第12話 取り返せないものの話
一階層の探索は、相変わらず地味だった。
影犬を一体。
状況が良ければ、複数体まとめて。
無理はしない。
深追いもしない。
確実に倒して、確実に戻る。
派手さはないが、
隊列は安定していた。
「……昨日より、いいですね」
澪が、影犬の動きを見ながら言う。
「足運びが、以前より揃ってます」
佐伯も、小さく頷いた。
「余裕がありますね」
一階層は単調だ。
だが、その分、誤魔化しがきかない。
少しずつだが、
俺たちは確実に積み上げていた。
その日の夜。
クランハウスで装備の手入れをしていると、
佐伯がぽつりと口を開いた。
「……俺、
奈落に来る前から、
気の合う友達がいたんです」
手を止める。
澪と、視線が合う。
俺は何も言わず、続きを待った。
「八人でした。
よく集まって、
どうでもいい話ばっかりして」
奈落が出現して、
しばらくした頃。
誰ともなく、話が出た。
——ちょっと、行ってみないか?
「最初は冗談でした。
でも……
だんだん、本気になって」
運動神経がいい友人。
体力に自信がある友人。
無茶をしても、何とかなってきた連中。
「俺、正直、嫌な予感はしてました」
ノリで決めるのは良くない。
そう思っていた。
それでも——
反対できなかった。
「腰抜けって、
言われそうで」
奈落に入ったのは、八人。
装備も、知識も、
ほとんどなかった。
「……一週間もしないうちに、
四人、減りました」
声は、淡々としている。
事故。
油断。
判断の遅れ。
どれも、
後からなら理由がつく。
少し間を置いて、
佐伯が続けた。
「……俺が落ちかけた時です」
顔が、わずかに強張る。
「足元が、
突然崩れました」
静かな部屋に、
その言葉だけが落ちる。
「俺、
咄嗟のことで、何もできなくて」
「俺と一番仲のよかったやつが……
何も言わずに、
突き飛ばしてくれました」
一拍。
「俺は、
助かりました」
さらに一拍。
「……そいつは、
落ちました」
それ以上は、
言葉にならなかった。
「残った四人で、
一度はやめようって話も出たんです」
だが——
「それでも、
前に進もうとした」
佐伯は、視線を落とす。
「俺は……
そこで離れました」
逃げた。
そう言ってもいい。
「離れてからも、
しばらくは顔を合わせられなくて」
何を言えばいいか、分からなかった。
どう振る舞えばいいかも、分からなかった。
「……でも」
佐伯は、少しだけ言葉を探す。
「風の噂で聞いたんです」
残った三人は、
パーティを組み続けて。
二層。
三層。
気がつけば、
五層まで辿り着いていると。
「すごいな、って思いました」
そして、
少しだけ、怖くもなった。
「このパーティで、
第二層が見え始めた時……
分かっちゃったんです」
友人たちが、
なぜ止まれなかったのか。
「失ったものを、
取り戻したいって気持ち」
それが、
少しだけ理解できてしまった。
数日前。
探協で、偶然顔を合わせた。
気まずい沈黙。
だが、向こうから声をかけてきた。
「久しぶり」
改めて話してみれば、
やっぱり、いい奴らだった。
奈落の先へ進むことで、
彼らは今までになかった深い絆を手に入れていた。
失ったものすべてではない。
だが——
かけらほどは、取り戻しているように見えた。
「……いつでも戻ってきていいって、
言われました」
佐伯は、困ったように笑う。
「迷いました。
正直、ここ数日ずっと」
澪が、静かに言う。
「それでも、
ここにいるんですよね」
佐伯は、ゆっくり頷いた。
「……はい」
その話を聞きながら、
俺は胸の奥で、別の考えが浮かんでいた。
もし——
あの頃の俺だったら。
同じことを、
していた気がした。
イカロスのリーダーの言葉が、
ふと頭をよぎる。
——英雄は、立ち止まらない。
だが、
立ち止まらなかった結果が、
必ず報われるわけじゃない。
俺は、ゆっくり言う。
「迷うのは、悪いことじゃない」
佐伯を見る。
「でも、
今のお前は一人じゃない」
佐伯は、深く息を吐いた。
「……ここにいるの、
俺でいいんですか」
澪が、首を振る。
「そういう悩みも一緒に抱えて、
解決していくのがパーティです」
その夜、
改めて方針を確認した。
第二層は、まだ行かない。
一階層で、
動きをきちんと揃える。
判断を、合わせる。
——行けると思った時ほど、
もう一段、準備を重ねる。
翌朝。
佐伯の動きは、
昨日よりも落ち着いていた。
迷いは、きっと消えていない。
だが、足は止まっていない。
今日は、積み上げる日だ。
英雄になるためじゃない。
生きて帰るために。
奈落は逃げない。
俺たちは、
取り返せないものを、
これ以上増やす気はなかった。