本小説初の日常回、本編とは無関係の話として「もし主人公が都市で普通に暮らしていたらこうなるだろうな」という妄想を振りかけつつ仕上げました。
そのため、本編シナリオとの整合性は意図的に無視しています。ご注意ください~
人生と無糖ブラック、この2つはどこか似ている
「ぷへぅ…… 朝のコーヒー、やはり格別っ」
早朝のまだ人の気配が無い広場、そこにあるベンチを豪快に占領して、ほんのり冷たい風を全身に浴びながら優雅に足を組みつつ缶コーヒーを一口。
ゆらりと漂う香りを堪能し、舌から伝わる味を楽しみ、未だ薄暗い空を見上げながらゴクリと飲み込んだ後の余韻に浸る───
企業の畜生だった頃のように常に時間に追われることもなく、自分の望むままに時間を浪費し、自分だけの空間で自由に過ごすという至上の贅沢。
苦難に満ちていた前世ではあり得なかった心安らぐこの一時、その有り難さをコーヒーの苦味と共に噛み締めつつ、心行くまで堪能させていただこう。
「うぅん……やっぱコレだ、この安っぽい量産品の味が一番落ち着く………」
前世で毎日お世話になっていた、どこまでも苦い漆黒のカフェインウォーター。ぐいっと飲めば何の深みも無い平坦な味わいが口内を満たし、喉に押し込むと美味しさではなく苦味だけが残される。
香ばしさはあるけどそれだけで、殆どただの黒い水である。
でもそれが良い、だからこそ良い、過去の私がカフェインを接種するためだけに飲んでいたものを嗜好品として口にするという行為にこそ意味がある。
働くためではなく楽しむために、その明確な違いが私の心に何とも言えない充足感と安心感をもたらしてくれるのだ。
「今なら誰もいないと思ったけど、たまに歩いてる人はいるっぽいね。……遠目からでも顔が死んでるや」
飲みかけの缶コーヒー片手に街の景色を眺めていると、未だ薄暗い歩道に人の姿がちょこちょこ見られる。
きっと彼らは早番なんだろう、こんな時間から出勤して、生気の抜け落ちた様子で歩く姿はちょっと可哀想だけど、前世の私はあの中の1人だったんだと思うと同情より悲しさが込み上げてくる。
毎日無心で出勤してたけど、端から見た私は彼らと同じ可哀想なやつだったんだろうか……?
「……ネガティブ思考は良くない、飲んで忘れよ」
頭の中で広がり始めた黒いモヤモヤを、より黒い液体で喉の奥に流し込む。一口では流しきれず、続けて2口、3口、全て押し流されるまで飲むペースを加速させる。
自棄酒ならぬ自棄カフェイン、終いにはラッパ飲みまでしてしまい、あっという間に缶の中身は消え失せた。
「もう無くなっちゃった…… もう1本くらい飲んじゃおうかな」
1つ飲み干してもまだ満足できず、ベンチから跳ね飛んで近くの自販機へ直行。真横にあるゴミ箱に空き缶を放り込み、さっき飲んだのとは別のコーヒーをロックオン。
値段を見ると550眼と自販機にしてはかなり強気の価格設定、しかし270眼で160mlしかなかったさっきのとは違い、300mlもある大容量タイプ、味がヘンテコでないならギリお買い得と言えなくもないラインだ。
「うーん……まあ、たまの贅沢と思えば良いか」
少し悩んだものの、財布から小銭を出してカチャカチャと投入。ぴったり550眼を入れてボタンを押し、ゴトンと落ちてきたボトルを手に取った。
ボトルは思っていたよりも一回り大きく、重量も片手で持つには少し苦労する程度にはある。これで美味しくなかったら大損だけど、その時は高めの勉強代だったと思っておこう。
それでは、いざ実飲………
「んぐ………っ!」
一口飲むと、さっきのコーヒーとの違いがすぐにわかった。酸味と苦味、そして旨味の多層構造が舌を楽しませ、その後に鼻を抜けていく芳醇な香りは本能的な快楽を脳に与えてくる。
まさか自販機のコーヒーでこのレベルがお出しされるとは思わなかった、だらしなく頬が緩んでしまうくらい美味しかったし、おかげで微妙に残ってたモヤモヤは綺麗さっぱり吹き飛んでくれた。
「ふぅ……これは買って正解だった、余裕ができた時はまた買いに来ても良いかも」
ほわほわしながらベンチに戻ってもう一口、たっぷり入ってるから飲む度に目に見えて減っていく……なんて事もないし、単純に美味しいからぐいぐい飲める。そうして美味いコーヒーを飲むのに夢中になっていると、ベンチからの眺めが大きく変化していることに気がついた。
街を包んでいた薄暗さが朝焼けに塗り替えられ、歩道には大勢の人々が行き交うようになり、少し前まで静かだった車道には数々の車が絶え間なく走っている…… 前世で嫌と言うほど見てきた朝の景色がそこに出来上がっていた。
「……変わらないね、こっちの朝も」
ボトルを膝の上に抱えて、ぼぅっとしながらそれを眺める。ねじれや幻想体が暴れ回り、翼の特異点みたいな超常的な技術が存在する世界でも、そこに暮らす人たちの朝はいたって普通だった。
どこかの図書館の誰かさんが言っていたように、誰もが虚空ばかり見つめて歩いて、定められた流れに沿って歩くだけの朝。
私がいた世界と何も変わらない、私が過ごしてきた日常と何も変わらない、住む世界が変わっても、社会に組み込まれた人の生き方は変わらないみたいだ。
「今更だけど………あんな酷いライフスタイルでよく発狂しなかったよね、前の私」
目の前の景色を通して過去の自分を思い浮かべるうちに、あの悪夢としか言い表せない日々が脳裏に蘇ってきた。感情の含まれていない機械のように無機質なモーニングルーティン、暖色も寒色も存在しない、最初はもっと鮮やかだったはずの、いつからかモノクロに染められた日常風景。
それを当然として受け入れて、削り落とされる心を気にも留めず、ただ定められた通りに回り続ける歯車へと自らを変えていった……… 本当に、恐ろしい話だ。
それに比べれば、少なくとも自分の意思で動ける現状はずいぶん楽になったと言えるかもしれない。苦しさは相変わらずでも今みたいに落ち着いてコーヒーを飲むことはできるし、過去を振り返ったり、未来を考えることだってできるから。
「そろそろ動こうかな、ここもだいぶ騒がしくなってきたし」
過去の記憶を掘り返すうちにそれなりの時間が経っていたみたいで、街の喧騒は更に大きくなり、ビルの隙間から差し込む日光が辺りを心地よい暖かさで包み込み始めていた。
これはこれで悪くないけど、ゆったりと落ち着くには少し不向きだ。立ち上がる前にコーヒーを多めに口へと流し込んでから、それまで見ていた景色に背を向けた。
「この後は何しようかな、家でダラダラしても良いし……適当に街中を歩くのも……」
独り言を漏らしながら、まだ半分くらい残っているボトルを胸に抱えて歩く。少しだけ温くなった風に背中を押され、広場を出て街中へと入っていった。
行き先は特に決めていない、足の向く先は風と気分に任せてる、完全に行き当たりばったりな散策っていうのもたまには悪くないからね。
「んー…… よし、適当に街を歩こう。散歩するのに絶好の天気だし、まだ気になるとこもあるし」
今日もまた、都市の1日が始まる。平穏とは程遠くて、いつも騒ぎが起きるくらい物騒な世界の1日が。
苦楽の比率がいつもおかしいけど、それでも大好きだと言えるこの世界。コーヒーみたいに苦いけど、苦味の中に思わず頬が緩むくらいの美味しさが隠れてる世界。
誰かが過ごす普通の裏で絶えず誰かの苦痛を生み出し続ける都市、突然放り込まれてしまったこの場所で、これからも私は生きていく。
さあ、今日はどんな日になるのかな?
変に拘った結果、想定より時間かかりましたが、都市のありふれた日常風景っぽいものを描写できた………はず!
この方向性で良いのか未だに決めかねていますが、また合間を見つけて次の話もこねこねします。