1.
俺には、ずっと疑問に思っていることがある。
それは、なぜ人は人を殺してはいけないのか、ということだ。どうせ人はいつか死ぬ。俺が殺さなくたって、ひょんな事故やつまらぬ病気でいずれ死ぬのだから、別に俺が殺してしまっても構わないじゃないか。
俺はずっとそう疑問に思っていた。だから、先生に聞いた。近くの教会のシスターに聞いた。『何で、人を殺しちゃいけないの?』
皆が血相を変えて俺を叱った。
彼らは言う、人は生きているだけで価値があるものです。それを奪うなんてとんでもありません。俺は鼻で笑ってやった。「生きているだけで価値がある」?
だから、何だというのだ。価値あるものをぶっ壊しちゃいけないと誰が決めた?ママか?パパか?それとも先生か?ああ、くだらないと思った。
それに命に価値があるだなんてどれだけの人間が本気で信じていることやら。俺の親を見ろ。父は薬中、母はアル中、おかげさまで着ている服はボロボロだ。そんな人間が死んで誰が悲しむ?俺はいつしか、そんなにみんなが大事だという人間をぶっ殺してみたいと思うようになった。
だが、それでポリ公に捕まるのはつまらない。ムショで刑務官に偉そうにされるのは屈辱の極みだ。何より自由の国に生まれた一市民として、自由を謳歌できないなんてごめん被る。
だから、対象は慎重に定める必要があった。そして、手頃な標的を見つけた。転校してきたジャパニーズの女の子。言葉に困っているところを優しくしてやったらコロッとなつかれた。
コミックの貸し借りをしていたら今じゃすっかり親友気取りだ。ちょろすぎて笑えてくる。でもそれも今日で終わり。告白に見せかけて放課後公園に呼び出した。見た目は悪くないだけに惜しくはあるが、そこでゆっくりとぶち殺してやるつもりだった。目玉を抉りハラワタを撒き散らされたら。彼女はどんな顔をするのだろう。
そんな風に我ながらのぼせていたのがよくなかったのかもしれない。公園に向かう途中で俺は居眠りトラックにはねられ、俺は夢を叶えられぬままこの世を去った。
はずであった。
2.
ジャパニーズのコミックも案外馬鹿にできないらしい。ふとそう思う。死んで目覚めたと思えばそこにいるのはGOD的なサムシング。なんでもジャパニーズコミックのヒール役としてなら生き返らせてやるといってきた。ヒールなら人をぶっ殺しても許されるはず。そう思った俺は一も二もなくその話に飛びついた。
そして、無事白人のガキにTENSEIとやらをした俺は、例のジャパニーズガールによく似た女の子に出会うことができた。こっちとしてはもう失くしたとあきらめていたと思ったレアカードを、たまたま道端で拾うことができたような心地だった。つまるところは超幸運。
サクッと家に押し入りぶち殺してやった。初めての殺人の快感は最高で、射精の数千倍は気持ちがよかった。思わずウレションしちまったのは内緒だ。そこに悲鳴に気づいて現れたるは殺したばっかりの少女とよく似た少女。双子の姉妹だったらしい。デザートが自分からやってきてくれるなんてとそっちもぶち殺した。騒音を聞いてやってきた親も殺したし、異常に気付いてやってきたポリも殺してやった。
そうこうするうちにどうやら俺は遊びすぎたらしい。全国手配されるようになった。正直次の獲物にも困る始末。いっそ自殺して三度目の人生にかけてみるかと思い始めたその時、俺は「あの人」に出会った。これをこの国のことわざで「捨てる神あれば拾う神あり」というんじゃなかったか。間違っているかもしれないが。どちらにせよ、日本語は難解だ。
まあ、そんなことはどうでもいい。俺は、あの人に匿ってもらうことができたうえ、殺してもいい人間まで用意してもらえることになった。
ただまあさすがに抵抗できない人間を殺したり愉快なオブジェに作り替えるのに飽きが来た頃、これからは「ジン」を名乗るといいと言い渡され、愉快な仲間たちと引き合わされた。
俺はこいつらに出会った瞬間にピンときた。ああ、こいつらがGOD的サムシングが言っていたヒール側陣営に違いないと。どいつもこいつも血と金の匂いをぷんぷんさせていて、見るからに悪党といった感じだった。
俺は嬉しくなった。ヒールといえば仲間割れが定番だ。そのうちこの悪党面の何人かとは殺しあう関係になるだろう。アンダーグラウンドで培ったその手腕、ぜひ見てみたい。まあ、そうはいっても、ある程度は仲良くできるだろう。そう思って手を差し出したが、誰も彼もが気違いを見る目を向けてくるのが癪に障ったので、近くにいた下っ端をぶち殺してやったらボス直々に怒られた。俺は悲しくなった。
まあ、そんなファーストコンタクトの失敗も、10年ぐらいたった今では懐かしいほどだ。兄貴兄貴としたう部下もできた。ジャパン風に言うなら舎弟といったところか。この10年、たくさん人を殺せた。旅客機を撃ち落とした、船を沈めた。パリでは警官隊相手に三万発をぶっ放してやった。これだけ遊んでも俺はいまだに表通りを歩けてる。組織様様だ。
だが何かがおかしくなってきたのは工藤とかいう探偵のガキをぶっ殺してからだ。そもそものたうち回るタイプの毒じゃないとつまらないからやめてくれと何度も言っておいたにもかかわらず、研究班のシェリーとかいう女は何を勘違いしたのかピンピンコロリ、かつ検出不可能とかいう毒をよこしやがった。探偵のガキはそれでやるしかなかったが、やっぱりつまらない。眠るように死んじまいやがった。
俺は自分が何でもできると勘違いしている人間が、迫りくる死の恐怖の中で見せる必死にあがく姿をこそ愛しているというのに。
そんなつまらない仕事をするからお前の姉は即死できなかったのだぞ、といったら随分愉快な顔をしてくれた。その顔を見せてくれたお礼として、せめて安らかに死ねるよう手間暇かけていたら逃げられた。俺は怒られた。
ちょうどそのころから、またぞろNOCの糞どもの動きが活発になってきた。七面倒な手間暇をかけて赤井をぶち殺してやったというのになぜだが組織の下っ端どもがとらえられ、従来のビジネスにも陰りがさす。俺の勘としてバーボンが裏切っているっぽいので月まで吹き飛ばそうとしたらラム直々に止めに来る。なんでもボスのお気に入りだから殺すなと。
随分しけたことをさせやがると正直思う。裏切っているかいないかわからないのなら、とりあえず殺せばいいのだ。死体は逆立ちしたって裏切れないのだから。それに勘からすればバーボンは黒だ。愉快なオブジェに変えてやればさぞや素敵な声で歌ってくれるに違いない。なんだったらそれを聞きつけた、組織の陰で暗躍している誰かがやってくるかもしれないのだ。だがそれはやめろとボスは言う。ああ、つまらない。
それでも俺は思っていたのだ。組織は素敵なおもちゃ箱。せめて俺が遊べるうちは十分に遊ばしてくれるに違いない、と。
3.
「そのはずだったんだがな……。」
俺はそうぼやきながら、足元ではいずりながら逃げようとするクズの背中を踏みつける。
「た、助け……!」
最後まで言わせてやる余地もなし、そのまま脳天に鉛球を叩き込む。動かなくなるゴミ。
あたりをぐるりと見まわす。そこはまさしく死屍累々だった。この組織本部制圧戦において、各国警察から選抜されたエリート中のエリートたちが、はらわたをぶちまけてそこかしこで赤い絨毯とかしていた。
あのうさん臭い女優のためではなく、わざわざこの俺のためにレッドカーペットを敷いてくれるなんて。次は何だ?トロフィーでも用意してくれるのか?そんな我ながら渾身のジョークに内心笑みをこぼす。
すると死体の山の中に動く気配。どうやら健気にも、撃たれながらも奇襲を狙っているらしい。正直今振り向いて撃ちぬいてやってもいいのだが、それでは芸がない。だからこそギリギリまで気づかないふりをしつつ、発砲の瞬間にステップでかわす。ゆっくりと振り向いて見せればそこにいたのは唖然とした表情を隠そうともしない一人の女。
「何で、何でよ……」
半狂乱になりつつ、空になった引き金を引き続けている。カチカチカチカチと無情に響く音。そのけなげな姿が愛おしい
しかも前にぶち殺したジャパニーズガールによく似ている。正直、この死体の山に創作意欲が刺激されっぱなしだったのだ。なかなか手ごろな素材が見当たらないところに、向こうから名乗り出てくれるなんて。そう舌なめずりする。
とりあえずは腕をつぶすか。そう思い足を踏み出す。だが、思わず欲望が漏れ出していたらしい。
その女性は綺麗な目を絶望に見開くと、
「い、いや……」
そう言い残して自分の首を隠し持っていたナイフでかき切ってしまった。ゴホゴホという音とともに痙攣する死体。何より切り口が美しくない。これはゴミだなとけりつける。
すると、突然耳につけていたインカムが響きだした。ウオッカの声だ。
「あ、兄貴!こちら第53ゲート!奴らCIAのパラミリどころかウェットワークスまで引っ張り出して来てやがる!お、抑えきれない!うわあああああ!」
その言葉を残して沈黙するインカム。第53ゲートは突破されたなと思う。必要が命じれば、村一つ地図から消してしまうような本物の戦闘狂が彼らCIA子飼いの非合法工作部隊に暗殺部隊だ。どうやら合衆国にはよほど本気で消したいものが組織に残されているらしい。ウオッカには悪いことをしたなと目を閉じる。
連中の狙いはここ、組織のメインサーバー前の通路だろう。奴らが来れば、正直俺でも抑えきれるかわからない。だからこそ、俺としては願っていた。この組織をつぶさんと暗躍したヒーローが、奴らより先にここに来ることを。
たったったと、やけに軽い足音。それに続く女物の足音。どうやら俺の望みはかなうらしいなと俺は直感する。こんな時、こんな折に訓練されたもの以外の足音をさせる連中なんてヒーロー様以外にいるわけがないんだから。
そして、「彼」はやってきた。角ぶち眼鏡にぴょっこりAHOGE。似合っていない蝶ネクタイをぶら下げた少年がそこにはいた。その見た目がただのガキなのには驚いたが、その目を見ればわかる。奴の本質は「暴くもの」。どこまで行っても主人公らしい。こんな奴が暗躍していたのならそりゃあ組織もつぶれるはずだ。ククッと喉元から笑い声が漏れる。
だが、こちらを見るなり「な⁈ジン⁈」といって一瞬固まってしまったのはダメだ。何か仕掛けがしてあるらしきベルトに手を伸ばすのも遅すぎる。そこから何が飛び出そうと、こっちの抜き打ちの方が早いのだから。ヒーローがヒールに倒される、そういう趣向も悪くない。残念だよ、ヒーロー。そう呟きながら引き金を引こうとし―
降り注ぐ散弾をとっさによけた。
ちっと思わず舌打ちを一つ。視界の端に輝くプラチナブロンドはベルモットか。落ちている死体を盾にすれば容赦なくバスバスと突き刺さる散弾。仮にも元同僚相手に容赦というものを知らないらしい。そういえばヒーロー様に出会えた喜びでもう一つの足音をすっかり忘れていた。すぐさま飛んできた散弾が持っていた盾を完全にダメにする。
ダメになった死体を投げ捨てつつ壁の後ろに駆け込む。追いかけるようにドゴンドゴンと銃声が二発。今日のベルモットはずいぶんやる気に満ち溢れているらしい。
「ずいぶんご機嫌だなァ!ベルモット!!そこのガキを殺されかかったことがそんなにも気に入らないか?」
と煽ってやれば
「シルバーブレッドに手出しはさせないわ!」
と銃声が二発。随分あのガキにお熱らしい。リロードの隙にと思えば取り出したるは二丁目のウィンチェスター。ラピッドファイアで弾幕を張りつつこちらに接近してくる。
お前は絶対にここで殺す。その強い意志を感じられちょっと嬉しくなる。そのすかした態度が気に入らなかっただけに、その我が子を守らんとする母親にもよく似た必死さは実にGOODだ。
「それだけに、惜しいなァ」
そう、本質的にベルモットは戦う人ではないのだ。だから、詰めが甘い。弾幕の隙を縫って手りゅう弾を転がしてやる。手りゅう弾に気づいたのだろう、とっさに蹴り返すベルモット。その判断は悪くない。
だがその一瞬、射撃は止まる。俺にはその一瞬があれば十分だった。懐に一気に飛び込む。とっさに残弾が残っているショットガンを放棄してナイフを抜いたのは悪くない。だがいかんせん遅すぎる。その腕をからめとり、その勢いのまま地面にたたきつける。かはっとベルモットの口から空気が漏れる。飛んでいくナイフ。
そして頭に拳銃の銃口を向ける。
「あなた、どうして……?」
手りゅう弾を蹴り返してやったのに。そんな目で見てくるベルモット。
「馬鹿が、ダミーだよ」
鼻で笑う。こんな守りたいものの前で爆発物など使うわけがなかろうに。
「そう……」
目を閉じるベルモット。観念したらしい。そのまま引き金を引こうとして、
「やめろーっ!」
銃口の前に飛び込んできたガキによってそれは遮られた。
それは例のヒーローのガキ。
「なっ!どきなさいシルバーブレッド!私のためにあなたが死ぬ必要なんてどこにもないわ!」
ベルモッドが目の前に立ちふさがるガキを何とかどかそうとしているのが面白い。だがこのガキとてわかっているはずだ。そんなことをしたところで一時の延命に過ぎないと。なのになぜこのガキはわざわざベルモットを助けようとする?
だからこそ俺は聞く。
「なあガキ、そんなことをして俺がためらうように見えるか?それにお前は知らねえのかも知らんが、そこにいる女は犯罪者だ。なぜおまえみたいなヒーローが犯罪者を助けようとする?」
だがガキは、彼は迷わずに言う。
「わけなんているのかよ!人が人を殺す動機なんて知ったこっちゃねーが、人が人を助ける理由に、論理的な思考なんて存在しねーんだよ!」
心底それが正しいと信じているかのように。
そう、それはいうなれば正論。だがその正論を、目の前に死が差し迫りながらも主張できる奴がこの世界に何人いる?そんな人間、普通は居やしない。よほどの異常者か本物のヒーローだけだ。そしてその輝く瞳を見ればわかる。このガキは、いや、この少年は本物のヒーローなのだと。だからこそ俺は笑う。嗤う。哂う。ああ、どんなヒーローよりもヒーローらしい彼は、どんな顔をして死ぬのかなと。
「ならば死ね」
そう言い放ち引き金を引こうとして―ヒーローと目が合った。
その眼はこの期に及んでもやっぱり美しく輝いていて、―一瞬引き金を引くのを躊躇してしまう。
だから、その闖入者がダクトから降ってきたとき、反応が遅れてしまった。降ってきたのは赤みがかった茶髪の少女。その少女の手には小型のボール状のものが握られていて―
そのボール状の何かは、俺の目の前で傲然と爆発し、俺は意識を失った。
4.
意識を失っていたのはほんの一瞬らしい。だが、あたりの光景は一変していた。燃え盛る遺体たち。崩れ落ちた天井。そして俺の両足を押しつぶす梁。ごうごう燃え盛る炎を背景に、俺の拳銃を俺に向けて構える少女。
ああ、この少女が手に持っていたのは爆弾だったのか。そう思いいたる。爆弾にしては目の前で爆発したにもかかわらず、俺自体へのダメージが少ないのは謎だが、建物破壊に特化した爆弾かなんかだったのだろう。そういえば、組織の研究班が昔、建物だけを効率的に壊す爆薬とやらを研究していたような。そこまで考え、ふと目の前の少女がその研究班のチーフによく似ていることに気づいた。
「お前、シェリーか……?」
それは半信半疑の質問。いくらコミックの世界でも、若返るなんてありえない。そう思いつつ。だが
「そうよ、私はシェリー。あなたが殺した宮野明美の妹のね……!」
向けられる殺意は本物。どうやらコミックというのは何でもありらしい。足から登ってくる激痛を無視しつつ肩をすくめて見せる。だがシェリーはその態度が気に入らなかったようでごつりと銃口を俺の額に押し付けてくる。
「ねえ、あなたにわかる?私の大切なお姉ちゃんの仇をようやく討てる、私の気持ちが!ねえ!」
そう叫ぶ彼女の瞳はあふれんばかりの殺意と憎悪に満ちていて。だからこそ、からかってもみたくなる。
「でもいいのか?あんなところでこんな爆弾を爆発させて。仲間も生き埋めになってるかもしれないなァ……?それにお前、ここからどうやって脱出するつもりだ?がれきに覆われて逃げ場なんてないぞ?」
だが、
「馬鹿にしないで」
彼女は一顧だにしない。
「私の爆弾の威力は把握済みよ。巻き込んだりはしないわ。」
それに、とシェリーは天井近くまで積みあがった瓦礫の山をみる。子供ならまだ通れそうな隙間はあるが、そこまで登るすべがない。しかも、瓦礫の隙間からは煙がもうもうと立ち上っている。
だがシェリーは妖艶に微笑んで。にっこりと、鮮やかに。額から僅かばかりの血を流して。
「あなたを殺して私も死ねるのなら、それは本望よ。……あなたはここで、私と死ぬのよ。」
それは年齢不相応な微笑みで。諦観、殺意もろもろの入り混じったその笑みは確かにシェリーだと実感された。
ここまで覚悟を決めた目。ああ、これは逃げられねえなと思う。復讐は女を美しくすると誰かが言っていたが、全くもってその通り。
だから、
「いいぜ、好きにしな」
最期ぐらいはヒールらしく格好をつけてもいいだろう。
「言われなくても……!」
そのシェリーの震える声を最後に目を閉じ、俺の頭蓋が吹き飛ぶその瞬間を待った。
待った。
待った。
待った。
待って。
待った。
「うん……?」
だが一向に俺の頭蓋が吹き飛ぶ様子はなくて。
目を開ける。
「何で、何でよ……⁈」」
そこには引き金を引こうとしては指がこわばり、一向に引き金を引けぬ、シェリーの姿があった。その眼からあふれているのは涙。それとともに目に浮かぶのは殺意、憎悪。それとともに人を殺すことに対する良心の呵責。さらには引き金を引けないことへの絶望。人を殺さなくて済んでいることへの安堵。様々な感情が浮かんでは消えていく。
ああ、シェリーという少女はあくまで善良に過ぎるのだ。普通、肉親の仇ともなれば良心の呵責など遥か彼方だろうに。その強靭な精神性は、かのヒーローの少年を思い出す。
そこからあふれる涙はとても透き通っていて、ああ、綺麗だなとふと思う。そして、この透き通った涙を流す瞳をどこかで見たような記憶。
あれはいつだったかと思い、ああと思い出す。彼女だ。前世で結局殺しそびれた少女。
あの目にそっくりなのだ。
でも、不思議と殺そうという気持ちは沸いてこない。なんでだろう。ああ、そうかと思いいたる。
これはなくした宝物を見つけた時と同じなのだ。案外、あの透き通った涙がもう一度見たくて、俺は人を殺していたのかもしれない。そう思うと、なんだか心の中でくすぶっていたわだかまりが解けた気がした。
だったら、ここでシェリーを死なせるのはあまりにも惜しい。だから、いまだ引き金を引こうと悪戦苦闘するシェリーから拳銃をもぎ取り、迫りくる炎の中に投げ捨てる。
そして、啞然とするシェリーを抱き寄せると(離しなさいジン!とやかましかったのは内緒だ)、残り僅かな力を振り絞って瓦礫の隙間、その向こうに放り投げた。
奇跡的に向こうに届いたようでとたん、向こうがやかましくなる。さぞやシェリーはあのすました顔をさんざんに取り乱していることだろう。そう考えると若干愉快にもなる。
だが、無理をしたつけは確実に俺の体を蝕んでいた。今の投擲で脇腹の傷が大きく開いてしまった。どくどくと俺の生命が流れ出していくのがわかる。火がここを覆いつくすより先に俺の命が尽きるだろう。だがそれでいいと俺は思う。
思えば、転生してからたくさん遊べた。もう一度見たかったものも見れた。案外いい人生だったのではないだろうか。愛用の拳銃と、組織に仕掛けた爆弾の起爆装置を片手に、目を閉じると、最期の時を待った。
5.
米花公園の細長いベンチの上。俺と灰原は並んで天を仰いでいた。普段はあんなにも賑やかな少年探偵団の面々も、今はいない。何処までも青い空。はああと消え入りそうなため息が二つ、吸い込まれて消えていく。
「……ごめんなさい、工藤君。謝っても許されることじゃないってわかってるわ。それでも、それでも。……本当に、ごめんなさい。」
もう何度目かわからない灰原の謝罪。俺はそれを手を振って遮る。
「もうそのことはいいって言ったろ。」
「でもあなた、わかってるの⁉もう、元の体には二度と戻れないのよ⁈私の作った薬のせいで!あなた、私のことが憎くないの⁈」
灰原が声を荒らげる。目にはうっすらと涙がたまり、今にも泣きだしそうだ。普段冷静なこいつでも、こんな顔をするんだな、なんてそんな感想を場違いにも抱く。
そう、あの組織本部制圧戦において、組織のメインサーバーに保存されているAPTX4869のデータを手に入れようとした俺たちは、結局薬のデータを手に入れることはできなかった。灰原が自爆覚悟の特攻から、奇跡の生還を果たした直後、組織本部に仕掛けられていた爆弾が一斉に起爆したからだ。
その爆弾は主にメインサーバールームの近くに最も多く仕掛けられていたらしく、メインサーバーはその爆発で空いた穴深くにその身に抱えた情報もろとも転落していった。公安や合衆国の技術スタッフが何とかして掘り返そうとしているものの、その穴はあまりに深く、またたびたび爆発しそこなった爆弾が掘削作業中に発見されることから、その危険性に鑑み、掘削作業は近々打ち切られる予定だ。
安室さんによると掘り出せないのならいっそのこと埋めてしまえとの指示すら出ているらしい。すでにコンクリ等の手配もされているらしく、埋め立て、封印は間近らしい。上から相当強い圧力がかけられているんだ、といっていた苦々しげな安室さんの顔が印象に残っている。
こうして、俺たちは元の体に戻る手段を永久に失ってしまったというわけだ。そして、灰原は組織の自爆が、自分の使った爆弾のせいではないのかと気に病んでいるらしい。だから、こうしてたびたび謝ってくる。だが、何となくそれは違うのではないかな、と思っている。
この俺が何となくという言葉を使うのは業腹だが、あまりにも情報がないのだ。それも仕方がないだろう。確かに灰原の爆弾の衝撃が、自爆スイッチを作動させて可能性もないわけではないが、初めから一定の時間、あるいは一定の個所に侵入者が侵入したら爆発するように設定されていたのかもしれない。あるいは、灰原が最後に見た時にはまだ生きていたジンが、起爆スイッチを押した可能性だってある。こればっかりは真相は闇の中だ。
だから、
「いいんだ。」
俺は繰り返す。だが灰原はそれでも納得できないらしい。
「でも、それじゃあ蘭さんが……」
といったきり、いよいよ泣き出してしまった。蘭。ずっと待たせてしまった俺の大切な人。だが、あまりにも、そうあまりにも長く待たせすぎてしまった。ろくな返事もすることなく、ただ、やばい事件に巻き込まれたとだけいって、ずっとそのまま、一人ぼっちで待たせてしまった。客観的に見ずとも、自分が大したろくでなしであることは自覚している。だから、そろそろ蘭は、こんなろくでなしから解放されていいころなのだ。だから。
「いいんだ。」
俺はもう一度繰り返す。そこに、察してくれと、万感の思いを込めて。
そして、その思いは無事伝わったらしい。
「そう」
そういうと深々とうつむいてしまった。俺はその眼からはらはらと涙がこぼれているのを見ないようにする。俺たちは子供なのだ。泣いたっていいじゃないか。そう思って。
滲む視界の中空を見上げる。そう、これでいいじゃないか。
黒の組織本部制圧戦で、事実上黒の組織は壊滅した。キャンティとコルンも銃撃戦の末とらえることができた。ボスは自殺し、ラムは安室さんが殴り倒して捕らえることができた。その他まだ捕まっていない残党に関しても、公安にとらえられたということになっているベルモットの協力によって次々と逮捕することに成功している。本当の意味で、黒の組織が壊滅する日もそう遠くはないだろう。そうすればベルモットも、公安の監視付ではあるものの外に出ることが許されるだろう。
そう、黒の組織は壊滅したのだ。もう俺たちは、黒の組織におびえて生きなくてもいいのだ。
勿論多少気がかりなことはある。それはジンとウオッカの遺体が未だに見つかっていないことだ。ジンの遺体が未だに見つかっていないのは爆発のすぐそばにいたからだとしても、ウオッカの遺体が未だに見つかっていないことは解せない。捕らえた組織の人間に聞いても第53ゲートの守備にあたったことまでは把握していてもそこから先の足取りを誰も知らないのだ。
安室さんから聞いた話によると、第53ゲートはもろに爆弾の爆発を受けたらしく、どの遺体も焼け焦げており、身元の確認に手間取っているそうなのだ。しかも、組織の人間の遺体はまだ判別しやすいらしいものの、どの遺体も必ず複数発以上の弾丸を頭部に撃ち込まれており、歯型から身元の判別をするのも困難なんだとか。
さらにDNA鑑定を行おうにも黒の組織ではない人間の遺体などは、人種、国籍もバラバラ。それどころか記録上20年は前に死んでいるはずの人間のものばかり。それ以上の捜査を行おうとしたところ、上層部からSTOPがかかったと嘆いていた。
なんでもウオッカの追跡はCIAの特別調査班が引き続きおこなうんだそうだ。安室さんが「ここは僕の日本だぞ!」とブチ切れながらも何かを察したような顔をしていたのが印象的だった。
その顔があまりに珍しかったので、こっそり追ってみようかと提案したところ、安室さんや赤井さん、果てはおっちゃんまでもが絶対にこの件にはかかわるなと口をそろえて言ってきたのがちょっと意外だった。ただ口ぶりからするに、どうもウオッカは、ひょっとしたらジンまでも生きていると安室さんたちは考えているようだった。
ジンが生きている可能性がある。正直その話を聞いてもあまり恐怖は感じなかった。それは灰原からジンの最後に見た表情の話を聞かされていたからかもしれない。
ジンは、灰原を投げ返す直前、ひどく安らいだ、まるで宝物を見つけた子供のような顔をしていたというのだ。
正直、あの冷酷な殺人鬼、ジンがそんな顔をするのかという思いもある。だが、銃口越しにあの目をまじまじと見た俺からすれば、ひどく納得できる部分もある。ジンは、灰原に何かを見出したからこそ殺さなかったのだと。そして、仮にジンが生きているとしても、もう人を殺すことはないだろう。なぜだか、そんな予感がした。
だからそう、これでいいのだ。その思いを込めて灰原の背中を優しくさする。だが灰原は泣き止まない。困ったな。そう思い、ポケットを探るとビニールに包まれたハンカチが出てきた。ああそうだ、これは蘭に上げようと思っていた、俺とお揃いのハンカチだ。だがもういいだろう。俺がこのハンカチを蘭にあげる日は二度と来ないのだから。
「ほら、顔をぬぐえよ」
そういってハンカチを渡す。驚いたような顔をした灰原と目が合った。涙に潤んだ眼を見て、あれこんなこいつ可愛い顔だったっけ、とふと思った。
まあ、そんなことはいい。遠くから少年探偵団の連中の声が聞こえてくる。思っていたよりこいつらとは長い付き合いになりそうだ。だが、それも悪くない。
「これからもよろしくな、相棒!」
そういって灰原に手を伸ばす。
「うん!」
俺の手を取った灰原は満面の笑みで微笑んで。その笑顔は今まで見たどの灰原の笑顔よりも美しく、輝いて見えて。ドクンと、俺の心臓が一つはねた気がした。
その向こうで、大柄な男の背中と、たなびく銀の髪が、視界の端をかすめていった。