「うぅっ……お゛え゛え゛え゛え゛!!」
ビチャビチャッ!
水の跳ねる音。
鼻腔を埋め尽くすツンとしたニオイ。
すでに胃の中身は空っぽになって、吐き出されるのは液体だけになってる。それでもなお収まらない嘔吐に、体力も気力も削られていく。
「はぁっ、はっ、う゛っ……!!」
ボチャボチャッ!!
喉が熱い。
胃酸で焼け爛れたから。
でも、こんな程度じゃ収まらない。
だって、このくらいの痛み、フィンさんはずっと味わい続けてきたんだから。
「マリアンヌ……水を持ってきた。せめて口の中をゆすげ」
「あ、りがとう、ございます……」
カルラさんの持ってきた水で口の中をゆすぐと、ほんの少しだけ楽になる。
でも、それじゃダメだ。
私が楽になっていいわけがない。
フィンさんを苦しめて、フィンさんの苦痛を糧に戦っていた醜い私が、救われていいわけがない。
もっと苦しまないと。
もっと歪められないと。
もっと惨めにならないと。
もっともっと、不幸になって、理不尽な目に遭って、もっと痛みを感じて、もっと己を卑下して、フィンさんの苦痛に少しでも近付かないと……
だって私は、フィンさんを犠牲に、生き残って……
「う゛っっ……!!」
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
自分が、世界が、全てが醜い。
この身体にある力が気持ち悪い。
この肉体そのものが気持ち悪い。
聖女なんて呼ばれ方も気持ち悪い。
フィンさんを踏みにじって生き延びていた自分が気持ち悪い。
フィンさんの苦痛で敵を打ち倒していた自分が気持ち悪い。
フィンさんの犠牲を使ってフィンさんを助けていた自分が、一番気持ち悪い。
「──死ね、死ね、死ね、死ね……! 死んでしまえっ!!」
頭を便器に打ち付ける。
ガンガン頭に響く鈍痛。
皮膚が裂け、肉は打ち付けられ青くなり、血液が弾ける。
そうだ、これでいい。
この痛みこそが正しい。
私は救われるべきじゃない。
人として正しくあるべきじゃない。
もっと醜悪であるべきだ。
大切な人の苦痛を糧に生きている様な女なんて、死んだ方がいい。
「マリアンヌッ! 止さぬか!」
「っっ!! 放してっ!!」
「放さん! そなたが傷付いて誰が喜ぶのだ! フィンは喜ばんぞ!」
フィンさんがそんなことを望まないってわかってる。
だから私は傷付かなきゃいけない。
フィンさんは優しい人だから、私達に対して憎いだなんて思わないだろう。
自分が苦しんだ代償に仲間が助かるなら、なんて本気で思ってる。
だから私は苦しまなくちゃいけない。
カルラさんやアストレアさんと違って、私だけは許されちゃいけないんだから。
そうじゃなきゃ、これまでのフィンさんに何もしてあげられない。
私が苦しめばフィンさんの肩代わりが出来る。
私が苦しめばフィンさんの苦痛を少しでも和らげられる。
フィンさんの苦痛で成り上がった私が苦しまないと許されない。
ああ────気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!
私は、自分が気持ち悪くて仕方がない。
だから傷付かなきゃ。
ここで死ななきゃ。
死んで詫びないと。
「放してッ!! 放してよっ!!」
「くっ……許せッ!」
カルラさんが腕を首に回した。
締められる──そう思った時には既に息が出来なくなった。
「が、は……ッ」
まだ、まだ足りないのに。
こんなんじゃ、フィンさんへの懺悔には、とても足りないのに。
私、私はまだ、もっと、傷付かないと、もっと──…………
ゆるされちゃ……いけないから…………
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…………というわけで、マリアンヌは今、非常に冷静さを欠いている。暫くは誰かが共に居るべきだろうな」
カルラの報告に場の空気が沈み込む。
会議室に姿を見せているのは僅か数人。
アニカ、カルラ、アリシア、フィンの四人だけ。
「そうか……こっちも、アリアが泣きじゃくってダメだった。師匠は冷静そうに見えたが、かなり動揺してたからアリアを任せて休ませてる」
「アストレアも今はちょっと、ね。アリーシャに任せたわ」
「あー……こっちの手ェ貸そうか? ドレイクはフリーだし、おれも協力できることはやるからさ。なんつーか、その……あんたらも大変なんだな」
アニカは心底同情した。
初めはフィンが鬼畜竿役かと思い警戒していたが、蓋を開けてみれば仲間を救う代わりに女神に囚われ日々凌辱(笑)され苦痛を糧に力を供給している魔力タンク状態の不死者だった。
しかもその不死者というのもいやらしい。
神の力は巫女に選ばれたマリアンヌが扱えて、フィンは使えない。
フィンはただひたすらに盾として生きていくことだけを要求されており、フィン自身もまた、仲間を助けられるならとその扱いに納得している。
(いや、これさぁ……こんなん、普通は耐えれねーだろ)
周りからすれば、フィンと仲が良ければ良いほどダメージになる。
苦楽を共にし死線を走り抜ける冒険者パーティーは利己的で単なる友人付き合いのような軽いものではないのだ。幾度となく英雄的活躍を見せて来た【払暁】、聖女として讃えられる己の力が全て仲間の犠牲があってこそだったと知って正気でいられるとは思えなかった。
特に、マリアンヌはフィンに対して特別な感情を持っている。
傷付く姿を見たくないとすら思っているのだ。
それが、自分の力が大切な人が傷付き苦しんだからこそ使えるものだとわかってしまったら……
(自殺未遂くらいはしてもおかしくねーよ。むしろ、よく冷静でいられるなこの人)
アストレアとマリアンヌは正気を失い錯乱した中で、カルラだけは今もなお冷静さを保っている。
……いや、実際にはそうでもないかもしれない。
だが少なくとも取り乱したりすることなく周りのケアに意識を割ける程度には冷静だ。
(【紅蓮の剣聖】……【剣聖】自体は居たけどユニットとして使えなかったんだよなぁ。これまたDLC関係だったりするのかね?)
「……攻略は一度打ち止め。フィンくんの問題は根深いわ。とても数日でどうにか出来るようなものじゃない」
アリシアが続ける。
「少なくとも、皆が納得できないと再開は不可能ね。フィンくんにとってはもう切り離せないんだから受け入れるしかない。フィンくんが受け入れていても、周りが素直に受け入れられるかは別問題よ」
(これもなぁ……デビュラ、いくらなんでもイカれてるって。マジで。あんな風に首絞められたり、その、リョナゲーだしさ……もっと酷い目にも遭ってんだろ? それを仲間のためだからの一言で受け入れられるのは、もう……)
アニカから見て、フィン・デビュラは好感の持てる好青年だった。
仲間達がアッサリと仲良くなり竿役ではないかと警戒していたものの、当の本人がその警戒を正しいものだと理解した上に手を出す気はないと宣言し実際に関係を深めようとは全くしてこなかった。
ドレイクの勧誘にも乗らず傷つけないように断りを入れ、前世の己と比べてあまりの格の違いに愕然としたのは記憶に新しい。
そんな紳士的な好青年の内側に隠されていた、常軌を逸した真実。
(裏ボスが宿った上に日夜リョナられてます。苦痛が仲間に力を与えてます。本人はそれを受け入れ仲間の為ならと喜んで身を差し出します。盾役として身体を張ります。……男女逆だったらマジでやばかったな、これ……いや、でも待てよ? エルフって長命種だよな? 自分より圧倒的に幼い人間の男がそんな目に遭ってるって、相当効くんじゃ……)
「……マリアンヌちゃんは根気よく話していくしかない。フィンくんに任せてもいいかしら」
「俺で良いのか?」
「あなたじゃないとダメよ」
「……しかし、俺はアストレアとアリア、二人続けて説得に失敗している。また地雷を踏み抜いてしまうのでは……」
「えっ、今更……ん゛ん゛ッ! 大丈夫、マリアンヌちゃんは話したらわかってくれる。アリアだって理解はしていて、今は現実を受け入れる前に駄々こねてるだけだもの。アストレアは……カルラ、話を聞く覚悟はあるかしら」
「無論。我々に折れる暇はないのだろう?」
カルラは不敵に笑う。
「言っとくけど、ほんとにありえないくらいピンポイントであの子の精神壊されそうになってたからね。フィンくん、手加減して」
「む、むぅ……そう言っても、俺は単に思ったことをそのまま言っただけなのに……」
「そう……なのよねぇ……本当に……」
アリシアとしてもフィンを叱るようなことはしたくない。
確かにワードチョイスは最悪で口を開けば開く程仲間の精神を傷つけてしまうが、その原因はフィンではなく仲間達にある。
ヴァシリやアリアはともかく、アストレアやカルラの所業にはアリシアも『なにしてんの?』と思わず言ってしまった程度には罪がある。フィンはそれらの言葉を真摯に受け入れドマゾ精神が故に喜んでいるが、決して傷付いていない訳ではない。
傷付けば気持ち良くなるというだけで、傷付いていないわけではないのだ。
だからアリシアはフィンの方に立ちたいし全部あんたらの所為なんだけどと言いたいが、そんなことを言ってしまえば全てが崩壊するのが目に見えている。
それに、カルラは過去の行いについて謝罪を行っているし、フィンもそれを許している。
確かに過去にやらかしたのが今になって襲い掛かって来た。
だがそれは決して、手遅れでどうしようもない罪ではないとアリシアは思った。
「……しかし、マリアンヌが受け入れられるかどうか。あのままでは命を絶ちかねんぞ」
「そんなことはさせない。マリアンヌは俺が説得してみせる」
「そなたの事は信じているが……あれはもう、心が……」
「俺はマリアンヌと一緒に居たい。それじゃあ足りないか?」
「うおっ……お、漢だなぁ、デビュラ」
ハーレムパーティーを作れる男ってのはこういうことなのか?
アニカはそう思った。
「気持ちはわかるわ、フィンくん。でも……いえ、止しましょう。私はフィンくんを信じる。マリアンヌちゃんの心を取り戻せるのは、フィンくんだけなの」
「……そうだな。こればっかりは我々ではない。彼奴はそなたと特に懇意にしていた。だというのに、ここ一年は蚊帳の外になることが多かった。焦りもしたのだろう」
「……それはつまり、マリアンヌにも全てを打ち明けろと?」
「それだけは絶対にやめろ」
「わ、わかった」
アリシアの有無を言わさぬ命令にフィンは頷く。
「今のマリアンヌちゃんが諸々の事情を知ったら……冗談じゃなく、その場でショック死するわ」
「えぇ……そんなに?」
「そんなによ、アニカ」
(どんだけデビュラに全てを託してきたんだよ……。逆によくこいつはそれでしょげないよなぁ。幾ら美人に囲まれてても辛いだろ。マゾっ気あったりするのか? こんな身体がデカくて好青年で、マゾっ気……う、お、待て待て、おれ。失礼だろ。こんな紳士相手に……ッ!)
ゾクッとした心。
そして下腹部にほんの少し違和感を抱いたアニカは急いで思考を振り払う。
「ま、まあ、そこら辺の事情はわからねーしこっちは出来るだけのことをするからさ」
「すまぬな、迷惑をかける」
「あー、いいからいいから! こっちは物件融通してもらって老後の安泰すら勝ち取れそうなんだ。返し切れない恩の分ちょびっとだけ働くだけだって」
嘘偽りないアニカの言葉にアリシアも頬を緩めて頭を下げる。
フィンもまた頭を下げた。
「……悪いなアニカ。この埋め合わせは必ずする」
「お、おう。……これ、受けていい奴か?」
「受けてくれると、俺は嬉しいが……」
「……デビュラお前、そういうトコじゃね?」
「!?」
心外だと言わんばかりの表情で驚くフィンと、頷く二人。
鈍感ハーレム野郎であることと、闇の深すぎる好青年は両立するのだなとアニカは悟った。