アラスター、幻想入りする   作:まったり愛好家

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第十五話 私を理解できるのはお嬢様だけ

玄関ロビーの中央。

巨大なシャンデリアの真下に、私と彼女は立っていた。

 

天井から吊るされた無数のガラス片が、赤い光を反射し、床に複雑な模様を落としている。

それはまるで、血で描かれた幾何学模様のようだった。

 

互いの距離は、およそ十メートル。

西部劇の決闘で、ガンマン同士が銃に手をかける、あの間合い。

 

視線だけが、空間を切り裂く。

 

私は全身に影をまとい、足元から伸びるそれを絡め取るように体に定着させていた。

背中や腕、脚の影が蠢き、数十本の触手として形を成す。

 

緑色のオーラが、体表を覆う。

魔力が濃縮され、空気が微かに歪む。

 

瞳孔は大きく開き、視界は極限まで拡張されている。

床の細かな傷、空気の揺らぎ、シャンデリアのわずかな振動――

すべてが、情報として流れ込んでくる。

 

いつ、どこから、何が来てもいい。

 

完全な迎撃態勢。

 

対するメイドは――

あまりにも、自然体だった。

 

背筋は伸びているが、力は入っていない。

両腕はだらりと下ろされ、指先にさえ緊張が見えない。

 

視線こそこちらに向けられているが、それは警戒ではなく、ただ「見ている」だけ。

 

戦場に立つ者の佇まいではない。

従者は主人に似るというが、まさにそれだった。

 

こちらを脅威とも、敵とも認識していない。

どこか億劫そうで、仕方なく付き合っている――そんな空気。

 

その態度が、ひどく癪に障った。

 

「……戦う気が、ないんですか?」

 

思わず、口をついて出た言葉。

 

私自身、こんな問いを投げるとは思っていなかった。

だが、それほどまでに、彼女の態度は現実感を欠いていた。

 

メイドは、ほんの一瞬だけ首を傾げる。

 

「そう見えるのなら、そうなんでしょうね」

 

感情の起伏を感じさせない声。

突き放すでもなく、煽るでもない。

 

ただ、事実を述べただけのような口調。

 

「……いいでしょう」

 

私は、低く息を吐いた。

 

「後悔しないでくださいよ」

 

その言葉と同時に、思考を切り替える。

 

これは試合ではない。

これは、余裕を崩すための一撃だ。

 

触手が一斉に蠢いた。

 

床から、壁から、空間そのものから生え出すように、影の触手が展開される。

数は数十本。一本一本が太く、重い。

 

質量攻撃。

 

速度を犠牲にせず、圧倒的な物量で叩き潰す。

逃げ場を奪い、回避の選択肢を消す。

 

前後。

左右。

上下。

 

全方位から、触手が迫る。

 

逃げ場は、ない。

 

――はずだった。

 

「はあ……」

 

その声は、私の背後から聞こえた。

 

「なんで私が、こんなやつと……」

 

触手が着弾した感触は、どこにもない。

 

空を切った、虚無の感覚。

 

背中を、冷たいものが撫でた。

 

私は、ゆっくりと振り返る。

 

そこにいた。

 

メイドは、余裕そのものの表情で、私のすぐ後ろに立っていた。

 

距離は、腕一本分もない。

 

まただ。

 

何の前触れもなく。

空間の歪みも、風圧も、魔力の動きも感じさせずに。

 

警戒態勢の私の目の前で、

私に悟られることなく、背後を取った。

 

「……ははっ」

 

思わず、笑いが漏れた。

 

「初めてですよ」

 

喉の奥から、熱がこみ上げてくる。

 

「こんなに、不気味な相手と対峙したのは」

 

恐怖ではない。

それよりも、もっと厄介な感情。

 

好奇心。

 

理解できないものに対する、純粋な興味。

 

理屈はわからない。

だが、このメイドは、確実に“人知”を超えた何かを持っている。

 

その事実に、私は僅かな賞賛すら覚えていた。

 

「そりゃあ、そうでしょ?」

 

メイドは、肩をすくめた。

 

「あなたと私は、初対面なんだから」

 

そう言いながら、彼女は太もものベルトに手を伸ばす。

 

金属音。

 

ナイフが、一本、二本、三本――

指の間に収まる。

 

磨き抜かれた刃が、赤い光を反射する。

 

「ナイフ使い、ですか」

 

私は、距離を取りながら影を再展開する。

 

「接近戦は、私の本領です。期待できそうですね」

 

触手が、地面を這う。

 

「何にも、わかってないのね」

 

メイドの声が、冷たく響く。

 

「ナイフは接近専用だとか、そうやって決めつけて戦うやつは――」

 

次の瞬間。

 

彼女の姿が、消えた。

 

「――いつだって、予想外に対応できない」

 

その言葉と同時に、頭上に“気配”が生まれた。

 

空を見上げる暇はなかった。

 

無数のナイフ。

 

それらが、突然、空間に“出現”していた。

 

落下ではない。

投擲でもない。

 

ただ、そこに在る。

 

刃先は、すべてこちらを向いている。

 

「――ッ!」

 

私は即座に触手を振り上げる。

 

影が叩きつけられ、金属音が響く。

一本、二本、三本……次々とナイフが弾き落とされる。

 

(何が起こった……!?)

 

思考が追いつかない。

 

メイドの姿を探す。

 

彼女は、いた。

 

最初に立っていた位置。

そこから、一歩も動いていない。

 

そして、私がナイフを叩き落とす様を、黙って見ていた。

 

観察するように。

 

「……なぜ」

 

最後の一本を弾き落とし、私は問いかけた。

 

「なぜ、攻撃して来ないんですか?」

 

メイドは、また首を傾げる。

 

「なぜって……」

 

本当に、不思議そうに。

 

「勝負が、終わっちゃうからよ」

 

その言葉は、あまりにも当然のように告げられた。

 

「これは、お嬢様を楽しませるためのものなんだから」

 

視線が、シャンデリアの上へ向く。

 

「早々に蹴りをつけても、面白くないでしょう?」

 

――ああ。

 

そういうことか。

 

理解した瞬間、胸の奥で何かが煮え立った。

 

手加減されている。

それも、徹底的に。

 

彼女にとって、私は――

いつでも倒せる存在。

 

少なくとも、そう“認識されている”。

 

腸が、煮えくり返る。

 

このまま、いい気にさせておくつもりはない。

 

私は、静かに息を吸った。

 

魔力が、全身に満ちていく。

 

影が、うねりを増す。

 

骨格が、筋肉が、内側から軋むような感覚。

 

姿が――

少しずつ、変わり始めていた。

 

骨の内側から、軋むような音がした。

 

それは悲鳴でも苦痛でもなく、ただ「形が変わる」音だった。

私の全身は、内側から押し広げられるように伸びていく。

 

背丈は、人間の尺度をあっさりと超えた。

床に映る影が、ぐにゃりと歪み、天井へと迫る。

 

腕も脚も、それに応じて太く、長くなる。

関節の位置がずれ、筋肉の付き方が書き換えられていく感覚。

 

皮膚の奥で、魔力が沸騰する。

 

同時に、頭皮が熱を帯びた。

茶色だった髪は、根元から色を変え、赤へ、さらに濃い深紅へと染まっていく。

 

額が割れるような感覚とともに、何かが突き出した。

 

角だ。

 

最初は小さな突起だったそれは、キシキシと嫌な音を立てながら成長を続ける。

左右に枝分かれし、湾曲し、天へと伸びていく。

 

やがてそれは、大型のヘラジカを思わせるほどの大きさとなり、シャンデリアの光を受けて鈍く輝いた。

 

耳も変わる。

人間のそれではない、鹿のように長く尖った耳が生え、周囲の音を過剰なまでに拾い上げる。

 

衣服が、一瞬だけ抵抗するように揺れた。

 

学生服じみた装いは、魔力に耐えきれず、空気に溶けるように形を失う。

代わりに現れたのは、赤いスーツ。

 

深い血の色を思わせる、光沢のある生地。

身体の変化に合わせて寸分違わず馴染み、私の輪郭を強調する。

 

顔も、変わった。

 

骨格が歪み、顎がわずかに前に出る。

頬のラインは鋭くなり、歯列が獣じみたものへと変形していく。

 

鏡がなくとも分かる。

今の私は、人間ではない。

 

私は――戻ったのだ。

 

悪魔に。

 

その一部始終を、メイドは黙って見ていた。

 

驚きも、恐怖も、警戒すらない。

ただ、視線を逸らさず、変化の過程を観察している。

 

一方で、頭上からは、はっきりとした「喜び」の気配が降ってきた。

 

「随分と、可愛い見た目に変わったわね」

 

シャンデリアの上。

吸血鬼の幼女が、心底楽しそうに笑っている。

 

その声を合図にしたかのように、メイドの手元が動いた。

ナイフが、静かに構えられる。

 

「ええ、待たせてしまって申し訳ありません」

 

私は、低く息を吐き、マイクを握り直した。

 

影が、足元で蠢く。

 

次の瞬間。

 

私の影から、異形が生まれ落ちた。

 

出来損ないの人形のような、布と糸の塊。

人の形を模しているが、どこか歪で、顔の位置も曖昧。

 

それが、一体、二体、十体、数十体。

 

床を蹴り、一直線にメイドへと突撃する。

 

同時に、私自身も影を使って前に出た。

触手が、地を抉り、空間を裂く。

 

メイドは、即座に姿を消す。

 

ナイフが空間に出現し、迎撃に放たれる。

 

だが――

 

私は、そのナイフを影で呑み込んだ。

 

金属音すら立てず、刃は闇に沈む。

 

「……っ」

 

わずかな、反応の遅れ。

 

私は、すかさず触手を放った。

 

メイドは、消えない。

回避行動を取る。

 

だが、その動きは、わずかに遅れていた。

 

触手が、足首を掴む。

 

「――捕まえました」

 

床へと叩きつけようとした、その瞬間。

 

空気が、裂けた。

 

大量のナイフが、再び飛来する。

 

だが、今の私にとって、それは脅威ではなかった。

 

触手が防ぎ、影が弾き、勢いは殺されない。

 

メイドの身体が、床に叩きつけられる。

 

鈍い音。

 

「がっ……ああ……」

 

肺から空気が絞り出されるような、苦しげな呻き。

 

私は、間合いを詰め、喉元へと触手を伸ばした。

 

その瞬間――

 

「はい、そこまで」

 

澄んだ声。

 

次の瞬間、触手に衝撃が走った。

 

紫色の槍のようなものが、正確に、触手を貫いている。

 

視線を上げる。

 

シャンデリアの上から、吸血鬼の幼女が、投げ放ったのだ。

 

私は、舌打ちを抑え、触手を引っ込めた。

 

魔力を収束させ、姿を人間へと戻す。

 

「いいものを見せてもらったわ」

 

幼女は、手を叩きながら降りてくる。

 

「まさか、勝つなんて」

 

感心したような声。

 

「お嬢様……申し訳ありません……」

 

メイドは腹部を押さえ、ゆっくりと立ち上がり、深く頭を下げた。

 

「いいのよ」

 

幼女は、軽く手を振る。

 

「これは遊びなんだし。それに、まだ霊夢との戦闘の疲れも取れてないでしょう?」

 

従者を宥めるその仕草には、見た目以上の重みがあった。

支配ではなく、信頼のそれ。

 

まあ実際、彼女は見た目の何十倍も生きているのだろうが。

 

「あなたの従者、なかなかのものです」

 

私は、率直に言った。

 

「まさか、悪魔に戻らないといけなくなるとは」

 

吸血鬼は、楽しそうに目を細める。

 

「理屈は分かりませんが……」

 

私は、視線をメイドへと向ける。

 

動き。

間。

消失の仕方。

 

「あなた、時を止めますね?」

 

あるいは、それに準ずる何か。

 

「少なくとも、時間に干渉したでしょう」

 

私は、探るように、メイドを観察した。

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