メリークリスマス。
――12月24日。年の瀬も近づいた時分ではあるけれど、坊さんもまあ、たいがい走り尽くしまして。そりゃあもう、こんなの、ただの寒い平日です。
今日は季節に合わせたイベントということで、事務所に所属するライバーたちがぎょうさん集まって、ハコとしてのクリスマス会みたいなのが開かれていた。
みんなでわいわいして、なかなか良い見た目と味のお料理つまんで、ゲーム大会で優勝して。ビンゴでは最後までアガれんくて、キンキラの特賞をチラつかせた椎名から煽られる。そういう、『クリパ』と名付いただけの、いつもどおりの感じでした。
配信終了の合図から、撮影のお疲れ会というか、後夜祭みたいなユルい雰囲気でオフモードのパーティーを楽しんで。それぞれの都合に合わせて、パラパラと足音を刻んで、でっかいホールを後にしていく。
機材の撤収が始まった頃には、複数人でMC役を担っていたうちらもお役御免となった。
「ふー……あー、終わっちゃった。やしろー、これから社ん家でゲームしようよ」
「あ、悪ぃチャイカ。俺、この後は……まあ、ちょっと用事があってさ」
「なんだぁ、ノリ悪いんだ。ふふ、なんちゃって。今日はせっかくのクリスマス。大事な予定の一つや二つ、そして三つ、欲張って四つ……あって当然だよね」
……なんでそこでうちの肩を叩くんだ、このエルフ。そのニヤニヤ顔うざいから止めーや。てか二つも三つも無いやろ……え?無いよな……?
「あー、まぁ、そういうこと。個人的にめっちゃ楽しみにしてたからさ……なんつーか、ごめんな」
「ふっ、顔見りゃわかるよ。目ぇ、きんきらりんにしちゃって。私にはそんな顔見せないクセに……ガチで妬けちゃうじゃん」
「ハッハッハ。嫌な含みのある言い方やめて? 普通に怖いんだけど」
MCとして頼りになったこのデカ男は、いつもと変わらない、死んだ魚みたいな目をしているようにも見える……が、ほっぺたはちょっと緩んでいる気がしないでもない。ぶっちゃけ誤差やと思うけど。
「……よし、さ……笹木。クリスマスっぽく……ってかイヴっぽく、デートに行こうぜ」
「ほぁっ? お、おぉ……で、デートな……そんじゃ、行く、かぁ……!」
突然差し出された手を見て、きゅうりに驚く猫みたいに、アホみたいに「ぎょっ」と仰け反ってしまった。思わず周囲を見やると、後片づけに忙しそうなスタッフさんと、うちらの関係を知っているライバーしか居なくなっていたことに気づく。
……いろいろあって、付き合い始めた頃は、こんな風に気を利かせられるような男ではなかったというのに。いつの間にか、置いてけぼりにされている。これだから空気ばっかり読めるオタクは良くない。
「うははっ! 反応がウブすぎるだろ!たかだかクリスマスデートでキョドるなよ!」
「う、うっせぇーよっ!! お前も手ぇブルブルじゃねーか!!どうて……ちゃうか、普通オタクが調子乗んなや!!」
「え、まじ?俺、震えてる? ハハハ、やっぱ慣れないコトはするモンじゃねえなぁ」
恐るおそる握り返した手をクッと引かれて、ぎこちなく歩き始める。〝外向け〟におめかしした外見の関係で、いつもより高い位置にある顔を見ようとするけれど……そそくさとその場を後にしようとしているせいもあって、角度が悪くて表情は見えない。とにかく、耳が赤くなっているのがわかるだけ。
……恥ずかしいなら、やらなきゃええのに。でも……大切な、共通の友人をないがしろにしたくないから、ちゃんと〝理由〟を見せておきたい。
このマゾい自爆的な羞恥プレイは、そういうことなのだろう。そういう気配りを忘れない男なのだ、こいつは。チャイカ、ああ見えてゴリゴリぷくぷくのやきもち焼きやから。
「ひゅー、見せつけてくれちゃって。羨ましいねぇ。ぜんぜん羨ましくないけど。ふふ、『どっちだよ』って言うね。どっちでもないんだな、これが」
普段は面白いぐらい寡黙なクセに、珍しく、一人でもクリスマスっぽいカラ会話をしている謎エルフの感情が染みた声。それを背中で聞きながら、ごつくて大きな手に引っ張られて、スタジオの通路を歩いていった。
「うぁ~、疲れたァ……あ、兄上、お疲れ様です。兄上もこれからお帰りですか?」
「そうだよ、あなたもお疲れ。俺、いや、私……いや朕も家に帰って、一人やけ食いゲームパーティーしちゃおうかなってトコロ」
「やけ食いとゲームパーティーが両立するケースは初めて聞いたが……というか、なんでやけ食い?」
「ククク……世に蔓延る恋人たちに見立てたチキンをねぇ、ズタズタに掻っ捌いて、嫉妬の業火で炭にしてやろうかなって」
「え、怖ぁ~っ……! あ、そっか、さっき笹木さんたちがネチャネチャにイチャイチャしていたから……えーっと、それなら、一緒にゲームでもしませんか?」
「……ふふ、優しい子。いいんだよ、こんな残念エルフに気を使わなくて。自分の予定を優先しなさい」
「………………ぐゥっ……!!!!」
「あっ…………や、やっぱり俺、一人だと寂しいから一緒にゲームしてくれる? それだと嬉しいな~って感じがしなくもない可能性が微粒子レベルで……」
「き、気を使っていただかなくても、結構ですからッ!! 皇女って普通立場的に引く手数多なのが普通ですし、あたしにだって予定の一つや二つ、三つ、いや欲張って四つぐらいは余裕で……あぁああちくしょうっ……!!なんで言ってて悲しい気持ちになるんだ……!! クリスマスなんて最低だ……うあ゛ぁ゛あああああああ……!!」
「あ、ちょっ……あーあ、行っちゃった。ままならないね、いろいろと」
「あ!リゼ様、やっと見つけたー! これから一緒にケーキ食べに行きませんか!? 前から、夜でもやってるイイお店の予約してて――」
「――あ゛あああ行くぅ!!クリスマス最高!!ありがとうクリスマス!!やっぱりクリスマスだよね!!」
「ふふ、よかったね。すっごいグルッグルの手の平返し。私じゃなきゃ見逃しちゃうね。これで私の憂いも消えたし、ヒッヒッヒ、さっそく恋人たちをね、スーパーでしこたま買い占めて……焼き尽くしてやらぁああああッ!!」
「兄上ぇ!一緒に行こう!!みんなでたっけぇケーキ食うって!! まだ人数に余裕あるって!!」
「――あ゛あああ行くぅ!!クリスマス最高!!ありがとうクリスマス!!やっぱりクリスマスだよね!!」
なんや後ろでワイワイやっていた声が聞こえていた気もする、そんな廊下を抜けて、それぞれの楽屋で着替えを済ませて再び合流する。
……予定だったのだが、アイツが出て来ない。ちょうど「遅いなぁ」と思った時……贈る際にサイズを調べるのが大変だった、でっかい黒のコートを着たやしきずが「ごめん、待たせた!」と慌てて飛び出てきた。
「待ってへんし。ってか、慌てすぎやろ」
「いや、ごめん、はぁ……ふぅ……ふぅー……!!」
「あはは。何をしとるんですか、アンタは」
うちが「ほら、かがんで?」って言うと、息を乱した大男が間抜けな声を出して、つぶらな目を丸めながら膝を折る。ちょっと早いクリスマスプレゼントのパリパリな襟を正して、緩んでいた腕の留め具をきゅっと締めてやった。
「身支度ぐらいちゃんとせえよ。せっかくのモンがもったいないって」
「あ、スマン……咲からのプレゼントだもんな、しっかり着ないと悪いよな」
「……そういうことやないんですけど。相変わらずのニブチンさんだわ」
「……え……?どゆことっすか……?」
腕をぽんと叩いて、「はい、ええよ」と、お出かけ準備完了の合図を出す。それと、おまけに……『ちゃんと着てくれてありがとう』やら『おしごとお疲れ様』の意味を込めて、オタク君のほっぺたにサービスをしてやった。
……なんか、柑橘系の清涼剤の香りがした。うちの唇もべたつかなかったし、やっぱり顔のテカりとか気にするんやなって、ちょっと思った。今度、脂を意識したスキンケアのグッズとか、一緒に買いに行くのもええのかも。
「…………え、今……さ、咲さん……?」
「あー、あー、ええって、そーゆーの……!キメぇって……!! それより……!なんでそんなに時間かかったん……?」
「……あ、いやごめん、今日行こうと思ってた場所の地図データがさ、何故か消えてたから再入力してたんだ」
「ふーん。お盛んなやしきずのことやから、ヤラシイ場所に行く気なんやろな~。いや~ん♡うち、汚されるぅ~♡」
「は、ハハハ……まあ、それは追々な……」
……なんやの、その乾いた笑いは……うちがスベったみたいにすんの止めてくれません? 先週だって、きずくが……いや、それはええか。ただまぁ、「今さら何を気取ってんだ」って話ですよ。
「……そういや、咲。ふたりっきりなのにそっちの姿なの珍しいよな」
「ん?ああ、そうやけど……着替えついでに、おっぱい大きい姿になっといた方がよかった? きずく、おっぱい好きやもんね」
高い位置にあって、普段の二割増しでつぶらに見える双眸がこっちを見てくる。服も着慣れた学生服にコートを着込んでいるだけなので、ワンチャンで〝事案〟みたいに思われるかもしれないから気になるのだろう。
普段は『うちが過ごしやすいから』っていう理由で、あっちの姿で出かけたり、部屋で一緒にゴロゴロしたりしているわけやけど……その無感情に見える視線の意図が、だいたい七割ぐらい読み取れなくて腹立たしい。
「いや、そんなことないよ。これはこれで、ちょっと懐かしい感じだなって。昔はずっと〝こう〟だったろ、俺たち」
「ふうん。そういや……やしきずはさ、どっちのうちが好きなの?」
「ええ? いや、うーん……あー……TPOに合わせてる〝笹木〟の姿が一番イイかなぁ」
「………………なんやそれ……?」
「ハハ……だってお前、事実なのにさ、『どっちも好き』って言ったら絶対に怒るじゃん。どっちか選んだらそれはそれでモヤつくだろうし、『何その無理ゲー』って感じだろ」
「あ、ぅむ……まぁ、そんなことも、ないとは言いきらんけど……」
「……まあ、なんだ……咲のことなら、全部、その……好き、ですよ……。そうやって、俺の好みまで気にかけてくれるところが……ああ、えっと、一番好きだけどな、うん……」
「…………………………ギャルゲーのやりすぎやろ……アホか……」
顔をまっすぐに見れなくなったので、責任を取らせるつもりで、今度はこっちから手を差し出す。道に迷ったら危ないし。そんだけの理由ですけど。
そしたら、きずくは「……へいよ」と自然な動きで手を取って、ぎうっと握って……うちの歩幅に合わせて、少しゆっくりめの速度で歩き始めた。
配信もパーティーも終えて、すっかり夜の帳が下りた頃。自動ドアを通ると、寒風が火照った頬をからかうように撫でてくる。
建物の外は、しぃん、と肌が引き締まるほどの冷たさが満ちていて……繋いだ手の温もりと、包み込む大きさを否が応でも自覚させてきた。
「うう、雪が降りそうなぐらいに冷えるな……咲、寒くないか?」
「平気やよ。誰かさんの手がデカいし」
「へっ、そりゃどうも」
ぎう、と握り込まれた手が、痛くない程度に圧迫してくる。暑苦しいほどの好意だけれど、まあ、そんなに悪い気分はしない。うちもなかなかに罪な女というわけだ。
冷え込んだバーチャル東京のビル街は、恥も外聞もなく、眩いばかりのイルミネーションを光らせている。街路樹も、街路灯も、ビル壁も。12月に入ってからずっとこの調子なので、さすがに見飽きてきて、『クリスマスってなんやねん。お偉いさんの誕生日多すぎやろ』と思わざるを得なかった。
「おー。テーマパークに来たみたいだぜ、テンション上がるなぁ~」
「んー、そやね。まさに『冬』って感じだぁ」
「わはは。まあ、サンタや鈴があっても『クリスマスイヴ』っぽくないぐらいには見慣れてるよな」
「それなぁ。まー、雪でも降ったらそれっぽくなるかもしれんけど……都心で雪は堪忍してほしいな……」
「電車とか、機能が全部止まるからなぁ。どうしても、あの白いのが視界にチラつくと明日の仕事のことが頭によぎるんだ……俺たちも汚い大人になっちまったな……」
あったかい手を、指の感触を楽しむようににぎにぎしながらイルミネーションを眺めていると、しみじみと語っていた大男は、いつの間にかスマホの地図を見ながら移動していた。
うちもこっそりスマホを出して、一昨日からタブに残していた『2025年バーチャル都内のクリスマスデート10選!』のページをそっと消す。
……まあアレですよ。夜も少し遅めだし、一緒に過ごせる場所がホテル以外に無かったら困ると思っていたけれど、この生真面目な男には、要らない杞憂だった。それだけのことです。
……っていうか、オススメのスポットを紹介してくれるのはええんですけど……スイーツとかディナーとか、さっきのパーティーとダブっているのも多かったから、来年はもうちょっとバリエーション多めでお願いします。
……………………。
しばらく、他愛のない会話や今日の配信の話をしながら、あったかい道案内を続けてもらった。自分よりも大きな影が立ち止まった場所は――前にも一度来たことがある水族館だった。
「……ぁ……ここ、いつものとこと違いますか? 手抜きか~?」
「えっ、『いつもの』って言うほど常連でもなくない? いや、『2025年バーチャル都内のクリスマスデート10選!』って特集に載っててさ、今日だけ深夜まで営業してるらしいから来てみたんだが……」
「…………ふうん、そうなんか。それならええけど」
うちが『こことか都合いいかも~!』と目を付けていた場所を引き当てるあたり、運が良いというか、目ざといというか……うちのことを日頃から考えすぎじゃないか、と思ってしまう。そう思わせるところが憎い。
二人分の入館料と特別展のチケット代を、きずくがしれっとスマホで支払って、そのまま水族館の中へ。分厚いガラスの中で、社会の荒波を知らずに過ごす、のんきで可愛い水棲生物たちを二人で眺めて、癒やされながら展示を巡る。
暗めの館内は程よくムードがあって、みんな水槽の中が目当てなので、周囲の目も気にならない。小さな水槽で暮らす熱帯魚を二人で覗き込むときに、肩が触れ合って……自然と腕に抱きついても、だぁれも茶化してこなかった。
「うおっ……さ、咲さん……?」
「……なんやの? なんか、気になることでもあるんか?」
「いや、その……ナンデモナイ……」
普段よりも少し小さな身体でじゃれつくと、がっしりとした巨体が面白いぐらいにふにゃふにゃする。ぎう、ぎう、と体重をかけて引っ張ると、骨抜きのオタクが風に揺られるクリスマスツリーのように揺れて楽しかった。
「あはは。あんまりふにゃふにゃしてると、お魚さんたちが驚いちゃいますけど」
「それはシンプル申し訳ないけどさぁ……ハハ、いや、普通に無理ゲーでしょこれ。メロいメロい、無理だって……!」
「情けないこと言ってんじゃねーよ。さっきまであんなにカッコよ……カッコつけてたくせによぉ~」
「そ、そんなことしてねーって……! いつも通りにしてましたよ、俺は……!」
……そのいつも通りというのが小癪なのだ、こいつは。そういうところをわからせるためにも、もっと、うちみたいにふわふわして、自分でナニやってんのかワケわからんようになってもらわねば困る。
そんなことを考えつつ、きずくにやよやよしていると、あるものが目に入った。クリスマスシーズン限定で開いている、特別展の案内看板のようだ――それと、クラゲのポップがぼんやりとライトアップされている。
「ああ、アレが入場券と一緒に買ったヤツか。ちょうど入れる時間だし、寄ってみるか?」
クリスマス限定となると、ゴリゴリにカップル向けのイベントとして作られている気配も感じたけれど……まあ、せっかくなので……うちのことを気にかけて眉を困らせていたきずくに、小さく頷いた。
うちがきずくの袖をつまんでいるうちに、電子チケットの画面をスタッフさんに確認してもらって……サイリウムの光に誘導されて、ほとんど真っ暗に近い展示室の中へ入る。
展示室の中は、前後どちらからでも座れるタイプの長い観覧ベンチが伸びていて……いかにも『クリスマス!』ってうるさい飾り付けの小高い壁で、二人分ほどのスペースに区切られていた。
「あー、やっぱりこういう感じか……さすがに止めとくか?」
「……や、ええって。チケット代、もったいないやろ」
「ん、そうか……咲の気分が悪かったら、さっさと出ような」
「…………ありがと」
「こっちこそ」
チケットの番号で管理されているのだろう、一つだけ空いていたカップルシートに案内されて、横並びで座って待つ。周囲も、うちらと同じような感じらしい……仲睦まじそうな声がぽそぽそと聞こえてきていた。
……キャッキャだの、ちゅっちゅだの、いろいろ聞こえてくる気がする……。こういう場に居るむず痒さもあり、真っ暗なのが若干アレだったので……肩を食い込まるように、ぎう、と身を寄せる。見えへんけど、きずくが「ぎちっ」と縮こまったのを感じた。かわいいやつめ。
「んふふ。オタク君さぁ、こんなんで緊張しとるん? 先週なんか、もっとアレなことしましたけどねぇ」
「へいへい、思わず流れでハグをしちまったアレな……なんつーか、それとこれとは、話が別なんですよ」
「ふうん、そんなもんなんかぁ」
めんどくさいオタクのがっしりとした腕を、うちの小さな指でぎうぎうと揉み撫でていると……しゃら、しゃら……と、冬の澄んだ空気を震わせるようなガラスの鈴音が聴こえてきた。
淡くて優しい光が頭上から差し込み、水槽の中を絵の具で塗っていくように、白い帯が揺れるように広がった。真っ暗な夜空を、光のナイフで丸く切り抜いていくように……360度に広がる水中の世界が、夜明けの輝きで照らされる。
「……わぁっ!」
周りから聞こえた甘ったるくて黄色い声に、思わず同調してしまった。分厚いガラスの向こうで、穏やかに揺らめいていたクラゲたちが白光を抱き、透明感のある光の波を反射させていた。
まるで、大きなスノードームの中で舞い上がる、雪の粒が連なる軌跡を見上げているかのようだった。人工物では造れない、あたたかでしなやかな、丸みのある輝きが……ゆらり、ゆらり、と……極寒の地で見上げるオーロラのように、煌びやかに舞い踊る。
「う、わぁ……これは、すごいな……! 咲……これ、ヤバくないか……!?」
「……うん……! すげー……やべーって……!」
ほんのりと白さを感じる光が注がれる夜の海に、星の数ほどに漂っている『海月』。その名にふさわしい、幻想的で優美な動きが、空から降りてくる雪華のような仄明かりを柔らかくなびかせる。
しんしんと、春を待ちきれなかった桜のような雪の花びらが、願いを待つ流れ星みたいに尾を引いて揺れ下りる。深みのある青色の世界に天使が飛び、柔らかな羽が抜け落ちて……聖なる夜に番う恋人たちに、じいんと響く福音を届けていく。
「…………夢、みたい……」
眺めているだけで、夢中になれる幻想に浸りきる。海の世界に吸い込まれそうな、浮遊感と孤独感が合わさった不思議な不安に、心がぎゅっとつままれて……思わず、頼りになる大木にしがみついた。
「っ……さ、咲……?」
こんな情けないところ、誰にも見せたくはないけれど……余計なお世話だと思っていた、カップル用の間仕切りが意外と良い仕事をしてくれる。大好きな相手と、夢の海に潜った水底で、ふたりっきりになれているような……心身が宙に浮く感覚を味わえていた。
「………………咲……こっち、来てくれないか? 一人だと、感情を持て余しちまいそうで……怖いんだ」
「……ん……しゃあねぇなぁ」
好きなところを増やさせ続ける罪深男に、心の中でお礼を言いながら、開かれた脚の間にすっぽりと収まってやる。うっすらと汗ばむほどの熱に包まれて、ソファよりも大きな背もたれに、ぽっすりと体重を預ける。
いつもより大きく感じる身体に覆われて、クラゲのふわふわとしたなめらかな動きに見惚れていると……シートベルトみたいに、大きくて太い腕が、うちの肩を抱くように身体全体を包んできた。
「っ……きずく……」
「少しだけ、こうさせてくれ……嫌だったら解いてくれていいから……」
「………………逃げれんやろ、こんなの……」
さっきまでふにゃふにゃだったのに、強い力でうちのことを求めてくる腕に手を添えて……後ろ抱きで伝わってくる愛情にそっと応えながら、クラゲと光の芸術を二人で満喫する。
「……綺麗だなぁ」
「……せやね」
「……まるで、海の中に雪が降っているみたいだ」
「……せやんな……」
「……不思議で新鮮なのに、なんだか懐かしい景色だ……。この雪なら、大人でも……何も気にせず……素直に、楽しめるなぁ……」
「…………ん……」
少しずつ、腕に感情が込められてくるのが伝わってくる。わずかに震えているそれをトントンと叩いて、緩ませて……身体をくるりとひっくり返しながら、脚を開いてきずくの腰を捕まえる。
「……っ……さ、咲さん……!? いや、それはさすがに……!」
「……ええから、黙っとけ……」
……案の定、だった。雪にはしゃいで遊び回った子供のように、心と体がかじかんで、上手く動かなくて……ほっぺたが真っ赤になって、目まで潤んでいる。なんとも情けない顔だ。大人になってから歳を重ねると、頭にいろいろなことがよぎるから、自然とそうなってしまうものだ。
……揺れながら舞い降りる雪の光は、こんなにも、自分でわかるほどの、胸の中に広がる甘酸っぱさを隠してくれない。だから、きずくの『仲間を見つけた』みたいな、やたらと嬉しそうな顔と目を合わせないで済むように、太い首に腕を回して……甘えるように顔を埋める。
「……あったかいな……」
「……当たり前やよ……」
胸同士を押し付け合わせて、ギャグみたいな肩幅に体重を預けて、逃げないように捕らえた腰を挟み寄せる。服をたわませるほどに強く求めて、向かい側にも見える雪景色の輝きに見惚れて……ちょっとだけ頬ずりで甘えて……どこかに飛んでいってしまいそうだったうちの心を、きずくの身体に埋めさせる。
「……うぁ……幸せすぎる……! 咲……これ、やばい……だめだ……俺……。咲……好きだ、咲……」
とく、とく、とくん……どく、どく……どくん、どくん……。きずくの心が、音になって聴こえてくる。
しゅるしゅると、服が擦れ合うたびに……締め付けてくる腕がきつくなって、抱きついている身体が、勝手に熱くなっていく。
きずくは、大きな歩幅で、ずんずんと先に進んでいたように見えて……出会った頃と……付き合い始めた頃と同じように、すぐ近くに居てくれた。甘えるように、うちの小さな身体に抱きついて、うなじに鼻を擦り付けてくる。
温かな雪を眺めるのにぴったりな愛情の音を重ねながら、首筋の温もりに酔い痴れていた顔を上げて……安らぎにとろけていた男の顔と見つめ合った。
「……んっ……は、ぅ……ふむぅ……」
相手の背後で、全面に広がる白雪のさざ波を眺めながら……どちらからともなく、唇を食み合わせる。ぴくぴくと、小刻みに震えているのがどっちの唇かわからないほどに、熱く、温かく、混ぜ合うように相手を求めていく。
「……はぁ……きず、く……きずく……。好き、やよ……んぅ……」
「……咲……っ……俺も……大好きだよ、咲……」
口に含んだ愛の甘味をついばんで。吐息に絡めた恋の酸味を分け合って。幸せで白んでいく海中で生きていくために、最愛の人の温もりと香りに包まれて呼吸する。
しっとりと濡れた唇を離して、一つになっていたようにとろける心の場所を、お互いの瞳の中に確かめる。覗き込む水槽には、現実よりも熱く揺らめく、素敵な雪が降り続けていた。
鈴の音が鳴り止むと、夢想の世界に舞っていた月影の雪も消えてしまった。名残惜しむように、目と心に残っていた余韻に浸り、耐えきれない口寂しさを目の前のモノで紛らわせていると……困り顔のスタッフさんに優しく肩を叩かれて、そそくさと逃げるように特別展示場を後にする。
それから、常設の水槽を見て回ったけれど……正直に言って、もう水族館デートをする気分ではなくなっていた。きずくも同じ気持ちだったのか、けっこう上の空な感じだった……と思う。うちも、その後のことはあんまり覚えていないのだ。
館内の展示を巡り尽くして、夢心地のまま、入り口のホールに戻ってきた。きずくの太い腕を抱いたまま、貼られていたポスターを眺めていると……心のむず痒いところに刺さったままの『恋人たちのスノードーム』に再び目を奪われる。
「…………あっ」
「……んー、どしたの……?」
「……『当展示はクラゲに一切の害がない光を使用しており、クラゲからは人の姿も見えないようになっています』だってさ」
「…………あははっ……! そんなら、もう、なんも言うことないやんな」
「はは、そうだな……! 俺も今、ホントに最高の気分になれたよ」
すっかりほぐれてしまったほっぺたを限界まで緩ませて、きずくのたくましい腕に抱きつきながら外に出る。夜が深まった外は、変わらず冷たい空気で満ちていたけれど……不思議と、ぜんぜん寒く感じなかった。
年の瀬が迫る平日に、温もりを忘れたビル街を歩き、見慣れたはずのイルミネーションを眺めて……夢の中に降っていた、温かくて綺麗な雪のことを思い出す。ぴくっと動いた腕の意思に合わせて抱擁を解き、横腹にぎうっと甘えると……同じ気持ちを共有していたきずくが、うちの肩をそっと抱いてくれた。
「……この後、俺の家でもいいか?」
「…………ええけど……ナニするつもりやの……?」
「…………なんでもいいよ。とにかく、咲とふたりっきりになりたいんだ」
「………………素直に『ヤりたいです』って言えばええやん……あほ……♪」
寒さに抗うように、どんどんアツくなっていく大きな身体。それに、ぎうっと抱きついて、言葉では表せない気持ちをうりうりと擦り付ける。
「…………あ。せっかくだし、ケーキ買っていこうぜ、うん」
「……おしごと忙しくて、パーティーで食べられんかった?」
「いや、そうじゃなくて……咲と一緒に、ふたりでケーキを食べたいな、って……それだけなんだけど……」
「………………あんなぁ……もう、オタク君さぁ……ふふふっ……♪ クリスマスに夢見すぎとちゃいますの? こんなん、ただの……ただの……平日、ですけど?」
「……俺にとってはトクベツなんだよ。まあ、無理にとは言わないけどさ」
「…………緑のコンビニのクリスマスケーキ、美味しいって話やけど」
「あ、そうなのか。でもそれ、人気そうだよな……まだ買えるかな?」
「……きずくン家に向かう方面にある店で、予約しといたやよ」
「え、マジ……? お前エスパー……?」
「うち、デキる女ですから」
「…………『そういうカッケェところも好き』って言ったら怒る?」
「あー、怒るよ。めっちゃキレ散らかすわ。ケーキ、きずくの口の中にねじ込むかもしれんよ」
「えっ、マジで……ハハハ、恐ろしすぎて震えるわ。クリスマス最高。ぜひお願いします」
「……ふふっ……仕返しとか、やましいこと企んでへんよな?」
「…………あー……その時の流れ次第、ですかねぇ」
きずくの腕が、ぎうっとうちを求めてくる。今日、無事に寝られるか心配になってきた。こいつはいろいろと……まあ、アレなのだ。
明日は12月25日。今日と変わらず、普通の寒い平日が来るというのに。ケーキを食べて、ベッドで温もりを分け合っているうちに日付が変わって……今日みたいに、平凡なのに、こいつのせいでトクベツに感じてしまう一日が始まることだろう。
夢の雪化粧に浮ついて、見慣れなかった冬の道が――見慣れた日常の風景に変わって、うちの世界と一つになってくれるまで。
きずくは、幸せすぎて飛んでいってしまいそうだったうちの心ごと、深い愛情と大きな身体で包み込み続けてくれたのだった。
おわり