第11話 境界線の見えない場所
クランハウスの朝は、いつもより静かだった。
朝食を取りながら、
俺たちは次の探索について話し合っていた。
「……次、どうします?」
澪が、カップを置いて言う。
「このまま一階層で回すか……第二層に入るか」
第二層。
上層の二階部分。
構造がいま挑んでいる第一階層より少し複雑になり、
敵の数と配置が増える階層らしい。
慣れていれば致命的ではない。
だが、油断すると事故が起きる。
先輩たちからはそう聞いている。
佐伯は、黙って聞いている。
俺は即答せず、二人に提案するように言った。
「探協で話を聞いてから決めようか。
今の探索者達の空気が、少し気になる」
探協に着くと、
嫌な予感はすぐに確信へ変わった。
スタッフが走り回り、
探索者同士の声が重なっている。
騒ぎの中心にあったのは——
中層の話だった。
イカロス。
奈落の奥、
雰囲気の違う大広間を越え、
階層守護者を討伐。
その先へ足を踏み入れ、
損耗も異常もなく帰還した。
それが、すべての始まりだった。
「俺たちも行けるんじゃないか」
そんな空気が、
一気に広がった。
上位パーティ。
中堅クラン。
実力はある。
だが——
中層は、別物だった。
探協に集まる情報を拾っていく。
中層に挑んだパーティのうち、
八割が失敗している。
撤退できた例もある。
だが、ほとんどは——
・想定外の敵の質と数
・地形の急変
・精神的な消耗
・判断の遅れ
そして、
連絡が途絶えた例も、確かにあった。
「ベテランでも、だ」
誰かが低い声で言った。
「何度も奈落に潜ってる奴らでも、
少しの好奇心や色気を出しただけで、
一気に足元をすくわれる」
イカロスが無傷で帰ってきたことが、
逆に毒になった。
実力が伴っていない“上位勢”が、
自分も行けると勘違いした。
——結果は、見ての通りだ。
探協を出る頃には、
胸の奥が重くなっていた。
「……俺たちも、浮ついてたかもしれないな」
思わず、そう口に出る。
第二層。
上層の延長。
行けなくはない。
だが——
「簡単だ。いけるかもしれない」と思い始めた瞬間が、
一番危ない。
澪が、静かに頷いた。
「ええ。
今、第二層を“通過点”だと考え始めたら、
この先の判断が雑になりますよね」
佐伯は、少し遅れて言った。
「……俺も、
どこかで行ける気がしてました」
その声は、弱かった。
クランハウスに戻り、
改めて方針を共有する。
「しばらくは、一階層だ」
俺ははっきり言った。
「第二層は逃げない。
奈落は焦って踏み込む場所ではない」
澪が続ける。
「そうですね。“行ける”と“行くべき”は違います」
佐伯は、深く息を吐いて頷いた。
「……分かりました」
その日の探索は、
いつも以上に慎重だった。
複数の影犬との小競り合い。
今の俺たちなら危険はほとんどない。
だが、俺は佐伯の様子をよく見ていた。
視線が一瞬遅れる。
反応が、半拍遅れる。
「佐伯」
呼ぶと、
はっとしたようにこちらを見る。
「すみません。
大丈夫です」
その言葉が、
どこか空虚に聞こえた。
澪と目が合う。
——気づいている。
だが、今は踏み込まない。
集中力が欠けた状態で奈落に入るのは、
命取りだ。
何かあったとしても話すなら、
佐伯自身が決めるべきだ。
早めに探索を切り上げ、
奈落を出る。
出口が見えたところで、
佐伯がぽつりと呟いた。
「……昔の知り合いに、会ったんです」
それ以上は、言わなかった。
俺と澪は、何も聞かない。
聞く準備はできている。
待つ覚悟も、できている。
奈落を出ると、
空はまだ高かった。
第二層は、まだ先だ。
中層は、もっと先だ。
境界線は、
目に見えない。
だからこそ——
越え方を、間違えてはいけない。
俺たちは英雄じゃない。
その事実を忘れない限り、
まだ、生きていられる。