【完結】夢見る癒して   作:万歳!

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最終話 夢

 ミルドラースを、僕たちは倒した。確かにこの目で見た。父さんの剣が魔王を斬り、世界を覆っていた重圧が霧のように消えていくのを。

 

 勝った――はずだった。

 

 なのに、胸の奥が冷え切っていく。ミルドラースが最期に吐き捨てた言葉が、耳から離れなかった。――ホイミスライムは、息絶えたぞ。

 

 ありえない。

 

 そんなことが、あるはずがない。

 

 あの戦いの間、どれほどの魔力がこちらに流れ込んできていたか、僕は感じていた。遠くから、確実に、僕たちが戦いやすいように世界を調整してくれていた存在があった。

 

 ホイミンだ。

 

 僕が初めて仲間にした、僕が初めて一緒に旅をした。、息子が勇者になる前から、ずっと隣にいた友達。そんな彼が、こんな簡単に死ぬはずがない。

 

「戻るぞ!!」

 

 気づけば、父さんが叫んでいた。

 

 僕も、走っていた。

 

 いや、走っていたのは僕だけじゃない。

 父さんも、母さんも、ビアンカも、テンも、ソラも、ピエールも、カデシュも。

 

 誰一人、言葉を発さなかった。

 

 誰一人、「大丈夫だろう」とは言わなかった。

 

 それが、すべてだった。

 

 祭壇へ向かう道は、血と瓦礫で覆われていた。魔物の亡骸が、折り重なるように積み上がっている。数が、異常だった。

 

(……全部、ホイミンが……?)

 

 背筋が冷える。

 

 だが――

 

 祭壇の周囲だけは、まるで嵐が避けて通ったかのように静かだった。

 

 そこに、彼はいた。

 

「……ホイミン!!」

 

 声が、裏返った。

 

 体は、原型を留めていなかった。触手は何本も斬り落とされ、体中に深い傷が刻まれている。血の量だけで、どれほどの時間、戦い続けていたのか分かってしまう。

 

 僕は、考える前に駆け寄っていた。

 

「ベホマ!!」

 

 光が、彼を包む。

 

 ――反応が、ない。

 

「……もう一度……! ベホマ!!」

 

 効かない。

 

 嫌な汗が、背中を伝う。

 

「なんでだ……!? なんで……!」

 

 魔力はある。詠唱も間違っていない。何度も、何度も使ってきた呪文だ。

 

「死なないでくれ……ホイミン……!」

 

 声が、震える。

 

 テンとソラが、駆け寄ってきた。

 

「やだ……ホイミン……死んじゃやだ……!」

 

「ホイミン先生! しっかりして!!」

 

 その声を聞いて、胸が締め付けられた。

 

 ――子どもに、こんな顔を見せるな。

 

 そう思うのに、止まらない。

 

「ベホマ!! ベホマ!!」

 

 必死に唱える。

 

「なんで効かないんだ!!」

 

 叫びながら、僕は初めて気づいた。

 

 ……ああ。

 

 この感覚は、知っている。回復が届かないのは、傷が深いからじゃない。命そのものが、尽きかけているからだ。

 

「……リュカ……」

 

 かすれた声。

 

 僕は、息を呑んだ。

 

「……テン……ソラ……」

 

「ホイミン!!」

 

 思わず、すがりついた。

 

「大丈夫だ! 必ず治す! 待っててくれ!!」

 

 彼は、かすかに首を振った。

 

「ううん……もう……いいんだ……」

 

「そんなわけあるか!! ベホマ!! ベホマ!!」

 

 否定する。

 

 否定しないと、壊れてしまう。

 

「ボクは……魔力だけじゃなくて……」

 

 言葉を区切りながら、彼は続けた。

 

「命、そのものを……使って……大魔王の力を……封じ続けた……」

 

 その言葉で、すべてが繋がった。

 

 だから、回復が効かない。だから、あれほど魔王が弱体化していた。だから――

 

「……回復呪文じゃ……届かない……」

 

「そんな……!」

 

 ビアンカが声を上げた。

 

「何か……何か方法はないの!? 私たちは……まだ何もあなたに返せていないのに!!」

 

 ホイミンは、少しだけ笑った。

 

「十分だよ……楽しかった……」

 

 そして、僕を見た。

 

「それに……リュカとビアンカは……もう親なんだ……」

 

 胸が、締め付けられる。

 

「子どもの前で……泣いちゃ……だめだよ……」

 

 ……正しい。

 

 正しすぎて、辛い。

 

「子どもたちに……強い姿を見せてあげなくちゃ……」

 

 そしてホイミンの視線がゆっくり父さんに向かった。

 

「パパスさん……奇跡の剣と……力の盾……あげる……正しいことのために……使って……」

 

 父さんは、深く頭を下げた。父さんも涙を流していた。

 

「……お前がいなければ、マーサを救うことはできなかった……」

 

 深く頭を下げていた。そしてホイミンが独り言をつぶやくように言った。

 

「……ああ。最後に、人間になりたかったな……」

 

 彼の、ずっと前からの願いを口にした。母さんを見る。

 

「……母さん」

 

 声を振り絞る。

 

「ホイミンは……ずっと人間になりたくて旅をしていたんだ……」

 

 マーサは、静かに頷いた。

 

「……最後に、その願いを叶えてあげたい」

 

 祈りが、始まる。

 

 温かく、包み込むような光。

 

 光が収まったとき――そこにいたのは、スライムではなかった。旅の吟遊詩人のような、人間の姿。ホイミンは、自分の手を見て、目を見開いた。

 

「……やった……」

 

 弱々しく、でも確かに笑った。

 

「ボク……人間になれた……」

 

 テンとソラは、その姿を見ながらまだ泣いている。

 

「死なないで……!」

 

 ホイミンは、優しく言った。

 

「泣かないで……人生は……一度きりだから……」

 

 その言葉が、胸に突き刺さる。

 

「ボクの番が……来ただけ……」

 

 それでも、子どもたちは泣き続ける。

 

「……リュカとビアンカは……分かってるでしょ……?」

 

 僕は、叫んでいた。

 

「分かりたくなんかない!!」

 

 声が、壊れる。

 

「素晴らしいのは分かる……! でも……!」

 

 彼は、静かに微笑んだ。

 

「大丈夫……みんなが……いる……」

 

 視線が、僕たちではない場所を見る。

 

「あっ、ソロ様、ライアン様、アリーナさん、クリフトさん、トルネコさん、ブライさん、マーニャさん、ミネアさん……迎えに来てくれたんですが。見てください。ボク人間になれましたよ」

 

「レック様。ハッサンさん。ミレーユさん。バーバラさん。チャモロさん。アモスさん。テリーさん。ドランゴまで来てくれたんだね」

 

 いつの間にか僕は手を伸ばしていた、ホイミンの手をしっかりと握っていた。

 

「……スラリンにドラきちまで。皆。ボクも、今行くからね。新しい時代の勇者様のお話をもって」

 

 そう言って、ホイミンの手から力が抜けて落ちた。

 

「……ホイミン?」

 

 返事は、なかった。

 

 僕は、彼を抱きしめた。

 

「あああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 泣いた。皆が泣き続けた。涙がこぼれてもあふれてくる。

 

 せめてグランバニアで埋葬する。それが僕たちの願いだった。テンやソラ、ビアンカや父さんがホイミンを抱きかかえようとしたが、この役目だけは譲れない。ホイミンを連れて行くのは僕の、友人の義務だ。

 

 抱きしめながら泣き続けた。ビアンカもテンとソラもホイミンの遺体に縋りついて泣き続けた。

 

 一時間ほど僕たちは泣き続けた。そして天空城へマスタードラゴンに報告のために向かうことになった。ホイミンの遺体を連れて。

 

☆ ☆ ☆

 

「天空の勇者とその一族よ。よくぞ、大魔王ミルドラースを討伐してくれた」

 

 天空城の最奥。

 

 雲海の上に浮かぶ玉座の間は、勝利の場であるはずだった。だが、誰一人として声を上げなかった。剣を掲げる者も、喜びに笑う者もいない。

 

「……」

 

 沈黙だけが、重く場を支配していた。僕たちの足元には、白い布に包まれ亡骸がある。その存在が、この場のすべてを語っていた。

 

「何か、報酬として渡そう」

 

 マスタードラゴンの声は、天上から落ちてくる雷のように静かで、重い。

 

「世界を救った褒美だ。望みがあるなら、言うがよい」

 

 その言葉が終わるより早く、テンが前に出た。小さな身体。だが、今の彼は、誰よりも大きな覚悟を背負っていた。

 

「ホイミンを……」

 

 声が震えている。

 

「ホイミンを蘇生してください。お願いします!」

 

 その叫びは、祈りだった。父さんも一歩前に出る。

 

 拳を握り、まっすぐにマスタードラゴンを見据えて。

 

「マスタードラゴン……」

 

 低く、抑えた声。

 

「あなたは、勇者ソロの願いを叶えなかったことを、後悔していたはずだ」

 

 一瞬、空気が張り詰めた。

 

「ホイミンを蘇生してくれ。私は、いや私たちは……まだ、何もホイミンに返せていない」

 

 その言葉は、王の命令ではなかった。一人の父であり、友であった男の、懇願だった。マスタードラゴンは、ゆっくりと目を閉じた。

 

 長い、長い沈黙。

 

 雲が流れる音すら聞こえそうなほど、時間が引き延ばされる。

 

 テンとソラは、息を殺して待っている。

 

 母さんは、祈るように両手を組んでいた。

 

 そして――。

 

「駄目だ」

 

 短い一言。

 

 あまりにも、あっさりと。

 

「……どうしてさ!」

 

 テンが叫んだ。

 

「ホイミンがいなければ、僕たちは勝てなかった!」

 

 涙が、止めどなく溢れている。

 

「何で……何で報酬を払ってくれないんですか!」

 

 ソラも、前に出て膝をついた。

 

「お願いします……!」

 

 小さな手で、必死に縋る。

 

「ホイミン先生を……蘇生してください……!」

 

 胸が、締め付けられた。

 

 僕も、思わず口を開いていた。

 

「……あなたなら、できるんでしょう?」

 

 声が、かすれる。

 

「だったら――」

 

「――確かに、私ならできる」

 

 その言葉に、希望が一瞬だけ灯る。だが、次の言葉が、それを容赦なく打ち砕いた。

 

「だが、それは世界の理を乱すものだ」

 

「世界の……理?」

 

 言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

 

「本来、ザオリクという呪文に、時間制限はない」

 

 マスタードラゴンは、淡々と語る。

 

「遺体さえあれば、何年、何十年経とうと蘇生は可能だ」

 

 僕は、はっとした。

 

「……でも」

 

 喉が、ひりつく。

 

「ホイミンは……三十分……」

 

「そうだ」

 

 マスタードラゴンは頷いた。

 

「ホイミンは、三十分だけ世界の理を越えた。いや……正確には違う」

 

 視線が、布に包まれた亡骸へ向く。

 

「世界の理を完全に越えるのを拒絶したのだ」

 

 胸が、痛んだ。

 

「本来なら、いくらスライムが長命であろうとも、とっくに息絶えていたはずだ。だが、ホイミンは世界の理を越えた。故に、寿命に縛られなかった」

 

 ――嫌な予感がした。

 

「それでもなお、この世界の理に従おうとした」

 

 言葉が、胸に突き刺さる。いつかの言葉。人生は一度きりだから素晴らしい……。

 

「ホイミン自身が願ったことだ」

 

 マスタードラゴンの声は、冷酷ではなかった。

 

 むしろ、どこか哀しげだった。

 

「お前たちの願いで蘇生するのは、ホイミンに対する冒涜になりうる」

 

「……そんな」

 

 言葉が、出なかった。あまりにも、ホイミンらしい。最後の最後まで、自分を特別にしない選択。

 

「とはいえだ」

 

 マスタードラゴンが、続ける。

 

「私は、ホイミンと約束がある」

 

 場の空気が、変わった。

 

「テンとソラが大人になり亡くなった後、私が再び過ちを犯さぬよう、監視する存在になってくれると」

 

 息を呑む。

 

「――なら!」

 

 テンが叫ぶ。

 

「だったら……!」

 

「私の都合で、蘇生しよう」

 

 その言葉に、全員が顔を上げた。

 

「ホイミンの遺体を、そこに置くのだ」

 

 一瞬、世界が止まったように感じた。

 

 僕は、布に包まれたホイミンを見つめた。

 

 ――本当に、それでいいのか?

 

 ホイミンの願いを、世界の理の中にいようとした意思を踏みにじることにならないのか?

 

 でも。

 

 それでも。

 

 胸の奥から、どうしようもない想いが溢れ出す。

 

 僕は、震える手で布に触れた。

 

「……ホイミン」

 

 声にならない声。

 

「ごめん……でも……」

 

 僕は、前に進んだ。

 

 選ぶこと自体が、罪だとしても。

 

 それでも、友を取り戻したいと願ってしまった自分を、否定できなかった。

 

 天空城に、再び光が集まり始める。

 

 それが奇跡なのか、

 

 それとも新たな業なのか――

 

 その答えは、まだ誰にも分からなかった。

 

☆ ☆ ☆

 

「ふぅ……疲れた」

 

 思わず声に出してしまってから、僕は慌てて口を押えた。玉座の間の一角に設えられた執務机。その上には、書類の山。どれもが、世界が救われた後に残された問題だった。

 

「殿下。まだ判を押していない書類が三十件ほど残っておりますぞ」

 

 年嵩の大臣が、苦笑しながら言う。責める調子ではない。ただ事実を淡々と述べているだけだ。

 

「分かってるよ、大臣」

 

 分かっている。分かってはいるけれど、正直に言えば、剣を振るう方がよほど楽だった。あの大魔王との戦いの後、確かに僕たちは勝利の宴を開いた。

 

 グランバニア中が、いや世界中が歓喜に沸いた。

 

 だが――。

 

 魔王が倒れたからといって、世界が自動的に元に戻るわけじゃない。

 

 テンは勇者として、強く願った。

 

「今、苦しんでいる人を一人でも減らしたい」と。

 

 その想いを、誰も止めなかった。いや、止められなかった。

 

 テンは父さんと母さんと共に、天空城で世界を巡っている。空から見下ろすことでしか辿り着けない土地。封じられていた村。

 

 そして――ミルドラースを信仰する一派によって、奴隷として扱われていた人々。解放された人々の中には、笑うことを忘れてしまった者もいた。

 

 名前すら奪われていた者もいた。

 

 彼らは、グランバニアとラインハットに預けられた。

 

 いや、預けたという言葉は正しくない。その地を、新しい故郷にしようと決めたのだ。

 

 魔物との共存を前提に、城内だけでなく城外にも住宅を建て、農村を拓く。そのための土地の割り当て。食料の配給計画。治安維持の体制。

 

 それらすべてが、今、僕の机の上にある。

 

 ……本当は。本当は、僕とテンが一緒に旅をするのが、一番良いのだと思う。でも、何かが起きた時、父さんの方が強い。そして僕は、王太子だ。

 

 だから、こういう役割分担になった。

 

 剣を置き、ペンを取る。それが、今の僕の戦いだった。

 

「リュカ」

 

 柔らかな声がして、顔を上げる。

 

「大臣さんも、少し休憩したら?」

 

 ビアンカだった。彼女は昔と変わらず、優しく、でも芯のある眼差しでこちらを見ている。

 

「……そうだね」

 

 大臣に向き直る。

 

「三十分ほど、休憩にしよう」

 

「畏まりました」

 

 大臣は深々と頭を下げ、書類をまとめて退出していった。

 

 張りつめていた空気が、ふっと緩む。

 

 僕とビアンカは並んで歩き、城の一角へ向かう。そこに、ソラがいる。

 

「作業は順調かい、ソラ?」

 

「――あっ、お父さん!」

 

 ソラはぱっと顔を上げた。机の上には、分厚い写本。丁寧な文字で、びっしりと書かれている。

 

「順調です!」

 

 その表情は、誇らしげだった。僕も少しだけ、その原稿に目を落とす。ノンフィクション。実際にあった出来事を、できる限り正確に、そして優しく書き留めた物語。

 

 これほど壮絶で、それでいて温かな冒険譚は、他にないだろう。

 

「……本当に、よく書けてる」

 

「ホイミン先生のおかげです」

 

 その名前を聞いて、自然と視線が部屋の奥へ向いた。

 

「ホイミン。執筆の方はどうかな?」

 

 机に向かっていた彼が、振り返って笑った。

 

「リュカ! 一作目がそろそろ完成しそうだよ!」

 

 その笑顔は、以前と同じ――けれど、どこか少しだけ、落ち着いて見えた。

 

「もっとも、ボクがいないところの冒険は伝聞になるけどね」

 

「それでも十分すぎるわ」

 

 ビアンカが微笑んで言う。

 

「タイトルは決めたの?」

 

 ホイミンは少し考えるように顎に手を当てた。

 

「うん。最初はね――

『天空の勇者と幻の大地』」

 

 ソラが目を輝かせる。

 

「もう一つは?」

 

「『天空の勇者と選ばれし者たち』かな!」

 

 その言葉を聞いて、胸の奥が温かくなった。

 

 勇者だけじゃない。選ばれたのは、剣を持つ者だけじゃない。

 

 守る者、支える者、語り継ぐ者。

 そして――生き残り、未来を作る者。

 

 僕はペンを握る手を見つめる。かつては剣しか握れなかったこの手で、今は世界を形作ろうとしている。

 

「……ホイミン」

 

 思わず、口に出た。

 

「君がいてくれて、本当に良かった。僕の友達になってくれてありがとう」

 

 ホイミンは少し照れたように笑った。

 

「それはこっちの台詞だよ、リュカ」

 

 その言葉が、胸に深く染みた。

 

 外では、城下町の音がする。人々の声。子どもたちの笑い声。鍬を打つ音。世界は、まだ不完全だ。問題は山積みだ。

 

 それでも。

 

 僕はこの机に向かい続ける。テンが空で戦っている間、ソラが言葉を写し取っている間、ホイミンが物語を紡いでいる間。

 

 これが、僕の選んだ役割だから。

 

 剣を置いた勇者の父、その後の物語として。




それにしてもほぼ毎日投稿。自画自賛してしまいそう。ただその分物語が多少荒くなった感じ。次回作はゆっくり考えます。

ありがとうございました!!
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