイはミサキが運転する中型トラックの助手席に座っていた。
行き先は山を3、4つ越えた先の違法リサイクル業者ヤード。非合法運送業者から預かった荷台のジャンクやバルク品銃火器を届けて、別のーーミレニアムに近い拠点にトラックを返す。そういう契約だ。
窓から吹き込む風はいまだ重苦しく、不器用に髪をすいていく。黒く厚い雲の下、行く手にうっすらとかかる虹がいかなる旅路のサキブレか、ケイにはまだ掴みかねた。
(#4に続く)
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