『越えない探索者』   作:r_watanabe

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第26話:三層での救出

第26話:三層での救出

三層に入るのは、これで三度目だった。

 

 一度目は様子見。

 二度目は、奈落が揺れた。

 

 勘は反応しなかった。

 だが、床を伝う振動と、空気の歪みだけははっきり感じ取れた。

 

 ——あの時は、引いた。

 

 正解だったと、今でも思っている。

 

 だから三度目。

 今日は慎重に、中盤まで進む予定だった。

 

 影犬の配置も、

 粘獣の間合いも、

 この層なりに把握できている。

 

 少しだけ、余裕があった。

 

 ……だからこそ。

 

 通路の先に見えた見慣れぬ影を、

 最初は異物だと思った。

 

 人影。

 

「……人?」

 

 澪が、声を潜める。

 

 近づくにつれ、

 それが“異常”だと分かった。

 

 やたら大きく見える人影。

 血の跡。

 よく見れば肩口に、二人。

 

 足音が異様に重い、

 巨大な刃と大人二人を肩に担いだ男が、

 無言でこちらに向かってくる。

 

 「……黒瀬」

 

 名前が、自然と口を突いた。

 

 ブラックホーン。

 黒瀬大河。

 

 指名依頼を受けた時とは違い

 防具は砕け、

 血と埃で汚れていた。

 

 だが、背筋は崩れていない。

 

 黒瀬は、俺たちの前で足を止めた。

 

 担いでいた二人を、

 乱暴ではないが、丁寧とも言えない動きで地面に降ろす。

 

 「……ここまで連れてきた」

 

 低い声。

 

 「見捨てて帰ると、寝覚めが悪ぃからな」

 

 それだけ言って、

 肩をすくめる。

 

 「だが——」

 

 視線が、俺たちに向く。

 

 「話が変わった」

 

 二人を顎で示す。

 

 「指名依頼の報告は、

  本来俺一人が戻りゃ十分だ」

 

 淡々とした計算。

 

 「証言が減れば、

  報酬が削られる可能性はあるが……」

 

 一瞬だけ、

 言葉を切る。

 

 「まあ、惜しい程度だ」

 

 感情は、そこにない。

 

 「同じクランだろ」

 

 低く、事実だけを突きつける声。

 

 「生きて帰るのが主義だって、

  聞いてる」

 

 敬意でも、

 期待でもない。

 

 「なら――」

 

  二人を指し示す。

 

 「その主義、貫いてみせろ」

 

 一拍。

 

 「無理だとは、言わねぇよな」

 

 それは信頼ではなかった。

 役割としての断定だった。

 

 俺は、短く頷く。

 

 「……引き受けます」

 

 黒瀬は、それ以上何も言わなかった。

 

 踵を返し、

 一人で闇の奥へ消えていく。

 

 ——群れで進む人間じゃない。

 

 ただ――

 黒瀬は二人を見捨てたわけじゃない。

 背負い続ける理由が消えただけだ。

 

 残されたのは、

 俺たちと——二人の先輩。

 

 

 ⸻

 

 先輩二人を俺と佐伯で背負い

 俺たちは進路を戻した。

 

 三層から二層へ。

 

 途中、

 一人の体がわずかに強張った。

 

 「……生きてる……?」

 

 掠れた声。

 問いかけというより、独り言に近い。

 

 次の瞬間、

 自分が誰かに背負われていることに気づいたらしく、

 肩がわずかに強張る。

 

 「……すまない、黒瀬……」

 

 焦点の合わない目のまま、

 言葉だけが先に出る。

 

 「足を……引っ張った……

  自分で、歩く……」

 

 そう言って、

無理に体を起こそうとする。

 

「先輩!」

 

俺はすぐに声をかけた。

 

「俺たちですよ」

 

その一言で、

先輩の動きが止まる。

 

「……?」

 

視線が揺れ、

ゆっくりと俺の顔を捉える。

 

「……お前たち、か……」

 

安堵が、はっきりと表情に浮かんだ。

 

だが、すぐに眉をひそめる。

 

「……あいつと……黒瀬は……?」

 

声に、焦りが滲む。

 

俺が答える前に、

先輩の視線が横へ動いた。

 

佐伯が、

もう一人の先輩を背負っている。

 

意識はないが、

呼吸は安定している。

 

その姿を見て、

先輩は小さく息を吐いた。

 

「……よかった……」

 

肩の力が、抜ける。

 

その様子を見てから、

澪が静かに口を開いた。

 

「黒瀬さんが……

 “同じクランの奴らを見つけたから、話が変わった”って」

 

「生きて帰るのが主義なら、

 それを貫けって……」

 

先輩は、しばらく何も言わなかった。

 

やがて、

目を閉じる。

 

「……無理を、させたな……」

 

黒瀬の名前を、

もう一度、噛みしめるように呟く。

 

「あいつも怪我をしているのに……

 それでも、見捨てなかった……」

 

感謝と、

申し訳なさが入り混じった声。

 

「……ありがとう……」

 

 それが、

 誰に向けた言葉なのかは分からない。

 

 黒瀬にか。

 俺たちにか。

 あるいは——

 まだ、生きているという事実そのものにか。

 

 先輩は、

 今度は抵抗しなかった。

 

 俺たちは、

 来た道を戻る。

 

 なるべく戦わない。

 無理をしない。

 

 生きて帰るためだけに、

 進んだ。

 

 帰還の道中、

 何度か影犬にも遭遇したが、

 澪一人で対処できてしまうほどには

 奈落は静かだった。

 

 あまりにも、

 静かすぎた。

 

 ——崩落の前も。

 黒瀬が違和感を口にした時も。

 

 俺の勘は、

 何も告げなかった。

 

 それでも俺たちは、

 生きて戻った。

 道を選べたからだろう。

 

 先輩たちは、

 同じ場所には戻れなかった。

 ただそれが、

 道を選べなかったからなのか。

 

 まだ分からない。

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