命削りの秋茜 ―終わりへ向かう歩みの記録―   作:鈴目蜂

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第八話 自分で選んで半人前

 

 「――結局、葵ちゃんの弱点は積極性のなさ、だね」

 

 

 うどんを啜りながら、師匠はそう言い切った。

 私たちは今、昼食を食べながら、先日の反省会をしている。

 そして――

 

 

 「積極性、ですか」

 

 

 「そ。まぁ、基本的にその慎重さは美点だけど。やっぱり初撃を見てから動く癖は直したほうが良いね。それが生きるのは対人戦だけだよ」

 

 

 最初は、あまりピンとこなかった。

 けれど振り返ってみれば、少なくとも先日の戦いは、まさにその通りだった。

 師匠に先手を譲り――見事に叩きのめされた。

 

 

 「でも、三戦目は私から向かっていきました」

 

 

 「三戦目?……まぁ、悪くはなかったね。けど結局、あれもああ動いた理由って、先の二戦で僕の動きに慣れたから。根本的な思考が解決したからではないんだよ」

 

 

 「……。」

 

 

 ぐうの音も出ない。

 

 

 「なまじ反射神経と回復力があるから今までなんとかなってたけど、妖魔相手じゃそうはいかない。仮に毒や天狗みたいな即死攻撃なんて持っている妖魔と当たったら、君はあっという間にボロ雑巾さ」

 

 

 「……はい」

 

 

 自分のかきたまうどんを口に含み、悔しさと共に噛み締める。

 今までの自分が、どれだけ運が良かったのかを突きつけられた気分だった。

 

 

 「……まぁ、後は足運びが盆踊りだったり読みの経験が薄いとかあるけど、そこら辺は適当に鍛錬と実戦を積めばなんとかなる。だから気にしないで。弱点を生きてる内に見つけられたんだからむしろ幸運だよ」

 

 

 「……そうは言われても、私が間抜けなのは変わりないじゃないですか。というか、足運びが盆踊りってどういう意味です!?」

 

 

 「そのまんま。先日の自分を振り返って」

 

 

 ……確かに、私の足運びは緩慢だ。

 相手の動き見定めようとして動きが遅くなる。

 動体視力には自信があるが、戦闘中は身体の制御が追いつかない。だから槍の能力を使うのも、相手が隙を晒した終盤だけだったりする。

 

 盆踊り――言い得て妙、とはこのことかもしれない。

 

 だが、いきなり変えても却って私が隙を作ることになると思う。

 

 

 「……まぁ、葵ちゃんの懸念点もわかる。だから性質を直すのではなく弱点は直せ。そのために僕がいるんだから」

 

 

 少しだけ、声音が真剣になる。

 

 

 「総評。とにかく動け。動いて、動いて、隙を待つんじゃない。自分から隙を作れ。そのために――」

 

 

 パチン、と師匠が箸を置く。 

 

 

 「家事でも雑用でも、僕が望むことは自分から探して積極的にやること。以上!――じゃ、会計お願いしまーす」

 

 

 「え、ちょっと待って」

 

 

 うどんを急いで流し込むと、席を立った師匠の後を追った。

 

 (いや、家の雑業全般、私に押し付けたいだけでは?)

 

 まあ、でも。

 実際、有意義だったのは事実だし、その対価としてならやってもいいと思っている自分が――少し、憎たらしい。

 

 

 

 「次はどこに行く?せっかく町に降りたんだから楽しんでいこ?」

 

 

 「それには賛成ですか、舌を火傷した私に言うことは?」

 

 

 「……ごめんなさい」

 

 

 「……許します」

 

 

 打って変わって素直に頭を下げた師匠。

 食い物の恨みは恐ろしいが、私も謝られて怒りが残るほど鬼じゃない。せいぜい今日の夕食が一品減るだけだ。

 

 ――いや、やめよう。

 

 顔を上げた師匠の目が「こいつチョロいな」と語っている。明らかに舐められている。

 

 無言で、師匠の脛を蹴った。

 

 

 「痛っ……なんで」

 

 

 「私は勘はいい方なんですよ。師匠の心を読むくらい訳ありません」

 

 

 軽く白い息を吐く。

 私は師匠から視線を外し、ぶらりと町の通りを見渡した。

 

 昼下がりの通りは人が多く、行商の声や下駄の音が入り混じっている。湯気と油の匂い、甘い団子の香り。山暮らしに慣れた身には、少しだけ目が回りそうな賑やかさだ。

 

 なのに――ほんのわずか、虚しさが胸をかすめた。

 

 

 ……。

 

 

 「どうかした?」

 

 

 「なんでもありません。さっさと次に行きましょう」

 

 

 頭を振ってふざけた考えを振り払う。

 どうして、あんなこと思ったんだろ。

 師匠が勝也だったらよかったのに――なんて。

 

 

 

 「じゃあ今度はここに入ろっか」

 

 

 そう言って師匠は顎で通りの向こうを指した。

 ふむ――

 

 

 「私のご機嫌とりですか?そんなことやっても掃除当番の枠が一つ減るだけですよ」

 

 

 「減るんだ……じゃなくて、なんで真っ先に出るのがそれなの?単純に僕が欲しいとか、日ごろ世話になってる葵ちゃんへの贈り物とか考えない?」

 

 

 「普段の貴方の生活を振り返ってみてください。大分ありえないんですが」

 

 

 師匠が指したのは呉服屋だった。

 確かに男物もあるが、目立つのは女物。色とりどりの着物が、外からでも分かるほどの上等品として並んでいる。

 

 暖簾をくぐると、店内は外の喧騒が嘘のように静かだった。

 木と布の匂いが混じった、どこか落ち着く空気。

 

 

 「いらっしゃいませ」

 

 

 奥から出てきた女将が、私と師匠を一瞥して柔らかく笑った。

 

 

 「……へぇ。似合いそうなの、いっぱいあるね」

 

 

 師匠はそう言いながら、勝手知ったる様子で反物を眺め始める。

 

 その様子に些細な疑問を持ちながらも店内を見渡す。

 壁一面に掛けられた反物。淡い色、濃い色、見たこともない模様。戦闘続きですぐに服がダメになる都合上、呉服屋には頻繁にお世話になるが、今まで行っていた店とは段違いに質がいい。

 近くにぶら下がる値札をふと見れば、一月は食に困らない額が書かれていた。思わず指先が引っ込む。

 

 場違いな場所に来てしまったと焦る私を置いて、師匠などんどん話を進めていく。

 

 

 「ほらほら、遠慮しない。遠慮なく触っていいから自分の手で確かめて」

 

 師匠が軽い調子で背中を押してくる。

 

 

 「……汚したら、どうするんですか。これ、高いですよ」

 

 

 「葵ちゃんが触ったくらいでダメになる反物なら、そもそも売り物にならないでしょ」

 

 

 師匠に背中を押され、おずおずと差し出された布地に指を触れる。

 

 ――柔らかい

 

 指先を滑ったのは、水面(みなも)のように滑らかで、それでいて、手を離せばすぐに分かる芯のある重みだった。

 

 

 「葵ちゃん、こういう色好きでしょ?」

 

 

 師匠が引き抜いたのは、深い、けれど透き通るような「落ちついた藍色」の反物だった。

 ただの青ではない。光の当たり方で、夜の海のように深く沈み、あるいは夜明け前の空のように鮮やかに冴える。そこへ、銀糸で繊細な雪輪(ゆきわ)の紋様が散らされており、動くたびに星が瞬くような輝きを放っていた。

 

 

 「……どうして、わかるんですか」

 

 

 「顔に書いてある」

 

 

 「書いてません」

 

 

 即座に否定するが、師匠は楽しそうに笑うだけだ。

 

 あれよあれよという間に、奥の畳敷きの間へと促される。

 女将さんの手際の良い所作で、実用性一点張りの着物の上から、その贅沢な布が仮仕立てのように羽織らされていく。

 「衣擦れ(きぬず)れの音」が、耳元でさらさらと歌うように響いた。

 重ねられた帯は、鮮やかな藤色。藍色とのコントラストが、それまで「戦う道具」でしかなかった私の身体を、一人の「娘」へと塗り替えていく。

 

 

 「……っ」

 

 鏡の前に立った瞬間、私は自分の喉が鳴るのを感じた。

 そこにいたのは、泥にまみれて妖魔を追う私ではなかった。

 白橡(しろつるばみ)色の肌が、深い藍に縁取られることで、驚くほど白く、端正に引き立っている。

 銀糸の紋様が胸元で淡い光を弾き、まるで見慣れたはずの自分の輪郭が、上質な絵画のように描き直されたかのようだった。

 

 

 「うん、似合う。予想以上だ」

 

 

 師匠のその言葉は、いつものからかうような響きではなく、純粋に美しいものを見た時の感嘆が含まれていた。

 

 鏡の中の自分と目が合う。

 槍を握り、指先を削り、ただ生き残るために必死だった日常。

 けれど今、この柔らかな布に包まれている間だけは、自分がひどく大切に扱われるべき存在であるかのような、そんな錯覚に陥りそうになる。

 

 

 「自信なさそうに言うね」

 

 

 「慣れてないだけです。……こういうのは、私にはまだ、分不相応ですから」

 

 

 それだけのはずなのに。

 鏡に映る藍色の残像が、網膜に焼き付いて離れない。

 胸の奥が、熱を帯びたようにちりりと疼いた。

 

 

 

 

 

 店を出ると、冷たい冬の空気が頬を叩いた。

 暖簾(のれん)をくぐり抜けた瞬間、絹の匂いと静寂は遠ざかり、代わりに雑踏の騒がしさと、どこか泥臭い外界の匂いが鼻を突く。

 私の手元には、ずっしりとした重みの桐箱。その中には、先ほどの藍色の着物が、丁寧に折り畳まれて収まっている。

 

 

 「いやー、良い買い物した。やっぱ町に降りると楽しいね」

 

 

 師匠は、重荷から解放されたような足取りで、人混みを縫うように歩き出す。

 

 

 「……私の意見、あまり聞かれてませんでしたけど」

 

 

 追いかける私の声は、少しだけ上ずっていた。腕に抱えた箱が、ひどく場違いなものに思えてならない。戦うための槍よりも、ずっと、持ちなれない重さだ。

 

 

 「でも嫌じゃなかったでしょ?」

 

 

 「……否定はしません。ただ、私にこれを着てどこへ行けと言うんですか。妖魔を追って野山を駆ければ、一刻(いっこく)と経たずにボロ雑巾ですよ」

 

 

 自嘲気味に笑うと、師匠はふっと歩みを緩めた。家路へ向かう大通り。夕刻が近づき、建物の影が長く伸びて、私たちの足元を侵食していく。

 

 

 「葵ちゃんさ」

 

 

 「はい」

 

 

 「どうして、そんなに自分のこと後回しにするの?」

 

 

 不意打ちだった。

 

 思わず、抱えていた桐箱を落とさないよう、強く腕に力を込める。

 

 

 「……どういう意味ですか」

 

 

 「そのまんま。服も、戦い方も、生き方も。全部、必要最低限で済ませようとしてる。まるで、それ以上の贅沢を自分に許すと、何かが崩れてしまうみたいに」

 

 

 師匠の声は、人混みに紛れてしまいそうなほど軽い。けれど、その視線は私の内側を見透かすように鋭い。

 

 

 「……別に、昔からこういう性格なだけです。効率を考えて、無駄を省いているだけですから」

 

 

 「効率ねぇ」

 

 

 師匠は私の前を歩きながら、ひょいと肩をすくめた。

 

 

 「確かにそういう面もある。だけど、それは後天的……。元来の性格は、もっと強欲で、やると決めたことはがんがんやる、思い切りがいい質なんじゃないかなーって思ったんだけど。違う?」

 

 

 「……。」

 

 

 ちがう、と即座に否定したかった。

 けれど、腕の中にある藍色の絹が、皮膚を通して「本当はこれが欲しかったんだろう?」と囁きかけてくるような気がして、言葉が喉に張り付く。

 

 沈黙が、数歩ぶん続いた。道行く行商人の呼び声や、子供の笑い声が、妙に遠くの出来事のように聞こえる。

 

 

 「……図星、か」

 

 

 師匠が、独り言みたいに呟く。

 彼は足を止め、ゆっくりと私の方へ振り返った。逆光になった師匠の顔が、影に沈んでよく見えない。

 

 

 「別に、責めてるわけじゃないよ。たださ――自分を削ることに、慣れすぎてる気がするんだよね。」

 

 

 「削る、ですか」

 

 

 「うん。必要な分だけ動いて、必要な分だけ生きて、余白は全部切り捨てる。そうしないと――『失うのが怖い』から、最初から持たないようにしてる。そんな風に見える」

 

 

 胸の奥を、細い針で正確に突かれたような衝撃があった。

 呼吸が少しだけ、浅くなる。

 

 

 「……そんな大層な理由、ありません」

 

 

 言い切った。けれど、自分の声がわずかに震えているのを自覚して、奥歯を噛みしめる。

 師匠はそれを見て、ため息とも笑いともつかない、柔らかな吐息を漏らした。

 

 

 「あるよ。たぶん」

 

 

 「……」

 

 

 「だってさ。最初から何もなかった人間は、そんなに必死に『これ以上、失わないように』なんて生き方はしないから」

 

 

 私は、完全に足を止めた。

 夕日に照らされた通りは、あんなに美しいはずなのに。幸せそうに手を繋ぐ親子や、夕食の献立を相談する夫婦の姿が、今の私には酷く残酷な光に見えた。

 

 

 「……昔の話を、する気はありません」

 

 

 箱を抱える指先に、じわりと汗が滲む。

 

 

 「うん。無理にとは言わない。暗い過去語りなんて、間食にしては重すぎるしね」

 

 

 師匠は、あっさりとうなずいて再び前を向いた。

 

 

 「たださ。話したくなったら、聞くよ。葵ちゃんが自分から、その『自分を守るための隙』を見せたくなった時に」

 

 

 その言い方が、ずるかった。

 先ほどの稽古の続きのように、日常の延長線上に、私の暗部を置こうとするから。

 

 私は逃げるように視線を逸らし、まだ温かい桐箱を、抱きしめるように持ち直した。

 

 

 「……本当に、嫌な師匠ですね。人の心に土足で踏み込んで」

 

 

 「今さら? それに、一応代金は払ったつもりだけど」

 

 

 師匠は私の腕の中にある箱を顎で差して、茶目っ気たっぷりに笑った。その軽薄さに、張り詰めていた糸が、ぷつりと切れる。

 

 

 「……そのうち、気が向いたら、ですよ」

 

 

 そう答えた自分に、少しだけ驚いた。  

 

 

 「お、進展」

 

 

 師匠は満足そうに頷き、夕闇の迫る道を悠々と歩き出す。

 

 

 「じゃ、今日はここまで。早よ家に帰って飯にしよ?」

 

 

 師匠はそう言って、いつものように軽く手を振った。

 

 ……そこで、はっとする。

 

 いつもなら私は、その背中についていくだけだった。

 行き先も、歩く速さも、決めるのは師匠で――私は流される側だ。

 

 けれど。

 

 

 「……待ってください」

 

 

 自分でも驚くほど、声がはっきり出た。

 

 師匠が振り返る。

 

 

 「どうしたの?」

 

 

 私は一瞬だけ迷ってから、通りの反対側を指差した。

 夕暮れの中、赤い提灯が灯り始めた甘味処。漂ってくるのは、焼き餅と砂糖の匂い。

 

 

 「……寄り道、したいです。団子。一本だけ」

 

 

 言い終えた後、胸が少し早く打っているのに気づく。こんな些細なことなのに、自分から望むという行為が、ひどく新鮮だった。

 

 師匠は一瞬きょとんとしたあと、にやりと口角を上げた。

 

 

 「いいね。そういうの」

 

 

 それだけ言って、今度は私の隣に並ぶ。

 

 甘味処へ向かって歩き出しながら、腕の中の桐箱が、こつりと体に当たった。藍色の着物は、まだ着る予定もない。失うのが怖い気持ちも、消えたわけじゃない。

 

 それでも――

 

 自分から一歩踏み出した、この感触だけは、確かだった。

 

 (……動け、か)

 

 戦いだけじゃない。

 生き方も――きっと、同じだ。

 

 夕闇の中、灯りへ向かって歩きながら、私はほんの少しだけ、未来を欲張ってみようと思った。

 

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