『名前を言ってはいけない例のあの人』、闇の帝王と呼ばれる出自不明の魔法使いが復活し、討たれた――と、されて数ヶ月。
一つの時代の終焉と呼ぶには衝撃に欠ける一報は、大陸にさして影響を与えなかった。
理由はいくつかある。
一つ、大陸に災いをもたらしたのはゲラート・グリンデルバルドであった。
一つ、『例のあの人』は、英国を拠点としていた。
一つ、生死不明とされていた『例のあの人』が復活したと言われても。
一つ、復活したと「されている」男を討ったのが若干十四歳の少年だと? 馬鹿を言え。
で、ある。
――私だって
信じなかったかもしれない。大陸にいて、一報を聞いていたら。そんなまさかと思うだろう。名のある魔法使いや魔女たちが何人も挑んで散っていったのだ。ゲラート・グリンデルバルドですら、名を口にすることすらはばかれる、なんて言われなかった。忌むべき名であっても、禁忌ではなかったのだ。
が、フラーにとって英国で起こったとある事件は身近なものである。三校対抗試合の代表選手になっていたからであり……。
「英国人ですよ、あなた」
デラクール邸の庭園――東屋に響くのは女の声。フラーは青い眼で、たしなめるような響きの、その主を見やった。
父方の血族だ。つまり、デラクールと呼ばれる大陸名家、
元よりデラクール家は、そのような気質の者が多い。それはフラーも含めてで――冬のお茶会、クリスマスの乗じた交流の場に集まっているのは、そういった鼻っ柱の強い面々が目立つのだ。
「ヴィーラと交わっておいて、今更では? 人種などささいな問題でしょうに」
フラーはうんざりしながら返す。母は席を外している。東屋にいるのは口やかましい、デラクールに連なる者どもだ。「半妖精」とも言われる母は、池の近くで妹のガブリエルや、いとこ、おばたちとお茶をしているのであろう。
彼女は東屋――父方のデラクールの相手を、娘のフラーに振ったのである。
面倒でもなんでも、筋を通しておきなさい。ひとまず顔を合わせておきなさい、と。
――本当に面倒なこと
ただ風に吹かれ、雲を眺め、自由に生きるなんてことはできないわけだ。どうしても人間関係が絡んでくる。デラクールが名家なのが悪い。家名を鼻にかけ、内心では「ヴィーラ混じり」を見下しているくせに。
英国ほど純血主義が蔓延っているわけではないが、多少の異種族差別はあるのだ。でなくば、敬愛するマダム・マクシームだって自分の血筋を隠さなかった。
「……それは、あなたのお母君があまりにお美しいから」
女が言う。父方の、それなりに近い筋の女である。幾人かいる血族も追従するように「輝くような美しさだもの」「フラー、あなたも月が霞むほどの」「あなたと結びつく男は幸運だわ」と、白々しく言う。
彼女たちは必死なのだ。このフラー・デラクールに婿を取らせようとしている。つまるところ、自分のところの馬鹿息子を押しつけたいのである。
「先にも言いましたが。もうお相手はいます。あなたたちが言うところの……」
フラーは言葉を切り、片方の眉を上げる。
「野蛮な島国の男が」
「でも、まだ十四歳だとか……」
「『例のあの人』を倒したってあなた。そんなわけがないでしょうに」
「なにせゴシップ誌に兄弟ともども書き立てられて。あなたも巻き込まれたとか」
雀どもが、ちゅんちゅんと鳴く。まあ可愛くないことである。誰がお前たちの、顔だけの馬鹿息子をほしがるものか。フラーの顔を見て、胸を見て、腰を見て、尻を見て……と、いやらしさ全開である。あの不快感ときたらない。
なんでこんなぺらぺらぴかぴか輝くだけの、中身のないデラクールに、父のような突然変異が現れたのか。そう、父は男気があって、母の魅了にも屈しなかったのだ。
母曰く「あなたのお父様はとっても親切で、いやらしい眼で見てこなくて、紳士とはあのひとのことよ。惚れたわ」である。それは誰でも惚れると思うわ、お母様。
半妖精の娘なんて、とデラクールがぎゃあぎゃあ言おうが父は無視。きっぱりと宣言したらしい。
デラクールが名を馳せたのは、秘めたる情熱ゆえである。私とて、その血は継いでいる。
身を捧げてもよいと思うものに出会い、心を燃やしているのだから。
結ばれないのならば、手を取り合って……そう、英国にでも逃げてしまうかもしれない、等。
にこにこして魅了――もとい服従の力を振りまいて威圧している母と、絶対に譲らないという父に、デラクールは折れたようである。英国に去られるよりマシと思ったのであろう。なにせ父は容姿は並だが優秀なのである。
「彼は今、十五歳よ。本当に『例のあの人』を討って……それはあちらの闇祓いの長だって、魔法大臣だって認めているもの」
私は信じているわ、と言い返す。
このままではいつまで経っても平行線だ。わかっていたことである。どうせ、彼女たちが納得する日など来ないだろう。納得などせずとも、是と言わせればいいだけだ。本音などどうでもよい――のだが。
いつになったら諦めるのだろうか、とフラーは眼を瞑って、開いた。隣に彼がいてくれればな、と思う。年下の彼。とても大人びた彼。現在、文通中。遠距離恋愛である。
「……ねえ、わざわざ英国に行くことはないでしょうに。グリンゴッツで働かなくても」
「もう決めたので」
しつこく粘られ、ぴしゃりと返す。将来的に大陸に戻るのか、英国に根付くのかわからなくても、ひとまず彼のいる英国に行きたかった。卒業して数ヶ月。ひょんなことからビル・ウィーズリーの紹介を受けて、就職先が決まった。働きはじめるのは少し先になる。まず、漏れ鍋に宿をとって、住まい探しになるだろう。
「あなた、働かなくとも……」
手に傷でもついたら大変だわ、という木偶の坊の発言を黙殺する。
彼ならば、そんなことは言わないのに。フラーのことをお人形扱いしないし、いやらしい眼で見てこないし、そもそも助けてくれたし。就職が決まったら喜んでくれて「一度、挨拶に行くよ。いや……迎えに参ろうか、妖精の君? 花を持って飛んでいこう」と手紙を寄越してくれたのに。
この、やかまし雀どもときたら。
きりきりと歯を食いしばる――のはやめにして、ただひたすら茶を飲む。時よ流れよ。早瀬のごとく。
念じているうちに、耳鳴りまでしてきた。
「あら……?」
風が強いわね、と女が言う。フラーは瞬いた。ざあぁ、と冬の――温度調整がされた美しい園、樹々や草花が揺れる。まるで、潮騒を思わせる音色。
ふわり、と白いものが東屋に迷い込んできた。漂うそれを、手のひらで受け止める。
花片であった。
じんわりと、首筋が――印が熱くなる。フラーは眼を瞠った。立ち上がり、椅子を蹴るようにして、東屋の外へと飛び出す。
ざぁあ、ざぁあ、と揺れる草を踏みしめ、黄色い声が響くほうへと。
池が細波を立てる。
はら、降り落ちる花片は、さながら雪のよう。フラーは仰向く。
天より竜が舞い降りてくる。はらはら、とあふれんばかりの花を降らせて。
おとぎ話の騎士様が竜を軽々と操って、フラーを認める。
「お迎えに参りましたよ」
妖精の君、と囁いた声は甘く。その緑の眼は酷く優しかった。
「……不貞じゃない」
まったくない、と力説され、フラーは脱力した。
あの冬の日から数年後、ブラック本邸の居間で。素敵な竜騎士様は、この数年でますます磨きをかけ――なぜか、フラーに平身低頭で謝っている。
これが口やかましい雀どもを黙らせた男だろうか、とフラーは眼を細めた。それはもうすごかったのである。男……フラーの婚約者は、完璧であった。伝説の竜騎士よろしく、本当に竜に乗って「お迎え」に来た彼に、文句を言える者などいなかった。デラクールの馬鹿息子どもが太刀打ちできるわけもない。フラー・デラクールとフェンネル・ブラックの仲は認められた。
母方のいとこたちからは散々羨ましがられた。いい男は英国にいるのかしら、とも言われた。狩りに行きたいなら行けばいいけど、英国産のいい男がどれほどいるかは知らないわよ、とフラーは返したものだ。
間違いなく、フェンネルはいい男だけども。それも、とびきりの。黒髪はさらりとして、緑の眼は美しい。立ち居振る舞いは洗練されていて……年下とは思えないほどだ。なにより、獣に襲われかけたフラーを助けてくれた。雀どもにうんざりしている時だって、颯爽と蹴散らしてくれたものだ。
「不貞なんてしたら殺すわよ」
そんな最高な男に、フラーは言い放つ。婚約者はできる男ではあるものの、心臓に悪い側面もあるのだ。たとえば、本邸に女を連れ込んでいたりとか。悪意のある言い方である。わかっているが、当時は――数ヶ月前は、面白くなかった。「ナギニ」が元蛇……否、呪われた人間だったと聞いて、納得したが。そして、ナギニは礼儀正しかった。フラーをお嬢様と言って丁寧に接した。フェンネルに色目を使う様子はまったくなく、あくまでも侍女です、という態度を崩さなかった。
そんな彼女は現在、別室にいる。小さな子どもをあやすために。
フェンネルが引き取ったという子どもを、あやすために。
「隠し子じゃなかったら、なあに」
フェンネルを睨む。年下の彼――十八歳の男は、妖精の威圧にも怯まなかった。申し訳なさそうであっても、実に堂々としていた。
「僕がそんなに早熟と思わないでほしいな。十いくつでけしからん真似をしないと計算が合わないじゃないか」
「この私を陥落させた十四歳の頃には……あなた、随分と大人でいらっしゃったじゃない」
「抑制できる「大人」ではあったね」
フェンネルが、ひらひらと手を泳がせる。拍子に、夜闇の衣――煌めく糸で刺繍が施された袖が、煌めいた。
「獣じみた真似は嫌いだし、付き合ってすぐにぺろりなんてもってのほかだろう? 君もわかっているとは思うが」
「そうですとも。あなたは昔からとっても紳士だもの」
つん、と言い返す。
呆れたことに、この婚約者殿は
フラーを英国に攫った竜騎士殿は、ヘブリデス諸島の、美しい星空、竜の上ですら節度を守った……と思い出す。なんて恐ろしい男だろう。並の男なら、これは――と思い、地上に戻ったその後に、寝台に恋人を連れ込んで、散らすだろうに。
散らすどころか、大人になるまで待ってね、と可愛らしく……妙に色気たっぷりに言うものだから、参った。
そして、そんなできる男、たまに可愛い……色気ありは、無事に大人になったわけで。
色々すっとばして、子どもを引き取っているなどと、誰が思うだろうか。
「つまり、あの子はあなたのなんなの?」
面倒になって、直截な物言いをする。こういったときはそうするに限るのだ。そもそもフラーは、まどろっこしいやりとりを好かない。
「養女にしたい……と言ったけれども」
フェンネルは眉を寄せる。珍しくも、迷うように口ごもる。
「実子だから引き取りたいというわけじゃない。慈善活動の一環、というわけでもない。君に母親代わりになれ、というつもりもない。僕が勝手にしたことだから」
僕くらいしか、あの子を守ってやれないんだ。
落とされた呟きは、酷く昏い。堅い堅い、鋼の色を帯びている。
フラーは沈黙する。急かすことなく、続きを待った。
「あの子は」
ぽつ、ぽつ、とフェンネルが明かした秘密に、目眩をこらえた。心拍が跳ね上がる。本当に、心臓に悪い人である。先日だって、ダイアゴン横丁で暴れていたし。フラーは報せを受けて、頭が痛くなったものだ。
特例で闇祓いになった男は、好き放題に生きている。
そのように見えて、縛られている。まっとうな、人らしさというものに。
彼は『例のあの人』を討った英雄。「ヴォルデモートを討ちし者」。だが、英雄であっても暴君ではなく、傲慢でもない。閉じこめられた女の子を引き取るくらいの情はあるのだ。
「怪物の子が怪物になるとは限らない。淫婦の血が流れていても、そうではないように」
かつて、散々投げつけられた言葉。フラーは自虐を込めて口にする。フェンネルが、眼を細めた。
「あまりそう言ってほしくないな、僕の妖精?」
「じゃあ、しみったれた顔はやめるのね」
にっこりしてみせ、問いかけた。
「あの子の名前はなあに?」
白銀の髪と赤い眼の小さな女の子。痩せていて、かわいそうな、怯えた子。
驚きはしたが、嫌う気にはなれなかった。子どもには愛と祝福が必要だもの。
「デルフィーニ」
囁いたフェンネルに、フラーは身を乗り出す。その頬に軽くくちづけた。
別れる気になど、なれやしない。怪物と怪物の子に、愛を与えようとしているこの人を、離す気はない。
「素敵な名前だわ……そんなにびっくりした顔をしないでよ、可愛い人。婚約を解消するとでも思った?」
好きよ。
私の