蒼穹の雪風 - Blue Archive: Stratospheric Phantom -   作:Orpheus@失踪主

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___神のみぞ知る世界と″青春の座標″②

 

ゲーム開発部を後にした先生が次に足を踏み入れたのは、むせ返るような機械油の匂いと、鼓膜を(つんざ)くような金属の切削音が響き渡る場所__ミレニアムサイエンススクール、エンジニア部のガレージだった。

 

「おお! 先生じゃないか。どうしたんだい、そんな難しい顔をして」

 

火花を散らしながら巨大な金属パーツの溶接を行っていた白石ウタハが、防護ゴーグルを額に押し上げ、ニカッと人懐っこい笑みを浮かべた。彼女の作業着は相変わらず油まみれで、その手には何に使うのか見当もつかない無骨な工具が握られている。

 

「ウタハ、お疲れ様。……実は今日、レイからちょっとした『謎掛け』を出されてね。みんなの意見を聞きに来たんだ」

 

「ほう、あの妖崎レイが謎掛けを? それは興味深い。……どれ、このマイスターである私に聞かせてみてくれ」

 

ウタハは工具を置き、興味津々といった様子で腕を組んだ。

先生が「キヴォトスの空が巡りゆく理由」についての問いを口にすると、彼女は何度か頷き、そして愉快そうに笑い声を上げた。

 

「あはっはっは! なるほど、いかにもレイらしいね。ロマンと皮肉に満ちた問いだ! 気象学的なメカニズムや、大気圏の光の散乱(レイリー散乱)の話を聞きたいわけじゃないのは明白だね」

 

ウタハはガレージの片隅に置かれていた、流線型の美しい金属パーツを愛おしそうに撫でた。それは、彼女とレイが共に組み上げた『雪風』の予備スラスターのカバーだった。

 

「マイスターとしての私の意見を言わせてもらうなら……空が変わらなければ、『つまらない』からだよ」

 

「つまらない?」

 

「もし、キヴォトスの空が外の世界のようにずっと同じ色で、風も吹かず、雷も鳴らない、完璧に静止した空間だったとしたら。……私やレイが、わざわざ『空を飛ぶ機械』なんて面倒なものを作ると思うかい?」

 

ウタハの言葉には、モノ作りに魂を懸ける者特有の熱がこもっていた。

 

「風が吹くから、抗力を計算して流線型のフォルムをデザインする。嵐が来るから、限界を超える高出力エンジン(ロマン)を積む。空という環境が常に変化し、時に牙を剥くからこそ、我々エンジニアはそれをねじ伏せるための技術を磨き、未知の領域へと挑戦できるんだ」

 

ウタハは先生に向き直り、力強く言い放った。

 

「変化のない世界(システム)は、死んでいるのと同じだ。レイは合理性を愛しているふりをしているが、その本質は『未知への挑戦』に心を躍らせる筋金入りのロマンチストだからね。……完璧に予測可能な空なんて、きっとレイもこう思ってるよ、『雪風』には相応しくないって」

 

「予測不能な空だからこそ、飛ぶ意味がある……」

 

「そういうことさ。レイだって、たまに私が設計した偶然な産物(イレギュラー)を見て、頭を抱えながらもどこか嬉しそうに呟いているよ。『まったく、これだから神のみぞ知るセカイは厄介だ』ってね」

 

ここでも出た。アリスも口にしていた『神のみぞ知るセカイ』という言葉。

ウタハは「まあ、レイなりにこの不合理な世界を愛している証拠さ」と笑い、再びゴーグルを下ろした。

エンジニア部からの回答は、「空が変わるのは、未知への挑戦(ロマン)を生み出すため」。

 

先生は手帳にメモを書き込み、ウタハに礼を言ってガレージを出た。

次に向かうべき場所は、もう決まっている。

レイがミレニアムに戻ってくる最大の要因を作り出した、あの『超天才』の元だ。

ミレニアムの深部。厳重なセキュリティに守られたヴェリタスの部室は、エンジニア部の喧騒とは打って変わって、ひどく静謐(せいひつ)な空間だった。

空調の微かな音と、何面ものホログラムモニターが発する青白い光。その中心で、車椅子に座った少女___明星ヒマリが、優雅に紅茶のカップを傾けていた。

 

「あら、先生。いらっしゃいませ。この超天才清楚系病弱美少女ハッカーの顔を見に、わざわざ足を運んでくださったのですね?」

 

「こんにちは、ヒマリ。今日はちょっと、君の『全知』の力を借りたくてね」

 

「ふふっ、良い心がけです。私に解けない謎など、このキヴォトスには存在しませんから」

 

自信満々に微笑むヒマリに、先生はこれまでの経緯と、レイの問いについて説明した。

話を聞き終えたヒマリは、紅茶のカップをソーサーに置き、くすりと悪戯っぽく笑った。

「なるほど……。あの空の引きこもり君、先生に対してずいぶんと面倒な愛情表現(テスト)を仕掛けたものですね」

 

「愛情表現?」

 

「ええ。あの子は、口では『非合理的だ』なんだと言いながら、誰よりも他者からの理解を求めている、ひどく不器用で寂しがり屋な少年ですから」

 

ヒマリは車椅子を操作し、窓際に近づいた。ブラインドの隙間から、夕暮れに染まり始めたキヴォトスの空が見える。

 

「……先生。あの子が一度ミレニアムを去り、高度4万フィートの成層圏に逃げ込んだ本当の理由を覚えていますか?」

 

「『自分の居場所がなかったから』……だったよね」

 

「ええ。ですが、それは半分正解で、半分間違いです。彼は『居場所がなかった』のではなく、『人間関係という変化し続けるノイズに耐えられなかった』のです」

 

ヒマリは、レイの心の奥底を透かして見るように、静かに語り始めた。

 

「人間の感情は、空模様のように移り変わります。怒り、喜び、悲しみ……論理(ロジック)では予測不可能なそれらを、彼はひどく恐れていた。だから、温度も景色も一切変わらない、氷点下で無音の『絶対の空』に逃げ込んだ」

 

「……」

 

「ですが、彼は気づいてしまったんです。変化のない完璧な世界は、ひどく冷たくて、孤独であるということに」

 

ヒマリは振り返り、先生を見つめた。

 

「彼が今、地上に戻り、先生や私たちと共にいることを選んだ理由。……それは、この変化に富んだ『ノイズだらけの空』の美しさを知ってしまったからです」

 

「キヴォトスの空が巡りゆく理由……」

 

「私の全知をもって回答するならば、こうです。――『このキヴォトスの空が、私たち生徒の”青春”そのものを映し出す鏡だから』」

 

ヒマリの言葉は、静かだが確かな重みを持っていた。

 

「私たちは迷い、傷つき、変化し続けます。朝の希望から、夜の静寂へ。その予測不能なグラデーションこそが、私たちの生きている証拠。……あの子は、その『変わっていく空』の下に、自分の座標を定めようとしているのです」

 

「……ヒマリ」

 

「あの子もよく知っているはずですよ。ハッキングの最中、予期せぬエラーやイレギュラーな変数にぶつかった時、彼は少しだけ口角を上げてこう言いますから。『神のみぞ知るセカイだな』と。……予測できないからこそ、この世界は美しいのです。まぁ彼の事です、こんなことを言っておきながら悪いのですが、″雪風″があればいいとでも今でも思っているかもしれませんよ?」

 

ゲーム開発部、エンジニア部、そしてヴェリタス。

それぞれのアプローチは全く異なるが、彼女たちの言葉の根底にあるものは全て繋がっていた。

 

世界が生きている証(ゲームシステム)

未知への挑戦(エンジニアのロマン)

青春の鏡(予測不可能なノイズ)

 

そして、全ての根底にある共通のキーワード____

『神のみぞ知るセカイ』___。

 

先生の中で、バラバラだったピースが一つに組み上がり、レイへぶつけるべき「答え」が明確な形を持った。

 

「ありがとう、ヒマリ。……おかげで、レイの問いに答えられそうだよ」

 

「ふふっ、どういたしまして。先生の健闘を祈りますよ」

 

先生は深く頷き、ヴェリタスの部室を後にしようとした。

だが、その背中に向かって、ヒマリが一つだけ「助言」を投げかけた。

 

「あ、そうだ先生。……答えの準備ができたとしても、おそらく今のあの子は、シャーレにもアイガイオンにもいませんよ」

 

「えっ? じゃあ、どこに……?」

 

ヒマリは意味深に微笑み、タブレットを操作して先生の端末に一つの位置情報を送信した。

 

論理(ことば)だけでは、あの偏屈な妖精は完全に落とせません。最後に必要なのは、彼を繋ぎ止める『感情の(くさび)』です。……ミレニアムの屋上へ向かいなさい。あの子の『最高の相棒』が、そこで風に吹かれているはずですから」

 

ヒマリの言う通り、送信された位置情報はミレニアム本校舎の屋上を示していた。

先生は端末を握りしめ、この長いクエストの「最後のキーマン」が待つ場所へと走り出した。

 

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