ざぶん、と。気が付けばそこは、海の中。あぁ、またか。もがいてももがいても、重い水がまとわりついては、全く浮き上がれない。息もできない。苦しい、苦しい……でも、どうすればいい?
もがいて、もがいて。自分の口から吐き出される泡がのぼっていく。次第に、体に力が入らなくなる。明るいはずの水面が、どんどん遠くなっていく。暗闇に引き込まれて、閉じ込められていく、ような。薄れ、あいまいな感覚の中、ふと、目の前に泡を纏った誰かが来た。
青い髪と、派手なメッシュと、鍛え上げられた体。太い腕が、こっちに手を伸ばしていて。
……誰だっけ。
「…い。おい、起きろよ。トモ」。聞き覚えのある声が、ゆっさゆっさと肩を揺さぶる。ふと、今までの水の中が嘘であったかのように体が自由に動くようになって、もがく腕が勢いのままべしッと声の主を叩けば、「お寝坊…ガァッ!」と。……しまった。またやってしまった。
「…ごめん」。かすれた声で何とか目を開けてみる。ベッドの横を見てみれば、明るいオレンジ色に、鮮やかな赤色メッシュを入れたオールバックの男が、友人が、額を抑えてうめいていた。…本気で痛そうだ。「お前ッ、寝相がわりぃんだよ!」。「だから、ごめんって……アニマ」。
この男は、文巻 アニマ(ふまき アニマ)と云う。朋克が所属するバンド、『グロウル・スピリッツ』を立ち上げた張本人にして、なぜかボーカルではなくベースをやりたいと言い張った。しかも未経験。幸いにもメンバーは集まったものの、結局誰もボーカルをやらないとかいう、今日日見たことのないインストロックバンドが完成した。ほとんどが未経験であった彼らに、朋克が楽器の扱い方や楽譜の読み方を教えてかれこれ約8か月……まあ、それはいいとして。時計をちらりと見てみれば、午前7時の少し前。食堂がもうすぐ開く。冬休み中は時短営業だから、確かに起きなければまずい時間だった。
むくっと起きあがれば、入学してから少しずつ築き上げてきた自分の城が、いつもの変わらぬ様相のまま、そこにあった。勉強机に積みあがった教科書とノートと、未使用の鉛筆や画材。充電しっぱなしのタブレットに、ヘッドホンの繋がれたキーボード。あとは、少しばかり工作するためのツールを詰め込んだ箱と、駆け出しの電子工学の本。好きなことをやり続けた結果、やるべきことをやっていない部屋の片隅。ベッドの枕元には、昨日買ったばかりのカードの束がいくつか置かれていた。
「……そうか、今日」。ふと、朋克はカードの束を手に取って、いくつか眺めながら呟いた。これはまだ、デッキじゃあない。「そうだぜ、今日中に粗方でもデッキ作っておかねぇと、もう日がないんだぜ?」とアニマ。「カドショ行く予定だろ? サネとトバルは先に飯食ってるってさ。お前のデッキ用の汎用カード探しとくって」。
汎用、って。なんだろう。多分、なんにでも使うんだろうけど。……まあ、そこはまた聞けばいいか。クローゼットに押し込んでいた黒いシャツにジャケットを重ね、髪を梳かして結んで固めて、ついでに軽くメイクをして。昨日のパックから飛び出してきた、【P.U.N.K.】と書かれたそれなりの数のカードと、アニマに『これは絶対に入れておけ』と言われた《緊急テレポート》なるカードと……あとは、いいか。選んだものだけ、授業のために配布されたデッキケースに入れて、腰のベルトに差し込んで、ロックをかけた。
時計は、7時20分を指している。「お待たせ」。共用スペースの椅子でグダグダと待っていたアニマに声を掛ければ、人好きのする笑顔でニカッと笑った。