【Day 0: Hastinapra】
百人の息子が全員死んだ。
遠視で戦場の出来事を見守っていた聖仙ヴィヤーサがドゥリーヨダナの死を告げた途端、ガーンダーリーが白髪まじりの髪をかきむしって泣き出した。周りでパーンダヴァの勝利を願っていたクル族の長老たちが小声で喜びを分かち合っている。玉座の背もたれに倒れそうな体を預けたドリタラーシュトラは、良く聞こえる耳でそれら全てを聞いていた。
クルクシェートラにおける継承戦争はパーンダヴァの勝利に終わった。これからは前王パーンドゥの血の繋がらない息子たちがこの国を統治する。クル王国はクル族のものではなくなり、戦争で大きく数を減らした戦士階級は力を失っていくだろう。
どうしてこんなことになってしまったのか。
項垂れるドリタラーシュトラに血縁上の父であるヴィヤーサが何か言っている。聖仙の言葉に耳を傾けるべきであるのに、全てが遠く感じた。最後に戦場に向かう前に手を握ってくれた長男の温もりを思い出す。やんちゃがすぎた息子たちが王宮内を駆け回っていたのはもう随分前であるのに、彼らの声が今も聞こえるようだった。
「旦那様、パーンダヴァがやってきます。うう、ウッ、私、きっと耐えられません。私たちの子を殺した者たちを、この王宮に迎えるなんて、どうして耐えられましょう……」
ガーンダーリーの細い指が肘掛けを握りしめている夫の手に触れる。息子たちが死に絶え、彼女は深い嘆きと憎しみに喘いでいる。碌でもない男に嫁がせてしまった末の娘も、じきに未亡人になったことと兄達が戦死したことを知るだろう。本当に、どうしてこんなことになってしまったのか。
アシュヴァッターマンらによる夜襲でパーンダヴァについていた者もほぼいなくなったという。残ったのは半神の五兄弟ほか数名とはいえ、ドリタラーシュトラにはどうすることもできない。生まれ持った腕力は盲者には無用の長物だ。盲目王と蔑まれる彼は戦場に立ったことはおろか、対人の鍛錬さえしたことがなかった。今回の戦争もドゥリーヨダナが起こしたものだ。ドリタラーシュトラは挙兵の許可を求められて応じただけであった。
「……しばし一人になりたい。すまぬ、ガーンダーリー」
ふらりと玉座から立ち上がって歩き出した老王。彼は啜り泣く妻を置き去りに、誰にも伴われず私室へと戻った。宰相ヴィドゥラをはじめ周りがパーンダヴァを歓迎する段取りを話し合うのを聞いていられなかったのだ。
敗北の報せがすでに王宮中に広まっているらしく、王の私室を守る衛兵も中に控える侍女も落ち着かない様子だ。ドリタラーシュトラは彼らを無視して窓際の椅子に腰を下ろした。
「私にもっと力があれば……」
弟パーンドゥではなくドリタラーシュトラが最初から王位についていたなら。甥達が王位継承の上位者でなければ。ドゥリーヨダナを王太子に指名することができていたなら。周辺国をより強く支配していれば。クル王家が一枚岩であったなら。もしも、もしもと胸の内を泣き言が満たし、盲いた目の眦から溢れて落ちていく。
ユディシュティラ率いるパーンダヴァがハスティナープラ王宮に入るまであと三日。クルクシェートラの残火が怨讐の炎となって燃え盛ることを、この時はまだ誰も知らないでいた。
【Day 24 Champa】
「街が燃えてる!」
破壊音が聞こえるなり神殿の入り口に駆けつけた藤丸たちは、そこでドゥリーヨダナと合流して外へと飛び出した。視界に入った王都チャンパーに火の手が上がっている。昨日の活気がない街とは悪い意味で真逆の、人々の悲鳴と建物が壊れる音が耳を打った。
「マスター、オレが先行する」
「わかった。ヴリシャセーナ、カルナにかけている幻術は離れていても大丈夫?」
「大丈夫じゃない。僕もお父さんについていく」
ガネーシャ神殿に入る前からカルナとドゥリーヨダナの姿はヴリシャセーナの魔術で誤魔化されている。一般的な認識阻害の魔術ではなく、光の屈折に作用して異なる姿を見せる高度かつ周りくどい術だ。ヴリシャセーナはキャスターでありながら己が編み出した数式魔術以外を使えない変わり者であった。
英雄親子があっという間にチャンパーの方へと駆け去り、藤丸たちは集まってきた神官たちを避けて建物の影に身を寄せた。
「わし様は霊体化する。マスター、街に入ったらガネーシャ神の後ろから出てはならんぞ。ラクシュマニーには神殿に残るよう伝えた。街の対処をしたら此処に戻ろう」
「ドゥリーヨダナはそれでいいの?」
「危険な場所に近づけるよりは良い」
ラクシュマニーは盲目覇王の孫で人悪の英雄の娘だが、戦士でも魔術師でもないか弱い少女である。さらには半年ほどの間に辛いことばかり経験した上に、今は妊婦の身だ。そんな娘を戦いの場に連れていくのをドゥリーヨダナが渋るのは当然であった。
「さ、行くぞマスター!」
「しょーがないのでダッシュするっスよ!」
トコトコ走り出したガネーシャはサーヴァントにしては非常に鈍足だ。鍛えているとはいえ魔術による身体強化もままならない藤丸には丁度いいペースで燃える街へと走っていく。
昨日少し歩いた大通りは火の手が広がり、すでに逃げる人々もまばらであった。破壊音の大本に近づくにつれ、ドロリとした殺気に肌が粟だつ。あたりが瓦礫の山だけになって人の気配がなくなったところでドゥリーヨダナが獲物片手に姿を現した。
「カルナたちはすでに接敵したようだ。マスター、奇襲するか? それとも挟み撃ちか?」
「まず敵がどんな相手か確かめよう。カルナ達の邪魔にならないように、こっそりと。話し合えそうならそうするし、難しそうなら奇襲かな」
「ふっふっふ、それでこそわし様のマスターだ」
「マスターがすっかり染められてる……」
小声で話しながら三人は地響きと土煙の中を用心深く進む。大きな瓦礫の影からそっと覗いた彼らは、高速でぶつかり合う三つの人影に息を呑んだ。
三つの人影のうち二つは細身の見慣れたシルエットだ。カルナが槍で、ヴリシャセーナが魔術による爆発で攻撃を仕掛けている。対するもう一人もよく知っている巌のような男だが、カルデアにいる彼とは様子が異なっていた。もとは立派な装いだったであろうボロボロの赤黒いシャルワニとドウティ姿で、怒りに染まった形相で宙を睨んでいる。息子であるドゥリーヨダナでも見たことがない表情であった。
「あれがこの世界のドリタラーシュトラ王か。やはり父上ではないな」
「見た目は覇王様だけど動きがぎごちないね」
「でも強いっス。あ、カルナさんが吹き飛ばされちゃった!」
ドリタラーシュトラらしき巨漢の蹴りでカルナの痩身が瓦礫に激突する。すぐさま復帰するかと思われたランサーは小さく呻いて血を吐いた。
「カルナに一撃でダメージを与えるとは、膂力は父上並みか」
「ドゥリーヨダナ、加勢に入って! ガネーシャさんは俺の守りとみんなのサポートをお願い」
「うむ、任せよ!」
「ピコがんばる!」
棍棒をブォンと振り回しながらドゥリーヨダナが乱入する。すぐさまヴリシャセーナから支援の魔術が入ったらしく、格段に動きが速くなった。妖精のようなキャスターはドゥリーヨダナに直接戦闘を任せてカルナのもとへと走り、同じように支援を施した。
ドリタラーシュトラはドゥリーヨダナが近づいても反応を見せない。息子の気配がわからないのか、それとも正気を失っているのか。藤丸が小さく息を飲み込んだ時、ドゥリーヨダナが動いた。
「紛い物がわし様の華麗な動きについてこれるか?」
小手調べの一撃は巨大な拳に弾かれた。ドゥリーヨダナは僅かに眉をよせ、武器の回転に合わせて二度、三度と打ちつけたが、いずれも当たる直前で防がれてしまう。戦いに復帰したカルナの槍も避けられ、盲いた瞳が真白の戦士へと向いた。
「……パーンダヴァに災いあれ」
地を這うような低い唸り声。ドゥリーヨダナのみと対峙していた時とは比べ物にならない殺気が湧き上がり、ドリタラーシュトラは獣のようにカルナに襲いかかった。
「ヤドゥ族に滅亡あれ!!」
【Day 24 Champa】
ラクシュマニーは素敵な夢を見ている。
憎い男の国が燃えて壊れた。愛しい婚約者が助けに来てくれた。義理の父になるはずだった頼もしい人に再会した。酷い殺され方をしたと聞いていた父親が生きていた。
ラクシュマニーの地獄のような時間はきっと今も続いている。ヴリシャセーナもドゥリーヨダナも、もう大丈夫だとは言ってくれなかった。だからこれは優しい夢なのだ。腹の中に植え付けられた何かが悪夢であるのと同じように、都合のいい妄想が形になっただけの気休めだ。ラクシュマニーの恋人も父親も、本当はとっくに死んでいるのだから。
ガネーシャ神殿から足を踏み出した少女を止める者はいなかった。神官たちはチャンパーから逃げてきた王都民たちの受け入れで忙しく、ラクシュマニーは借り物の白いサリーと布靴という格好でフラフラと人の流れに逆らって歩いた。父親の幻が神殿にいるように言っていた気がするが、一人でいるのは寂しくて堪らなかったのだ。
ヴリシャセーナの故郷が燃えている。父親の親友が治める小国は決して豊かではなかったけれど、幼い日のラクシュマニーはこの国を訪れるのを毎回楽しみにしていた。親に似て口下手なヴリシャセーナと過ごす時間を愛していた。燃える瓦礫と死体しか残っていない通りを歩くうちに、何かが砕ける音が聞こえてきて、足が止まった。
近くの瓦礫の山が崩れて轟音が響く。目を大きく見開いて立ちすくむラクシュマニーの足元にも小石がいくつも転がってきた。
「マスター、ラクシュマニーさんが来ちゃった!」
「えっ!? まずい、ガネーシャさん、スキルを」
瓦礫の向こうには父親たちの同行者の少年と女性がいた。ラクシュマニーの方を見て何か言っているが、彼らよりもすぐ近くで相対している男たちのことが気になった。夢の産物である愛しい人たちが、巌のような男に武器を向けている。見慣れない巨大な体躯が誰なのかわからないはずだった。
「お祖父様?」
似ても似つかない体格であるのに、そう呼びかけてしまったのは何故か。ラクシュマニーの鈴のような声に反応した巨人の顔が彼女の方へと向けられる。その顔立ちは見慣れたものより随分若く厳しいものだが、確かに祖父ドリタラーシュトラのものであった。
「いかん、ラクシュマニー、逃げるのだ!!」
父親の叫びが遠く聞こえる。視界の端で、愛する人がこちらへと駆け出している。時間が引き延ばされたその瞬間、ラクシュマニーは死を身近に感じていた。
「クリシュナの系譜、絶えるべし」
恐ろしい低い声が耳を撫で、目前に壁のような体が迫る。反射的に腹を守った両手。その直後、華奢な体に吸い込まれるように巨大な拳が激突したのだった。
後書き
プロット上は折り返しまでいくはずだったのに、微妙に届かず続きます。
これで全員出揃いました。盲目王ドリタラーシュトラはラストまで出張ります。
カルデア側の編成は前衛がカルナとわし様、中衛がヴリシャセーナ(支援と回復担当)、後衛がジナコ(防御担当、マスターの護衛兼)です。
チャンパー戦の顛末は次回に、次こそ折り返し地点のはず。
なおヤドゥ族の血筋=クリシュナやクンティーの血筋なので、パーンダヴァだけでなく、カルナ、ヴリシャセーナ(受肉先)、さらにはラクシュマニーの子も該当します。
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