蒼穹の雪風 - Blue Archive: Stratospheric Phantom - 作:Orpheus@失踪主
この話は、レイのメモロビみたいな話です。
本編とあまり関係ないですが……まぁ、楽しんでもらえれば幸いです。
連邦捜査部
窓の外には、キヴォトスの澄み渡る青空が広がり、遠くをゆっくりと飛行船が横切っていく。平和で、退屈で、それでいてひどく忙しい日常の風景。
その静寂を小気味良く打ち破っているのは、万年筆が紙を走る音と、規則的なタイピングの音だった。
「……これで、今月の各自治区からの予算申請書の精査は完了です。不備のあった三件については、既に差し戻しの連絡を入れておきました」
黒のベストに白のシャツ、そして青いネクタイ。一見するとどこかの執事かエリート官僚のような出で立ちの青年、妖崎レイは、手元の書類の束を綺麗に揃え、先生のデスクの上に置いた。
「ありがとう、レイ。本当に助かるよ。君がいなかったら、今夜も徹夜コースだったかもしれない」
「……いえ、問題はありませんよ。ですが、大人が過労で倒れることは、このキヴォトスにおいて最も避けなければならないリスクの一つです。僕が手伝うのは、そのリスクを未然に防ぐための″処置″、ただそれだけです」
レイは淡々とそう言い放ちながら、次の書類へと手を伸ばす。
口調こそ冷徹で機械的だが、彼が自らの意思でスカジャンを脱ぎ、こうしてシャーレの業務を手伝ってくれていること自体が、彼の中に起きた確かな変化の証だった。
「レイは本当に優秀だね。その処理能力、もしかして雪風ちゃんと繋がって計算してたりする?」
「……ちゃん付けはどうかと思いますが。いえ、この程度の雑務にアイガイオンのメインコンピューターや雪風の演算能力を使うより僕自身の頭で処理した方が早いのでそうしてます」
レイは手を止めず、呆れたように小さくため息をついた。
その様子を見て、先生はふと窓の外を見上げた。雲ひとつない青空。もしあそこに、あの漆黒の機体『雪風』が飛んでいたなら、どんな景色が見えるのだろうか。
「……ねえ、レイ」
「なんでしょうか」
「いつか、私も雪風に乗せてくれないかな」
軽い思いつきの言葉だった。しかし、その言葉を聞いた瞬間、レイのペンがピタリと止まった。
彼はゆっくりと顔を上げ、氷のように冷たく、しかしどこか試すような視線を先生に向ける。
「……ふむ、駄目です」
「やっぱり、ダメだよね。パイロットスーツもないし、重力に耐えられないだろうし……」
「物理的な問題ではありません……僕にとって、雪風は単なる乗り物ではないからです。あれは僕の半身であり、僕のロマンの結晶だ。生半可な気持ちで、あるいは物見遊山でコックピットに他者を座らせる気はありません」
ピシャリと撥ね退けるような物言い。だが、レイはそこで言葉を区切ると、不意に窓の外へと視線を移した。
「……ですが。先生には、一つだけ提案をしておきましょう」
「提案?」
「ええ。ある『問い』を出します。それに正しく答えることが出来れば招待しましょう」
レイは窓ガラスに歩み寄り、空を指差した。
昼の青空。やがて夕日になり、星空が煌めく夜空へと変わっていく、キヴォトスの当たり前の空。
「……何故、外の空は色が変わらないと聞く。だが先生、このキヴォトスの空は巡りゆくんだ。一体何故なんだろうか、先生」
声色が変わる。多分だがこれが本来のレイの口調なのであろう。
そう感じ取った瞬間、主題の方に意識を戻された。
「えっ……空が変わる理由?」
「キヴォトスの空は、朝であろうが、夜であろうが、星空が煌めき、楽園を照らし、世界はその星の元で動き続けている……外の世界には、そんな変化など無いというのに、なぜこの箱庭の空だけは、こんなにも美しく変わり続けるのか?、これが問題ですよ。」
レイの声は、どこか詩的で、哲学的な響きを帯びていた。
先生は困惑した。気象学的な理由を求めているわけではないことは、彼の瞳を見ればわかる。これは、レイという少年がキヴォトスの世界をどう捉えているかという、非常にパーソナルな問題だ。
「もし、この答えを見つけたなら、″雪風″に乗せてあげますよ先生。他の人に聞いても問題は無いし、その答えが見つかるまで少し待ってます。」
レイはそこで時計に目をやり、再び自分のデスクへと戻った。
「さて、そんな事より、先生。早くこの書類を終わらせましょう。答えを見つける時間が無くなってしまうので」
「あっ、うん。そうだね……」
再びタイピングの音が響き始める。
先生は手元の書類にサインをしながら、レイの投げかけた『問い』について思考を巡らせていた。
キヴォトスの空が巡る理由。レイが納得する答え。
彼一人で考えても、到底正解には辿り着けそうにない。レイが「他の人に聞いても問題はない」と言ったのは、つまり『僕を知る者たちの言葉を集めてこい』という暗黙のメッセージなのだろう。
(……行くしかないか。ミレニアムへ)
数時間後、書類仕事を完璧に終わらせた先生は、シャーレを飛び出し、ミレニアムサイエンススクールへと足を運んでいた。
最初に訪れたのは、ゲーム開発部の部室だった。
重い防音扉を開けると、そこには相変わらずの光景が広がっていた。床に散乱したエナジードリンクの空き缶、何台ものモニター、そして激しいコントローラーの操作音。
「あっ! 先生だ! やっほー!」
「先生、いらっしゃい……。今、モモイのしょうもないミスのせいでゲームオーバーになったところだよ」
「しょうもないって何さ! あそこは当たり判定がおかしかったんだってば!」
「ふふっ、二人とも落ち着いて……あ、先生、こんにちは」
双子のモモイとミドリがギャーギャーと騒ぎ、ロッカーの影からユズがひょっこりと顔を出す。
そして、部屋の奥から、長い髪を揺らして一人の少女が駆け寄ってきた。
「先生! ようこそゲーム開発部へ! 今日もアリスは勇者として、平和のためにレベル上げに勤しんでいます!」
天童アリス。規格外のレールガンを振り回す勇者であり、レイが「観測対象」として空から見下ろしていた少女だ。
彼女は今、レイとゲーム友達として一緒に遊ぶほどの関係になっているという。
「みんな、元気そうでよかったよ。実は今日、みんなに聞きたいことがあって来たんだ」
「聞きたいこと? 新作ゲームのデバッグのお手伝い?」
「いや、レイのことなんだけど……」
先生がレイから出された『問い』――キヴォトスの空が巡る理由――について説明すると、ゲーム開発部の面々は顔を見合わせた。
「空の色が変わる理由? そんなの決まってるじゃん!」
モモイが胸を張って、自信満々に答える。
「ゲームの
「モモイの言い方はあれだけど……でも、私もそう思うかな」
ミドリがモモイの言葉を補足するように頷いた。
「ずっと同じ景色じゃ、プレイヤーもキャラクターも飽きちゃうよ。時間が進んでいること、世界が生きていることを表現するために、空は変わらなきゃいけないんだと思う」
「……私も。ずっと同じだと、なんだか……寂しい、から。変わっていくから、明日が来るって、分かる気がします……」
ユズが小さな声で、けれど核心を突くような言葉をこぼした。
ゲーム開発部らしい、クリエイターとしての視点。先生は手帳に彼女たちの言葉をメモしていく。
「アリスちゃんはどう思う?」
先生が尋ねると、アリスは目をキラキラと輝かせて天井を指差した。
「アリスは、こう思います! 空が変わるのは、勇者と妖精が冒険に出るためです!」
「妖精?」
「はい! レイさんは、空を飛ぶ妖精さんです。前はとっても冷たくて『寂しい音』がしていました。でも、今は違います」
アリスは嬉しそうに笑う。
「レイさんは、自分の
(……世界からのプレゼント)
その言葉は、空の幽霊として孤独を貫こうとしていたレイに対する、アリスなりの優しい解釈だった。
「それに、レイさんもよく言っています! 難しいバグに当たった時や、ゲームの隠し要素を探す時に……『神のみぞ知るセカイ』だと!」
「神のみぞ知る、セカイ……?」
「はい! 全ての理屈や論理を超えた、誰にも分からないこと。だからこそ、ロマンがあって面白いのだと、レイさんは言っていました!」
先生はハッとした。
『神のみぞ知るセカイ』。それは、レイという合理主義の塊のような青年が、唯一許容している「非合理なロマン」の象徴のような言葉だった。
「……ありがとう、みんな。すごく参考になったよ」
「えっへん! 先生のクエストクリアに貢献できたなら、勇者として誇らしいです!」
アリスの満面の笑みに見送られながら、先生はゲーム開発部を後にした。
モモイたちの言う「世界が生きている証拠」。ユズの言う「寂しくないように」。アリスの言う「神のみぞ知るセカイ」。
これらを束ねる、レイにとっての「正解」とは何なのか。
先生の足は、自然と次の目的地___狂気とロマンの坩堝、エンジニア部へと向かっていた。