宇宙歴七九五年 八月 惑星サクセサー
チョーサー・アイランドは帝星サクセサーの伝統的な大使館専用地域だ。エナミ海に囲われたこの島には同盟の他、十五の星間国家が大使館を置いており、同時に彼らの生活を支えるあらゆるものを手配する人々が職場としている。この島から帝宮のある島までは公用車が乗り付けられる橋が直通しており、同時に超速鉄道が宮内省の職員を運ぶために通されている。逆方面に向かえば惑星随一の、したがってかつて銀河の果てに吹き飛ばされた人々が作り上げた『人類圏』における最大の都市ワンジクまで一時間かからない。自由惑星同盟大使館はその中ではひなびた場所に存在していた。これは別に同盟を軽視しているというわけではなく、すでに十五の大使館を置いている関係上、ちょうどいい場所は見つけ難いということにすぎない。その分、『帝国』は同盟に対し、それなりに大きな土地を供与している。それに、ひなびた場所にあることは一ついいことがある。多分に常識的なところのある同盟人が、奇抜な大使館の群れに目を奪われなくて済むことだ。
駐在武官であるヤンは、当然大使館内の官舎に個室を与えられている。しかも他に四人いる武官の個室より部屋が一個多い。特別扱いではあるが、これは武官長パエッタ少将でも納得せざるを得ない理由がある。
「おはようございます、ヤン中佐」
『理由』がヤンを起こしに来ていた。
「すまない、昨日は沢山仕事をしたからまだ寝ていていい日なんだ」
布団を巻き込むようにして起床に抵抗するヤンに対して、亜麻色の髪を持った少年は困った表情を見せた。
「昨日は休暇日でしたよね。ワンジク市のほうへ行っていましたが」
「ああ、それは本当に重大な任務なんだ、この国の市勢をよく知るという重要なことなんでね」
「それならそれでいいですけど、朝食は下げられてしまいますよ? 今日は僕の休暇日だ、と言って朝食を食堂に頼んだのは中佐ですよ?」
あ、と小さくつぶやいたヤンはのっそりと布団から起き上がった。
「すまない、ユリアン。すぐに着替える」
それを聞いて、ユリアン・ミンツ少年はヤンの部屋から出て行った。
ユリアン・ミンツは「トラバース法」によってヤンに養子として引き取られた少年だった。彼の存在によって、ヤンの家(軍の官舎)の生活環境は格段の改善を見た。それはこの大使館官舎でも変わることはなく、ともすれば混沌に陥ろうとするヤンの個室を、物は多いが最低限片付いている、程度に押しとどめている。一年半ぐらい前、ヤンが大使館に派遣されることが決定したとき、ヤンは「ユリアンの見識を高めるため」と言って、多少の無理をして少年を同行させたのだった。だから他の武官と比べて、多少広い個室が割り当てられたのだった。
慌てて着替えたためにあちこちによれが目立つ軍服姿で、私服だがよほどぴしりとしたユリアンを引き連れながらヤンは食堂に現れた。給仕服の女性は笑顔で彼らを出迎えた。
「ヤン様、ユリアン様、朝食のご準備は出来ております」
「ああ、はい」
生返事をしながらヤンは彼女の案内する席に着いた。そこにはイングリッシュ・ブレックファストというには葉の物、根の物が多い朝食が並んでいた。
それではどうぞ、と彼女は言い、そして食堂の入り口に戻っていった。その様をヤンとユリアンはじっと見ていた。悪いと思っていても、彼女にはつい注意を向けてしまう。なぜなら現地採用の食堂職員である彼女の薄青紫色の髪の上には、猫科動物の耳が張り付いていたからだ。
基本的に宇宙育ちで、人種について偏見を持つことが少ないヤンでも、こればかりはまだ慣れることが出来ていなかった。しかも、彼女が特別特異なわけではなく、『帝国』にはそのような、奇異な外観を持つ『人間』が沢山いる。何故そうなのかは五百年前ほど前まであった国がラディカルな生態改造をやらかして、その国が滅んだ時に『人類圏』にバラまかれたから、だそうだ。その国家のあまりのやらかしから、共同条約として、1G法という極端な人体改造を禁止する法律が全国家で採択されるに至っている。とはいえ、そのような改造された人々を、彼らは渋々とは思うが受け入れてはいるのだから、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが見たら何を思うだろうか、常々そう思わざるを得ない姿だった。だがそれは彼女の人生においては何の関係もない話ではある。彼女が大使館の食堂職員として採用されて一年。彼女はこの職務を完璧にこなし続けている。
そんな彼女に案内される士官がまた一人来た。軍服を完璧に着こなした姿はヤンより数段軍人らしい佇まいをしている。だがその服の上に乗っている顔は色白で神経質さがにじみ出ている。彼が通るときにヤンは敬礼をした。彼も表情を変えることなく敬礼を返した。そしてヤンの一つ空けた席に座ると、黙々と朝食を取り始めた。アンドリュー・フォーク中佐だった。
フォーク中佐は大使館の駐在武官、つまりヤンの同僚である。年齢はヤンより若い。すなわち余程の俊英であるわけだ。実際、士官学校を首席で卒業している。ただ、その知性の行使において、あまりに一点に集中しすぎるきらいがあるとヤンは思っていた。そしてヤンとフォークの仲は悪い。フォークのほうがヤンを嫌っているのがあからさまだった。おかげでもう一人の同僚のコクラン中佐はヤンとフォークの間を取り持つ苦労をしてしまっている。
当初、ヤンはなんで彼に嫌われているのか皆目見当がつかなかったのだが、駐在武官副長マリネッティ大佐から、シトレ作戦本部長派とロボス宇宙艦隊司令長官派の争いでしょうと呆れたような声で言われた。更にマリネッティはヤンに言った。あんたは誰がどう見ても本部長派なんだからそれを自覚してもらわないと。ヤンは派閥についてそんなのに巻き込まれたくないのにと言ったが、マリネッティは派閥ってのは所属する意思とか関係なく張り付いてしまうもんだとヤンを諭した。げんなりする現実だが、それ以来、少なくとも自分がそう見られている、特に、この大使館では自分はシトレ本部長の利益代表者として見られているということにヤンは自覚的にはなっている。それが行動に結びついているかははなはだ疑問だが。
フォークは彼らを気にせず黙々と朝食を取っている。着任から一年半、二人の間には自然休戦状態の冷戦関係が出来ていた。なので、フォークがどう思っているかはわからないが、ヤンはそれを幸いとして自室と同じように、ユリアンと世間話をしながら朝食を摂っている。今日の話題はユリアンがワンジクよりも遠い街へ、同盟人の職員に連れられて行った時の話だった。
その時、食堂へ更に人々がやってきた。猫耳職員の案内を礼儀正しく断り、先頭を歩く人間を見て、ヤンは心中で呻いた。フォークは一瞬だけ鋭い目線を向け、すぐに自分の食事に向き直った。そんな二人の態度を気にするでもなく、彼はわざわざ食堂の入り口から一番遠い席へ向けて歩いてきた。当然二人のすぐそばを通った。
「やあ、ヤン君、フォーク君。おはよう。ユリアン君もおはよう。本日の朝食もうまそうだね」
舞台俳優のような容貌に心地よい笑顔を添え、三人に向けて挨拶したのは、自由惑星同盟特命全権大使、ヨブ・トリューニヒトだった。
彼は政府与党の重鎮と言えた。若くして国防委員会に所属し、圧倒的な速さで頭角を現した。二年前、駐『帝国』大使館が設立される運びとなったころには、軍政たる国防委員会のみならず軍令系統にまで影響力を伸ばし、実際彼を頼りとする軍人も多かった。そのような猟官運動にいい顔をする軍人など本来いるはずはないが、間の悪いことに当時、というより今もって軍内部には、シトレ本部長とロボス長官、二派の派閥争いがはびこっている。それをよく思っていなかった一部の軍人は、軍政面の人々に解決や後ろ盾を求めた(駐在武官長パエッタ少将はその過程で取り込まれてしまった筆頭だった)。そうした背景の元、トリューニヒトは第三勢力として軍全体に対しても影響力を及ぼすに至っているのだった。
このようなこともあり、次期国防委員長は確実。そう見られていた彼は、突如として駐『帝国』大使という役職へ手を挙げたのだった。誰もが驚いた。与党内の対立者だったジョアン・レベロ財務委員は皮肉交じりに彼へ、なんでまあ権力の強化につながるかわからんものに手を出す気になったな、これまでの軍への影響力を捨ててまで、と聞いた。トリューニヒトの回答はあまりに美麗だった。『敵』を知らねばどう戦えばいいかもわからないからね、ゴールデンバウム王朝がどのようなものか、我々は完璧に知っているが、『帝国』のことは我々はほとんど知らない。ならばそれを知ることは大事だろう。それで偽られて死んでも私は悔いることがないよ、私は愛国者だからね。堂々と言い放ったトリューニヒトに、レベロは二の句が継げなかったという。結局、
ヤンとフォークは深く礼をしてトリューニヒトに返事をした(敬礼ではない。軍人でないひとに軽々しく敬礼をするべきではないからだ)。正直なところ、二人ともトリューニヒトを嫌っていた。フォークはロボス派の一人として軍内に影響力を伸ばす政治家など嫌悪していた。ヤンのほうは派閥関係なく、個人的に彼が気に食わないというとてもひどい理由だった。
二人がそのような感情を抱いているということはトリューニヒトも知っているはずだが、それでも彼は声をかけてきた。それも、わざわざ遠くになるような場所に自分の食事を準備させて、だ。
「フォーク君、士官学校で上がった例の論文、昨日夜届いたようなのであとで印刷させて部屋に持っていかせるよ。それとも、取りに来るかね」
「ありがとうございます。部屋のポストに投函していただければ」
「わかった。届けさせるよ。査読結果を楽しみにしているよ。さてヤン君。何度目かのワンジク市だったようだけど、昨日はどのように過ごしたのかな」
「昨日は離宮周辺を回っておりました。特にあてはなく歩きまわったので足が痛いですね。ただ、珍しいことに私へ声をかけてきた人がおります。徴募官です」
「ふむ。君に声をかけるとはその徴募官はいい目をしているね。それで、どこでどのような話を?」
「いえ、武官であることを理由として断らせていただきました」
「ふむ、まあ仕方ないかな。面白いお話が聞けるかもしれないから、縁は切らさないようするといいね。ところで、ユリアン君は……」
友好的に話しかけてくるトリューニヒトに対してヤンとフォークは外面を崩さず対応した。傍目にはごく普通の会話に見えている。まるで仮面舞踏会だな、華があるのがヤツ一人なのが気に食わないが。ヤンはそう思った。嫌われていると知りつつも対話は絶やさず、友好に見えるようには務める。そう言うとヤツが立派に、自分たちが大人げないように思えるのがなんだかシャクでもある。
一度部屋に戻ったヤンは今度こそ制服をぴしりと合わせ、始業時刻には大使館武官控室にいた。
大使館には様々な仕事がある。『帝国』内にいる同盟人の保護を行う(今は冒険的な商人ぐらいしかいないが)。『帝国』のマスメディアやソーシャルメディアで同盟のことを発信し、友好的感情を広める。サクセサーにいる各国の大使と修好に努める(『帝国』以外の『人類圏』各国にも同盟特使は送られているが、予算の関係から活動は相手頼りなところがある。そのため、『帝国』首都でのこういった活動も重要と見なされている)。他には、かつてより大使館が担ってきたスパイまがいな情報収集も重要な仕事だ。そしてそういった諸々に必要な手続き。それらを運営する事務仕事。
武官の仕事は、大使とその部下へ向けて軍事的な知見をサポートすることだった。それに関して武官長パエッタ少将やフォーク中佐は有能だったし、ヤンはどうにか可な評価(的確ではあるが説明が直接的すぎる)である。
もっとも、現状は奇々怪々な諸国の、異習としか言えない話に圧倒されるばかりな時が多く、軍事的な知見のサポートというのも必要とされる時が少ない気がしている。
例えば、今日は午前中に『帝国』の二十歳ぐらいの青年に見えるとあるスポーツのスタープレイヤーと会談する予定がある。ただし、渡された資料では彼の年齢は五十六歳だ。ナノバイオボット療法という同盟では詐欺にしか使われなさそうな名前の治療法が一般化している『帝国』では、見た目だけで年齢を判別するのが難しい。確か現皇帝は五十年前に即位しているが、見た目は高めに見積もって三十五歳ぐらいだ。そしてスタープレイヤーも皇帝も、『帝国』ではまだまだ若いほうだと見られている。
午後にはバニラアイスだかチョコミントだか、なんだか甘ったるい名前をした女性大使と会談予定だ。彼女は原色の髪を持っていて、付き添いの人々は頭の上に耳や角を持つものが多い。
一昨日には虎の頭(のような、ではない。生物学的な虎の頭が人のそれに置換されるようにある)を持つE式命名基準の大男と修好を深め合った。
明日は地球基準でも中世期と言われる時代の鎧を正装としているような人々の国と『帝国』が球技(不思議なほどフライングボールに似ている。どうも人間は同じような環境だと似たものを生み出してしまうらしい)の親善試合を行うのでその貴賓に招かれている。
(これが地球から離れた人々の、そして我々が直面している現実)
ヤンはそれを思い、自然と皮肉な笑みを浮かべようとする顔を引き締めて控室で待機していた。午後の会談ではヤンが立ち会うことになっているのだ。