風雪吹き荒れる極寒の地、申し訳程度の壁しかない荒屋で我々は震えながら薪の跡を眺めていた。
「クソッタレ! いつまで寒いままなんだ! もう薪も尽きちまったよ!!」
「雪崩の余波を受けたからな……掘り返せた分で今まで持っただけでも運が良い……」
「ハッ、運が良いだと! だったらこんな天災も起きなかったろうよ!
お前の神も大した事ないな! いつも熱心に祈ってる甲斐もねぇ」
幼馴染は怒りながら捲し立てたが、疲れるだけと悟ったのか項垂れて言葉を飲み込んだ。
大きな地震の後私達は跳ね起き、持てるだけの物を抱えて急いで逃げた。
お陰で命は助かったが、冬の備えを殆ど失ってしまった。
偶々上着に入っていたペンと聖書で巻末にかつての家を中心に粗末な地図を描いて、使えるものは無いか探した所は印を付けている。
幸い多少の道具や食糧を掘り出す事は出来たが、それでも冬を越すには心許ない。
地図にはもう印の付いていない所はない。
「せめて最期に一杯やりたいもんだ……」
私は机替わりの平らな岩の上に置いてある聖書に手を置いて祈った。
幼馴染はその様子を憎々しげに見ていたが、やがて首を振って肩をすくめズボンのポケットに入れたスキットルに手を伸ばした。
だがもうそれが空である事を思い出して苦々しげな顔をしていた。
「お前はもう一度雪崩の周りを探してみてくれ、家具の残骸位でも見つかれば暖を取れる。
俺は河原沿いを見てくる、生木よりはマシだろうよ」
一歩外に出ると大した事のない風でも恐ろしく寒く感じた。
こんな荒屋でも有ると無いとではこんな違うのかと妙な感動を覚え、見つけられた幸運を神に感謝した。
雪崩があろうが無かろうが、もし雪が降ったなら数日あれば勝手に殆どのものを隠してしまう。
今更何か見つけられるとは思わなかったが、降り積もった雪では小枝すら探すのが難しい。
雪崩の外縁を自分が埋まってしまわないよう、細心の注意を払いながら歩くが遅々として進めない。
注意したつもりでも思ったより足が雪に沈む。
靴が湿ってしまわないかが怖かった。
もうこれ以上足の指を失いたくはない。
出た時より風は弱まったが今度は驚くほど無音になり、自分の雪を踏む音だけが耳に残る。
荒くなった息と太腿の疲労感が強調されるようでうんざりとしてきた。
もう帰ろうかとも思ったが、何の成果も得ず戻っても嫌味を言われるだけだろう。
何より燃やせる物程度は持って帰らなければ、本当に凍死しかねない。
歩き続けるしか無いのだ。
努めて何も考えないように足を動かした。
やがて斜面の下に人工物の様な平らな物が落ちているのが見えた。
逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと近づいて行くとそれは予想通りのものだった。
家屋の屋根と倒れた木が雪崩に乗って流されてきたらしく積み重なっている。
もしかしたらこの中に薪に使える木があるかもしれない。
私は無意識にいつも胸のポケットに入れてある聖書に手を当てて、そこに何も入っていない事に動揺した。
そういえば荒屋に置いてきた事を思い出した。
今ほど背負子があればと思った事はない。
脇に抱えられる量など高が知れている。
これが生命を左右するかもしれないのに泣く泣く持てるだけで諦め、元来た道を戻る事にした。
だが持ち上げた瞬間重さに驚愕する。
果たして荒屋まで辿り着くまでに体力が持つだろうか?
正直言って火種さえあればここで夜を明かしたい程の疲労感があるが、死にたくなければまた歩く他ない。
道すがら目印になればと言い訳をしながら少し薪を捨て軽くした。
肩も腕も足も張り、悲鳴をあげている。
指は痺れて感覚がない。
風はいつもよりは穏やかなのに、それでも乾燥していて目に痛い。
鼻水は出ているが拭う為に薪を置けばもう腕を上げられない気がする。
行く時には気にならなかった緩やかな上り坂は、帰りの道では容赦なく体力を奪う。
人生で最も長く感じた道のりだった。
荒屋に戻ったのは、もう日が斜めに傾いた頃だった。
何とか暗くなる前に辿り着けた安堵も束の間、家の外で倒れている彼の姿を見た瞬間血の気が引いた。
木の束を放り捨て駆け寄ったが既に冷たくなっていた。
焚火を起こそうとしたのだろうか?
組んだ木の下に燃え尽きた数本のマッチ、黒ずんだ木片と少量の灰があった。
湿気の多い流木では上手く火がつかなかったのだろう。
だが本当に息が止まったのは、倒れた脇に転がっている聖書を見た時だ。
中身の半分程の頁は乱暴に破られ、着火剤として使われたのだろう。
その瞬間頭から全ての感情が失せ、ただ反射的に彼の頭を蹴り飛ばそうとして……
だが寸前の所で上げた足を下ろした、そんな事をしても何の意味も無い。
だが激情が去った直後に来るのは凄まじい疲労感だった。
大事にしていた聖書を失った喪失感や、幼馴染が死んだ悲しみもゆっくりと冷水の様に沁みてくる。
そう遠くないうちに自分も後を追う事になるだろう予想に絶望感が這い寄ってきた。
また無意識に胸のポケットに手をやったが、地面に落ちている聖書を見て思わず苦い顔になる。
傍で倒れている彼の顔を見た。
きっと最期まで寒さに歯を食い縛りながら、必死に火をつけようとしたのだろう。
硬くなった拳の指の間からクシャクシャになった紙がはみ出ている。
私は彼の拳を解いて頁を取り出して広げた。
汝の隣人を貴方自身のように愛しなさい、基本の教えだ。
彼が最期にしたかった事をやってやろう。
私は頁を組み木の下に入れ、拾ってきた枝を細かくしてその上に置いた。
彼の上着のポケットを弄りマッチを探し出して火をつける。
紙は直ぐに燃えるが枝に火が移らない。
少し迷って聖書から更に頁を毟り取り口火にする。
祈りながら息を吹きかけ、震えが止まらない手で風を遮る。
それでも紙が燃え尽きる方が早かった。
マッチも残り少なかったので、もう躊躇わず本を開いた状態で火をつけた。
どうせ産まれた時から読み込んでいるのだ、内容は殆ど暗記している。
必死に息を吹き込みなんとか枝に燃え移ったのを確認して、漸く安心できた。
充分に乾燥されていない木は煤が多く、煙くて涙が止まらない。
一息付いた後、固くなった友人を焚火の側に寝かせてやり、手を組ませて形を整えてやる。
もう少し早く戻って来れば共に暖まれただろうか?
一緒に住んでからは色々あったが結構上手くやれていた。
ここでも残り少ない食料を分け合い、励ましあったから絶望せずに済んだのだ。
火を見つめながら彼が無事に天国へ行ける様に祈った。
相応しい章や文節は幾らでも浮かんでくる。
乱暴ではあったがこんな最期を迎えていい様な奴では無かった。
後で埋めてやらなければならない。
揺らめく火は安心感を与えてくれるが、私はもうこの火が消えてしまう事が怖くてたまらなかった。
「神よ、どうか私からこれ以上奪わないで下さい。
これ以上失ってしまったらもう生きる事が出来ません」
揺れる炎が睡魔を誘うが、寝てしまったら2度と起きれないだろう。
手を首元に当てて温める。
自分の手の冷たさで少しは目が冴える、身体の温もりも同時に感じた。
まだ生きている、死にたくはない。
理由など無い、だが彼の様な最期は御免だった。
そう、まずは腹拵えからだ。
私はゆっくりと立ち上がり、荒屋の中に戻った。
部屋の隅の袋に入れたわずかな食糧を漁っていた時、ふと岩の上を見るとある筈の無い物があった。
瓶、それも琥珀色の、きっと蒸留酒の入ったやつだ。
家を出るまでこんな物は無かったのだから、恐らく彼が拾ってきたのだろう。
アルコールを紙に染み込ませてやれば簡単に火が付いたろうに、考えが及ばなかったのか、それとも酒が勿体なかったのか……
これがある事が嬉しいやら情けないやら複雑な気持ちになったが、まだそれの栓が開いていない事に気づいた。
もしかしたら、私が帰って来てから一緒に飲もうとしていたのかもしれない。
その考えに至った時、全ての力が抜けるのを感じた。
思えばいつも空のスキットルを不機嫌そうに弄るほどの酒好きなのだ。
それなのに、凍死する程寒かった筈なのに、この馬鹿は私の帰りを待って死んだのだ。
私は栓を開け、瓶から一口酒を飲んだ。
度数の高さは喉を焼き、臓腑に落ちて身体を芯から温める。
まだ死ぬ訳にはいかない。
そう思った。