ガリガリ君による星療体暗殺未遂

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氷菓の凶弾、或いは青き星の崩落

 

 薨星宮(こうせいきゅう)、本殿。

 そこは、外界から隔絶された静寂が支配する空間だった。樹齢数千年を超えるであろう巨木が、地下深くに根を張り、神聖さとある種の不気味さを漂わせている。

 夏油傑は、天内理子に向き合っていた。

 本来であれば、ここで彼女は天元様と同化し、その自我を消滅させるはずだった。それが星漿体としての宿命であり、彼女が生まれた理由そのものだったからだ。

 しかし、夏油は彼女に選択肢を与えた。

 

「理子ちゃん。君が同化を拒んで、このまま帰りたいと言っても、私は君を守るよ」

 

 その言葉は、呪術高界からの任務放棄を意味する。五条悟と二人、「最強」である彼らだからこそ言える、傲慢で、しかしとびきり優しい提案だった。

 理子は震えていた。

 黒い髪がわずかに揺れる。彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

「……私は」

 

 彼女は言葉を詰まらせながら、それでも懸命に想いを吐き出す。

 

「もっと、みんなと一緒にいたい……! 天元様とか、世界とかどうでもいい! 私はもっと、黒井と、五条と、夏油と! もっと色んなところへ行って、色んなものを見て……!」

 

 それは、14歳の少女の、あまりに純粋な「生」への渇望だった。

 夏油は優しく微笑んだ。その答えを待っていたのだ。

 

「ああ。帰ろう、理子ちゃん」

 

 夏油が手を差し伸べる。

 理子は涙で濡れた顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。絶望の淵から救い上げられた、希望の光そのもののような笑顔だった。

 彼女はその小さな手を、夏油の手へと伸ばす――。

 その時だった。

 

 本来であれば、乾いた銃声が響くはずだった。

 鉛の弾丸が少女の側頭部を貫き、その命を無慈悲に奪うはずだった。

 だが、現実は違った。

 

 ドゴォッ!!

 

 銃声というよりは、何か硬質でありながらも脆い物体が、音速を超えて衝突し、粉砕されたような轟音が響き渡った。

 

「え?」

 

 夏油の視界の端で、理子の頭部が大きくのけぞる。

 血飛沫――ではない。

 鮮やかな、蛍光色に近い「青い飛沫」が、スローモーションのように空中に舞った。

 理子の体は衝撃で吹き飛び、石畳の上をごろごろと転がった。

 

「理子ちゃん!!」

 

 夏油は叫び、即座に虹龍を構えながら彼女の元へ駆け寄る。殺気は背後からだ。だが今は理子の生死が優先だ。

 即死か。いや、あの青い液体はなんだ? 脳漿にしては色がポップすぎる。呪霊の体液か?

 倒れ伏した理子が、ピクリと動いた。

 そして、額を押さえながら、うめき声を上げる。

 

「あ……あが……っ」

 

 生きている。

 夏油は安堵と同時に、強烈な違和感を覚えた。

 理子の額には、赤く腫れ上がったタンコブができている。そして、彼女の顔面、前髪、制服の襟元にかけて、ベトベトとした青いシャーベット状の何かが大量に付着していた。

 辺りに漂うのは、血の匂いではない。

 駄菓子屋で嗅いだことのある、人工的で爽やかな甘い香り。

 そう、ソーダの香りだ。

 

「……痛い……い、いったぁぁぁ……」

 

 理子は頭を抱えてのたうち回っている。それは致命傷の苦しみというよりは、猛烈な寒さと衝撃による混乱のようだった。

 

「キィーンとする……! 頭が、頭が割れるようにキィーンとするのじゃ!!」

 

「アイスクリーム頭痛……?」

 

 夏油は呆然とつぶやいた。

 そして、その「凶器」の残骸を見る。

 砕け散った氷の破片。その中に、一本の木の棒が転がっていた。

 そこには焼印が押されている。

 

『1当たり』

 

 夏油は戦慄した。

 これは……「ガリガリ君(ソーダ味)」だ。

 誰かが、ガリガリ君を音速に近い速度で投擲し、理子の額に直撃させたのだ。

 

「あーあ。ハズレかと思ったけど、当たりじゃねぇか」

 

 野太く、気だるげな声が響いた。

 夏油は弾かれたように振り返る。

 本殿の入り口、長い階段の上に、一人の男が立っていた。

 伏黒甚爾。

 筋肉質の体に、ピチピチのシャツ。その手には凶悪な呪具――ではなく、コンビニの袋がぶら下がっている。

 そしてもう片方の手には、新たなガリガリ君(コーラ味)が握られていた。

 

「……お前は」

 

 夏油の声が低く響く。

 五条がここにいない以上、この男がここに来たということは、五条はどうなったのか。様々な思考が巡るが、目の前の光景があまりに異常すぎて思考がまとまらない。

 甚爾は袋から二本目のガリガリ君を取り出し、袋を無造作に放り投げた。

 

「俺か? 俺は今のところ、ただの通りすがりのガリガリ君好きだ」

 

「……悟はどうした」

 

「五条悟か? ああ、あいつなら今頃、コンビニで新作のアイスを探してんじゃねえか? 知らねえけど」

 

 甚爾は嘘をついている。あるいは、はぐらかしている。彼の纏う空気は、一般人のそれではない。天与呪縛によるフィジカルギフテッド。呪力がないからこそ、夏油の感知をすり抜けてここまで侵入できたのだ。

 

「お前が理子ちゃんを狙ったのか?」

 

「『狙った』? 人聞きが悪いな。俺はただ、食い終わったアイスの棒を捨てようとしただけだ。ちょっと力が入りすぎたかもな」

 

「ふざけるな」

 

 夏油の怒りが頂点に達する。

 理子はまだ「頭がキィーンとする」と泣き喚いているが、命に別状はないようだ。だが、もしあのガリガリ君が本物の凶器、あるいは呪具であったなら、彼女は確実に死んでいた。

 いや、そもそもガリガリ君を投擲して人を吹き飛ばす威力自体が異常なのだ。

 

「死ね」

 

 夏油は虹龍をけしかけた。

 巨大な龍の呪霊が、顎を開いて甚爾に襲いかかる。

 甚爾は動じない。

 彼は手にしたガリガリ君(コーラ味)を構えた。

 

「今のガリガリ君はな、昔より氷の密度が上がってんだよ」

 

 甚爾の一閃。

 それは剣術の域に達していた。

 ガリガリ君の角、最も硬度が高い部分が、虹龍の鼻先に叩き込まれる。

 

 バキャァッ!!

 

 信じがたいことに、特級に近い硬度を誇る虹龍の外殻が、わずかにひび割れた。

 同時に、ガリガリ君も砕け散り、コーラ味の破片がキラキラと舞う。

 

「チッ。やっぱすぐ砕けるな。安物はこれだから困る」

 

 甚爾は舌打ちし、懐から何かを取り出した。

 それは銃でも刀でもない。

 箱買いした「ガリガリ君(梨味)」のファミリーパックだった。

 

「質より量だ。行くぞ、呪霊操術」

 

 戦いは、混沌を極めた。

 夏油が繰り出す数々の呪霊に対し、甚爾は圧倒的な身体能力と、無尽蔵とも思えるアイスの在庫で対抗していた。

 

「仮想怨霊『口裂け女』!」

 

 夏油が召喚した強力な呪霊が、巨大なハサミを展開し、甚爾に迫る。

 

「ワタシ、キレイ……?」

 

「ああ、ベトベトだな」

 

 甚爾は瞬時に間合いを詰めると、口裂け女の開いた口の中に、開封したばかりのガリガリ君を三本まとめて突っ込んだ。

 

「ごっ、ごふっ!?」

 

 口裂け女が冷たさにむせ返る。知覚過敏には耐え難い冷気だ。

 その隙に、甚爾は強烈な蹴りを叩き込み、呪霊を祓った。

 夏油は冷や汗を流していた。

 

(なんだコイツは……!? 呪具を使っていない。ただの市販のアイスキャンディーだぞ!? なのに、なぜ私の呪霊たちが圧倒されている!?)

 

 甚爾の強さは、そのフィジカルだけではない。

 「ガリガリ君」という、極めて脆く、武器に適さない物体を、天与の肉体操作によって「インパクトの瞬間だけ鋼鉄以上の硬度として扱う」という、神業的な技術にあった。

 溶けかけのアイスですら、彼の手にかかれば鞭のようにしなり、打撃力を生む。

 

「どうしたエリート。もう弾切れか?」

 

 甚爾は余裕の笑みを浮かべる。その足元には、大量のアイスの棒と、色とりどりの包み紙が散乱していた。

 本殿は甘い匂いで充満し、神聖な雰囲気は完全に崩壊していた。

 

「なぜだ……」

 

 夏油は膝をついた。呪力の消費よりも、状況の不条理さに精神が削られていた。

 ――否、そんなことよりも。

 

「なぜ、そこまでしてガリガリ君にこだわる……! 普通に武器を使えばいいだろう!」

 

 夏油の問いに、甚爾はポリポリと頭をかいた。

 

「いや、実はな」

 

 彼は視線を逸らした。

 

「依頼主からの前金、全部競艇でスッちまってな。武器庫(格納呪霊)に入れてた呪具も、質に入れちまったんだよ」

 

「は……?」

 

「で、腹減ったから残りの小銭でガリガリ君を買ったら、当たりが出た。その当たりを交換しに行ったらまた当たって、気付いたら手元に大量のアイスがあったわけだ。……捨てるのも勿体ねぇだろ?」

 

「そんな理由で……! 私たちを襲ったのか!?」

 

「仕事は仕事だ。星漿体の暗殺。手元にあるもんでやるしかねぇだろ」

 

 狂っている。

 夏油は戦慄した。この男は、呪術界の因果や運命の外側にいる。

 金が無くなったから武器を質に入れ、小銭で買ったアイスで特級術師と星漿体を殺そうとしている。

 その軽薄さが、何よりも恐ろしかった。

 

「さて、そろそろ終わらせるか」

 

 甚爾はビニール袋から最後の切り札を取り出した。

 それは「大人なガリガリ君 ゴールデンパイン味」。

 通常のものより果汁が多く、ねっとりとした食感が特徴のリッチな一品だ。

 

「こいつは粘度が高い。打撃力も貫通力も段違いだ」

 

 甚爾が構える。

 夏油は動けない。呪霊は枯渇し、体術でも彼には敵わない。

理子は依然として、後方で頭を押さえて蹲っている。

 

「じゃあな」

 

 甚爾が踏み込む。

 その速度は、先ほどの投擲を上回る。

 黄金のパインアイスが、夏油の眉間を捉えようとしたその時――。

 

「触れるな」

 

 冷徹な声と共に、甚爾の動きが止まった。

 いや、止められたのだ。

 見えない壁によって。

 

「……あ?」

 

 甚爾の目の前、数センチのところで、ゴールデンパインが空中で停止している。

 アイスの表面から、ポタポタと果汁が垂れるが、それも空中で止まっている。

 

「悟……!」

 

 夏油が叫んだ。

 そこにいたのは、制服姿の五条悟だった。

 だが、様子がおかしい。

 彼は全身ずぶ濡れで、片手にはコンビニの袋を持っていた。

 

「遅くなってごめん、傑。ちょっとコンビニで『ガリガリ君梨味』を探しててさ。あちこち回ってたら遅くなった」

 

「お前もかよ!!」

 

 夏油のツッコミが薨星宮に響く。

 五条は赫に光る瞳で甚爾を見据えた。

 

「お前だろ? 俺が買い占めようとした梨味を、先に全部買い占めたのは」

 

「あん? 早いもん勝ちだろうが」

 

「……許せねぇ」

 

 五条の周囲の空間が歪む。

 本来の「六眼」が見抜いた情報は、「相手が伏黒甚爾であること」「星漿体暗殺の実行犯であること」だったはずだ。

 しかし、今の五条の脳内を占めているのは、「楽しみにしてた梨味を買い占められた恨み」のみ。

 

「術式順転『蒼』」

 

 五条の指先に、強烈な引力が発生する。

 それは甚爾そのものではなく、彼が持っている「大人なガリガリ君」へと向けられた。

 

「あ、テメェ!」

 

 甚爾の手からアイスが離れ、五条の手元へと吸い寄せられる。

 五条はそれを空中でキャッチし、包装を破り、一口かじった。

 

「……うん、パインも悪くないね」

 

「てめぇ、人のアイスを……!」

 

 甚爾の額に青筋が浮かぶ。

 殺し屋としてのプライドではなく、アイスを奪われた男としての怒りが彼を突き動かした。

 

「殺す!!」

 

 甚爾が素手で突っ込む。

 五条はニヤリと笑った。

 

「やってみなよ。天与の暴君」

 

 

 

 

 結果から言えば、痛み分けだった。

 五条と甚爾の戦いは、本殿を半壊させ、天元様の結界にヒビを入れるほど激化したが、最終的には「アイスが全部溶けた」という理由で甚爾が戦意を喪失し、撤退した。

 

「……最悪じゃぁ」

 

 戦いが終わり、静寂が戻った本殿で、理子がポツリと呟いた。

 彼女の顔は、ソーダアイスの青い着色料でドロドロになり、髪は糖分でカピカピに固まっていた。

 感動的な別れも、命を懸けた決断も、すべてがベトベトの甘い匂いにかき消されていた。

 

「夏油……私、帰りたい」

 

「うん、帰ろう」

 

「帰って、シャワー浴びたい。すごい浴びたい」

 

「そうだね。それがいい」

 

 夏油は疲れ切った顔で頷いた。

 五条はと言えば、「やっぱ梨味が食いてぇな」などと言いながら、スマホで近隣のコンビニの在庫を検索している。

 

 理子は生き残った。

 天元との同化は有耶無耶のうちにキャンセルされ、盤星教も「なんかアイスまみれのガリガリ君男が暴れてた」という報告を受け、混乱のうちに計画を頓挫させた。

 甚爾は暗殺に失敗したものの、賭けで負けた分の金は、五条の財布から(戦闘のどさくさに紛れて)抜き取っていたため、とりあえずの生活費は確保したようだった。

 

 数日後。

 沖縄のビーチにて。

 デッキチェアに寝そべる理子の手には、ガリガリ君(ソーダ味)があった。

 

「……これ、美味しいのじゃな」

 

「だろ?」

 

 隣で五条が梨味をかじり、夏油がコーラ味を食べている。

あの日の恐怖は、甘い記憶へと上書きされた――わけではないが、少なくとも彼らは笑っていた。

 理子の額には、まだうっすらと青いアザが残っている。

 それは彼女が人間として生きることを勝ち取った、あるいは「当たり」を引いた証なのかもしれなかった。

 

 


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