命削りの秋茜 ―終わりへ向かう歩みの記録―   作:鈴目蜂

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第四話 白昼夢の烏

 

 「……死にたい」

 

 

 まだ幼かった頃、私は一度だけその言葉を口にしたことがある。

 

 お母さんが大事にしていた、お父さんの形見の茶碗。それを割ってしまった時のことだ。

 隠し通せるわけがない、怒られるのが怖い。とにかくここから消えてしまいたい。

 そんな思いが、衝動のまま口をついて出た。

 

 その時、私の弱音を聞いたお母さんは大層怒った。茶碗を割った事ではなく、自分の命を蔑ろにしたことに。

 

 

 「ただの弱音なら聞き流してあげる。……でもね、死ぬのはただの逃げ。逃げるのは簡単、でも死んだらそこで終わりなの。簡単に死ぬなんて言わないで。お父さんもお母さんも、あんたが死んだら悲しいんだから」

 

 

 幼い頭では、その真意の全ては理解できなかった。けれど、お母さんを悲しませてはいけないということだけは、痛いほど分かった。

 

 だから私はそれ以来、どんなに死にたいと思っても、その言葉だけは一度も口にしなかった。

 ……でも、もうここにはお父さんも、お母さんもいない。

 

 『もし、また同じことを言ったら……地獄からでも飛んできて、そのほっぺをビニョンビニョンになるまでつねり上げてやるんだから』

 

 あの時の声を期待して、私は目を閉じる。

 頬に痛みが走るのを、じっと待った。

 

 ……………

 

 ………

 

 ……

 

 けれど、頬を撫でたのは冷たい空気だけ。

 

 

 「……来なかったじゃん、嘘つき」

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()から約一年。私の生活は一変した。

 

 私はあの化け物……常夜神(トコヨノカミ)の巫女という立場になりました。  

 巫女と言えば聞こえは良いですが、物語のように輝かしいものではありません。言い換えれば奴隷、あるいは雑用係。  本の主人公のような展開を少し期待していなかったと言えば嘘になりますが、現実はもっと世知辛いものでした。神の巫女というくらいなら、もう少し夢を見させて欲しかったものです。

 

 ちなみに常夜神というのは、あの芋虫のような化け物の自称です。あの日……絶望の連続で寝込んでしまった翌日、奴は言いました。

 

 ――カツテハ"常夜神"ト呼バレテイタ。コレカラハソウ呼ブヨウニ。

 

 昔噺に詳しくないので真偽は不明ですが、まあ、心の中では今まで通り「化け物」と呼んでいます。口先だけでも敬っていれば、奴は何も言いません。

 

 仕事は基本的に雑用です。

 巨体を清めたり、洞窟周辺の掃除、山から鹿などを捕まえてくる食事の用意。何か欲しいと言えば取って来る……そんなものです。時折意味不明な要求もされますが、それ以外は比較的楽な仕事と言えます。

 

 ……あぁいえ、一つだけ。と〜っても大っ嫌いな仕事がありました。

 

 村からの、「贄の徴収」です。

 

 あの日以来、化け物は一月に一度、人間の贄を要求するようになりました。流石に赤子ばかり食えば村が滅びると理解しているのか、基本は老い先短い者が選ばれます。栄養はなさそうですが意外と美味しいらしく、その日ばかりはウキウキとした念を送ってくるのが腹立たしい。

 

 私の役目は、生贄の護衛兼監視役の村人から生贄を受け取り、化け物の口元まで運ぶこと。

 当然、村の人間に姿を晒すことになります。合わせる顔なんてあるはずもなく、私は適当な麻布で顔を隠して仕事をこなしています。生贄を連れてくるのは、決まってある老夫婦です。彼らは背丈や雰囲気で私が「葵」だと察しているようですが、村を混乱させないためか、固く口を噤んでくれています。

 お陰で村では「葵は勝也と一緒に食われた」ことになっているらしい。私にとっては、その方がずっと好都合だった。

 

 ただ……私がこの仕事を嫌う一番の理由は、村の人に会う気まずさではありません。

 

 化け物の一番近くで、人が……一つの命が貪り食われる様を見せつけられること。これが最悪なのです。

 

 見たくないと言っても、奴は私の目を無理やり開けさせてでも見させます。数多の骨が砕け、肉が潰れる音。こればかりは何度聞いても慣れません。

 しかも、地味に食い方にバリエーションがあるのが質が悪い。頭を砕いて即死ならまだ慈悲深い方で、時には管のような舌で体液を啜り、時には腕などの細い部分から生きたままガジガジと齧る……。そんな時の断末魔は耳にこびりつき、数日は離れません。

 

 私が顔をしかめて不愉快さを示すと、化け物は何か可笑しいのか、嗤いながら言いました。

 曰く、「小さな事にも変わり種があったほうが、人生楽しいだろう?」と。

 

 人じゃない癖に人生なんて語るな、という言葉は胸の内に秘めました。奴が何らかのツッコミを"待っている"ように感じたからです。私の反応を楽しむようなその態度は、本当に趣味が悪いと思います。

 

              

 

 そう言えば、巫女になったことで私の体にも変化がありました。

 ある日、池の水面に映った自分の首元には、這い回る百足のような精巧な紋様が、鎖のように焼き付いていたのです。  

 変わったのは外見だけではありません。腹は減らず、睡眠も不要。夜目が利き、脚は羚羊《カモシカ》のように跳ね回り、漬物石程度なら指先で持ち上がる。傷もすぐに塞がる便利な体になりました。

 この力で化け物を殺せれば良かったのですが、残念ながら――主人は害せないらしい。

 

 村の様子も少し話しましょうか。

 雰囲気は意外なほど変わっていません。化け物の呪いにより、村人は逃げ出すことも、外部に情報を漏らすことも出来ないようです。あとは最近村長が代替わりしたとか。前途多難でしょうが、これからの幸を願わずにはいられません。

 

 そして……。

 

 お母さんは少し前に、流行り病で亡くなったそうです。  

 元々体は強くなかったし、私たちが立て続けにいなくなった心労もあったのでしょう。

 

 当然、私は人里に顔を出すことなどできません。

 たった一人の母。その葬式に出ることすら叶わない。

 

 ……それが、何よりも酷く、悲しいことでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……っとこんな感じです。分かりましたか?勝也?」

 

 

 そう言って、私は眼の前にある()()()()()()()()()()()()()の頭をゆっくり撫で回しました。

 

 

 「あっ……腕が落ちちゃった。また糸で縫い合わせないといけないけど、私不器用だからな……。変に執着してる姿を見せるとまた壊されちゃうし…」

 

 

 そう言って近くに置いてある木箱から一欠片の布を出すと、関節を纏わせるようにして糸で繋ぎました。

 

 ふと…視界の隅に目を移せば…今までの勝也達が転がっているのが黒い瞳に映り、ハァ……っと大きく溜息をつきました。

 

 

 ……化け物も気色悪いって言って、嗤いながら壊すのは本当に辞めてほしいです。

 

 

 

 ……私だって分かってるんですよ。もう狂ってるって。

 

 それでも…偽物だって、ただの人形だって分かってても、縋らないと保てないんです。生きていけないんです。

 

 もう死にたいのに、あの化け物は活かし続けてくる。

 私は、あとどれだけ働けば終われるの?

 

 そう思いながら、また人形を撫でていると…

 

 

 ――カァーカァーカァー…!

 

 

 そんな、荒々しい烏の鳴き声が辺りへと響きました。

 

 ハッとして外を見ると、爛々と山々を照らす太陽がほぼ真上を向いており、今の時間を示していました。

 

 

 「あぁ…そろそろ常夜神様に捧げるお昼の用意しないと…。確か兎肉をご所望だったかな?…ハァ……普通の家畜とかも許容範囲だったら一生兎だけ食って生きれば良いのにな……」

 

 

 私は近くに立て掛けておいた、木を軽く尖らせただけの簡素な槍を右手に持ち、道具袋を腰に括り付ける。そして最後に人形を、紐を通した麻袋に入れて背中に背負い、軽い足取りで外へと出る。

 

 

 

 後ろを振り向けば、太い枝を支柱にして布で雨風を辛うじて防げるかどうかの屋根を張った程度の、簡素な掘っ立て小屋があります。

 

 これが今の私の家。暴風雨が訪れれば軽く吹き飛ぶ程度の荒い作りですが、そんな事態はいまだ起きていない。

 

 そんな家の屋根に、先程鳴いたのだろう一羽の烏。

 

 首をカクカクと揺らし、何を考えているか点でわからない黒い瞳がこちらを捉える。その瞳に少しの不吉さを感じたが、今回の獲物は兎肉。無用な殺生をしたくない私はゆっくり視線を戻し、逃げるようにその場を去った。

 

 その姿が完全に消えるまで、私の背中に向ける嫌な視線をどこまでも感じていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ザザッ…ガササッ

 

 

 「……見つけた。小さいですけど、この眼なら逃しません」

 

 

 視線の先、茶色の兎が無心に草を食んでいるのが見えます。    

 

 

 「……一匹だけ。なら、道具はいりませんね」

 

 

 手作りの槍を置き、呼吸を整えます。  今の私の力なら、兎ごときを捕らえるのは造作もありません。それでも呼吸を整えるのは、これから奪う命への手向けであり、私なりのけじめです。

 

 捕らえ、殺し、食らう。やっていることはあの化け物と同じ。だからこそ、せめて苦しまぬよう一撃で終わらせる。それが捕食者としての慈悲であり、義務だと思っています。

 

 ――サァァーー……

 

 風が草木を揺らし、カラスの鳴き声が森に響く。  兎の気が逸れた一瞬の隙。

 

 ――バッ!!

 

 思考より早く体が動く。木陰から矢のように飛び出し、距離をゼロにする。

 

 

 ――ザザッッ! ガシッ!

 

 

 「よし捕まえた!このまま……」

 

 

 手の中で暴れる温かい感触。絞めるため腕に力を込めようとした瞬間、

 

 ――ブンッ!

 

 低い振動音と共に、世界から「地面」が消えた。

 

 足元に広がっていたのは土ではなく、底の見えない漆黒の闇。

 落とし穴――しかし、明らかに人間が掘ったものではない。

 いったい誰が、何のために?

 

 兎を取り落とし、私は反射的に穴の縁にしがみつく。

 

 

 「くっ……! なに、これ……!」

 

 

 足場がなく、腕だけで体重を支える。

 きつい体勢ですが、このまま這い上がれば助かる。そう確信して腕に力を込めようとした瞬間、

 

 ズゾゾゾ……ッ

 

 穴が、意思を持ったように広がった。

 

 

 「……え? ――ッ!!?」

 

 

 掴んでいた縁そのものが消失し、私の体は宙に投げ出される。

 叫び声すら闇に吸い込まれ、私はどこへ繋がっているかも分からない奈落へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『――起きなさい、葵』

 

 

 「……ん……?」

 

 

 ……誰?

 

 私を呼ぶ声で目を覚ました。

 どこか既視感があるが、あの化け物に似ても似つかない女性の声だ。傲慢さ、不遜さは感じるが、何かが違う。ああ、耳ではなく頭で響く不可思議な話し方か。

 

 既視感の正体に気づいた瞬間、電気が走ったように跳ね起きた。背中と後頭部に鈍痛が走るが、構っていられない。

 意識が鮮明になると同時に感じる、空気を潰すような圧迫感。その場でへたり込みながら周囲を見渡す。

 

 地面は硬く、冷たい。周りは木々に囲まれ、正面は平たく道のようになっていた。その先は途切れ、向こうには赤や黄色で彩る山々が見える。

 

 ……一体此処は、どこ?

 

 そんな疑問は、頭に直接響く声により吹き飛んだ。

 

 

 『一応問います。貴方が葵で間違いありませんね?』

 

 

 咄嗟に振り向く。

 そこには――悠然と佇む、一羽の烏(バケモノ)がいた。

 私の背丈の二倍はあろうかはという巨体。瞳は墨を流したかのようで。胴体も、羽も、鋭い嘴も、すべてが闇のように純黒だった。何より異様なのは、腰から生える三本目の脚。

 それがボロボロの社を、鋭い鉤爪によって捉えている。

 

 ……あぁ、これ、アイツと同類だ。

 

 その事を理解した瞬間、勝手に身体が動いた。

 長い間、化け物の巫女として叩き込まれた処世術。速やかに頭を地面に擦り付け、平伏する。

 

 

 「そうです。私が葵です」

 

 

 とりあえず、烏の化け物の問いに答える。

 頭を下げているため、烏がどんな表情をしているのか、怒っているのか分からない。静寂の時間が流れる。

 しばらくして笑い声が響いた。

 

 

 『フフフっ……!あぁごめんなさい、いきなり笑ったりして。何分、恐れおののく者は多くとも、初対面に土下座までした子は今まで初めてだったので。フフ……』

 

 

 私は、どんな反応をすれば良いのだろう。少なくとも釣られて笑ってはいけないのは分かる。もし仮に笑ったりでもすれば、即座に肉塊にされてしまうかもしれない。

 化け物から与えられた本の中に、神について書かれたものがあった。そこで得た知識が、私の本能に警鐘を鳴らしていた。

 

 

 『さて、貴方がそう畏まるのですから、こちらが自己紹介をしなくてはなりませんね。人間達からは"八咫烏(ヤタガラス)"、又は山神様と呼ばれています。どうぞ顔を上げてください』

 

 

 「は、はい」

 

 

 八咫烏……確か太陽の化身、導きの神。高い神格を持つ存在が、私に何の用が?いや、それよりも気になるのが……。

 

 

 「山神様?」

 

 

 『えぇ、そうです。貴方たちが現在崇めているあの芋虫。"常夜神"は剥奪者。あれは私が昔、仕損じてしまった食べ残しでして、こんな近くに隠れて山神だと宣っていたとは……まぁ、それは重要ではありません』

 

 

 『単刀直入に用件を言いましょう。約一年前、貴方が常夜神の巫女になる前日に、一羽の烏を殺してしまった。それを覚えていますか?』

 

 

 「!?……は、い」

 

 

 はっきりと覚えてる。

 日和を襲った烏を撲殺したあの事なら忘れるわけない。その後に起きたことが、どれだけ絶望に浸ったとしても忘れてはいけない。

 だって、初めて私が明確な殺意をもって、一つの生き物を殺したんだから。

 

 

 『実はですね、私はあの場面を見ていました』

 

 

 呼吸が止まった。

 空気が変わり、冷たい針のように肌に突き刺さる。

 だが、すぐに空気が緩んだ。

 

 

 『あれは正当防衛。私自身は気にしていないのですが、それだけで終わるのであれば私がここまで出張りません。』

 

 

 『私は、一応烏の神の一柱。面子というものがあります。分かりますか』

 

 

 「……すみません。よく分かりません」

 

 

 『要するに、例え私が許しても他の者が許さない……ということです。しかもあの子は結構良いところの生まれでしてね。』

 

 

 視線を逸らせば、周囲の木々に無数の烏が止まっているのが見えた。

 数百、いや数千の赤い瞳が、憎悪を込めて私を睨みつけている。

 

 

 

 『えぇ。私は、こういう身内想いな所が可愛いらしいのですけどね。結論を言えば、貴方には何かしらの罰を与えなければならない、という事です。そこで何の罰にしようかと考えていたら、あの"芋虫"を見つけたんですよね』

 

 

 「ハァ……」

 

 

 『あれは倒すのはともかく殺しきるのは少々骨が折れまして、そこで貴方です』

 

 

 「私……ですか?」

 

 

 『そう、あの芋虫を貴方に殺して貰おうかと思います。勿論、このまま突っ込んで来いとは言いません。私から加護をあげますし、強くなるための猶予も与えます。どうですか?』

 

 

 「……他の選択肢は?」

 

 

 『他の罰を選んで貰いますね。例えばこの子達に全身を啄まれるとか、斬首。あとは……火炙りでしょうか?』

 

 

 「……謹んでお引き受けします」

 

 

 選択肢なんて有るようで無い。

 どうせ捨てる命なら有効に使おう、といったところか。私は内心で自嘲しながら、深く頭を垂れた。

 

 

 『よろしい。契約成立です』

 

 

 飛び降りた八咫烏が三本目の脚をトン、と鳴らす。

 伸ばした黒羽で、首元に擽ったい感触が走る。

 

 

 『では、手始めに貴方の"器"を作り変えます。あの芋虫の加護を上書きし、私の力を注ぎ込む。……あぁ、言い忘れていましたが』

 

 

 神は、楽しげに目を細めた。

 

 

 『私、加減というものが苦手でして。あの芋虫の時とは比べ物にならないほど、痛いですよ?』

 

 

 「えっ……?」

 

 

 《"八咫烏より、葵へ降す"》

 

 

 《"祝福を"》

 

 

 警告など、何の意味もなかった。

 熱い、痛い、などという次元ではない。

 

 血液が沸騰し、マグマに入れ替わるような激痛。

 骨がきしみ、筋肉が引きちぎれ、細胞の一つ一つが無理やりこじ開けられていく感覚。

 

 

 「が、ぁ、あ、ああああああああああああああッ!!??」

 

 

 声にならない絶叫。

 のたうち回り、喉を掻きむしり、白目を剥いて痙攣する。

 意識を飛ばすことすら許されない。神の血が、私の脆弱な魂を無理やりこの世に縫い止めている。

 ……永遠とも思える責め苦が、唐突に終わった。

 泥のように地面に突っ伏したまま、私は荒い息を繰り返す。

 指先が動く。視界がクリアになる。

 先程まで死にかけていた身体が、嘘のように軽く、力が満ち溢れていた。

 

 

 『……ふむ。壊れずに耐えましたか。合格です』

 

 

 八咫烏の合図と共に、目の前の空間が歪み、一本の槍が現れた。

 私の身長を遥かに超える長さ。柄は深い漆黒、そして穂先は、夕陽を閉じ込めたように赤く、美しく輝いている。

 

 

 『銘は"茜刺(あかねさ)し"。紛い物とはいえ、神具の端くれです。使い方は槍が勝手に教えてくれるでしょう』

 

 

 私はふらつく足取りで立ち上がり、その槍を手に取った。

 ずしりとした重みがあるはずなのに、羽のように軽い。まるで、最初から身体の一部であったかのように馴染む。

 

 

 『そして、もう一つ。貴方には『命蝕(めいしょく)』という呪いをかけました』

 

 

 さらりと、八咫烏は告げた。

 

 

 『常夜神を打倒しようがしまいが、貴方の命は齢十八を境、今から五度目の冬を越える前に必ず死ぬ。そういう呪いです』

 

 それは、死の宣告。

 けれど、私の心は不思議と凪いでいた。

 

 

 (……なんだ。やっと、終われるんだ)

 

 

 安堵にも似た感情だった。

 この地獄のような日々が、永遠に続くわけではない。あと五年。たった五年我慢して、役目を果たせば解放される。

 

 

 ――あら?そんな悲しんでいないようで?もっと泣き喚くと思ったのですが……

 

 

 「……私の人生は、あの日……勝也と日和が死んだ日に、一度終わっていますから」

 

 

 槍を握る手に力を込める。

 期限はあと五年……それまでにあの化け物を処理する。

 八咫烏様はもしかしなくても、私が惨めに死ぬ姿を肴にすることが目的かもしれない。

 

 それでも構わない。

 常夜神をこのまま野放しにしていれば、また誰かが犠牲になる。なら誰かが止めないといけない。

 

 

 (待っててね、勝也。あともう少しだけ、私がんばるから)

 

 

 私の命を全部使って、あの化け物を道連れにする。

 それが、罪深い私が選べる、たった一つの死に場所だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『覚悟が固まったようですね。ではこれから外に送ります。……と、そういえば、最後に何か要望とかありますか?私は今、とても気分が良いのである程度なら叶えてあげますよ?』

 

 

 要望……?

 全て失った私が望むものなんて……。

 

 あぁ、いやあった。一つだけ。

 もう二度と戻れないと思っていた場所へ。

 

 

 「……差し出がましいのですが一つあります…」

 

 

 『何ですか?遠慮せず言ってください』

 

 

 では……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――。

 

 

 

 『その程度なら簡単です。と言っても、それを行うのは私ではありませんが……。フフっ…貴方は親孝行者ですね』

 

 

 「いえ、親孝行者なんて…そんな事を言われる器ではありません…」

 

 

 『謙遜せずとも誰も怒りませんよ。……では、行ってらっしゃい。頼みます、虚白』

 

 

 「はい、お世話になりました」

 

 

 ――カァー!

 

 

 白い烏が一鳴きすると、足下にあの黒い穴が生まれて、私はそのままその中に飲まれて落ちて行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……ただいま」

 

 

 襖や戸なんてものは無く、藁で外から覆っただけの玄関。しかしその境界線を跨ぎ入った瞬間、胸の奥に詰まっていた重石がひとつ落ちていく。

 懐かしい土と木の匂いが、ふわりと鼻をかすめた。

 

 家の空気は数年分の静けさを孕んでおり、ひんやりと落ち着いた温度を保っていた。

 私の気配を思い出すように、細かな埃が宙でゆっくり舞い、その光景がなぜか胸を締めつける。

 

 久しぶりの帰宅だというのに、体に染みついた癖は抜けていなかった。

 窓に手をかけ、力を込めて押し開けると、軋む音と共に明るい陽光が一気に流れ込み、薄暗かった室内に金色の帯を描いた。

 

 木の床が光を受けて浮かび上がり、小さな傷や節の跡は、あの日々のまま——。

 多少の埃や乱れはあると思っていたが、家は驚くほど記憶に近い姿を保っていた。

 

 聞かされていた話では、母が亡くなり、血縁である私は行方知れず同然。

 本来なら、この家は村長の管轄で売り払われるはずだった。  

 だが「何かが出る」だの「夜中に女の声がする」だの、妙な噂ばかりが立ってしまい、買い手もつかない。

 結局は取り壊しにする案が出ていたらしい。

 

 それでもーー私を気にかけてくれていた幾人かの村人たちが、村長に掛け合ってくれ、この家はどうにか残された。

 

 光に照らされた室内を見渡すと、その人たちの思いが形になっているようで、胸の奥が温かくなる。

 

 だが、いつまでも甘えてはいられない。

 私がここへ戻ってこられるのは、今日を含めても限られた時間だけ。

 掃除や管理を続けてくれている人たちにも、これ以上負担を背負わせたくない。

 

 

 ——ならば、この家に区切りをつけよう。

 

 

 八咫烏様の声が頭に浮かぶ。

 

 

 『あまり長く居ると、常夜神に気づかれてしまいます。……十分ほどで事を済ませてください。時間になれば、また別の場所へ送ります』

 

 

 誰かに直接伝える時間もない。

 置き手紙になるが、それでも読んでくれる人はいるはずだ。

 

 机の引き出しを開けると、古びた紙の乾いた匂いが広がる。

 筆を取り、家の権利を放棄する旨をすばやく書き留め、紙が風に飛ばされないよう小石の重りを置いておいた。

 黒い墨跡がまだ乾かないうちに、私は家の裏手へ向かう。

 

 そこには二つの名前が刻まれ、私の腰ほどまでに積まれた石が、ポツンっと置いてあった。

 これは母の墓だ。共有墓地では無い為簡素な作りである。そんな物が何故此処にあるのかと言うと、亡くなる前に母が頼んだそうだ。

 

 

 『私が死んだらあの人(夫)と一緒に家の裏手に埋めてください…。もし、あの娘が帰って来た時…ちゃんとこの場所で迎えられるように…』

 

 

 母は、私が必ず帰ると信じていた。

 その事実が、胸の奥の何かを静かに揺らす。

 

 風が吹き、草がさらさらと鳴った。

 それに重なるように、ぽたり……と一粒、私の涙が落ち、土に小さな濃い染みを作った。

 

 

 「……お母さん、ごめんね…何も持ってこれなくて。でも、ちゃんと帰ってきたよ…」

 

 

 声に出した瞬間、胸の奥が熱くなり、喉が強く締めつけられた。

 それでも、せめて笑顔でいようと、手首で涙を拭った。

 

 

 「少しの時間だけど、ここに居させて……」

 

 

 神具の槍を強く握りしめる。

 金属の冷たさが掌に伝わり、その感触が決意を確かなものへと変えていく。

 

 冷たい石に向かって、私は静かに誓った。

 

 五年後に、また帰ってこよう。今度はお花も用意して。

 

 

 「……それじゃ、行ってきます。お母さん」

 

 

 ヒューーッと、一筋の風が髪をそっと撫でる。

 穴によって飛ばされる直前、咄嗟に振り返る。

 

 庭の景色は先ほどと何も変わらない。誰もいない。

 

 

 ――それでも、今の風は。

 

 

 「行ってらっしゃい」

 

 

 そう、背中を押してくれた気がした。

 

 

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