「へぇ、そうなの。頭の中に宿ってる人格が実は女神様で、フィンくんはその使徒で、ついでにカトリーナも別の神様の使徒で、宿ってた人格だったはずの女神様が現実に現れちゃったと」
「正確には、本体が封印されてる場所に俺が近付いたから限定的な条件下でみんなにも見えるようになったらしい。俺の目には今も見えているし、アリシアの頬を引っ叩こうとしたりしているように見える」
「そっかぁ……それで、どうして私にそんな話をしにきたわけ? 絶対それヴァシリに話すべきことよね」
「師匠には話をしたんだが、セラさんやフェンナを警戒してるみたいでな。エスペランサオフッ教関係者には秘匿する方向で進めたいそうだ」
「そっかぁ……それで、どうして私にそんな話をしにきたわけ?」
「どうして、か……」
濁った瞳で見つめるアリシアに、フィンはやや照れながら答えた。
「……アリシアのことを信じてるからだ」
「……そ、そう。嘘じゃないのはわかるけど……」
「あと闇のマリアンヌが『あの森人に頼りなさい』って言うから」
「ンボフッ!!」
アリシアは咽せた。
照れながら話すフィンの姿を見るのは非常に珍しく、それなりに深い関係に至ったアリシアもあまり見ないものであったためにほんの少しだけ胸に違和感を抱いたことを誤魔化すために珈琲を口にしようとしたタイミングでの暴露だった所為だ。
「ゲホッゴホッガハッ!! ウッ……な、何? 今なんて言った?」
「闇マリがアリシアさんを頼れと」
「闇マリ? いえ、もうそれはいいわ。フィンくんが愉快な男の子なのはわかりきってることだもの。それよりなんで女神様が私に頼れなんて言うのよ」
「ええと、……なあ闇マリ、それ俺が言わなきゃいけないのか? 普通に恥ずかしいんだが」
(フィンくんが恥ずかしがる……!? い、一体何を言わせる気なの……!?)
「……わかった。まあ、えっと、その、なんだ。『業腹ですが、この森人以外相応しい女はいないので』とのことだ」
「…………」
アリシアの感情は複雑だった。
まずひとつ、真偽はともかくとして、フィンの中に自分の知らない人格がいるということは知っていた。以前何気なくポロッと告げられた時は聞かなかったことにして事なきを得たが、確かに時折相反する感情が同時に複数個湧き出ていて本当に気が狂っているんじゃないかと何度も疑ったことがある。
だが、それはそれとして、フィンには人らしい感情は十分あるとわかっていた。
壊れているとは思う。
おそらくその反動があの悍ましさすら感じる性癖であり、反動すら抑制できてしまう彼はどこか人として外れているのだと思っていた。たとえ教育を受けたからといってここまで完璧に抑え込むことなどあり得ない。
感情が読み取れるアリシアだからこそ、それを理解している。
そして、そんなフィンの脳内(?)に棲みついている自称女神の言うことだ。
きっと恐ろしい存在に違いない。
あんな感情の濁流、いや、暴威……言葉で表現することなど到底出来ないフィンの心に居てなお正気でいるなど常道を外れている。
(感情が読み取れるだけの私ですら気が狂うかと思うのに、あんな中にいて平気な時点でそういう存在確定じゃないの……)
憎悪、嫌悪、苦痛……そして喜色。
ドマゾだとわかったからこそ理解できるものの、その根底にあるのは捻じ曲がった自己評価だ。幼い頃はアリアと比べられヴァシリに痛めつけられ現実を知り、王都に飛び出してカルラとアストレアに逆らう気持ちも湧かないくらい痛めつけられマリアンヌと傷を慰め合っていたかと思えば彼女一人だけ特別な力を得てしまい、同業者からはハーレム野郎だの顔と下半身だの好き放題言われ続けた。
そうやって過ごし続けてきてまともでいられるわけがない。
(フィンくんはまともじゃない。まともであろうとしてるだけ。ヴァシリが教え込んだ倫理観と価値観が彼の強靭な理性の役割を果たしてる。だからこそ、その仮面の下を覗き込んだ私はあっという間に絡め取られた。……まあ、壊れてるだけで、おかしい人だけど、絶妙に憎めないのよねぇ)
明らかにヤバめの神を名乗る埒外の存在を警戒するのと同時に、フィン個人のことを好ましく見ているアリシアからすれば、手放しでは喜べないが嬉しくないわけではない──なんて、面倒臭い処理をする羽目になった。
困った表情の割に口元が緩んでいる彼女に対し、フィンは無慈悲に告げる。
「うん、うん。アリシア」
「何かしら」
「『そういうところ』だそうだ」
「…………」
無言で目を逸らした彼女の耳の先っぽがほんのり赤みがかったことには当然気がついていないフィンが、それはそれとして、と口を開く。
「もちろん師匠やアリア、マリアンヌ……あ、これは本物のマリアンヌの方だが、みんなに理解を得られるように話をするつもりだ。だがアリシアさんに先に話すことで、要するに、光栄にも俺とエッチすることを許容してくれている面々を納得させやすいと闇のマリアンヌが言っている」
「あの、その、闇のマリアンヌちゃん呼びはどうにかならない?」
「……俺にとっては闇のマリアンヌなんだ。これが気持ち悪い行為だと理解はしてる。本人の前で言うのも憚られるし、皆の前ではルルクスンフッルルクス様と呼ぶさ」
(……もしかして二人分の感情があるのかしら)
もしそうだとしたらこれまでの混沌とした感情もと一瞬考えたが、一つや二つではなかったことを思い出し淡い希望だったと思い直した。
「それに……アリシアなら闇のマリアンヌを否定しないだろ?」
「ええ、まあ……その、言いにくいのだけれど……否定はしないけど、邪神の類じゃないかしら」
「まあそうだろうオヒイイィッ!!」
「!!!!?!?!??」
座っていたフィンが突然直立に立ち上がったことでアリシアも後ろへ跳ねた。
「ま、間違いなく邪神の類だンアッそれでも俺は信じてるゥッ闇のマリアンヌのことオオオォッ!?」
「ひ、ヒィッ……!?」
びく、びく、と直立して体を痙攣させるフィンにアリシアは心底怯え後ずさる。
「フッ、フッ、こ、このように、狭い範囲なら今でも現実に干渉できるから、ア! 俺の弱点に的確に刺激を与えてくる! た、たまらん! いつもは我慢してるがアリシアの前だから我慢しなくていいと思うと、余計たまらんっ!!」
「…………(絶句)」
「おおおおっ!? ────……とまあ、どこからどう考えても邪神というか悪さをする方の神様なんだろうが、俺にとっちゃ闇のマリアンヌで数年間俺の全てを受け止めてくれた恩人なんだ。だから、全てを把握してくれるアリシアの前でだけは嘘をつきたくない。どうか、闇のマリアンヌと呼ばせてくれないか?」
「そ、そうね。いいんじゃないかしら。ええ、私はいいと思うわ」
「! そ、そうか。やっぱりアリシアは素敵な女性だな」
(……どうしてかしら。全然嬉しくないわね……)
アリシアは一瞬顔を俯かせ、ほんのりと潤んだ瞳を拭った。
万感の思いが詰め込まれていた一滴だった。
「オッ! ……あと、俺がたまに突然発情してることがあったと思うが、あれの半分くらいは闇マリのやらかしだ」
「あ、そ、そうなの。半分しかないの……」
「ああ。悪い子になっちまったンヒィ!」
そうニヒルに呟くフィンの首の向きが突然横にぐりんと弾き飛ばされたような動きをした。
「それは私でも殴るわよ、フィンくん」
「な、なぜ殴られたと……!?」
「……闇マリは『苦労してるのよ』と言っている」
「…………乗り換えようかしら、月の女神様に」
「『あとは任せました』とも言っている」
「ごめんなさい、私はエスペランサ様のことが好きよ」
「ぐおおっ!?」
ゴンッ!
フィンの頭が机に叩きつけられた。
「ちょ、ちょっと、やりすぎ……」
「ぐ、ぐおおっ、抑え付けられているッ!? 力づくで! ま、負けているのか、俺が……! 闇マリに強引に抑えつけられ好き放題されるのか……ッ!? ふ、ふヒョオオっ!」
「…………ああ、うん。これが女神様の感情か、わかったわ」
アリシアは目の前で頭をグリグリ机に押し付け悶絶している成人男性から呆れたような感情が溢れてきたのを感じ取った。
「とりあえず、えっと……どう呼べばいいのかしら。女神様? ルルクス様?」
「好きなように呼べと言っているが……」
「……じゃあ、闇のマリアンヌちゃんで」
瞬間、フィンから爆発的に感情の奔流が流れた。
それは彼にとっては珍しくもない純粋たる喜びだったが、これまでに経験したこともないような重さの感情だった。
「う、うわっ!? ちょ、ちょっとフィンくん、それやめて! いつものセクハラより辛いの!」
「エッ、な、なんのことだ? なんもしてないぞ」
「それよそれ! すごく喜んでるでしょ!?」
「……あ、すまん。アリシアが闇マリ呼びしたのがすごく嬉しくて、つい……抑制出来てなかった。申し訳ない」
そして謝罪の感情。
だが、それでもってしてもあまりあるほどの喜びだった。
アリシアはこれが月の女神ルルクス、つまり闇のマリアンヌと呼ばれる神のものが混ざっているのかと思ったが、違和感を抱いた。
(……いや、違う。なんとなく他の感情がある。これがそうじゃないの? 多分本人、本神? は呼び方にこだわりなんて特にないんじゃないかしら。悪感情もないから、私が舐めた態度を取らなければどうでもいいんだと思う。……じゃあなに、これは単純にフィンくんが喜んでるだけってこと?)
同じ呼び方を選んだだけで、フィンは喜んだ。
これまでで一番だったと断言できるほどに。
(じゃあ、待ってよ。フィンくんは何よりも、この人格が認められることを望んでたの……?)
「…………フィ、フィンくんは、本当に闇のマリアンヌちゃんが好きなのね」
「……ああ。俺の初めての理解者だ。確かに、性質は悪だと思う。どう考えても今ここでやっちゃいけないってことするし。アリアやマリアンヌへの態度も注意したしさ。でも、それでも、俺の心を支えてくれた唯一の人だから。それは月の女神ルルクスなんて存在じゃなく、闇のマリアンヌなんだ」
(ウワッ、重い! 重すぎるわよフィンくん……! 言葉もそうだし感情もそう! 私達より大切に思ってないかしら!? ドロッドロの愛が……いや照れもあるわね……これは闇のマリアンヌちゃん? なんか……思ってるより主従関係がぐちゃぐちゃじゃないの、これ……)
はぁ、とため息を吐く。
厄介ごとが増えたわねと思うのと同時に、自分以外の理解者とはこのことだったのかと納得もした。
頭の中に住んでる神様がいるなら、それは何よりも理解者と呼べるだろう。
感情を知っているだけの自分とは違う。
求めていること全てがわかる。
求められていることに答えを返せる。
そりゃあ、愛を抱くのも当然だ。
私がいるのにそんな相手がずっといたんだ?
そんな相手がいたのにさも私が初めてです、なんて態度取ってたんだ。
ていうか、ああいう行為も見られてたんじゃないの?
全部知ってるんでしょ、それ。
全部知ってる上で、私に頼るべき、なんて言うんだ。
それって余裕?
神様特有の余裕?
それとも女神の女としての余裕?
……腹立たしい。
なぜ?
フィンくんの一番の理解者が現れたから。
どうしてそれが腹立たしい?
そんなの、私が…………。
(…………。……はあぁあぁぁ〜〜……)
振り絞るようなため息。
(…………私、本当にフィンくんのこと、好きなんだぁ……)
それでいて傲慢。
いや、違う。
自分の立ち位置を脅かす存在が現れたことに対し危機感と嫉妬を強烈に抱いてしまった。
必死に我慢していたのだ。
それと同時に安堵もしていた。
この忙しない日々を愛しいとも思っていた。
そう、それこそ、このままなあなあで過ごせればいいんだと──そう思っていたのに。
(あーあ、はいはい。もう終わりよ終わり。わかった、わかりました。もう偽るのも無駄って言うんでしょ? やったろうじゃないの。何が女神ルルクスよ、あんたは闇のマリアンヌちゃんで十分よ。こっちはね、色んなことを加味して必死に考えないようにしてたの。誤魔化してたのよ頑張って。それを何! 私の努力がめちゃくちゃじゃない! 好きだけど考えないようにしてたのに、私が本気になったらダメだって言い聞かせてたのに!)
「…………譲らないわよ」
「え?」
アリシアはフィンに歩み寄り、ぐっと胸元を掴み引き寄せ口付けを交わした。
「……事情はわかった。だけど、こっちは忖度してやんないから。愛に神も人もないってこと、教えてあげる」
「……アリシア、なんか闇マリ静かに怒ってるんだが……」
「そう。なんて言ってるの?」
「……『やはり焼き払うべきだった』って言ってる」
「じゃ、邪神……」
「すまん、ウチの闇のマリアンヌが……」
「……い、いいえ。たとえ相手が邪神であっても、私の愛は揺らがない。フィンくんの一番は私のものよ!」
──ゴガシャアッ!!!!
机が真っ二つに叩き割られた。
「え、ええ? それ本当に俺が言うのか? アリシアに嫌われたくないんだがああああっ!!?」
「フィンくん!? ちょ、ちょっとやりすぎよ! ナニしてるわけ!?」
「ぐっ、フッフッフ……! 『エスペランサの走狗が、調子に乗るな! ブチ犯すわよ!』」
「なんで!? え、女神様よね!?」
「『私が直接やるわけないでしょ!!』オオオッ!?」
「あ、ああ、ビックリした。そういう趣味かと……いえ、十分変な趣味ね……」
怒りの感情が膨れ上がるが、それ以上に興奮が塗り潰していく。
「…………ふぅ。このように、ところ構わず、いや、俺のトコロ構わず仕掛けてくるんでな。犯されているのは俺の方なんだが、変なことを言ってすまない」
「フィンくんがおかしいのは今更だし別にいいわよ」
「ムゥッ」
「……まあそれはそれとして、協力するのは別に問題ないとだけ答えておくわね。フィンくんの一番争いは別。こっちは覚悟決めたから。女神がなんぼのもんよ。こっちは妹の想い人に先に手ェ出してんの。怖いものなんてないのよ……!」
フィンから僅かな怒りと、それ以上に怯えのようなものが噴出する。
「……まあ、闇マリには俺の方からも言っておくから。アリシアもそんなに敵意とか向けないでくれるか? 仲良くしてほしいんだ」
(……どういう力関係なの? 邪神を普通に制御してるわよね……まあ、フィンくんだし……)
アリシアは頷いた。
「それはそれとして……アリシア、もしかしなくても俺のこと好きって言ってないか?」
「……い、言った。言ったわ、ええ」
「俺も好きだ。結婚しよう」
「…………そ、そのうち。そのうちね? ていうか、たとえ私達が相思相愛でもそんな簡単に終われないから。君の相手をするのに私一人とか、絶対無理だから」
同意の感情。
(あ、そこは一緒なのね……)
「それって……俺のエッチがうますぎるってことか?」
「いえ、フィンくんが性欲お化けで異常性癖で相手しきれないのと、放っておいたら戦争になりかねない女性から好意を向けられている所為ね」
「魂童貞が調子に乗ってしまい申し訳ありませんでした」
「た、魂童貞……?」
「ムッ。魂童貞を知らないか。魂童貞とは闇マリが俺を表した言葉で、肉体が解脱しても魂は囚われたままだと表現したかったそうだ」
「あ〜……中身を知ってる人が付けるなら間違いんじゃないかしら、ええ。ていうかフィンくん、ちょっと雰囲気違わない?」
「ああ、闇マリと話すのと似た感じで喋ってるからな」
「……ふーん。そうなの」
アリシアはほんの少し嬉しいなと思うのと同時に、自分の知らない一面を、いや、誰も知らない素の姿を見ている神に嫉妬した。