頬を撫でる柔い風に意識を傾ければ若干の青臭さが鼻に突いた。
閉じていた瞳を開けば木漏れ日のかかった深緑に包まれているのを自覚する。使用しているハンモックの揺れを感じながら、己の頭に枕代わりとして置かれている二の腕を退かして胴部を起こした。
意識が明晰になれば寝床であるハンモックから身を翻し、旅の支度をする。
ここはヒワダタウンのゲート先にある森。確かウバメの森とか言ったか、その深緑の最奥だ。途中の道じゃ細い枝があって邪魔をしてくるが、そんなものは素手でどうとでもなる。
起きたからには、朝飯の準備をする。早いうちに消費したい食材もあるのだ、こうして森の中で食事を作るのも慣れていた。
ふと、何かが足りないことに気付く。
「あいつ、どこ行きやがった?」
長い時を共にする連れがすぐそばにいないことで周囲を見渡すがどこにもいない。標準的なサイズより一回りも二回りも大きい図体が見渡す限りいないとなると、どこかに出かけたところだろうか。
あの阿呆の事だ。くだらない一人遊びではしゃいでいるのだろう。遊ぶのは構わないが図体を考えて欲しいモノだ。汚れる度に洗うこっちの身にもなってほしい。
願わくば、泥遊びなんて真似はしないで欲しいものだ。していたらその頭に石を投げつけてやろう。
「なんて、考えてる内に完成しちまった」
用意されたテーブルの上には主食、主菜、副菜、バランスの取れた食事が並べられている。昨今は多種多様な植物、果物、延いてはポケモンが現れた事により食にも色通りが出来た。昔はレーション染みたポロックを食べたり、毒があるかどうかもわからない道草を食べたりと思い出すだけで顔を顰める記憶がありありと浮かぶ。
故に、こうして潤沢な生活を送れるのはある種、この世界も良い方向に向かっている証拠なのだろう。
「さて、探しに行くとするか」
虫除けスプレーの性質を用いたネットを食卓に被せ、気配を辿り森林の先を進んでいく。
森の中なだけあって、木に隠れて様子を見ているポケモンは多種多様だ。しかしこうして様子を見るだけで済ませている辺り、近年のポケモンは本当におとなしい。昔なら即刻技を喰らわせてきたのに。
「見せ物じゃないぞ」
過去の人間というのは厄介なもので、自らが培った風習を未だ捨てられずに、現代という移り変わった舞台でその価値観を押し付けてしまう。
だからこうして、ただ興味本位で見ているだけの無害なポケモンに対しても威嚇し、遠ざけようとする。
ポケモンと人間が共存する時代、その中で、ポケモンも人間も嫌い、当てもない旅を続ける時代錯誤な放浪者が一人。
それが俺だ。
あいうえ
『あはははは』
無邪気な笑い声が聞こえてくる。
聞こえる、というのは語弊があるか。不思議な感覚だが、脳に直接送られるような、そんな言葉に言い表しにくい感覚。
そんな現象を目の前の存在が起こしている。
『あははは』
泥が跳ねる。
一昨日、かなりの大雨がこの地帯に降ったからだろう。そこでは一体のポケモンが泥に塗れながらもその感触を堪能するかのように遊んでいた。
こめかみに青筋がくっきり浮かび上がるような感覚を覚える。適当にそこら辺に落ちている石ころを拾い上げて、その重さを確かめるために何回か垂直に投げてみる。
重さは上々。
構えを取る。膝を胸の高さまで上げ、予め決めていた地面へと踏み込む、そして…石ころを思い切りポケモンへ投げつけた。
『イタァ!?』
石ころが着弾すれば、パコーンと小気味良い音がポケモンの頭から聞こえてくる。頭が空っぽな証拠だな、脳みそが欠片も入って無い良い音だ。
何が『イタァ!?』だ。これからしなくちゃいけない手間を考えればまだ足りなく感じる仕置きだ。
『あっ!タシア!
タシアも一緒に泥遊びする!?』
額にいい感じのコブをつくらせたそのポケモンはやっと俺の存在に気付いた。駆け寄る姿は変わらずその明るさを周囲に振り撒く。
「お前…昨日体を洗ったの忘れたか?」
まさか今日の夜までその汚れた体を使って生活するんじゃないだろうな?という言葉も付け足しながら質問すれば何かに気付いたように頭垂れおそるおそると言った様子でこちらの顔色を伺い始めた。
『あっ…ひょっとして、怒ってる?』
「見てわからないか?愚図が」
目尻がひくつくのが自分でもよくわかる。面倒しか起こさないコイツの行動は慣れていたつもりだったが、流石に昨日ブラッシングしてやった翌朝に泥まみれになるのはアレか?殺されたいのか?
『ごっごめんよぉ〜』
「……ちっ、洗ってやるからこっち来い」
これ以上物理で訴えるのも疲れる為、舌打ちをした後、帰路を辿りはじめた。そのポケモンはとぼとぼと落ち込んだ様子で着いて来ていたが、コイツのことだ。すぐに気分を変えるだろう。
森の中では木の葉のさざめきと鳥ポケモンの囀りが木魂するだけで至って静寂だ。こちらから話す必要もない、だがそれを後ろで追ってくるポケモンに耐えられるだろうか。
『ねぇねぇタシア、今日はどんな事が起きるんだろうね』
沈黙に耐えきれなかったのか、後ろから着いてくるソイツはそんなことを尋ねてきた。
「さぁな、とりあえず街に降りる気はないからお前が想像するような面白いことがないのは確定だな」
『えぇ!?そんなぁ!!』
「物資は足りてるし、護身用のボールだってある。行く理由がない」
『そんなぁ〜!行こうよ行こうよ〜!!ねぇ〜、タシア〜!』
「………」
『うっ……ごめん、なさい…』
言うことを聞かない駄犬に睨みを効かせるとすぐさま黙り込む。このやり取りは初めてじゃないが、子供をあやしてるようで慣れないものだ。第一、何十年以上の付き合いのはずなのに自身の行動に我慢という言葉を持ち合わせないコイツにはこれくらいの対応が適しているのだ。
俯いて後ろの妙に長い頭頂部をしならせて如何にもがっかりしたような様子に視線を留めること数秒、やがて仕方ないとばかりに嘆息した。
「…そういえば、今俺たちがいる場所…ジョウト地方のとある場所には遺跡があるらしい。せっかくだ、街に降りてそこがどんな所なのか聞いてみるか」
なんとなしに独り言を呟き、視線を向けるとそこには先程までの意気沮喪振りはどこへやら、すっかり機嫌を取り戻し目を爛々と光らせるポケモンがそこにはいた。
『わ〜〜い!!やったやった〜〜!!久しぶりの街探検だ〜!』
「子供みたいにはしゃぎやがる」
図体も碌に考えないで動き回る様は正に子供だ。いや、コイツの生まれを考えれば生まれたばかりなのは間違いないが。
規格も他のポケモンとは一線を画す存在。だから周囲の目に晒されないように努力してるこっちの身になって欲しいものだ。
「とりあえず、お前の身体を洗って、飯食べて、その後にここを離れるぞアルス」
『うん!』
こうして、「アルス」と名付けられたポケモン
ボロ布を羽織り、あてもなく彷徨う男一人。そして傍でるんるんと気分良さげに歩く
どうしてそんなポケモンと共に行動してるのか、それは後々語ることになるだろう。
これは異世界に住む人間を元に創造神手づから造りあげた模造品の旅の話、今日も当てのない放浪にその身を任せる。
タシア
とある村から追い出された流浪人。
アルス
創造神の分身、やけに明るい性格で、やんちゃで無邪気だからすぐタシアを困らせる。