【帝国】歴四八六年八月下旬~九月中旬 帝国辺境 インスブルク要塞
インスブルク要塞は【帝国】首都オーディンのあるヴァルハラ星系と、【帝国】及び同盟の妥協の産物であるフェザーン自治領を結ぶ航路の中間地点から二千光年ほど「下側」へ向けて航路を取り、その領土的外縁に到達した地点にあるオラテア星系にあった。星系の第五惑星パラウはそれなりにすぐれた可住惑星だが、主要航路から外れるどころではない辺境であるという地勢的条件から、人口十万人程度を数えるにすぎなかった。それもかつてこの地域を探索した人々が宇宙船を故障させ、仕方なく生活していたところを【帝国】から再発見されてようやく【帝国】領土となったというていたらくであり、ありていに言って注目されるべき何物ももたない場所だった。周辺には海賊も多い。ことに三月のある事件以降、増加傾向である。
肝心要の「要塞」も実態はお寒い限りだ。パラウの衛星軌道にひとつの小惑星を移設し、内部をくり抜くと同時に外部へも巨大な構築物を構成、それらは将来的に統合され一個艦隊を養うに足る工廠、造船所、ドック等の機能を果たす予定だ。しかし、現在稼働しているのは全体の三割程度にすぎない。その脆弱な構造物を守る防御は、少数の浮遊砲台に一個の正規艦隊(定数割れ)のみ。全体的に余裕がなく、要塞要員はともかく泊地とする艦の乗組員はパラウにわざわざ降りないとまともな休息ができない(需要を見込んでフェザーン商人などはやってきはじめた)。一応、年内五割、来年には八割以上の稼働、防御システムや居住空間の随時強化を目標として、工事は急ピッチで進められている。
「卿はさすがだな。出撃するたびに必ず成果を上げて帰ってくる」
要塞に帰投したラインハルトは艦隊を係留させると、要塞司令部に出頭した。司令部に入ってきたラインハルトへ、要塞司令官ヘルムート・レンネンカンプ少将がそう言ってねぎらった。
「蛮族どもは叛徒よりも狡猾だ、正々堂々と戦わぬ。実戦なら負けぬ。そう言い訳しながら失敗を糊塗しようとする者共が多い中、卿はすべての出撃で十分な成果を上げている」
「恐縮です」
ラインハルトはおとなしく頭を下げた。レンネンカンプはラインハルトがイゼルローン要塞に配属されていた時期の上官で、その視点が古典的軍人のそれであることを除けば公正で有能な軍人だった。ラインハルトの背後に皇帝の影を見ることも、そのかわり門閥貴族のやっかみを聞き入れることもなかった彼は、ラインハルトにとってありがたい上司であった。ここでは上司と部下ではないが、宿屋の主と長期宿泊者ぐらいの関係ではある。
「三回の出撃で叩き潰した海賊が十二、除けた蛮族が三。そして【蛮地】、いや、ローエングラム伯爵領への安定した航路を見出している。ここまでやってくれたものはそういない。今後の考課次第ではあるが、昇進には十分な功績だろう」
「ありがとうございます」
「次の出撃は十日後だな。それまで卿の艦隊はしっかり整備させてもらう」
レンネンカンプは鷹揚に笑うと、ラインハルトに退出を指示した。
司令部を出たラインハルトは、外で待機していたキルヒアイスに笑いかけた。
「基地司令は、これまでの出撃による成果、昇進に見合うと判断してくれたらしい」
「おめでとうございます」
「だからといって、次の出撃で手を抜くなどと言うことはないぞ。出来ればもう一本ぐらい、蛮族どもの故地へ向かう航路を見つけたいものだ」
係留されているシャトルに向かって歩きながらラインハルトは言った。そんな彼にキルヒアイスは微笑みながら言った。
「楽しそうですね、ラインハルト様」
「そう見えるか?」
「ええ、イゼルローンやオーディンにいる時より、ずっと」
「そうか」
そう答えるとラインハルトは考え込むようにした後
「ああ、実際に楽しいのだろうな、おれは」
と言った。
「もしイゼルローン方面で叛徒どもと戦っていたのであれば、一万隻を率いることになっても別に楽しくはなかっただろうな。すべてがイゼルローンに収束するあそこで叛徒どもと遊んでいるぐらいなら、ここで少将をやってもいいと思える」
ラインハルトは冗談めかして言った。キルヒアイスは困ったような笑みを浮かべた。少将をやってもいい、というのは本心ではないが、ここで何かを成していいならそうしたい、というのは本音だと知っているからだ。彼ら二人には果たさなければならない神聖な制約と、そのために昇らねばならない階梯がまだまだあるから、少将などで止まってはいられない。それはそれとして、【帝国】辺境であろうと、自分の能力以外に掣肘されることがない仕事を続けられるのならばそれはそれで幸運なのだろう。ラインハルトの言葉には、そういった複雑な表裏があった。
ですが、気付いていますか、ラインハルト様。キルヒアイスは思う。
あなたの翼は、宮廷でも回廊でもない、辺境と言う名の星の海で、ゆうゆうと羽ばたいているのですよ。それは、すべての人が気付き始めているのです。
インスブルクを長辺の中間に置いた、長辺三千光年、短辺二千光年の宙域は、現在、二つの帝国がお互いに領有権を主張しあっている(『帝国』は厳密には人類の共有財産、公宙であるという主張をしている)。そのため、お互いにその長方形の中へ小艦隊を送り出し、相手が既成事実的に領土化することを妨害しあっている。戦端は開かれていない。これは、かつての自由惑星同盟との遭遇時とは比べ物にならないほど国力が均衡(下手をすれば優越)していると推測された『帝国』へ、同盟と同じ対応(即日開戦)をすることに少なくとも【帝国】軍上層部が危機感を抱いていたからだ。無論、ダゴン会戦の結末が彼らの脳裏に浮かばなかったはずもない。まずは調査が必要とされた。
「ゲーム」はその過程で生じたちょっとしたイベントだった。お互いに星系内の調査を行っていたが、当然、遭遇した相手はそれを妨害しつづける。お互いに戦闘を仕掛けることは厳に禁じられているから、追っ払う術もない。いい加減それに飽き飽きしたとある指揮官が、相手に星系内のチキン・レースを提案した。実効支配はともかく、負けたほうは調査の邪魔をしない。そんな単純なルールだった。どちらの陣営の誰がそれを提案したかは定かではないし、永遠に明らかになることはないだろう。ともあれ、それはあっという間に辺境にいる両陣営に広まった。当然上層部はそんなことは知らないとしている。しかし、実際に宙域を奔走する指揮官たちがそれを行うことは黙認している。
ついでに『帝国』軍が存在する、ということについても【帝国】法上での建てつけはある。彼らは「ローエングラム伯の私兵」ということになっているのだ。最も、そんな法的な建てつけなど誰もが視野にすら入れておらず(何しろローエングラム伯が信じていない)、『帝国』軍は蛮族と呼ばれている。
要塞に帰投した数日後、パラウに設置されたささやかな士官用酒場の一角で、ラインハルトは旧知の人物と出会っていた。
「ご健勝でなによりですな、ミューゼル准将」
「こちらこそ、元気そうでなによりだ、ワーレン大佐」
アウグスト・ザムエル・ワーレン大佐は、かつてラインハルトの部下だったことがある。巡航艦<ヘーシュリッヒ・エンチェン>による同盟領単騎潜入作戦時、ラインハルトは中佐で艦長、ワーレンは少佐で副長だった。その任務時にある秘密を抱えることになり、しばらく別れたままだった。だが情勢とやらの変化が、有能なワーレンをいずこかで遊ばせておくわけに行かず、この辺境で思わぬ再会をすることとなったのだ。
「しかし、蛮族どもは日毎に狡猾さを増している、ですか。なるほど、うなずけるところでありますな」
ワーレンは、ラインハルトの言葉に大きく首肯した。
「実際、ここで行われている「ゲーム」で、我が方はあまり芳しい成果を聞きませんな。もし実戦であれば手玉に取られかねない、そういう危ういところがあります。無論、閣下が遭遇されたような、ゲームだからこそ、の機動を使ってくる輩もおるのですが。しかし、それも兵法の邪道を好む、というよりは基礎を十分に習得したものが状況に応じた作戦を取っていると感じるものであります」
「同感だ。少なくとも、連中の練度は低いどころではない。油断ならぬ敵手だ」
周囲に人がいなかったので(いたら騒ぎ出す輩が出ただろう)、ラインハルトは素直に現行の敵手たる蛮族の練度を褒めた。実際、三度、相手を除けた(つまり「ゲーム」に勝利した)いずれも、艦隊の発揮できる能力ぎりぎりを行使した。実戦であれば、ただ殴られてくれる木偶になってくれるとは思えない。そう思っていた。
そして、そういった話をできる人間が今目の前にいることに感謝した。残念ながら【帝国】で、このような率直な話ができる相手は極めて少ない。
その率直な話ができる人間が、何か考え込むような表情をしたことにキルヒアイスは気が付いた。
「何か、気がかりなことがおありですか、ワーレン大佐」
「うむ、薄気味悪い出来事があったのだ、キルヒアイス大尉」
そう言ってワーレンはぽつぽつと話し始めた。
「いや、これは七月の初め、小官が出撃していた時のことなのですが、とある星系で蛮族どもと出くわしましてな。半日ほど並行しましたが、蛮族どもはすでに目的を終えていたのか、我々から離れていきました。引き下がるのも妙だと思ったのですが、どういうわけか補給物資のコンテナを放ってきたのです」
そこでワーレンはブランデーをひと口飲んで、迷いのある表情になった。
「無論、罠ではないかと思ったのですが、とはいえ戦端が開かれたわけでなし。いきなり爆発するわけでもなかろうと思い、それを回収しました。分析にかけても爆発物はなく、単に補給物資を回収しきれなかったのかと一旦結論づけたのです。それで、コンテナを開けて調べると、【誕生日おめでとう! 贈り物をあなたに!】というメッセージカードと共に、大量の酒が入っておったのです。
実際、小官の誕生日はその日だったのです」
「それは……確かに薄気味悪いな」
「でありましょう。まさかとは思いますが、あの得体の知れぬ連中ならあるいは、この辺境地におるもののすべてを、既に調べつくしているのではないかと。小官はその出撃中、その考えに取りつかれてしまっておったのです」
ワーレンはやや深刻そうな表情で言った。確かに、敵に情報を知られているということは恐ろしいことの前兆であろう。こちらから敵の顔(情報)が見えないとあればなおさらだ。
しかし、ラインハルトとワーレンの深刻さをよそに、キルヒアイスは穏やかな笑顔で言った。
「大佐ほどの方でも、引っかけられることがあるのですね」
「む、どういうことだ、大尉」
「これは確率の問題なのですが、同じ誕生日の人間がいる確率が五十パーセントを超える人数は、どの程度だと思いますか」
「……ああ!」
「む? ああ、まさか、そういうことか」
ラインハルトとワーレンが納得した表情になったところで、キルヒアイスは家庭教師のような調子で続けた。
「そうです。せめて百人以上必要に感じるかもしれませんが、実際には三十人ほども人がいれば、その確率は五十パーセントを越えてしまうのです。大佐が率いられていた艦は六十から百隻ほどでしょうから、そのうちの艦長一人にでも誕生日に当たる確率は十分すぎるほどあるのです。要員を拡大してしまえば、確率は更に上がります」
「成程。そして、三六五分の一を俺がたまたま引いてしまったから」
「はい、それで思考が捕らえられてしまったのです。単純な確率問題のはずが、自分を狙い撃ちにされてしまったものと誤解されてしまったのです」
キルヒアイスの説明にワーレンは両腕を組んで唸った。
「理屈はわかったが……それで蛮族どもは何がしたかったのだ?」
「離脱したのは、単に面倒を避けただけではないかと思います。大佐の推測通り、やるべきことをやったので離脱したのでしょう。置き土産は、そうですね、嫌がらせのようなものかと」
「嫌がらせとな」
「出撃中、そのことを気にかけていらっしゃったと申されていましたね。それで十分なのです。思考の端にでも疑念が根を下ろせば、多少でも判断が鈍くなります」
「なるほど、たしかに十分だな。戦場で判断が鈍るとは最悪だ。それを一枚の手紙とウイスキーで成そうとしたわけか。効率がいいな」
引っかけられかけたということを明確に認識したワーレンは、苦笑いしながら手元のブランデーをあおった。
「いや、話してしまってよかったですな。実は明後日が再出撃だったのですが、これで少しはすっきりと行けそうです」
「それはよかった」
「名教師キルヒアイス大尉に感謝だな。そうだ、そのウイスキー、薄気味悪くてそのままにしておったのだが、一本大尉に差し上げよう。理屈がわかった今となっては、勝利の美酒となるな」
ワーレンはそう言って笑った。三人はそのまま談笑を続けた。ラインハルトとキルヒアイス、そしてワーレン。三人が同じレベルで話の出来る士官は【帝国】でも少なく、その意見を交わしあえる幸運を三人がそれぞれ感じていた。
ワーレンの出撃を見送り、休養、整備、検査を終え、赴任してから四回目の出撃を間近に控えた九月中旬、ラインハルトを訪れるものがあった。帝都オーディンから訪れた憲兵大佐はラインハルトもよく知る人物だった。
「お久しぶりです、閣下」
「ケスラー大佐、どうしてここに?」
「准将閣下にお伝えすべきことがありますので参りました」
ケスラー大佐はかしこまって言った。
一昨年、ラインハルトは憲兵隊に出向していた。その時に、とある不敬事件の処理を行ったのがケスラーだった。その処理がラインハルトの思考原理に合致していたので、彼のことをよく記憶していた。実際に知己を得たのは去年だった。
「グリンメルスハウゼン中将を覚えておいでですか」
「もちろん覚えている。中将閣下のおかげで卿の知己を得ることができたのだから」
ラインハルトの言葉にはいささか皮肉な響きがあった。正直なところ、グリンメルスハウゼン中将という単語にあまりいい印象がなかったからだ。
去年、憲兵隊から帰ってきたラインハルトは「参謀教育を兼ねる」として十八ある正規艦隊のひとつ、その司令部に配属された。その艦隊の司令官がグリンメルスハウゼン中将だった。今年の初めにインスブルクへ配属されるまで、ほぼ一年を司令部勤務で過ごしている。
ラインハルトはその時のことを正直あまり思い出したくなかった。艦隊司令官グリンメルスハウゼン中将は子爵の位を持つ貴族で、皇帝フリードリヒⅣ世の侍従武官を務めたこともある。が、その実態は、艦橋の司令官席より病院の日向の席か、車椅子がお似合いな七六歳の老人。彼を補佐すべき参謀長プフェンダー少将は役職が偉くて階級が高いだけの、なんの役にも立たない無能。上がこれなら下も推して知るべし。ラインハルトは艦隊全体の能力を少しでもマシにするため、艦隊司令部、各分艦隊、小艦隊、戦隊レベルまでの広範囲を駆けずり回る羽目に陥った。そのおかげで艦隊司令官、あるいは参謀長の仕事を問題なくこなせるような技能は身につけたが、それは過労と心労で倒れそうになることと引き換えだった(キルヒアイスがいなければ恐らく折れてただろうなとラインハルトは思っている)。おまけに艦隊陸戦指揮官リューネブルク准将とはひたすら折り合いが悪く、無意味な衝突を繰り返したし、たまにオーディンで休暇を取った時には「金髪の孺子が司令官と参謀長を担いで好き勝手やっている」という噂まで流されている始末。ラインハルトは、好き勝手やりたいなら代わってやるぞ、と噂の出元に怒鳴り込みたい気分だった。
唯一いいことがあったとすれば、今目の前にいるケスラー大佐と知己を得れたことだったろう。
「実は、グリンメルスハウゼン中将から閣下にお頼みしたいことがあると承っておりまして」
「中将閣下から?」
そこで一つの可能性に思い至ったラインハルトは絶望的な表情になった。
「まさか中将閣下が前線復帰を」
配下につけてまた仕事をやらせるつもりだろうかと思い、食い入るように聞き返したラインハルトをなだめるようにケスラーは言った。
「いえ、グリンメルスハウゼン中将は小官がオーディンを出立する直前に夏風邪から肺炎を併発されまして、病の床に臥せっておられます。正直、長くはもたないであろうとのことです」
「それは……残念なことであるな」
多少の後ろめたさを感じながらラインハルトは答えた。老人が前線に出なくなることになる安堵があったことは疑いない(そのほうが軍にとってもいい)が、それはそれとして老人の病衰に安堵してしまったのではないかという気持ちがあった。
「ですが体調を崩される前に、中将はある一つの出来事に関わっておられました。それが、閣下へのお願いごとになります。少し長くなりますが、よろしいですか?」
「ああ」
「では、お話させていただきます。まず、クロプシュトック事件をご存じでしょうか?」
ラインハルトが、自分の翼で飛び上がるべき時であることを自覚したのは、この話を聞いた時だった。