第29話:値札のない依頼
あれから何度も重ねた三層の探索は、安定していた。
――変わったことといえば
敵よりも探索者の方が多い。
通路で人とすれ違い、素材を抱えた帰り道とも何度も交差する。
以前なら考えられなかった光景だ。
「……増えましたね」
澪が周囲を見渡しながら言う。
「ああ。浅い層に集中してる」
佐伯も同意した。
深く潜る者が減った。
結果、三層までの敵は間引かれ、危険度は相対的に下がっている。
俺たちにとっては、
**“勘を使わなくても安全が担保されやすい状況”**だった。
それでも——
「止まる」
俺が言うと、二人は即座に足を止めた。
数拍遅れて、
通路の奥から影犬が二体現れる。
「……相変わらず、
索敵が早いですね」
澪が小さく言う。
「なんとなく感じるだけだ
――でも、確実に役立っている」
危険を避けるための勘。
だが今は、それが素材を逃さないための勘にもなっている。
戦闘は短かいが、
回数は他の探索者に比べたら多かった。
結果として、
そこそこの素材が揃った。
無理はしていない。
だが、確実に成果は出ている。
⸻
探協のロビーは、昼でもざわついていた。
素材の報告。
依頼の確認。
探索者同士の情報交換。
俺たちは受付を済ませ、
素材を換金する。
「確認しますね」
職員が奥へ引っ込む。
その時だった。
「——少し、いいですか」
穏やかな声。
振り返ると、
スーツ姿の男が立っていた。
眼鏡。
整った身なり。
探索者とは、明らかに違う空気。
「神代です」
短く名乗る。
「ネクサス・マテリアルズで、
研究主任をしています」
——神代。
最近、噂でよく聞く名前だった。
そして、この前ロビーで見かけた事を思い出す。
「突然すみません。
ただ、少しお話を」
拒否する理由はない。
俺たちは、ロビーの端に移動した。
「三層中盤まで、
かなり安定して探索されていますね」
神代は、
こちらの反応を確かめるように言う。
「危険を避ける判断が早い。
それでいて、素材も落とさない」
澪と佐伯が、
わずかに息を呑む。
——見られている。
「安心してください。
探協の評価とは、別口です」
神代は続ける。
「企業としての関心です」
「今、素材が足りていない。
ご存知の通り、
深く潜る探索者が減っていますから」
神代は、
探協のロビーを一度だけ見渡した。
「その代わり——」
ほんの少し、
声を落とす。
「近いうちに、
ここも“整理”されます」
「整理……?」
佐伯が、
反射的に聞き返す。
神代は答えない。
代わりに、穏やかに微笑った。
「企業側の要望が増えすぎた。
探協としても、
その声を放置できなくなっただけです」
「数。
納品条件。
危険度の線引き」
「全部、調整されて
新しく掲示板に並ぶようになるでしょう」
その言い方は、
予想ではなかった。
——知っている。
そう感じさせる声だった。
「そうなると」
神代は続ける。
「“安全に取れる量”しか、
正式には頼めなくなる」
「研究は、
それでは進まない」
澪が、
わずかに眉をひそめる。
「……だから、
直接、ですか」
「ええ」
即答だった。
「直接であれば、
制限は“交渉”になります」
「探協を通すより、
ずっと現実的だ」
一拍。
神代は、
俺を見る。
「あなた方は、
すでにそれを選べる側にいる」
「避ける判断ができる。
それでいて、
素材も落とさない」
「掲示板ができた後では、
この話はできません」
はっきりと言った。
「今だから、
声をかけています」
名刺を差し出す。
「今日は、
覚えておいてください」
「“選べる側”は、
いつまでも自由ではないですよ」
それだけ言って、
神代は人混みに戻っていった。
⸻
その夜。
神代は、
自分のデスクでクラン所属の冒険者に
上げさせたメモに目を落としていた。
アウルズ・パス。
三名パーティ。
短く、
淡々とした記録。
——読み終えた後。
神代は、
誰もいない部屋で小さく呟いた。
「……これは」
一拍。
「“消耗品”じゃない」
眼鏡越しに、
奈落の資料を見る。
「“長く運用できる”側だ」
それは、
研究者としての評価であり、
同時に——
投資家の視線だった。
「——だからこそ、
探協を通さず触る価値がある」
神代は、
次の予定を書き込む。
“個別接触/条件提示”
ペンを置き、
静かに息を吐いた。
奈落は、
まだ静かだ。
だが——
値札の付かない生還をする者に、
値段を付ける準備は、
もう始まっていた。