孤独に過ごす俺へのクリスマスプレゼント。一年ぶりのおでんだ。
3日間かけて選び抜いた俺だけのスペシャリテ。ただのコンビニおでんなどとは言わせない。
一品一品に魂を込めた。ちゃんと連日通い詰めて、どのメニューを何個頼めるかをしっかり調査した。ただおでんを眺める不審者にならないために、割高な弁当を買い続けるコストも支払った。今日だけのために、あらゆる手を打ってきたんだ。
忘れてはならない重要アイテム、からしも用意した。準備は万全。いざ鎌倉。
土鍋に出汁と具材を投入だ。出汁はなるべく低いところで跳ねないように注ぐ。具材は一つ一つ丁寧に置く。ひっくり返すなど論外。
あとは火をかけていく。沸騰させないように、中火でじっくりと。移動時間で冷めてしまっているだろうから、最高の味わいはまだ遠い。
一秒だって目を離さずに、気泡の動きを注視し続けた。ほんのわずかに浮かび上がってきた段階で、火を弱める。そして、18秒。かつお節と昆布の香りが、ふわりと広がる。この瞬間を待っていた。火を止めて、ミトンを手につけて机へと運んでいく。
足音を立てないように、かつ素早く。揺れて味が変わってしまえば、大ごとだ。膝とつま先を完璧に使いこなして振動を殺した。机にたどり着き、流れるようになめらかに、ひたすらに静かに置く。
ここからが、本番。10秒かけて、割り箸を開封していく。左手に割り箸を乗せて、右手で弧を描くように開く。素早く手早く、無心の境地で。
パキリという音がして、きれいに割れた。よし、完璧だ。会心のクラウチングスタートを決められたぞ。幸先が良い。
ひとまず、からしの皿は離しておこう。最初は目の前の具材に集中しないとな。
さあ、まずは大根だ。牛すじも入れているから、しっかりとコクが出ているはずだ。器にすくい、まずは箸を潜り込ませる。ケーキにナイフを入れたように、すっと通っていく。これでこそ。頷きながら、半分を口に運ぶ。
初手は、何もつけないでこそ。最高の段取りとは、そういうものだ。
歯で噛むと同時に、出汁が口の中に染み出てくる。少しだけ口を開けて、熱を逃す。
まずは、これだ。比較的薄味だからこそ、つゆの良さがしっかりと感じられる。ほどよい塩気と、わずかな油。それらのコクを裏で支えるまろやかな出汁。
もはやステーキより満足感が高いなどと言ったら、言いすぎだろうか。だが、しっかりと優しく包み込むような満足感は、唯一無二。大根だけの特権だ。どこまでも味わい尽くしてやる。
もう半分も、止まらずに食べ進める。やっと一品。どれだけ俺を満足させれば気が済むのだろうか。
勢いそのままに、次だ。大事な大事な二番手。そう、ちくわ。一気にかぶりつく。舌の上に熱い汁が広がって、ハフハフしてしまう。だが、それがいい。
ここはあえて味わわない。ただ貪り尽くす。それこそが正解。あくまで中継。これぞ名采配というもの。何度も頷きながら、ただ箸を動かし続けた。
そして、いよいよメイン級キャスト。牛すじだ。串を手で取って、まずはひとつ。一度では噛み切れずに、押し返してくる。大した防御力。だが、だからこそ中核たらしめる。あっけなく終わってしまっては、つまらないからな。
噛むたびに、暴力的な旨味が押し寄せてくる。出汁としての役割を果たしつつ、しっかりと具材としても輝いている。スポットライトを当てるにふさわしい存在とは、まさにこのこと。ガッツポーズまでしてしまった。
一つ食べ終えて、その次は一気に口中に放り込んでいく。俺の口は、牛すじの侵略にさらされている。
だが、一口一口に力を入れて噛み締める。反乱鎮圧にむけて、30回ほど噛んだ。
そして見事に打ち砕き、喉まで楽しませてくれる。食道の中を通り抜けていくのを、目をつぶって確かめた。
まだまだ俺の勢いは留まるところを知らない。次はこんにゃく。またさっきとは違う歯ごたえ、強いプルプル感を楽しんでいく。一定のリズムで噛み進めることが、大事なコツ。
牛すじの後ではインパクトが少ない。そんな事を言うのは物の道理が分かっていない証。
一気に強い食材を続けてしまえば、大事な大事な緩急が失われてしまう。旨味の暴力は、ただ何度も叩きつけて良いものじゃない。
見事な中継ぎを果たした次は、はんぺん。ちくわとの何よりの違いは、出汁。それなりに染み込みつつ、決してメインにならない。
やや淡白な弾力と甘さをしっかりと味わえることこそ、今回の楽しみ。
一瞬だって止まることなく、たった3口で食べ終えた。
そして最後を飾るのは、おでんという料理の顔。卵だ。まずは出汁の染みた白身から。塩気と抵抗しない柔らかさ、そして包み込むような優しさが俺の舌で踊る。
だが、まだ序の口。ここからが本番。いよいよ黄身だ。一口食べれば、ねっとりとした食感が口の中で広がっていく。塩気の中にある、確かな甘さ。どっしりとした重厚感も感じる。
そして残り半分は、一度手元に残る出汁に浸けてから。溶かし込まないことこそ、俺のこだわり。
いよいよ本番。舌なめずりをして、最後に口に放り込む。先程のねっとり感は消え去って、しっとりと口の中に染み渡っていく。上あごと舌だけで、すべてを堪能していく。
最後に飲み込む瞬間、俺は両手を合わせていた。
食べ終えて、息を吐く。そして下に目をやる。やってしまう。なんと、そこで皿が目に入った。からしの乗せられた、手のつけられていない皿が。
これだけ準備して、本丸に攻め入ることを忘れていただと。思わず、膝をついてしまう。
土鍋を見る。器を見る。皿を見る。もう、何ひとつとして具材は残っていない。からしのないおでんなんて、オチのない漫才同然。それで満足してしまったというのか。
なんということ。これでは、前座だけ見て真打ちが出てくる前に帰った観客ではないか。
せっかく一年待って、最高の飢えと共に味わったはずなのに。俺は、ただ踊る道化でしかなかった。
来年まで、この空虚さを抱えて生きなければならないのか、俺は。
ふと、時計を見る。プラスチックの表面には、うなだれた負け犬が映っていた。