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「——んで? そのあとはどうなったんだよ、お兄ちゃん」
高い声がそんな風に問いかけて、零崎双識は思わず首を傾げた。
あれ、誰の声だろう。確か自分は、可愛い可愛い弟にこそ自分の過去を語り聞かせていたはずだった。それなのに——どういうことだ。この鈴を転がすような声は? いくら自分の弟が中性的な、可愛らしい顔立ちをしているからと言って、けれど弟である以上は女の子というわけではない。そう、もしも女の子であるというのなら——少女であるというのならば、それは双識が何より望む『妹』との邂逅なのであるからして——
「どうしたよお兄ちゃん。ボケたのか?」
何気に酷いことを言いながら——対面する人物は双識の瞳を覗き込んでくる。きゅるりと愛らしい赤い瞳で——その
「う、うぉおおおおおおおっ!?」
叫び声を上げながら、双識は椅子ごと床に倒れた。肩と腰を強く打ってとても痛いはずだったが、しかし今は痛みを感じるよりも前によっぽど大事なことがある。
「き、きみは——?」
問いかける。問いかけずにはいられない。だって、そうだろう? 目の前に——見知らぬ少女がいるとなれば。
「あん? 何言ってんだよお兄ちゃん」
少女は首を傾げる。首を傾げて、双識を見つめる。赤い瞳。まだらに染めたセミロングの髪に、顔面刺青。耳にはピアス——右耳に三つ、左耳には携帯ストラップをぶら下げていて——赤いパーカーに、スカート。そう、とても際どいミニスカートを履いていて——
「おお……!」
地面に転けた姿勢からであれば、よく見える。そのスカートの内側に、スパッツはなかった。
可愛らしいリボンが飾られた——生パンだった。
「どこ見てんだ変態」
思わず両手を合わせて拝みかけた双識の顔を、少女は安全靴で蹴り付ける。ありがとうございます。思わず言葉が出かけたのをなんとか飲み込んで、双識は立ち上がった。
「お前はまさか——人識なのか」
問い掛ければ——「それ以外の誰に見えるってんだよお兄ちゃん」なんて言葉が帰る。
お兄ちゃん——ああ、お兄ちゃん!
なんと甘美な響きだろう? 最近はもっぱら兄貴としか——下手をすれば「おい、変態」なんて呼びつけられるほどの人識から、「お兄ちゃん」などと呼びつけられるなんて!
しかもそう呼んでくれるのは、ただの人識ではない。
弟から——妹へ。
クラスチェンジした、人識なのだ。
「——そうか、人識。お前は、女の子だったんだな」
ごめんよ、今まで勘違いしていて。弟扱いをしてしまっていて。これからは妹として全力で可愛がるから、どうか許してほしい。そんなつもりを込めて言えば、「どういう意味だ、コラ」なんて人識は額に青筋を浮かべる。いやいや、その気持ちもわかるとも。うんうん。だって、そうだよな。これまでだってずっと素敵なレディだったというのに、男として、弟として見られていたなんて不満だよな。万感の思いを込めてお詫びのキスを仕掛けるけど「きしょ」と冷たく言われて避けられた。
「なんなんだよさっきから。突然惚けたかと思ったら驚いたり喚いたり挙句の果てにはキスしに来たり……変態なのはいつものことだが、今日はそれに加えて挙動不審まで加わってやがる。いよいよ脳みそがダメになったんなら介錯してやるけど……する気ある? 切腹」
「いやないよ。カジュアルに兄に自害を勧めるんじゃない。そんなことより——人識。今までごめんな」
「なんだ。今になってようやくこれまでの変態性を悔いる気になったのか?」
「これまでお前のことは、弟としか思ってなかった、ああ、自分でもどうかしていると思うんだが、お前のことを男として見ていたんだ。いや、皆まで言うまい。今となってはお前が可愛い可愛い女の子であることは、私には十分以上にわかっている。わかっているとも。だからこそ——懺悔なんだ。そしてこれからは、誓うよ、お前のことをちゃんと女の子として、妹として見るってな。そのためにもまずは、スリーサイズとブラのカップ数を教えてはくれないか」
「そうか。死んでくれ」
抜き放たれたナイフを指で挟んで受け止めつつ、双識はニコニコと笑って言った。
「うふふ、いやいやこれまでだって十分以上に可愛かったものだが、この照れ隠しのナイフも妹からのそれだと思うとより一層の感動があるな。ああ、その裏に私に対する好意があることを思えばいっそ求愛行動にすら感じられるよ。うふふ、そうカッカせずとも、お兄ちゃんはいつだって人識のことを愛しているよ♡」
「黙れ。語尾にハートマークを付けるな。このナイフに勝手な意図を付け加えるな。俺のナイフには殺意しか乗ってない。突然妹のスリーサイズとブラのカップ数を聞いてきやがる変態に対しては可及的速やかに死んでくれとしか思っていない」
「やだなぁ、私がまるで邪な気持ちで妹のスリーサイズとブラのカップ数を聞いたみたいに言わないでくれよ」
「事実だろ」
「これはあくまでも、愛する妹に新しい下着を贈る時にサイズが合ってないと困るから聞いただけさ」
「普通の兄は愛する妹に新しい下着を贈らないんだよ」
ひゅんひゅんと振るわれるナイフを紙一重で交わしながらも、双識はニコニコとした笑みを崩さない。
だって、ああ、妹だ! 妹、妹、妹!
これまで求め続けていたそれが、実はこんなにもすぐ近くにあったなんて! なんだこれは、青い鳥の寓話か? だとしたらあまりにも幸せを見逃し過ぎていた! 過去の私はなんて節穴だったんだ!
「ったく、さっきから妹妹って、何を突然騒いでるんだよ。あんたは零崎一賊の長兄だろう。
その言葉に——ぴたりと双識の動きが止まる。当たり前のように、動かぬ双識へと向けて渾身の刺突が放たれるけれど、それは刃を摘み取って防ぎつつ、双識は耳に入った言葉を脳で咀嚼する。
妹なんていくらでもいる。
妹なんていくらでもいる。
妹なんていくらでもいる——?
「おい待ってくれ人識、それはどういう意味で——」
「失礼」
ノックもなしに扉が開いて、中に入ってきたのはまたも少女であった。
長い黒髪は緩くウェーブがかかり、顔立ちは涼やか。そして衣装は何故かフォーマルなドレスで——手には長い横笛——フルートを持っている。
「言い争う声が聞こえたもので立ち入ったが……邪魔だったか?」
「ま、まさかきみは——」
その魂そのものを撫で上げるような声色は、高さやリズムこそまるで異なる女性のものであったけれど、それでもその心地よさだけはまるで変わらず。
「
「? そうだが……」
こてん、と首を傾げて問う少女。曲識。零崎曲識。かつてには間違いなく、双識の弟であった大切な家族で、けれど今はどう見ても——
「……女の子だ」
女の子だ。
女の子だし、妹だ。
誰がどう見たって、そう見える。
「ふむ、人識。レンはどうしてしまったんだ」
「しらね。変なもんでも食ったんじゃねーの?」
「お前じゃないんだ。レンが拾い食いなどするものか」
「俺だってしねぇわ」
地味にギスギスと喧嘩し合う二人を——けれど双識はまとめて抱きしめた。
「うお、何しやがる⁉︎」
「どうしたんだレン。家族同士、ハグというのも悪くないが、いきなりがすぎるぞ」
「天国は……ここにあったんだ」
しみじみと涙を流しながら、双識は二人をかき抱いた。
「そうか。今までの全ては、夢だったんだな。こっちが本当の世界だったんだ。私の帰るべき理想郷……妹たちの待つヴァルハラ……!」
「どうする曲識さんよ。本格的にお兄ちゃんがぶっ壊れちまったみたいだぜ」
「ふむ……鎮静作用のある歌でも歌ってみるか……?」
抱きしめられながら、けれど二人の妹は完全に冷め切っていた。それでもいい。まるで構わない。二人が冷めていても、それ以上に双識は燃え上がっているのだ。そう、喜びの炎によって——
「おいおい、なんの騒ぎだっちゃ、こりゃあ」
「爆笑だぜ。レンのやつ、シスコン拗らせてとうとう狂ったか?」
「っ! お前たちは——!」
開け放たれたままのドアから騒ぎを聞きつけてやってきたのは、二人の美女だった。
一人はエメラルドグリーンの瞳に短い髪。白いワンピースに麦わら帽子を被った、長身巨乳のグラマラスな美女。
もう一人は目が飛び出る。完全に何も着ていない、肌色がありありと見えてしまう全裸に、オーバーオールと黒い手袋だけを身につけた、低身長巨乳のトランジスタグラマー。
二人とも少女と呼ぶには、少し歳を重ね過ぎている。けれど——それがなんだというのだろう? そう、人識だって言っていただけはないか。双識は——一賊の長兄だ、と。
だから、そう。
目に映る全ては——妹だ。
「
叫びながら、双識は二人に飛びかかる。まるっきり人間のそれではない、獲物に飛びかかる蜘蛛のような気持ちの悪い動きで。
「うぉっ⁉︎ いきなりなんだっちゃ⁉︎」
「なんだよなんだよ、発情期かぁ?」
文句を言う二人を腕の中に抱いて、そのやわらかさに驚愕する。かつての、双識が見ていた夢の中での二人は筋肉ムキムキで、抱きしめても岩みたいに固かった。それが——どうだ。このふんわりと、むんにゅりとした感触は。ああ、信じられない。二人とも——ノーブラだ!
「う、うう——!」
「泣いてる……マジでどうしたんだっちゃ……」
「でも見ろよこの顔、爆笑なくらい幸せそうだぜ」
右を見ても妹。左を見ても妹。この状況が幸せでなくて他になんだというのだろう?
はぁはぁと荒い息を繰り返しながら、妹たちの体の感触を確かめる。かつての悪夢の中の硬い感触を忘れるように。この世界の現実を確かに確かめるように。
「なんなんだっちゃそんなにぎゅうぎゅうと……そんな必死にならなくっても、どこにも行かないっちゃよ」
「そうだぜ。っつーかいいのか? 残りの二人は。もの欲しそうに待ってやがるぜ?」
言われて、は、と双識は振り返る。そうだ。衝撃が強過ぎて放り出してしまったが、本来妹に貴賎などない。ああクソ、片方だけに囚われるなんて馬鹿げてる! 四人が四人とも大切な妹——愛でるなら同時に愛でてこそだ!
「いや別に、愛でてはいらねーんだけど……」
「そういうな、人識。たまには兄の溢れた家族愛を受け止めるのも悪くない」
「そりゃあんたは悪くないかもしれねぇけどよ、俺、彼氏いるし……」
「なにぃ⁉︎ 彼氏だと⁉︎」
人識の発言に、思わず双識は顔を強張らせる。
「ど、何処の馬の骨なんだい⁉︎ 私の可愛い妹を誑かしたのは⁉︎」
「馬の骨て……別にいいだろ、誰でもさ」
「いいや良くないね! 人識はまだ未成年なんだぞ⁉︎ それが彼氏だなんて、破廉恥な! 幼気な少女を狙う卑劣漢はこの私が退治してくれる!」
「幼気な少女を狙う卑劣漢はあんたもだろ。まあいいや。勝手に対消滅してくれんなら都合がいい。彼氏ってあいつだよ、匂宮出夢。前挨拶に来てただろ」
「くっそ、挨拶に来てただと⁉︎ なんで私はその時に殺しておかなかったんだ⁉︎」
「どうせ妹に彼氏が出来たって情報に脳みそやられて気絶でもしてたんだろ」
常識からの突っ込みを受けつつも、双識はそれを無視して立ち上がる。
「こうしてはいられない! 今すぐに——その匂宮某と決着をつけに行かなくては!」
「おー、いってら。二度と帰ってくんなよ」
愛する妹からの激励を背に受けながら、双識は外へ出た。目指すは一つ、大切な妹を傷物にしてくれた卑劣漢、匂宮出夢への仇討ちだ。
背広の下から大鋏、
◆ ◆
「————はっ」
目が覚めた。
「ん、起きやがったか。なんだか寝言がうるさかったが……変な夢でも見てたのか?」
問いかける声は——聞き慣れた少年の声。
まだらに染めた髪に、顔面刺青。右耳には三連ピアスと、左耳には携帯ストラップを吊るして。
その愛らしい顔立ちは——見慣れた弟、零崎人識のものだった。
「あ、あれ? 私の可愛い妹は?」
「んなもんこの世の何処にも存在しねーよ」
そんな、嘘だ。妹たちは、愛すべき彼女らは、全て夢? その可愛らしい声も、ふわりとした柔らかな感触も——全ては胡蝶の夢だというのか。
いや——そんなわけはない。
「人識」
「なんだよ」
「お前は本当は——妹だったんだろ?」
「は?」
何を頭の沸いたことを言ってんだこの変態は、とでも言いたげな人識に、けれど双識は優しく微笑みかける。
「大丈夫だよ人識。そしてすまない。これまで男の子として、弟として扱ってしまって。お前は本当は——可愛い妹だったというのに」
「どうしたんだ、兄貴。マジに狂っちまったのか?」
「心配はいらないよ」
ふ、と微笑みながら——双識は告げる。
「初めてのブラジャー選びは——私が手伝ってあげるから」
その一言を以て——人識の困惑は怯えと恐怖に切り替わる。ナイフを出鱈目に投げつけながら逃げ去る人識と、それを追う双識との追いかけっこは、双識が夢から完全に醒めて正気に戻るまで、しばしの間、続いたという。
と言うわけでエイプリルフール短編でした。
久々の更新がこんなんですいません。
本編も頑張って書き溜めているのでもうしばらくお待ちください!