第30話:掲示板の向こう側
探協のロビーに、見慣れない板が増えていた。
掲示板——ではある。
だが、いつもの依頼紙とは違う。
紙質が厚い。
書式が統一されている。
そして、項目がやけに多い。
「……増えたな」
佐伯が、板の前で立ち止まる。
「企業依頼……だけじゃないですね」
澪も視線を走らせる。
板の上段には、大きく記されていた。
《企業クエスト掲示》
— 探協認定・素材納品契約 —
その下に、規格化された依頼が並ぶ。
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影犬の牙
・納品数:○/上限:○
・対象階層:第二〜第三層
・参加条件:パーティランク C 以上
粘獣の核片
・納品数:○/上限:○
・対象階層:第三層
・参加条件:パーティランク C+ 以上
影爪の爪片
・納品数:○/上限:○
・対象階層:第三〜第四層
・参加条件:パーティランク B− 以上
⸻
金額は出ている。
だが、派手ではない。
「……条件、付いたな」
俺が言う。
澪が、小さく息を吐いた。
「ランクがないと、そもそも受けられない」
さらに板の下段。
別枠で、太線に囲われた項目があった。
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《大規模依頼/クラン単位》
・対象:奈落上層四〜六層
・依頼内容:指定素材の安定供給
・最低人数:八名以上
・参加条件:二級クラン以上
※クランリーダー経由での申請必須
※個人・単独パーティでの参加不可
⸻
「……あ」
佐伯が、思わず声を漏らす。
「完全に、分けに来てますね」
「分けた、じゃない」
俺は板から目を離さず言った。
「“閉めた”んだ」
ロビーのあちこちで、同じ反応が起きていた。
「くそ、B−必要か……」
「今C+だろ? 足りねぇな」
「あと一段だ。確か次の階層踏めば——」
その会話に、別の声が重なる。
「四層行けば、ランク上げられるはずだよな?」
「だな。戻れりゃ、だが」
笑っていない。
冗談でもない。
——ランクを上げるために、
自分から深く行く理由が、ここにできた。
「割のいい依頼は、上にしかない」
澪が静かに言った。
「逆に言えば……」
佐伯が続ける。
「下に留まるなら、
ランクも、報酬も、頭打ちだ」
俺は、胸の奥が冷えるのを感じていた。
安全であること。
戻れること。
それ自体に、
値段が付かなくなってきている。
その時だった。
「設置は、想定より早かったですね」
振り返ると、神代が立っていた。
相変わらず、スーツに乱れはない。
眼鏡の奥の視線だけが、こちらを測っている。
「……知ってたんですか」
「ええ」
即答だった。
「企業側の不満が限界でした。
素材が足りない。契約が回らない」
神代は、掲示板から視線を外し、今度は評価欄の方へ目を向けた。
「クランランクと、パーティランク」
淡々とした口調。
「よく出来た制度です」
「責任の所在が明確で、事故が起きた時の説明もしやすい」
褒めているようで、どこか他人事だ。
「ただ——」
神代は、そこで一拍置いた。
「“上に行かせたい理由”も、
同時に作ってしまった」
澪が、眉をひそめる。
「……どういう意味ですか」
「ランク制は、安全のための線引きです」
神代は言う。
「しかし同時に、“越えれば得をする線”でもある」
佐伯が、小さく息を呑んだ。
「割のいい依頼は、
一定以上のランクが必要になる」
「大規模依頼は、
○級クラン以上」
神代は、あらかじめ知っている事実を並べる。
「つまり——」
こちらを見る。
「ランクを上げないと、
旨味に触れられない構造になる」
胸の奥が、嫌な形で噛み合った。
最近、ロビーで聞いた会話が脳裏をよぎる。
――あと一段、上げないと受けられないぞ
――次の階層、踏めば条件満たすはずだろ
「探協は“無理をするな”とは言いません」
神代は続ける。
「“選択肢を用意した”と言うだけです」
選択肢。
その言葉が、やけに軽い。
「ですが企業側から見れば——」
神代は言葉を変える。
「ランクは“品質保証”です」
「高ランク=安定供給が見込める」
「低ランク=不確定要素が多い」
眼鏡の奥の視線が、冷たい。
「私は、後者に賭ける趣味はありません」
一拍。
「あなた方は、
すでに“上げられる側”にいる」
「上げていないだけで」
その言い方が、静かに刺さった。
「掲示板が整備されれば」
神代は続ける。
「ランクが低いままでは、
選択肢そのものが減っていく」
「だから昨日は“興味”で」
「今日は“提案”です」
名刺を指で軽く叩く。
「ランクの上げ方は、
探協が決める」
「上げた“後”をどう使うかは、
あなた方次第です」
一拍
「——そして
全員が、同じ階段を登る必要はありません」
それは、勧誘だった。
だが同時に、
制度の外に出る準備を促す宣告でもあった。
⸻
帰り道。
三人とも、しばらく無言だった。
クランハウスの屋上に出る。
奈落の入口が、いつもと同じ顔で口を開けている。
「……ランク、便利ですね」
佐伯が言う。
「便利と言うか、明確だよね」
澪が答える。
「明確な分、
越えさせる力が強い」
俺は、掲示板の光景を思い出す。
あと一段。
次の階層。
戻れれば、ランクアップ。
——その言葉に、何人が引っ張られるか。
「俺たちの生き残り方に、
条件が付き始めた」
そう言うと、二人は黙って頷いた。
奈落は、何も言わない。
だが、人間の側が
“進ませる理由”を完成させつつある。
その中心に、
俺たちも、もう立っている。
この仕組みの先に何が待っているかは、
まだわからない。
だからこそ――
引き返せなくなるということだけは—―
はっきりとわかっていた。