それは黄色、紅色の葉の絨毯を踏みつぶして歩いたのも随分と昔に感じてしまう程に寒い冬の日の事だった。
帝国においては数年前に開発された新兵器により、異常とも言える寒波に襲われており、上越内海(旧新潟県)は厚さ2センチ程の氷の陸地となっているのだから驚きである。
そんな頭上にて外来語で語られる事実を遠い異国の事の様に思いながら、発熱ビニイルに包まって筵のささくれを左手で数えていた。今年の冬は良く冷える。異国の地でレエザァに焼かれて落としてきた右手が疼いて溜まらない。
路地裏でのたうつ蛇の様に乱雑に配置されたスチィム管で暖を取る芋虫の如き様相で転がる四等級(働く資格の無い奴ら。もはや人ではない)を眺める。
かくして俺も辛うじて三級にぶら下がる傷痍軍人ではあるが、あれが未来の姿だと思うとゾッとした。仕事求ムと書かれた板を傍らに置き、白い息を吐き出す。三日前に雇い主に痣が全身に浮かぶくらいに殴られて以来、即日の仕事は回って来なくなった。
気が付くと雪がチラつき始め人々が外套の襟を詰めて小走りになっている。そろそろ見切りをつけてジャンクヤァドに向かうかと立ち上がろうとした矢先、声が掛かった。
「アンタだろ? 死に掛けの花売りの三級のガキに内緒でメシをくれてやったの」
「情婦か……いいや、元情婦か」
「なんだい、片めくらにも当てられる程わかりやすいかい?」
顔を上げると目に入ったのは、驚いた顔を浮かべるボサボサの長髪を鼈甲の髪留めでまとめていた女だった。小汚い外套から覗く派手なドレス、そして二級から三級へと降格した事を知らせるペケ印が左鎖骨から覗いていた。頬に特徴的な斑点を浮かべている。
その牡丹の様な斑点は最近の流行病だ。第三都市の居留地の行きずりから広まって、いつの間にか全国規模になった。どんな経緯かは与り知る気も無いが、おおよそ価値無しと着の身着のまま追い出された処だろう。
「アンタ、帰る場所は?」
首を振る。既にそんなものはない。
産まれ故郷は紅葉が綺麗な場所だった。傍らには幼馴染が居て良く野山を掛けたものだ。女にしては良く鍛えたもので男児の俺に追いついてはマァカァを張りつけられた。
その場所が光とともに海になったと聞いたのは、遠い海を越えた戦場で突然の休戦を言い渡されゴミのように放り出されてからだった。
愕然とした知らせを抱えたまま、最低限の手当てと4級には落ちないという保証だけを貰い、そのまま帰る場所も無く、いつまでも終わることのない冬の街で死に損なっている。それを伝えた。
「そうかい」
じゃあアタシと一緒に来なよ。と、懐かしく感じる訛りでそう言われ、気がつけば筵を畳んでいた。
辿り着いたのはアパルトメントであり、二級相当のセキリュテイが整備された場所だった。驚いて女の顔を見ると、月末までには追い出されちまうけどね、と笑いながら網膜認証を何事もなく通り抜けて手招きをされた。
辿り着いた部屋は家具は無く残る家具も売約済みと書かれた電子札があちこちに貼られていた。二級の最低限保証である自動空調装置も既に停止しており外よりはマシ、という状態であった。
唯一残る焼け跡が残るボロボロの簡易テエブルが残っていたのでそこにドカッと座り込んだ。
「お兄さんは南方かい? それとも北方?」
「南方だ。あちらもあちらで酷いものだったよ。人よりも機械兵が価値が高い有様でな」
休戦になってよかったねぇ。と言いながら女は慣れた手つきで鍋をかき回す。すぐにいい匂いがしてきて飢餓状態の腹が恨みを告げるように鳴り響いた。
彼女がエプロンを外しながら食事を運んでくる。久しぶりに見た米と配給の穀物類を煮込んだ粥と月に2度の配給制合成肉であった。
「食器、使えるかい?」
「……最近はもっぱら手づかみだ」
それを聞いた女は溌剌な笑顔を浮かべ、あーん、と匙を口元に持ってこられる。それに戸惑っていると更に口元に押しつけてきたので仕方なく口を開いた。
「………美味い」
「そうかい、よかったよ」
ニコリ、と笑う顔は不思議と胸を高鳴らせるもので、故郷と共に消し飛んでしまった幼馴染を思い返していた。細かな仕草が良く似ている。職業が違えど不思議と女というものは根が似通っている事があるのが不思議だ。
食事も一段落すると礼を言って立ち去ろうとする。けれど、それを女側はやんわりと断った。二度三度断ろうにも頑として縦に振ることは無かった。
「なぜそこまでする? 傷痍軍人なぞ誰もが厄介の種だぞ。俺に何の用がある」
「誰でも良かったのさ。ただ軍人さんに恩返しがしたかった」
どうせなら正義感が強いバカが良かった。それだけさね。と、彼女は合法麻薬を煙管に詰めて燻らせる。その効能は鎮痛。それほどまでに病の進行が酷いのかと、思考が反れていて話し込んでしまった。
結局、二人で床に薄いマットレスを引いて震えながら眠りに落ちる。女は痛むのかうわ言を呟くせいで寝つきは良いとは言えなかった。
奇妙な共同生活は数日続いた。飯の時間は決まって匙を差し出され、それを鳥の雛のように口をあける日々。
湯に浸した手ぬぐいで体を拭いてもらう等の世話を甲斐甲斐しくやってくれる。蓄えがあるからと彼女は言うが訳を聞いてもはぐらかすだけ。
けれど、素性も名前すらも定かではない女との生活は存外居心地の良いものだった。
ある日、寒さが一層厳しく室内に居てもガタガタと震えてしまいそうな程に冷え込んだ日。女は熱を出していた。苦悶の表情を浮かべる額に濡らした手ぬぐいを置いてやる。幾度か繰り返す内に女の表情が和らいで行くのに安心し離れようとすると、懐かしい俺の名を呼ぶ彼女に手を掴まれる。
「行かないで……」
久方ぶりに番号以外で呼ばれたものだ。と座り直す。
確証は無かったが似ていると思っていた。そう一人でに納得していると、か細い声で女はうわ言のように語りだした。
軍人になっちまった男を待ってたんだ。ずっとね。故郷を焼け出され身寄りも全部消えちまって、それでも待ってたんだ。
汚れ続けても生きていればいい事もあるって思ってたんだけどね。この様さ、今更合わせる顔が無いのさ。
「必死だったのさ、故郷が消し飛んじまってね」
「何処の生まれだ?」
「……忘れた。ただ、紅葉やイチョウが綺麗でね」
迎えに行くと言われたんだけどねぇ、と顔を逸らしながら彼女は言う。
名を聞いても源氏名を繰り返す彼女。お互いに合わせる顔がないのだろう、互いに死んだと思っていたのだから。
知らぬままがいい。彼女はこれより更に熱病を繰り返し、やがて旅立つのだから。それでもこの行き詰った世界で、たった一つの自由に俺は手を伸ばした。
牡丹の浮かぶ肩に触れようとして、弱弱しく女に手を払われる。「穢れた身だ、これ以上触れない方がいい。情婦が二級以下になる条件、知らない訳じゃないだろ?」と、彼女は言う。
この流行病の感染経路は粘膜。その意味を知らぬわけではない。
「それにこの棲家は六十五の爺からの貰いもんだよ」
その意味が分からないわけでもないだろうに。と彼女はそっぽを向く。
「俺だって、人を沢山殺めたさ」
その顔を両手でそっと包み口付けをする。彼女はそれを拒むことなく受け入れた。
「それでも、お前が欲しい」
「……そうかい」
「これからを共に生き、そして死が二人を分かつまで」
共に居たい。そう言い切る前に女が胸に飛び込んでくる。幾度と無く接吻を繰り返し次第にその間隔は長くなっていく。ぬらりとした橋が布団に滴り落ちる頃、どちらともなく服が肌から滑り落ちた。白い息がやがて一つになる。
「もしこれが未来だったなら……もっと長くいられたかね」
「時間旅行機、アレは二級以上だったか」
「それでも今が永遠だろ? なぁ」
それは確かな重さと共に懐を温める。素肌を触れ合わせてより深くまで溺れていく。今すぐ雪の様に溶けてしまおうとも構わないと、熱を込めて求め合う。
「いつか故郷に帰ろう、二人で」
「そいつぁ、いい案だね」
「紅葉が綺麗なんだ。海も近くてな」
「山の斜面に柿がなっていたね。渋くて食べられやしない」
「よく……お前にとってもらったな」
「もし、その故郷にもう一度行けるなら」
「そうだな。もう一度鬼ごとをしようか」
生まれた姿で互いを受け止め熱情も吐息も時間までもが交じり合って蕩けていく。その身体は遠くなってしまった季節と、沈んでしまった故郷の匂いがした。
枯れ葉が散らばる道を二人で歩いた日の様に指を絡め合う。
「愛しているよ。昔からな」
「……私もだ。会いたかった」
ゆらり、と揺れた電子蝋燭の火が静かに消えるまで、二人は互いのぬくもりへと身を委ねていた。
遠い日のあの頃に戻るまで、ずっと、永遠に──