レッドサンブラッククロス戯典 vol.12' パナマ侵攻03巻 プレビュー版   作:南条匡

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一九四九年二月一〇日
パナマ・バルボア沖 四五〇キロ


2-3 バルボア沖海戦防空戦

 熱帯の海は、腐りかけた果実のように甘ったるく、そして不気味なほどに凪いでいた。海面上には八つの艦影がある。太平洋という巨大な水たまりにおいて、それらは芥子粒ほどの存在感しか持ち得ない。だが、その芥子粒は、極めて高密度かつ致死的な棘をまとっていた。

 

 日本海軍第八艦隊。旗艦たる装甲巡洋艦〈剣〉、防空軽巡洋艦〈千歳〉、防空駆逐艦〈冬月〉、〈宵月〉。そして四隻の〈妙風〉級艦隊駆逐艦。空母を持たないその輪形陣は、第三次世界大戦以前の常識で見れば、航空機にとっての絶好の獲物に過ぎなかっただろう。だが、時は一九四九年である。鋼鉄と化学、そして電子工学の進歩は、狩る側と狩られる側の立場を、劇的に入れ替えようとしていた。

 

「……暑いな」 防空軽巡〈千歳〉艦橋。主計中尉、清水貞樹は、汗ばんだ首筋をハンカチで拭いながら独りごちた。彼は主計科士官であり、本来ならば戦闘の最前線で指揮を執る立場にはない。だが、防空専任艦という特殊な艦の性格上、戦闘の推移を詳細に記録し、弾薬消費と戦果の相関を分析する生きた記録機としての役割を求められていた。手元のクリップボードには、戦闘詳報の雛形が挟まれている。空欄だらけの紙面。だが、清水は予感していた。数十分後には、インクが足りなくなるほどに埋め尽くされるだろうと。

 

「対空電探に感あり。方位三一〇、距離四二〇〇〇〇。数、およそ六五」 スピーカーから流れる電測員の報告は、事務的であるだけに、事態の切迫を伝えていた。「敵速四五〇。反応大。中型機以上と認める」

 中型機。清水は、脳内の頁を探した。恐らくドルニエDo317。ドイツ空軍の誇る双発重爆撃機。兵装は間違いなく誘導弾だろう。Hs293かフリッツXの改良型か。

 清水の中で冷徹な計算式が組み上げられていく。敵機六五。ならば想定される誘導弾も最大六五。対する我々は、八隻合計で八四門の高角砲。いや、〈剣〉の右舷砲は使えないから七六門。一門につき、〇・九発の目標。数字の上では、こちらの方が圧倒的に不利だ。相手は音速に迫る速度で突っ込んでくる鉄の塊である。人間が目視で狙って当たるものではない。

「……迎撃できるのか?」 清水の呟きは、艦橋に満ちる電子機器の低い唸りにかき消された。

 

 高度4000メートル。雲一つ無い一面の蒼空と碧い海。コンラート・アッシェンブレナー中佐は、時速450kmで進むDo317Eの操縦席で、十数分後に迫った狩りの始まりを心待ちにしていた。獲物は八隻。直掩の戦闘機は少なくともまだラダールには映っていない。ならば丸裸ということだ。

 いや、油断は禁物だ。アッシェンブレナーは自重するように笑みを消した。本国で開発されているという長距離対空誘導弾と同じ物を彼らが装備しているかもしれない。その場合、狩りの立場は逆転するだろう。

「電測員、日本人の艦隊に動きはないか?」 アッシェンブレナーは重たい口調で尋ねた。距離は約三五〇km。FuG212-Z機載対水上電探はすでに敵艦隊を捉えている。間違いなくこちらもすでに探知されているはずだ。

「敵艦隊に動き無し」

「陣形は? 輪形陣か?」

「はい。中央の反応が大きく、戦艦級と思われます、その周辺に計七隻の反応があります」

 電測員の言葉に、アッシェンブレナーは考えすぎたかと思った。このままうまく行けば、敵艦隊の全滅すら期待できるのだが。彼が自信を持つのも無理はなかった。六〇機のDo317Eが抱いているのは、最新鋭のHs296対艦誘導弾、〈キーゼルシュタイン〉だった。かつてのHs293のように、母機が目標を目視し続けねばならない旧式誘導弾とは違う。弾頭に搭載された小型テレビカメラが映像を送り、母機の誘導員が安全圏からジョイスティックで操作する。そして何より、心臓が違う。ヴァルターHWK109-507液体燃料ロケット。過酸化水素の分解エネルギーが生み出す推力は、弾体を時速七五〇キロまで加速させる。高角砲の有効射程外である三〇キロ以遠から発射され、防御不能な速度で突進するダビデの小石。

「敵艦隊まで距離四〇km」

「全機、高度を下げろ。会敵の時間だ」

 

「敵機、高度を下げ始めました」

「機数およそ六五。速度、進行方向ともにそのまま」

「目視可能距離まで七二〇秒」

 第八艦隊旗艦〈剣〉の戦闘情報室。ブラウン管に表示された輝点を睨みつづけていた複数の電測員が次々と報告する。

「了解。艦隊全艦に通達。状況三、対空戦闘用意」

 艦隊防空参謀、加賀谷康介中佐は、眼前に設置された専用のブラウン管を見つめつつ、つとめて静かな声で言った。彼の見ているブラウン管には、各種電探から流れてきた敵機に関する情報が細かく表示されている。機数、高度、速度、位置。進行方向。それは、ほんの一年前までだったら想像することすらできない奇跡の……否、日英の努力が生み出した賜物であった。

 四八式一型対空射撃統合管制指揮装置。通称〈ヤタガラス〉。英国人がCDS Mk.Ⅰと呼ぶそれは、対独戦におけるジェット機・誘導弾の脅威増大に対抗するため、従来のアナログ式射撃盤と人海戦術による情報の遅延・飽和を解決することを目的に、英国のフェランティ社が考案した新時代の機構である。

 その原型は、一九四〇年、英国本土がまだ健在だった時期に、防空戦闘を管制・指揮していたダウディング・システムにある。それを艦艇に導入し、艦隊防空を管制できないか、というアイデアを日本海軍に持ち込み、逓信省や日本中の電気関連会社を巻き込んだ一大プロジェクトとなった。なお、ヤタガラスの名前は、英国の開発コードネーム、〈Raven〉を日本側が意訳したものとされている。

 その中心となっているのは、フェランティ社の磁気ドラム記憶装置と機構だった。日本電気が論理回路・演算部・パンチカードシステム(フェランティとの共同開発)、東京芝浦電気が表示機・電源、北崎重工業が筐体・射撃盤連動機構をそれぞれ担当している。厳密に言えば数十に及ぶ企業が関わっているが、それは軍機とされていた。

「目標、敵攻撃機、及び誘導弾。各艦は所定の位置を維持せよ。砲撃指揮は旗艦砲術長が執る」

 加賀谷中佐は、傍らに控えていた〈剣〉砲術長、上原綾瀬少佐に向かって軽く頷いた。この二人は江田島の同期で、ともに地中海とペルシャ湾で実戦を経験している。二人の階級に差がついているのは、加賀谷中佐が海大甲種を卒業し、同期の中でもいち早く昇進したためであった。人目のない場所では俺、貴様の仲であるが、戦闘態勢となれば階級の差は絶対である。

「旗艦砲術長より全艦、これより統制を開始する」

 

 この大海に鳥は飛んでいないが、もし、この情景を俯瞰できるものがいたらある種の美しさすら感じたかもしれない。

 上原少佐に「統制」された、〈剣〉以下七隻の両用砲……五式六〇口径一二.七サンチ連装両用砲六〇門、三式六五口径一〇サンチ連装両用砲一六門が、楽曲指揮者の指示に従う演奏者の如く、調律された動きで左舷方向へ旋回し、砲身が次々と仰角をかかげる。それと同時に、艦隊が進行方向をわずかに右に向ける。敵攻撃隊の進路と直角になるように。

 〈千歳〉の清水中尉は、艦体前部の長一〇サンチ高角砲が、一斉に旋回する様子にある種の心強さを覚えていた。これら全てが〈剣〉からの指揮であることには感動すら覚えている。何故なら、清水の思い描いていた対空戦闘――個々の艦長が回避運動をとり、個々の砲術長が対空射撃を指揮するこれまでの防空戦闘とは、あまりにかけ離れた状況であるからだ。

「目標との距離三六〇〇〇〇。進路変わらず」

 電測員からの報告を書き留めつつ、清水は思った。なんてこった。俺は平田晋策や山中峯太郎は読んでいないんだ。畜生、海外小説ばかり読むんじゃなかったな。

 

 清水の感想は一つの真実だった。〈剣〉戦闘情報室の一角で行われている防空管制は、ほんの二.三年前では想像する者もいなかったであろう、ある意味で奇怪とすら言える光景だった。

 加賀谷中佐の立つ位置から数メートル離れた位置に、ブラウン管を数機、画面が水平になるように設置された机がある。その中心には人の頭部ぐらいの大きさの球体が半円になるように埋め込まれている。位置指示球。操作員がその球体を掌で転がすと、円形ブラウン管上の輝点が滑らかに移動した。輝点を敵影の群れに重ね、ボタンを押す。ただそれだけの動作で、磁気ドラムの中で回転する磁性体がデータを書き換え、艦隊全艦の高射装置へ最適な目標の情報が送信される。〈剣〉からの電波はUHF無線回線で送信され、僚艦とデジタル信号で目標情報を交換した。

 これこそが四八式の真価だった。各種電探群が捕捉した目標の機影を記憶、ブラウン管上で追尾すると同時に、艦隊各艦の高角砲へ最適な目標を割り当て、最終的に人間がそれを修正する。デジタル情報処理とパルス符号変調通信を導入し、捜索・捕捉・追尾・発砲・評価を単一の機構で統合管制する、日本海軍初の戦術情報処理装置であった。

 また、機構を管理する人間の立場も新しいものだった。一九四〇年から四二年にかけての大西洋、地中海、ペルシャ湾での経験が日本海軍に一つの真理を突きつけた結果。

 すなわち、人間は高速で立体機動する航空機には反応できない。個々の艦長が判断し、個々の砲術長が狙うのでは対応できない。

 そのためには、従来の方式――航空母艦の飛行長が直掩隊と艦砲の指揮を同時にとる方式は乱雑に過ぎた。この事実に気づいた英日海軍は、艦砲の指揮を分離し、機構化された対空砲の指揮をとる「防空参謀」をあらたに設置することになる。

 加賀谷中佐が第八艦隊防空参謀の任についているのはそうした時代の要請もあったが、なによりも、彼が海大時代に提出した「将来における艦隊防空の提案書」が、こうした防空管制と機構の登場を予言した内容であったからだ。事実、四三年に提出された彼の提案書の価値に気づいた海大教官は、海軍上層部へとそれを送った。上層部の一部では「あまりに空想的にすぎる」と軽視する者もいたが、情報と機械化に明るい者達はこれを軍機とすると同時に英国とフェランティ社に提案し、四八式の基礎概念の一翼となった。

「距離三五〇〇〇。見張り員、目視で確認」

「敵機、速度を上げています。四八〇」

 ついに来たか。加賀谷中佐は、知性を隠す者が自信を持った時に特有の感情を押し殺した表情で状況を観測していた。まもなく敵機は誘導弾を放つだろう。距離はおそらく三〇〇〇〇。両用砲の射程圏外から一斉に誘導弾を撃つに違いない。この前の戦争で俺たちが散々にやられた対艦攻撃。あの時は直掩隊が追い払う以外なすすべが無かった。

 だが、今日は違うぞ。

「砲術長、もうすぐだ」 加賀谷中佐は、上原少佐に言った。上原は了解と短く返した

「全艦射撃準備。咄嗟砲戦に備え」

 

「目標との距離、三五km。高度一五〇〇。全機編隊を維持しています」

「キーゼルシュタイン、システムオールグリーン」

 アッシェンブレナーの率いる六〇機のDo317Eは、四機ずつの編隊に分かれて第八艦隊と接触しようとしていた。一編隊が一隻の艦を狙うから、のべ一五群の目標を狙うこととなる。敵艦は八隻。一隻あたりほぼ八発。機械的トラブルや迎撃による喪失を考慮しても二発の命中が期待できるはずだった。

 戦艦は無理としても、巡洋艦と駆逐艦なら一発で大破、撃沈すら期待できる。アッシェンブレナーは口元に笑みを浮かべた。そして同時に、ここまで迎撃を受けない幸運にも感謝していた。このままうまくいけば、俺の航空隊は第三次大戦初の大戦果を挙げるに違いない。

「全機、準備はいいな」

 その呼びかけに次々と「了解」の応答が返ってくる。問題無い。

「攻撃開始。……沈めろ」

 アッシェンブレナーの指が投下スイッチを弾く。

 機体が軽くなる。胴体中心部からキーゼルシュタインが解き放たれた。 六〇機の爆撃機から、計六〇発の誘導弾が、慣性の法則に従った自由へと落ちていく。

 直後、Do317Eの編隊は一斉に右旋回を開始した。 もはや、目標に向かって飛び続ける必要はない。誘導員がモニターを見ながら、優雅に獲物を屠るのを眺めていればいいのだ。

 数秒の後、一機あたり二発が搭載されたヴァルターHWK109-507が白い噴煙を吹き出す。小石はついに放たれた。

 

「敵機反転。誘導弾、分離を確認」

「敵第二目標、加速しています。距離二八〇〇〇〇」

「数は五五。全弾、こちらへ向かってきます」

 報告を聞きながら、加賀谷中佐はタクトを振るう指揮者のように命じた。「全艦、情報共有接続開始。目標分配自動」 加賀谷は、この時初めて感情を込めて叫んだ。「砲術長!」

「砲術長了解! 目標、敵誘導弾群。全艦対空戦闘、撃ち方、始めェ!」

 上原少佐の号令は、人間の意思を伝達する信号だった。実際に引き金を引いたのは、人間ではなかった。フェランティ社の磁気ドラムが弾き出した未来位置という名の神託に対し、北崎重工製の油圧サーボが忠実に跪いた結果である 。

 パナマ沖の湿った大気が、物理的な暴力によって叩き割られる 。

 旗艦〈剣〉が、防空軽巡〈千歳〉が、そして駆逐艦群の全艦合計七六門の高角砲が一斉に火を噴いた。発砲、排莢、装填。人間の情緒が介在する余地などない。そこにあるのは、精緻な工業機械による死の大量生産だった。

 第八艦隊のそれは、従来的な意味での対空砲火ではなかった。電動油圧により、人間には不可能な速度で微調整を繰り返す砲身。三秒に一発という凄まじいペースで吐き出される砲弾は、四八式が弾き出した未来の空間へと正確に送り込まれていく。

 海面すれすれ、高度一〇メートルを時速七五〇キロで突進する〈キーゼルシュタイン〉の群れ 。その進路上の空間に、突如として黒煙の壁が出現する。近接信管。砲弾自身が微弱な電波を発し、獲物の反射波を感知して自爆する、悪魔の兵器 。

直撃させる必要はない。かすめればいい。ただ、近くを通り過ぎればそれだけでいい。

 数千、数万の破片からなる殺戮領域 。繊細なジャイロと電子回路の塊である誘導弾は、自らその死の嵐の中へと飛び込んだ。

 制御翼がもぎ取られる。燃料タンクが引き裂かれる。弾頭が誘爆する。あるいは、ただ無言のまま制御を失い、海面へと叩きつけられて水柱へと変わる 。

 

 アッシェンブレナー機の後席に座る誘導員、コメィジー少尉が悲鳴を上げた。

「映像消失! 誘導不能!」

 モニターの中で、優美な艦影を捉えていたはずの視界が、突如として砂嵐に塗りつぶされる。

「こちら三号機、誘導消失。畜生!」

「七号機、誘導弾のエンジンに被弾。海面に衝突」 彼らは理解できない。なぜ、最強の矛が届かないのか。彼らはまだ知らなかったのだ。極限まで高めた、確率論という名の盾の硬さを。

 一機、また一機。まるで見えない壁に激突したかのように、誘導弾からの通信が途絶えていく。

「馬鹿な……高角砲で、誘導弾を落とすだと?」 アッシェンブレナーは愕然と計器盤を睨んだ。

 

 だが、確率はあくまで確率である。近接信管による全弾撃墜という奇跡など、戦場の神は絶対に保証しない。防空戦闘開始から九〇秒後、五五発の小石のうち、一五発ほどの幸運な生き残りが、爆煙と破片の壁をすり抜けた 。距離、五〇〇〇。

「撃ち漏らしたか……両用砲は射撃を続けろ。機銃、射撃開始せよ」 上原砲術長の声は酷く平坦だった。焦りはない。事実を確認した彼は、眉一つ動かさずに新たな命令を発した。

 その命令と同時に、第八艦隊はさらに姿を変えた。優雅な洋上の城塞から、棘だらけの針鼠へと。八隻の甲板で、ありとあらゆる場所に設置された銃座が唸りを上げた。

 三式六〇口径保式四〇ミリ機銃。スウェーデンのボフォース社が生んだ傑作を、日英の技術で昇華させた機関砲である。艦隊全体で軽く一〇〇門を超えるそれが、一門あたり毎分二〇〇発の速度で火線を吐き出す。

 空間が、曳光弾の光跡で埋め尽くされる。それは防御砲火という生易しいものではない。金属の質量による拒絶だった。

 〈千歳〉艦橋の清水中尉の耳に、巨大な布を力任せに引き裂くような、連続した発射音が飛び込んでくる。曳光弾の奔流が、海面を舐めるように接近するHs296に絡みついた。一発でも当たればそれで終わる。四〇ミリの着発信管は、誘導弾の薄い外板を容易く食い破り、内部の構造材を粉砕した。

 誘導弾に一番近い位置にある〈千歳〉の放つ銃撃は、第八艦隊の中で最も苛烈だった。旗艦をのぞけば、防空巡洋艦である〈千歳〉の火力が最大であるからだ。加賀谷中佐は、それを計算に入れた輪形陣の構築を命じていた。

 

 〈千歳〉の舷側で、一際大きな火球が膨れ上がった。至近弾。だが、届かない。

 最後のHs296が空中で分解し、火の玉となって海面に没したのは、〈千歳〉からわずか四〇〇メートルの地点だった。

 突然、世界から音が消えた。波の音と、機関の低い唸りだけが残る。時計の針は、戦闘開始からわずか二分余り進んだだけ。

「……終わり、か?」 清水中尉は、震える手で眼鏡の位置を直した。手元の戦闘詳報は、まだほとんど白紙だ。だが、書くべき結論は決まっていた。――敵誘導弾、五五。同数を撃墜。我が方の損害、皆無。

 彼は万年筆を走らせながら、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。これは戦闘ではない。襲い来る死を、電探と計算機と信管という機構が淡々と処理したに過ぎない。

 そこにはかつての海軍が重んじた精神も、個人の技量も介在する余地はない。あるのは冷徹な物理法則と、それを支配した者だけが得られる圧倒的な暴力だけだった。

 

 上空のアッシェンブレナーは、戦果を確認することなく逃げるように雲の中へと機首を向けた。彼は理解していた。今日、このパナマ沖で、空の王者の時代は終わったのだと。どんなに高性能な機体も、どんなに強力な爆弾も、あの計算された壁の前では無力な羽虫になりさがる。日本人と英国人は、魔法を手に入れたのだ。科学という名の魔法を。

 

 戦闘終了後、旗艦から世界に向けて発信された電文は平文で、簡潔にしてこれ以上ない挑発を含んでいた。

『ドイツ空軍ノ空襲ヲ受ケルモワレ全艦健在ナリ。ドイツ軍恐ルルに足ラズ。サラニ攻撃隊ヲオクラレタシ』

 この一報に、ベルリンの総統官邸で最も激昂したのは、他ならぬ第三帝国総統その人であった。

 机を叩き、地図を破り捨てんばかりの勢いで、彼は絶叫したという。

「太平洋艦隊を出せ! 日本艦隊を捕捉し、粉砕しろ!」

 独裁者の怒りは、即座に無謀な作戦命令へと変換されパナマ沖合をさらなる炎で包み込むことになる。

 パナマ沖での三分間弱の防空戦闘。それは、来るべき第二次バルボア沖海戦の幕開けを告げる、あまりに壮絶で、一方的なファンファーレであった。

 




続きは明日投稿予定です
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