スカード・スワロウ・アンド・サンベリーナ・ドロイド 作:nallowship
遠い雲間に、青い光輪が浮かんでいるのが見えた。
ワイパーが拭き残した洗剤の塗膜に、さやさやと揺れる木陰からこぼれる陽の光が触れ、ケミカルな虹の弧がケイの瞳を横切った。土埃で薄汚れたガラスと、グラデーションに色褪せたバックミラーの縁。積み重ねられた年月の痕跡は、果たして自分とどちらが長いのか……いや、比較は無粋か。吊られた交通安全のオマモリ・タリスマンが、アリスをただ見守るだけだった日々のおぼろげな記憶を呼び覚ます。
フロントガラス越しに空を見上げるケイの長い前髪を、少し肌のあれた指が撫でつけ、重力にあわせて流し、整える。
普段よりも少しだけ優しい声色で、ミサキは言った。
「調子どう?」
ケイは絞り出すように答えた。
「気持ち悪い……です……」
そう言って顔を伏せる。
【スカード・スワロウ・アンド・サンベリーナ・ドロイド】#4
なだらかな山道の途中。港と、山と、谷へと向かう三叉路。近くの何もない休憩スペースに停めたトラックの座席で、ケイはミサキに膝枕されながらうめいた。街を出てからまだ2時間も経っていない。だがケイの、アリスの身体を借りていたときの感覚、その残滓が、ここにきて彼女にも予想外の効果を与え、旅路を妨げていた。
「車酔いするロボットとか初めて見た」
「……私もです」
目を閉じ、めまいを堪える。おさまらない。視覚と平衡感覚ではなく、平衡感覚同士が共食いしている。人格が受け取る感覚と、このボディの駆動・センサー系統の反応が僅かにずれているのだ。徒歩では気にならなかったが、車の揺れが加わることでそのズレが増幅され、最適化を図るジャイロセンサーとそれを補正しようとする五感の制御システムが過剰反応して、それぞれが勝手に非人道的バッファロー審問めいてケイを振り回していた。
「っーー!」
ケイの体がふいに、ビクリと震えた。OSからの警告が網膜ディスプレイに表示される。だが意味が分からない。分からないなりに指示には従おうとするが狭い車内では自由がきかず、ただモゾモゾと身をよじる。
「どうしたの?」
「背中……」
「さする?」
「吐き気じゃなくて、その……服の背中、めくってくれませんか?」
ミサキは頼まれた通り、手を伸ばして白いパーカーのすそを遠慮なく引き上げた。ジーンズの穴の縁と、その下の陶器めいた肌が、伏せたケイの頬を擦る。実際安い合革シートの上に横たわる起伏の少ない身体のほとんど全て、熟れたライチの果肉めいた素肌が露にされた。
ーーと、
「んーーーーっ!」
キュイイイイ……ケイの胸の中心あたりから細い金属音ーーマイコ回路が回転数を上げる音が鳴る。それとともに、肩甲骨の内側をなぞるようにシリコンが裂けた。せり出した外装の隙間に銀色のフィンが展開し、排熱がうっすらと漂う陽炎とともに、窓の外へと吸いだされて流れてゆく。
ダッシュボードに放置されていた猥褻な古雑誌であおぎ、熱を追い出すミサキ。その太股に顔を埋め、ケイは小さく震えながら泣きそうな顔になる。涙は出ない。
自分ではどうにもならない反応。排泄の世話をされるような己の姿。羞恥心と情けなさに身体は紅潮し、排熱を増やす悪循環に陥る。
(私、今、体温何度あるんでしょうか……?)
「もう嫌です……」
「いいって。たかが熱でしょ?」
「よくないです! 違うんです……いつもの私ならこんな……こんなこと……情けない……」
「だからいいって」
声が低く、苛立ちを含んだものになる。髪をすく手に力がこもる。だが悶えるケイにはそれを気に留める余裕はなく、音声記録は感覚同期処理のログと共に流れて消える。
「そういうの反応に困るから」
「うう……はい」
「本当の身体あるんでしょ? ケイには。本調子じゃなくて当然だから」
「……………………はい」
「なに? 今の間」
答える代わりに、ケイは閉じた瞼をミサキに押し当てた。頬の熱が、冷たい皮膚へと少しずつ伝わっていく。
闇の中で揺れる彼女の視界に、ミサキの表情が入ることはなかった。
同期が無事終わり、平衡と平静を取り戻したケイを乗せて、トラックは再び走り出す。地図とミサキによれば、このまま何もなければ、夕方には目的地に着くとのことだった。
人気のない山道を抜け、放牧地が広がる高原へ。雨の名残が朧霞となって、褐色が混じりかけた牧草を撫でるように流れる。日に焼けた「健康的」のタペストリーがかかったサイロ。バイオホルスタインの低い鳴き声がどこからか聞こえる。
「忘れてください……」
「別に覚えるつもりないけど」
「……それはそれで癪に障ります」
まだ火照った顔を、水道水を詰めたペットボトルで冷やしながら、ケイはただただ顔を伏せる。すれ違ったバイオレイヨウの長い鳴き声が、聴覚センサーに残響していた。
「ところでさ、ケイ」
「?」
気分を切り替えようと水を口に含むケイに、ミサキはふと聞いた。
「シャーレの先生と一緒に住んでたりする?」
「ーーッ!」
ケイは一瞬硬直。想定以上に喉を通過した水を異変と判定した触覚センサーの過剰反応に、思わず咳き込んだ。彼女に生物的な呼吸は必要ない。そのように行動する。ハンディベルめいて澄んでいるはずの声が、逆流した水でゴボゴボというノイズを纏う。
「な!何言ってるんですか!誰があんな人と!私は王女アリスの従者でありミレニアムの生徒ですよそういう悪い冗談はーー」
「ああ、知ってはいるんだ」
「いやそういう話では!」
狼狽をうまく言語化できず、内蔵スピーカーからBEEP音じみた音声記号をかき鳴らす。対してミサキは、それ以上興味を示さないかに見えた。が、
「……王女? お姫さま? ミレニアムにもそういうのいるんだ」
「え? いえ、その……」
口ごもるケイ。自分とアリスの関係、存在はミレニアムの機密情報ーーそれ以上に、このキヴォトスという世界そのものに関わるものだ。安易に話していいものか……話したところで、理解し、その上で沈黙してくれるだろうか?
少し悩んで、ケイは当たり障りのないように話すことにした。卑怯だ、と思いながら。なぜかは分からないが。
「私の本体はAIです。ある勢力……組織の『王女』として作られたアンドロイドが私の主人、今はミレニアム生徒のアリスであり、私は彼女を……彼女のために作られました。色々あって、作られた『目的』はもう終わって、今はただの生徒ですが……あの、驚かないんですか?」
「まあ、うちにも姫いるから」
「……え?」
思わず(それだけですか?)と言いそうになり、言葉を飲み込む。前を向いたままのミサキの横顔……もしや不器用なりにコミュニケーションを取ろうとしているのでは? ケイは一瞬そう思ったが、思い直した。対人経験に乏しい彼女にも、どうもそういうアトモスフィアでないことが分かりかけていた。
「……どう? 今は」
「……何がですか?」
「生きててよかった、って思える? 役目が終わって、何でも自由になって」
「当然です」
ケイはようやく胸を張った。
「自分で、そうしたい、と思いました。それに『アリスと一緒に』から『アリスたちと一緒に』になりました。……最近ちょっと自信なくなりかけましたが」
ケイは答えを待った。だがミサキはそれ以上言わなかった。会話はそのまま終わった。
ーー
ーーーー
高原から渓谷へ。風に乗って崖から舞い散り、崖へと舞い落ちる鮮やかなメープルの庇をくぐる。フロントガラスに幾枚かの葉がしばしとどまり、やがて取り残されてゆく。
「運転ふらついてますよ。ちゃんと車線を守ってください」
「ショートカット。対向車いないから」
「ダメです」
「誰も見てない。邪魔にもなってない」
「ダメです。見逃したのをアリスたちに知られたら、私の説得力がなくなりますから。安全運転厳守でお願いします」
「いや知らないから。そんなケイの都合」
ーー
ーーーー
渓谷を抜け、小さな町へ。閑散としたパチンコ・パーラーの不必要に広い駐車場にトラックを停め、凝り固まった身体をのばすミサキ。隣でケイは軍用バックパックの底を漁り、棒状の警戒色が透けて見えるコンビニ袋を取り出す。
「これですか? こういうケミカルなものは健康に良くないと……」
「しょうがないでしょ。お金ないんだから。一食くらいで変わらないよ。私は黒お願い。ケイは緑」
「それはそうですが、とはいっても身近に重篤なエナドリジャンキーがいるので……って、こっちの緑のほうが高いし栄養成分多いじゃないですか。ミサキがこれ食べるべきです。いくらエナジーバーでも栄養バランスは考えないと。私はカロリーさえあればいいので」
「そっちの味好きじゃない」
「じゃあ何で買ったんですか。ていうか保存期限ギリギリじゃないですか!」
「大丈夫だって。それが一番新しいんだからケイが食べなよ」
「……本当ですね。他は全部期限切れです」
「分かった? だから黒いほうを」
「私が食べます。あなたはこっちのオキアミ味」
「……何で? 意味分かんない」
「私はドロイドですから! 古くてもお腹壊しませんから! はいミサキはこれ!ビタミンミネラルたっぷり配合のほう!」
「ええ……」
ーー
ーーーー
山をひとつ越え、盆地を行く。収穫が終わり、土の乾いた畑地に挟まれた農道を、タンブルウィードめいてエダマメの乾燥茎が横切った。何とはなく目で追ったケイの視界に、3、4人の子供が甲高い笑い声とともにまばらな人家の間を駆けているのが見えた。
「アリス……私のアリス……声を聞きたいです……この際モモイでも我慢します」
「もうホームシック?」
「もう、じゃありません……うう、ごめんなさいアリス……あの、ちょっとメッセージ送るくらいーー」
「ダメ」
「そんな! ミサキがネット契約できないのは分かりますが、今どきWi-Fiくらいどこにでも! 慈悲はないんですか!?」
「そういう問題じゃなくて……ケイがここにいるの、ハッキングの可能性があるんでしょ? 賞金稼ぎはともかく、犯人……ヤクザかその上かは知らないけど、ミレニアム相手にハッキングでケンカ売る、出し抜く実力のある相手。だとしたら、ケイを探すにはどこを見張る?」
「ミレニアムと……シャーレですか?」
「そう。ここはまだ遠い。居場所がバレて集中攻撃されたら詰む。ハッキング詳しくないから確実じゃないけど、試す方法もないし。連絡取るのは合流直前の1回だけ。いい?」
「はい……うう、アリス……」
「……」
「……何ですか?」
「なんでもない」
ーー
ーーーー
再び山道。ここからしばらく人家はない。広い車道には転々と土くれが散らばり、干からびている。主な過客は土砂や廃棄物を積んだトラック、サンズ・リバーサイドめいた広い河原を睥睨するバイオトンビ、そしてその目を盗み広葉樹の林を駆け回る獣たちだ。姿は見えない。だが遠巻きに気配はある。
「どうしたんですかミサキ? こんな山の中で停めて」
「ちょっと休憩」
「運転なら代わりますよ。マニュアルと操作見ててだいたい分かりましたから」
「そうじゃなくて、その……生理現象。その辺の茂みで済ませてくる」
「ちょっと! 何考えてるんですか女の子ですよ!いや性別とか関係なくダメですけど! 次の休憩所かコンビニとかまで我慢してください!」
「人目につきたくないし、逃亡中の指名手配犯が今さらーー」
「ダメです! 尊厳の問題です!」
「……尊厳、ね」
「どうしてもって言うなら……あ、このペットボトルで。生理現象ですから妥協します」
「大差ないでしょ、それ」
ーー
ーーーー
「ケイ……ちょっと運転代わって……あと窓閉めて」
「え? はい。じゃあその先で……ミサキ?」
「……」
「ミ、ミサキ? 何か様子が……」
「ーーーーエッキシ!エーキシ!」
「ちょ、ちょっとハンドルが! ブレーキ!」
「ザッケンナコラー!過失割合100-0だぞオラー!」
「アイエッ!? ごめんなさい許して!ーー待って待ってブレーキ!それとハザードランプ!」
「ダメ……目が……前見えなーーエッキシ!」
「あと5秒だけ頑張ってください! ハンドル切らないで! アイエエエエ!」
ーー
ーーーー
(この子めんどくさい……)
(意外とめんどくさいですね、この人……)
(……まあ、私よりはまともか)
(……まあ、私よりは常識的なんでしょうが)
ーー
ーーーー
夕刻、日没前。トラックは山中の採石所跡地、鋼板とコンクリートの壁で囲われたヤードに入った。
露天コンテナにはうず高く鉄クズが積まれ、錆びたプレハブ事務所の向こう側、土堤で仕切られた作業場からは、ピーコックじみて気味の悪い炎色反応が漏れている。のそのそと出迎えに来た作業員に指示され、ケイは指定された場所に器用にトラックを停めた。
「伝票もらうぜ。……ん? ずいぶん若い運び屋だな?」
「ドーモ、ちょっと手前までは姉さんが運転してたんです。少し疲れた、っていうから交代して。……あと花粉症が辛いみたいです。昔から重篤で」
「ああ、バイオブタクサだな。最近手前の道端に生えてる。トラックの土についてたんだろう。ーーん、ごくろうさん。たいしたもんじゃないけどホラ、水と菓子持っていきな」
「わあ!ありがとうございます! 姉さんも喜びます!」
無邪気に喜ぶケイ。だが、
(……何やらせるんですか、ミサキ)
なるべく幼い、賢いが世間知らずな子供を装うように、と指示した背後の『姉』を心中で呪う。アリスの言動に似せてはみたが、このボディのアドラブルな可愛らしさが強調され、我ながらかなり恥ずかしい。背中の排熱フィンがまた展開しないか、気が気でなかった。
「エキシ! エッキシ!」
当のミサキは助手席でズンビーめいてぐったりしている。目元にはタオル、鼻と口はいつもの黒いマスク。手配犯として顔が割れているから、と言い訳していたが、単に花粉症が辛くて動くのが億劫だからだろう。時折くしゃみの勢いでマスクが外れている。思考は正常であり、「有効化された報酬の素子を現金に換えてもらえ」「その金でトラックに給油してもらうように」等とぼそぼそした鼻声で指示してくる。
満面の愛想笑いを返しつつ、ケイの表情筋に相当するフレームは軋み続けていた。彼女の意識が向いていたのは、ミサキでも、作業員でもなく……
ーー
ーーーー
「いいんですか? 色々と」
「何が?」
「それです」
日の落ちた林道。ようやく花粉の飛散域から逃れたミサキが、心なしか強くアクセルを踏んでいる。運転を交代してから小一時間、ケイの視線はずっとミサキの尻に向けられていた。
緩やかなカーブにさしかかりーーふいにゴトリと重い音。ケイの身体がビクリと跳ねる。……ミサキの下、運転席下の収納スペースには、届け物からくすねたバルク品銃器と地雷、手榴弾が詰め込まれているのだ。
「よく平気でいられますね。不発弾みたいな爆薬のすぐ上にいて」
「慣れてるから。……取扱いには。知らない爆薬の上は私も嫌」
「そういうものですか? それに処理場ではいつバレるか心配でーー」
「たぶんバレてる」
「え!?」
絶句するケイに、ミサキは説明する。あのヤードは非合法……行政では処分が追い付かない違法物品を「非合法」を言い訳に手早く処理するための。見て見ぬふり。要するに消えればいいのだ。消した、ということにすれば。どう消えたかなど知ったことではない……と。
「運送業者もそう。途中で『何かあった』ほうが保険金で焼け太り、好都合。私みたいなのを雇うのもそう。……そういうものだから。でないと報酬こんなに多くない」
「え、え……?」
ケイは目眩がした。ミサキが冗談を言っていないことに。その上でミサキが「高い」という報酬が、自分にはたいした額でないことに。
そして、
「それで、その銃、使い方分かる?」
変わらないままの声が帯びた殺気に。
薄闇の中、暗く光るミサキの細めた目は、バックミラー越しに通ってきたばかりの山道を見据えている。ーースクラップ集積所で初めて会ったときと同じ目で。
「い、一応は」
「一応じゃ無理。たぶん直接殴るほうが強いから、銃は使わずに自分を守ること、逃げることだけ考えて」
「ミサキ、もしかして……」
「追ってきてる」
反射的に振り返ろうとしたケイの身体を、ミサキは押し止める。聴覚センサーの感度と指向性を調節……遠く、獲物を狙うブラックパンサーの唸りめいたエンジン音を捉える。
「思ってたより遅かったね。……ケイ、運転交代。私がこの先の連続カーブで迎え撃つ。あと今度は先に言っておく。囮にするから」
「分かりました。別れた時の合流は?」
「地図貸して。……ここ。24時間後まで待つ。待ち伏せされるか、まけなかったらこっちのロートス園芸団地へ」
ミサキが示した座標と、とり得るいくつかの経路を、ケイはメモリに刻みつける。色褪せた簡素なロードマップ。海を示す原色の青と、3つの色で塗り分けられた自治区が交わる1点ーー地図上に名称はない。通称「アウトロービーチ」。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『はいはーい!こちらシャーレだよ☆どの学園の生徒さんかな?あっでもごめんね!先生さっき急な用事だって出かけちゃった。どこ行くかも教えてくれないんだよ?せっかく今日1日先生とおしゃべりしたりお茶したりできると思ってたのにひどいよね?あ、もちろん仕事もしてるよ?ちょーっとデータ化しないといけない書類多いんだよね♩すごいよ?これ今日だけで終わるかな?ノルマのロールケーキも食べないといけないのに先生いないと食べきれないよ!ねね、どうかな?あなたも食べにーーあ、でも紅茶もうないんだった!ちょっと買ってきてくれない?そうそうアレがいいなロッサム社の新作♡お代は後でちゃんとーーえ?いいの?えっとシキベ=サン?が来てるって言うだけ?うん、オッケー!……フジキド=サンにも?ん~行き先聞いてないけどしばらく出張だって!メッセージあるなら……そっちはいいの?はーい☆じゃあ先生に伝えておくね~それじゃ♡』
ツー……ツー……
画面が暗転した携帯UNIXを眺め、シキベはしばし唖然として、マイアと顔を見合わせた。
「アー……いつもこんな感じなんデスか? シャーレって」
「わ、私もかけたことないので……それに私はたぶん生徒扱いしてくれないと思うんですけど……」
恐縮して小さくなるマイアを、シキベは「まあまあ」となだめる。
案の定バイトをクビになったマイアを、シキベはキヴォトスの道案内兼護衛として雇うことにした。役に立てるだろうかと卑下するマイアへの最初の依頼は、シャーレへのジンギ・プロトコル。ーー結果は芳しくなかったが。
「まあ詮索してもしょうがないッスね。捜査でうろつく都合上、話通しときたかっただけデスから。フジキド=サンがいないのも予想できてたンで」
「詮索? 何をですか?」
マイアには通話の全ては聞こえておらず、アッパーガイオンじみた腹芸にも縁がない。故に、今の通話で探偵が何を嗅ぎ当てたのかは見当がつかなかった。
「今の子、ものすごく遠回しに『来るな』って言ってたんスよ。実際かなり偏差値高いタイプっスね。留守番任されるくらいだから、彼女にも先生にも変な意図はないと思いまスけど」
「え!そうだったんですか?」
「先生不在、一方的マシンガントーク、大量の雑用、カロリー爆弾、高級茶葉のドネート要求……こっちの反応次第であとどれだけ増えるか、ちょっと試してみたかったッスけど」
感心するマイアに、シキベは自販機で買った熱いコブチャを渡し、喧騒を遠くに聞きながら、閑散としたホームの外で貨物車に乗り込む。賑やかな場所が苦手だというマイアに付き合った形だ。実際、またヤクザに狙われたときに客車では動きづらい。
ーーいや、ヤクザならまだいい。
「敵に少なくとも1人、ニンジャがいるらしいんデスよ。厄介なのが」
ある依頼を受けてキヴォトスに来たというシキベ。続けたその言葉に、マイアは震えた。アリウスの外の世界をまだよく知らない彼女でも、最近キヴォトスの裏社会でささやかれる噂は聞いている。N案件ーーニンジャ。殺戮と簒奪の化身たる半神的存在。
「……強いんですか?」
「それが分からないから厄介なんスよ。影であれこれ陰謀するタイプで、実力はあるはずなのに見た人はごく少数、始末の悪い結果だけはキッチリ残す。マイア=サンも気をつけたほうがいいッスよ」
「そ、それだけだと備えようがないんですけど……」
彼女が襲われた理由、襲ったヤクザの素性も気になるが、まずは目的を果たさなければ。時間の猶予は、おそらく少ない。
列車が動き出した。
コブチャの熱に涙ぐむマイアと、目を閉じて捜査情報を論理タイプするシキベ。白一色の無菌密封コンテナが彼女らを囲み、アブストラクトなまでに整然と沈黙している。
直通特急。次の停車駅は終点、ミレニアムサイエンススクールーー
(#5に続く)
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