その指輪を一目見た時、真っ先に彼女に渡すと心に決めた。
元々自分は騎士であるから、この指輪に用がなかったというのもある。だが1番は、この指輪は彼女の指にこそ在るべきという、根拠の無い確信による所が大きかった。
すぐさま祭祀場へとんぼ帰りし、彼女、火防女のもとへ駆け寄った。
彼女は戸惑っていたが、はにかみながら受け取ってくれた。
微笑みながら指輪を見つめるその姿は、まさに聖女のようだった。
どうも相当気に入ってくれたらしい。ふとした瞬間には、じっと指輪を見つめている。
その様子を遠目に見つめる自分と時たま目が合っては、顔を朱色に染めて視線を逸らしている。なんと可愛いことか
今日も今日とて左手を見つめる火防女。
そう、左手。もっと言えば薬指にその指輪は収まっていた。
指輪に目を落とすその仕草は、もとよりの美貌と合わさり月の光を帯びた花のように美しい。
しかし、良い拾い物をしたものだ。
豪華な細工などなく、ただ鈍く銀の色をたたえるあの指輪。
『聖女の指輪』と言うそうではないか。
なるほど、と独りごつ。それならば彼女と指輪の合わさる姿を見て、
『聖女』が浮かぶのは至極当然であった訳だ。
なるほどなるほど、と独り納得していると、不意に。
「灰の方」
いつの間にか、こちらが見つめられていた。
何事だろうか。
何時までも眺めていたのが不快だったのだろうか。であれば…
「…なんでもありません。失礼しました。」
それだけ言うと、また彼女は視線を指輪へと戻してしまった。
最近、彼女の様子がおかしい。
左手を胸に抱きながら、ぶつぶつと何かを呟くようになった。
こちらが近づくとすぐに辞め、いつも通りを装うので
なにを言っているのかは分からない。
が、どうにも時折自分の名前が聴こえる気がする。
おかしいのはこれだけでは無い。自分が篝火から出発する際、
声をかけて呼び止めては、少し沈んだ声で、
「次のお帰りは、いつになりますか?」
と訊くようになった。
使命の成就は未だ遠く、王たちの玉座も空席ばかりだ。
次に祭儀場へ帰る日の当てなどつく訳もなく、むしろつける必要も無い、はずだった。
しかしそれを、彼女は求めている。
なぜ今になって?
不死の使命に昼も夜もない。まして火防女には刻など有って無いようなもの。
時たま自分が戻ったとて彼女がすることと言えば、私にソウルの力を与え、そしてまた送り出すのみ。
何故、彼女はあんなことを訊くようになったのか。
悟りも知恵も足らぬ頭に、答えを出すことはできなかった。
「……灰の方……わたしは……………」
最近、彼女はよく暗い顔をするようになった。
目元は隠れているものの、沈んだ声色に俯きがちなその表情は、それを見ている自分の気持ちをも暗く沈ませた。
それから自分は、彼女に少しでも笑顔になって欲しくて、色々なものを贈り物として彼女に渡した。
殺伐とした道行きに見つけた小さな花から、彼女の同胞らしき遺体から手に入れた瞳、大きなトカゲから取れた光るウロコ。
目が見えない彼女のために大書庫を探し回って見つけたいくつかの点字の本や、地面に叩きつけると人の言葉を話す妙な古木まで。
全て彼女の気持ちが少しでも晴れることを願って贈り、しかしその度に彼女の隠した悲哀は深まるように感じた。
渡したその時は、喜んでくれるのだ。
礼を口にし、贈り物を強く、つよく胸に抱きしめる。
しかし、少しして陰から彼女を盗み見れば、その顔を悲痛に歪め、けれど己の譲り与えた物を、その胸に押し付けるように抱いているのだ。
自分は、なんと無力なのだろうか。
自分の使命を、その苦難に満ちた道行きを支える最も大切な人の気持ちを、晴らすことすら出来ないのだから。
「……君、少しいいかね。」
ある時、協力者であり友人たる小人から、何やら常ならぬ様子で声をかけられた。
「君は今、自分のやっていることに自覚はあるのかね?」
……どういう意味だろうか。
己の使命については、既に承知の上だ。
既に残す薪の王はかの双王子のみであり、その手段もまたこれまでと変わらない。
彼の言う自覚とは、玉座を拒む者たちを殺害する行為そのものへの重みを…………
「……ああ、わかった。わかったとも」
目の前の小人はまるで憐れむような、けれどどこか諦観の滲む笑みをこちらへ向ける
「……君。火防女を……彼女の心を、あまり蔑ろにしないようにな。」
──当然だ。蔑ろになど、するものか。
彼女は、自分の最も大切な人なのだ。自分を最も支えてくれた人なのだ。
だから心配には及ばない。そう告げるものの、小人はその笑みを崩さない。
「あぁ、それならいいんだ。君、戻りたまえよ」
小人に礼をひとつ。そして彼の元を離れる。
「………最も、もう手遅れかもしれんがね」
そんな彼の言葉は、誰にも届くことはなかった。
「────灰の方」
背後から突然声をかけられ、肩が跳ね上がる。
なにせ自分は今まさに、かの双王子に挑む準備を整え、向かうところだったからだ。
「……行かれるのですね」
彼女の言葉に、頷きをもって返す
いよいよ使命も大詰めだ。
ここまで来られたのも、貴女のおかげだ。
貴女が支えてくれたから、自分はここまで来ることができた。
ありったけの感謝を、彼女へ伝える。
──しかし、彼女の反応はやはり芳しくない。
彼女はゆっくりと背を向けると、ぽつりと言葉を零す。
「……必ず、お戻りください」
……当然、戻る。貴女が居る限り、私は心折れない。
「───君、恐ろしいものを見ているね」
「それは…裏切りだよ。彼の殺した王も、彼の苦難に満ちた道行きすらも否定する、酷い裏切りだ」
「………………」
「………最初の火。あの場所へ火の無い灰が辿り着くには、君の助けが必要だ」
「……確かに、君が拒めば、彼はそこへは辿り着けない」
「………………」
「……まあ、いいんじゃないかね。私も、灼かれずに済むことだ」
「悪いのは君を……君の心を蔑ろにした、彼だからね。そうだろう?」
「………………」
「じきに、彼は戻る」
「そうしたら、全てを伝えたまえよ」
「………………」
「………君に首っ丈な彼のことだ」
「存外、手放しに喜んでくれるかもしれない」