第13話 第二層、慎重な一歩
第二層への入口は、
一階層の大広間の奥に、唐突に口を開けていた。
大仰な門があるわけでもない。
ただ、通路の先が、
下へと緩やかに傾いているだけだ。
だが、足を踏み入れた瞬間、
空気が変わった。
湿り気。
冷たさ。
音の反響。
一階層とは、明らかに違う。
「……静かですね」
澪が声を落とす。
「静かすぎるな」
佐伯も、周囲を警戒している。
俺は手を上げ、
隊列を詰める合図を出した。
足音を殺す。
深追いはしない。
今日は、
第二層が“通れるかどうか”を確かめるだけだ。
少し進んだところで、
床の色が変わる。
嫌な予感。
「待て——」
その瞬間、
ガリッという音がした。
佐伯の足元が、沈む。
「っ……!」
床が崩れる。
俺が腕を伸ばした瞬間、
佐伯の動きが止まった。
目が、見開かれる。
——落ちる。
——突き飛ばされる。
——誰かが、消える。
ほんの一瞬。
だが確かに、
過去が重なった。
「佐伯!」
澪の鋭い声。
その一言で、
佐伯は我に返る。
「……っ!」
佐伯が遅れて俺の腕を掴む。
俺は踏ん張り、
澪が後ろから俺の腰を支えた。
二人の力が乗り、
佐伯を引き上げる。
足元を見る。
三メートルほどの落とし穴。
下には、尖った石が突き出ている。
——踏み抜いていたら、
怪我では済まなかった。
佐伯は荒い息を吐いた。
「……すみません」
「今のは、誰でも止まる」
俺は短く言った。
澪が、視線を通路の奥へ向ける。
「何か……来ます」
ぬめるような音。
——粘獣。
しかも、三体。
一層で見たものより、
わずかに輪郭がはっきりしている。
最初は気のせいかと思った。
だが、違う。
「……おかしいな」
思わず呟く。
距離を詰める速度が、
わずかに速い。
すかさず先頭の一体に刃を突き立てる。
——手応えが、違った。
柔らかい。
だが、その奥に、引っかかりがある。
「……芯が、ある?」
粘獣は、
ただの塊じゃない。
よく見ないと分からない。
だが、
内部で何かが“まとまって”きている。
少しだけ——
肉体を持つ生物に近づいている。
気づいた瞬間、
嫌な汗が背中を伝う。
——成長している。
ここで。
「澪、一層のより硬い」
「……ええ。
それに、反応が鈍くない」
佐伯が右を警戒する。
「来ます!」
一体が、
地面を滑るように低く、鋭く跳ねた。
——跳躍? 突撃?
少なくとも一層では、
見たことがない動きだ。
刃を突き立てても、
すぐには崩れない。
まとわりつくように、
体勢を崩しにくい。
「これは……長引く!」
俺が声を上げる。
このままだと、粘獣を倒しきれない。
時間をかければ、
仲間を呼ばれる可能性が高くなる。
判断が遅れれば、
致命的だ。
佐伯が、一瞬動きを止める。
さっきの崩落が、
頭をよぎったのだろう。
だが——
止まりきらない。
「……っ!」
半歩、踏み込む。
刃が、核をかすめる。
完全ではない。
だが、動きが鈍る。
澪の追撃が入る。
一体、崩れる。
残り二体。
やはり、時間をかけすぎている。
「引く準備!」
俺の判断に、
二人は即座に応じる。
一体を牽制しながら、
もう一体を集中攻撃。
最後は、
澪の刃が深く刺さり、
ようやく崩れ落ちた。
残った一体は、
こちらを脅威と認識したのか、
距離を空けて様子を伺っている。
——深追いはしない。
距離を取り、
確実に退く。
静寂。
全員の呼吸が、荒い。
「……一層とは、別物ですね」
澪が言う。
佐伯は、
自分の手を見つめていた。
「……でも、
動けました」
小さな声。
だが、確かに前を向いている。
俺は周囲を確認し、
最後の一体から視線を外さず、
はっきり言う。
「今日は、ここまでだ」
誰も異論はない。
第二層に入った。
罠を見た。
粘獣が“変わり始めている”ことを知った。
——それだけで、十分だ。
引き返しながら、
俺は考える。
第二層は、
敵が強くなっただけじゃない。
奈落そのものが、
進化している。
奈落の出口が見えた時、
三人とも、確かな安堵を覚えていた。
今日も、生きて帰った。
第二層は、確かにそこにある。
だが——
踏み込むほどに、
こちらも変わらなければならない。
慎重な一歩でいい。
俺はそう、言い聞かせた。
それが、
俺たちの選んだやり方だった。