第16話 帰還者の証言
探協のフロアは、落ち着きを失っていた。
叫び声が響いているわけでも、
誰かが暴れているわけでもない。
ただ、
空気がざわついている。
受付前。
通路の壁際。
簡易ベンチの周囲。
探索者たちが、
小さな塊になっていた。
その中心にいるのは、
駆け出しのパーティだった。
若い。
装備は汚れ、刃は欠け、
何人かは座ったまま立ち上がれずにいる。
「……六人だったんだ」
最初に口を開いた男が、
何度も指を折りながら呟いた。
「最初は……六人で……三層まで……」
「違う」
隣の男が、強く首を振る。
「五人だ。
途中までは、五人だった」
「……いや、六人だよ」
女の探索者が、
か細い声で割り込む。
「だって……戻るって決めた時は……」
言葉が、途中で止まる。
誰も、続きを言えない。
「……いつもより、早かったんだ」
別の男が、震える声で言った。
「化け物との遭遇が……
やけに早くて……」
「消耗してたから……
戻ろうって、決めたんだ」
その判断を、
否定する者はいなかった。
「……曲がり角を抜けた時だ」
男は、床を見つめたまま続ける。
「気がついたら……
一人、いなかった」
「……は?」
「声も……音も、なかった」
「ただ……
いなかったんだ」
沈黙が落ちる。
「心配で……
少し、戻った」
喉を鳴らす音。
「……そしたら」
女の探索者が、
顔を両手で覆った。
「……踏みつけてた」
「……何を?」
問いかけに、
女は答えない。
代わりに、
別の男が呟いた。
「下半身が……
ちゃんと……」
「……ちゃんと?」
「……立ってた」
言葉は噛み合わない。
だが、
全員が同じものを見たことだけは、
はっきりしていた。
「影じゃない……」
「粘り気だけでもない……」
「……でも、人でもない」
誰も、
その名前を口にしない。
だが、
場にいる全員が理解していた。
「……逃げた」
男が、唇を噛みしめる。
「我先に……
逃げた」
「足音が……」
「一つ……」
「……また一つ……」
声が、次第に小さくなる。
「……減っていった」
数が、合わない。
途中で、
誰が消えたのかも、
もう分からない。
「一層まで……」
最後に残った男が、
かすれた声で言った。
「……死ぬ気で戻った」
「……そしたら」
「……嘘みたいに……」
「……気配が……
消えてた」
それ以上、
誰も話さなかった。
言葉にすればするほど、
現実感が失われていく。
だが——
誰も、
彼らを嘘つきだとは言わなかった。
少し離れた場所で、
ベテランの探索者たちが集まっている。
声は低く、
表情も冷静だ。
だが、
どこか硬い。
「……三層か」
年季の入った男が、
短く息を吐く。
「駆け出しにしちゃ、
少し背伸びだが……
無茶ってほどでもない」
別の男が、頷いた。
「装備も判断も、
聞く限りじゃ間違ってない」
誰も、
否定しない。
少し間が空いて、
最初の男がぽつりと言った。
「……昔はな」
声が、低い。
「そういう時は、
ちゃんと“帰れた”」
沈黙。
「下で何かが起きてる、
って話は前からあったが……」
別の男が、言葉を濁す。
「最近は、
下だけじゃなくて
浅い部分でも
見かけるようになった気がするな」
否定は、出なかった。
「……上がってきてる?」
「さあな」
答えは、出ない。
だが、
笑う者はいなかった。
探協の担当者たちが、
錯乱した探索者を奥へ連れていく。
聞き取り。
治療。
記録。
だが、
すぐに整理できる情報は、
ほとんどなさそうだった。
俺たちは、
少し離れた場所で、その様子を見ていた。
澪は、
無意識に手袋を握りしめている。
佐伯は、
視線を落としたまま、動かない。
俺は、
無意識に頭を押さえていた。
まだ、
鈍い痛みが残っている。
駆け出しの失敗じゃない。
判断も、撤退も、間違っていない。
それでも——
消えた。
俺たちが助かったのは、
正しかったからじゃない。
まだ、選ばれていなかっただけだ。
「……今日は、戻ろう」
俺が言うと、
二人は黙って頷いた。
今は、前に進む時じゃない。
だが、
立ち止まってもいられない。
奈落は、
確かに変わり始めている。
それを、
俺たちは見てしまった。
知らなかった頃には、
もう戻れない。