――ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』
01 まだマシな接触(ベター・コンタクト)
宇宙歴七九二年 五月 惑星ハイネセン
第五次イゼルローン要塞攻略戦が『失敗』に終わり、遠征軍が首都ハイネセンに帰還した。ヤンは事務処理のため、後方勤務本部のアレックス・キャゼルヌ大佐と会っていた。とはいっても書類を渡すだけだったが。
「大変だったな」
「ええ、大変でしたよ。特にシトレ長官は、無念だ、と何度も言っていました」
「とっておきの作戦だったからな。それでも将兵六百万、艦艇五万一千、息災で帰ってきたのは何よりだ」
「各艦ではいろいろと騒ぎもあったみたいですがね」
第五次イゼルローン攻略作戦は、動員された将兵六百万人、艦艇五万一千隻を失うことなく『失敗』した。帝国軍の増援が来る前にイゼルローン回廊入口を抑え、これから要塞そのものの攻略、回廊内の戦いに入ろうと言う段階で、政府より『緊急に帰投せよ』との命令が届いたからだった。しかもその理由は一切示されておらず、シトレ宇宙艦隊司令長官は激怒しながら抗弁した。が、選挙の為に出兵しているとまで言われている政府が『作戦中止は国家の存亡に関わる事態ゆえである』とほとんど普段と真逆のことまで言って頑なに帰投命令を取り消さなかったことで、シトレ司令長官も憤懣やるかたない思いを抱えつつ、帰投することになったのだった。
この『作戦失敗』によって帝国軍に撃沈された艦艇はなかった。いくらか不調の艦が出た以外には損害らしい損害はなく、その不調もじきに修理されるとあっては、第五次イゼルローン攻略作戦で損失した艦は『零』ということになるだろう。長きに渡る帝国と同盟の戦争において、およそ初の珍事である。
「さて、遠征軍には届いていなかっただろうが、実は少し前から
「なんです?」
「我々は『銀河帝国』と接触した」
「帝国内にも和平派がいて、それが接触してきたということでしょうか?」
ヤンの質問に、キャゼルヌはからかうような口調で言った。
「いや、我々は初遭遇したんだよ、『
「はあ」
ヤンは気の抜けた返事をした。
「ことの次第はこうだ。フェザーン航路側、辺境と言っていい場所で、ニ十隻程度の船団が漂っているのを巡察隊が発見した。船籍照合をしたが同盟、フェザーンともに船籍、航行計画なし。従って巡察隊は臨検を始めようとしたんだが」
「撃たれたんですか?」
「ある意味な。ある程度まで巡察隊が接近した時、突然その船団から、滅茶苦茶な広域帯で様々な通信波が発せられた。銀河連邦語に近いものや古帝国語に近い言語、果ては歴史上にしか存在しないと思われた言語でまで通信を送ってきやがったのさ。まあ、その通信の洪水を食らって巡察隊はどうしたものかと思案した。迷った末に、通信を一つ送ることにした。連邦語、というよりは中世英語だな。それで一言語りかけた『
「旗の意味が変わっていなくて何よりですね」
「更地にしてやる、とかいう古典SFの話か? ともあれ、巡察隊は『帝国』と名乗るよくわからん連中と通信を送ることになったわけだ。それが、イゼルローン攻略艦隊の訓練中。その後、その連中を歓待(実質的には拘束だな)しつつ、あれこれと情報を回収していたんだ。攻略艦隊が回廊の入口に達したあたりで、『帝国』の規模と国力がある程度推測された。そこで政府は、イゼルローン回廊の舗装に人命を蕩尽している場合ではないと急に気が付いたのさ」
「それならそうと素直に言ってくれればよかったのに」
ヤンはあきれたように言った。
「手元に実働戦力が殆どない状態で、
「では今頃、シトレ長官は本部長に連れられて」
「ああ、本部長直々に話をされているだろうよ。まあ怒髪天を突く状態はそうそう変わるまいが」
「でしょうねえ」
無論、軍事というものが政治に従属するのは当然ではある。だがそれも政府と軍の間にひびを入れるようではいけない。今回の戦い、シトレ大将は万難を排し、更に秘策まで立てて臨んだ戦いであった。それをこうも容易く撤回されるようでは、お互いの信頼に関わってくる。
「で、結局、その『帝国』はどのような存在だったんですか」
「所詮は向こうの調査船団という小さな単位から聞いた話に過ぎないから、完全なことはわからない。ただ、皇帝がいて貴族がいて臣民がいる。それは間違いがない。だが、政治体制を聞くと驚きだ。どうにも選挙で皇帝を選んで(選帝侯が、じゃなくて臣民が、だとよ)、納税額が多かったり社会貢献を果たした人間が貴族で、臣民が直接法律、というか憲法的なものを決めている。そう言っているらしい」
「……なんですそれ?」
『帝国』という単語から想定される政治体制とあまりにもかけ離れた実態を聞かされ、ヤンは目が点になった。
「何を言っているかわからんだろうが、彼らはずっとそう言っている。にわかには信じられない話だが。いや、そんなことが可能なのか? 地球時代の古代都市でもあるまいし」
「普通に考えれば、無理、ですよね。形を変えた直接民主制、と言えなくもないですが、まさかそんなものがあるとは思えません。そんなこと、銀河連邦でさえ成しえなかった」
ヤンにとっても、それはあまりにバカバカしい世界の話に聞こえる。
「ちなみに、連中が『銀河帝国』を建国したのは
キャゼルヌは苦笑いしながら言い捨てた。ヤンも愛想笑いを浮かべることしかできない。まるで何処かの誰かが自分の都合がいいように書き連ねているような話だった。
「で、特使がこちらにやってきているらしい。宣戦布告の宣言書と攻撃艦隊を合わせて持って来るんじゃないかということを、政府も作戦本部も恐れてる」
「だからイゼルローン攻略軍を差し戻したわけですか」
「そうすればそれはまるごと予備軍になるからな。【帝国】と『帝国』、どちらに対しても抗することができる。両方から攻められたらどうするんだというのはまた別の問題だが、まあその時は同盟軍の全力を尽くすしかあるまいよ。そのために緊急防衛予算案と予備動員令の計画も立てられている、らしい」
「おおわらわですね」
「全くだな。何度目かわからない自由惑星同盟最大の危機だ」
キャゼルヌはそこまで言って肩をすくめた。表情に疲れがある。ひょっとすると、その計画には先輩も関わっているのだろう。ヤンはそう思った。
結果から言うと、『銀河帝国』の特使は特使でしかなかった。だから同盟の立てた計画はすべておじゃんとなった。『帝国』は自分たちが地球人類の末裔の一枝であること、自分たちの世界の歴史、自分たちの制作物などの情報を同盟にもたらした。こうして同盟は、銀河の彼方にあるたわけた国々のことを知った。
それはチェスボードに将棋盤が無理やり継ぎ足されたような、あまりにも暴力的な変化だった。