「で? 昨日はどこに行ってきたんだ、クレア?」
「ただのデートよ、クリス。野球見て、夕食して……普通のやつ」
「……それだけか?」
クレアはソファにぼんと乗り、兄のじっとした視線にため息をつく。
「しつこいなぁ。レオンとは普通に楽しく過ごしただけ。クリスが心配するようなこと、ないから」
「……キスはしたのか?」
唐突な問いに、クレアは思わず顔を赤らめる。
「……っ! し……したけど!」
「したのかよ!」
思った通りの反応に、クレアは額に手を当てた。
「大げさよ……恋人なんだから、当たり前でしょ!」
「妹がそういう段階に入ったってことがな……兄としては落ち着かないんだ」
「心配性すぎ! しかもレオンはクリスの後輩なんでしょ? 変なことするわけないじゃない」
一瞬言葉を飲み込んだクレア。
レオンの部屋に行ったことまで言えば、クリスが確実に取り乱す。
そう確信して、口を閉ざす。
だが兄の鋭い勘が働く。
「……おい。なんか隠してないか?」
「な、何も隠してないってば!」
「怪しいな……まさか、レオンの部屋に行ったとか……」
「コ……コーヒー飲んだだけよ!」
「やっぱり行ったのか!」
「だから! 本当にそれだけ! コーヒー飲んで話して帰ってきただけ! 清いにもほどがあるでしょ!」
そんなクレアに対して、クリスの目がキラリと光る。
「本当に本当にそれだけか…?まさかセッ…」
「してないってば!サイテー!それ、妹に対して 聞くこと?!」
クレアは真っ赤になって叫ぶ。
「クレア……兄さんの目をよく見ろ…。もう一度聞く。まさか レオンと……」
「だからしてない!しそうになったけど…未遂よ!」
クリスがブフォッ!と吹き出して立ち上がる。
「やっぱり!!お前何やってんだ、独身の男の部屋に行ってそんなことを!それに レオンのヤツめ……何がコーヒーだ…!」
「だから未遂 だってば!それに私19歳よ……。もう子供じゃないって!」
「アメリカでは21歳までは子供だ!それに 俺からしたら、お前は永遠に子供だ…!」
クレアと睨み合うクリスだったが、やがてしばらく沈黙した後、眉間を押さえながらため息をつく。
「……レオンに釘は刺してある。だが……お前のことは俺が一番わかってる。突っ走るなよ」
「だから子供扱いしないで。私は自分でちゃんと考えてる」
クレアはソファに座り込み、頬を膨らませてテレビをつける。
クリスはその横顔を見て、やれやれと肩を落とす。
[newpage]
午前中の署内。書類整理をしていたレオンが、背後から声をかけられる。
「レオン。ちょっと来い」
緊張感のある低い声。
リクリとして振り向いたら、やはり クリス・レッドフィールド、愛する クレアの兄がそこに仁王立ちしていた。
2人は署の廊下を抜け、人気のない会議室に入る。ドアが閉まった瞬間、空気がさらに重くなる。
「……なんでしょうか、クリス先輩」
レオンは唇を噛みしめ、しかし クリスの顔をまっすぐに見る。
「昨日、クレアがお前の部屋に行ったそうだな」
レオンの表情がわずかに硬くなる。
だが視線は逸らさず、真っ直ぐに返す。
「はい。……コーヒーを飲んだだけです。何もしていません」
「……本当か?」
「ええ。俺は彼女を軽んじるようなことは絶対にしません」
しばしの沈黙。
クリスは机に手を置き、低い声で続けた。
「レオン。お前が真面目なのはわかってる。警官としての仕事ぶりも、俺は信頼してる。だが妹のことは別だ。クレアは……俺にとって一番大切な家族だ」
「わかっています。俺にとっても、クレアは……守りたい人です」
一瞬だけ、クリスの眉が動く。
レオンの目は、嘘や冗談ではなく、本気の光を帯びている。
「……そうか。ならいい。だが忘れるな。もしクレアを泣かせたら……俺はお前を後輩としてじゃなく、男として叩きのめす」
「……心配しないでください。俺は彼女を泣かせません。誓います」
しばらく向き合った後、クリスは鼻を鳴らし、踵を返す。
「……まったく。妹を任せるってのは、兄貴にとって一番難しい仕事だな」
去っていくクリスの背中を見ながら、レオンは深く息をつき、拳を軽く握り締める。
「彼女を泣かせない」
その言葉が、心に重く沈み込んでいた。
[newpage]
夕食後のリビング。
テレビをつけてくつろいでいたクリスの前に、コーヒーカップを手にしたクレアがどっかりと腰を下ろす。
「今日一日で、何をしたのか聞かせてくれる」
クレアがソファに座ってクリスを見つめる。
「……いや、今日、署でレオンに会った」
「……また!彼に何したの?」
クレアは怒りを潜めた声で答える。
「別に何も。ちょっと男同士の話をしただけだ」
「どうせ、泣かせたら承知しないとか言ったんでしょ?」
図星を突かれ、クリスは言葉に詰まる。
「……まあ、似たようなことは言った」
「やっぱり言ったのね!兄さん、私の彼氏に何やってんの!」
「彼氏って……お前、本気でそう思ってるんだな」
「当たり前でしょ! 彼氏だもの!」
クリスは頭を抱え、うめき声をあげる。
「俺にとっては昨日までただの後輩だった奴が、妹の彼氏って言われても……」
「だからって職場で脅すとか、ありえないでしょ! レオンだって気ますいじゃない!」
「脅してない。ただ……」
「ただ?妹を泣かせたら叩きのめす!とか言ったわけじゃないの?」
「ま、まあ確かに、それらしいことは言った……」
「言ったんじゃない!」
クレアは兄に対して説教 モードに入った。
クリスはうつむいて、今までにない 真剣な顔をして言う。
「俺は……レオンの男としての覚悟を確かめただけだ」
クレアはさすがに 怒りをあらわにした。
「ほんっっと、余計なことするんだから!!」
クレアはクッションを掴んで兄に投げつける。
クリスは受け止め、苦笑しながら肩をすくめた。
「いいじゃないか。お前のことを大事に思ってるって、あいつはちゃんと答えたぞ」
クレアの頬が一瞬で赤くなる。
「……っ! ……も、もう、そういうことまで報告しないで!」
彼女は顔を背け、クッションを抱えてソファに埋もれる。
クリスはそんな妹を見ながら、やれやれと息をついた。
[newpage]
土曜の夕暮れ。
赤く沈む陽が、街のビルの輪郭を金色に染めながら、ゆっくりと地平線に沈んでいく。
郊外の小高い丘の上、広大な空き地に設けられたドライブインシアターには、すでに何台もの車が並び、ポップコーンやホットドッグの香りが漂っていた。
大きなスクリーンの前で、音響テストの低い重低音が夜の空気を震わせている。
車を停めたレオンが、窓越しに外の喧騒を見ながら小さく息を吐いた。
「……こういうデート、実は初めてなんだ」
運転席の隣で、クレアはにっこりと笑う。
「意外。レオンって、ドライブインとか似合いそうなのに」
「いや、これまでそんな余裕なかったからな。学生の時は勉強で忙しかったしし、警官になってからは任務続きで……」
「うん。だからこそ、今日はちゃんと休もうね」
そう言ってクレアは、助手席のドリンクホルダーにコーラを置き、カップのストローをレオンの方に差し出した。
「はい、ひと口どうぞ。冷たいうちに」
レオンは少し笑って受け取り、ストローをくわえる。
一瞬、彼女の口紅の跡が視界に入り、思わず視線を逸らす。
「……間接キス、ってやつかな?」
「なにそれ、今さら?」
クレアの軽い笑いに、レオンは顔を少し赤らめた。
映画が始まる。
古いSF映画のオープニングテーマが流れ、夜の闇に青白い光が広がった。
レオンはハンドルから手を離し、背もたれに身体を預けながら静かにスクリーンを見つめた。
ふと横を見ると、クレアがサイドウィンドウから夜空を眺めていた。
「星がすごいね。街だとこんなに見えないもん」
「……そうだな。君より長くここに住んでる俺でも、こんな夜空はなかなか見たことない」
少しの沈黙。
映画の中の主人公が冗談を飛ばし、車の外から笑い声が聞こえる。
でも、車内だけは別の静かな空気が流れていた。
クレアが少し身体を寄せる。
シートの間に置かれた肘が触れ合い、微かな熱が伝わる。
レオンの喉が、ごくりと鳴った。
「……ねえ、レオン」
「ん?」
「この前の夜、止めた理由……まだ聞いてない」
レオンは一瞬だけ目を伏せた。
「……君に触れたら、止まれなくなりそうだった」
「……」
「俺は、君を大切にできる男でいたい。焦ったら、それを壊しそうで」
クレアはゆっくりと息を吐き、レオンの手に自分の手を重ねた。
「……そうね、私も壊したくない。少しずつ確かめながら行きましょう……」
レオンの指先が、彼女の手をそっと握り返す。
スクリーンの光が二人の横顔を照らし、淡い影を落としていく。
静かな夜風。
ポップコーンの甘い匂い。
そして、誰にも聞こえないほど小さな「好き」の息づかいが、車の中に静かに溶けていった。
映画のクライマックスを迎える頃、クレアの頭は自然とレオンの肩に寄り添っていた。
レオンは動かず、ただその重みを受け止める。
もう言葉はいらなかった。
ただ、この夜を、永遠に閉じ込めておきたかった。
[newpage]
映画が終わり、エンドロールの音楽が夜空に消えていく。
車の中でしばし余韻に浸ったあと、二人は駐車場を出て街へ向かった。
道路の片側にはネオンの明かりが連なり、遠くから酔客の笑い声が響いていた。
「久しぶりに、ちゃんとしたデートだったな」
運転席のレオンが、少し照れたように言う。
「うん。……あんなに笑ったの、ほんとに久しぶり」
クレアは窓の外を見ながら、穏やかに微笑む。
その時だった。
狭い駐車場の入り口に差しかかった時、前方に数人の若者が立ちふさがった。
タトゥーとピアス、酒瓶を手にした不良グループ。
そのうちの一人が車のボンネットを拳で叩いた。
「おい兄ちゃん、いい車乗ってんな。どこ行くんだよ?」
「なにするのよ!」
クレアが怒りをあらわにした。
しかし、不良たちは彼女の声を無視して近づいてくる。
レオンはドアを開けて車から降りた。
その静かな動きに、空気がわずかに変わる。
「悪いけど、通してもらえるか?」
「通す? 代わりに彼女、置いてけよ」
その一言で、レオンの目の奥に熱い光が宿った。
次の瞬間、路地に乾いた音が響く。
レオンの拳が、最前列の男の顎を正確に打ち抜いた。
倒れた男を皮切りに、他の不良たちが怒声を上げて襲いかかる。
しかし、レオンの動きは無駄がなかった。
回し蹴りで一人を地面に沈め、もう一人の腕を取り投げ飛ばす。
夜風の中、彼の体はまるで訓練場のように静かに、正確に動いていた。
「クレア、大丈夫か?」
最後の1人を倒すとレオンがクレアを振り返る。
振り返ったレオンの目に飛び込んできたのは、不良の一人を見事に膝蹴りで倒すクレアの姿だった。
彼女の足元には、さらに何人かの男がのびている。
「おいおい……クレア!?」
「何よ、私だって昔から兄さんの訓練受けてるんだから!」
クレアは息を切らせながらも、笑って見せた。
レオンが男の一人を壁に押しつけ、低く言い放つ。
「次に彼女に手を出そうとしたら、ただじゃ済まない」
男たちはうめき声を上げながら、夜の路地へと逃げていった。
静寂が戻った。
街灯の下で、レオンがクレアに歩み寄る。
「怪我は?」
「平気。むしろ、スッキリしたかも」
クレアの頬に小さな擦り傷があり、レオンはそっと指で触れた。
「……強いな。俺が守るまでもなかった」
「でも、守ってくれたでしょ?」
「それは当然だよ」
ふたりはしばらく見つめ合い、静かに笑った。
緊張と興奮が混ざった空気の中で、
互いの呼吸が重なるほど近づく。
だが、レオンは一歩だけ後ろへ下がった。
「……このままじゃ、また止まれなくなりそうだ」
「……レオン」
「送ってく。今日は、もう十分ドキドキした」
クレアは微笑みながら頷く。
ふたりは並んで車に戻り、夜の街を抜けていった。
遠ざかる街灯の光の中、
レオンの横顔はどこか柔らかく、そして誇らしげに見えた。
[newpage]
「……すごかったな、さっきの」
ハンドルを握ったまま、レオンが小さく笑う。
「何が?」
「君の蹴り。完璧だった」
「兄さんに仕込まれたのよ、昔ね。護身術は必要だって言われて」
「護身ってレベルじゃなかったよ。俺のバディ(相棒)になれる」
レオンの冗談に、クレアは照れたように笑った。
ふたりの間に、柔らかい静寂が落ちる。
赤信号で車が止まると、レオンはゆっくりと顔を向け、クレアの頬に手を添えた。
「今夜は、ありがとう」
「何が?」
「俺に笑顔をくれた」
次の瞬間、二人の唇が触れ合った。
最初はほんの軽く、けれどすぐに深く、静かに重なる。
戦いの後の高ぶりも、緊張も、すべて溶かすようなキスだった。
長い呼吸のあと、レオンは唇を離し、穏やかに笑う。
クレアは頬を赤らめ、シートに体を預ける。
夜風が少しだけ窓から吹き込み、髪を揺らした。
車が再び走り出す。
街の光が流れ、遠くの空に星がにじんでいた。
クレアはそっとレオンの手に触れ、小さな声で言った。
「……このまま、どこか遠くに行けたらいいのに」
「そのうち、行けるさ。俺たちなら」
彼の言葉に、クレアは微笑む。
夜の道を、二人の車がゆっくりと走り抜けていった。
[newpage]
翌日。
ラクーンシティ警察署の前で、夕焼けに染まる通りを見上げながら、レオンは一度深呼吸をした。
昨日の出来事が、まだ体の奥に残っている。
クレアと過ごした時間、笑顔、そしてあのキス。
あの瞬間を思い出すたび、胸の奥が熱くなる。
「……浮かれてるな、俺」
自嘲するように呟いたとき、背後から軽やかな声がした。
「浮かれてるの、顔に出てるわよ」
振り返ると、バイクのヘルメットを片手にクレアが立っていた。
風に揺れる髪と、無邪気な笑顔。
昨日と同じように、彼女の姿を見た瞬間、言葉が出なくなる。
「クレア……もう帰るところ?」
「うん。兄さんが今日は遅くなるって。だから迎えに来たの。……ちょっとだけ話せる?」
レオンは慌てて制服の上着を整えた。
「もちろん。なんだい?」
クレアは少しだけ言葉を探すように視線を落としたあと、いたずらっぽく笑う。
「ねえ、今度の週末、時間ある?」
「え? ああ……一応、非番の予定だけど」
「じゃあ、行かない? ちょっとした旅。2人で一度 ラクーンシティ 以外のところに行ってみてもいいかも」
彼女はポケットから折りたたまれたパンフレットを取り出し、彼の前に広げた。
『アリゾナ州 キャニオン・フェスト』
そこには、赤い岩山と青空が写っていた。
「これ、週末に行われるフェスなんだ。キャンプもできるし、星もすっごく綺麗。1泊2日で行ける距離。……どう? 一緒に行かない?」
レオンはパンフレットを見つめたまま、無言になった。
乾いた大地、遠い地平線、そしてその中で笑うクレアの姿が、頭の中に浮かぶ。
「……いいのかい? 兄さん、許すかな」
「兄さんには、護衛兼運転手付きの旅行、って言っておくから大丈夫」
レオンは小さく笑った。
「便利だな、その言い訳」
「でしょ? でも、私……あなたと行きたいの。
昨日の夜、思ったの。レオンって、いつも守る側にいるけど、ちゃんと自分が癒される時間も、必要なんじゃないかって」
彼の胸の奥に、何かが静かに響いた。
彼女の言葉は、軽いようでいて、どこか本質を突いていた。
「……ありがとう。行こう、クレア」
「決まりね!」
クレアは嬉しそうに両手を叩いた。
「じゃあ金曜の夜に出発。夜のうちに走れば、朝には着く。星空の下でコーヒー、飲もうね」
「星空の下でコーヒー……悪くないな」
彼女の笑顔を見ながら、レオンはふと思う。
これが単なる旅行ではなく、自分が誰かと過ごしたい、と心から願う、初めての時間になるかもしれないと。