『越えない探索者』   作:r_watanabe

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第31話:降りなかった場所

第31話:降りなかった場所

 数日が経ち、

 クランホームでも探協でも、

 深くまで行った者の話が、

 あちこちで聞こえるようになった。

 

どこまで行ったとか、

何を持ち帰ったとか。

 

名前は出ていない。

けれど、誰のことを指しているのかは分かる。

 

——分かってしまう。

 

昔、

俺も誰かが何かを成し得た話を聞いて、胸が高鳴ったことがある。

 

まだ、独立したばかりで

「自分が特別な何かになれる」と信じていた頃。

一人の力で何かを成せると思っていた頃。

 

あの頃のまま、

一歩踏み出していたら、

俺は今どこにいただろう。

 

——分からない。

 

ただ一つ分かっているのは、

今の俺は、

その一歩を踏み出さない理由を

いくつも持っているということだ。

 

勘。

仲間たち。

一人ではないという事実。

 

そして——

 

戻ってこられなかった人たちの顔。

 

それでも。

 

ここで何者かになっていく姿や

暗闇を迷いもなく進み続ける姿を

羨ましく思わないと言えば、嘘になる。

 

だから俺は、

名前を出さない。

 

口にした瞬間、

あの場所に引っ張られてしまいそうだから。

 

 

探協から呼び止められたのは、その日の夕方だった。

 

「少し、お時間よろしいでしょうか」

 

受付ではなく、

応接用の小さな部屋。

 

形式張った雰囲気に、

澪と佐伯が自然と背筋を伸ばす。

 

「三層での探索記録、拝見しました」

 

職員は淡々としている。

 

「索敵が早い。

 撤退判断が適切。

 素材回収も安定している」

 

褒めているわけではない。

事実を並べているだけだ。

 

一拍。

 

「今回新たに、

 ——未踏破領域が確認されました」

 

机の上に、簡易地図が置かれる。

 

正規ルートから外れた場所。

細い裂け目。

その奥。

 

「調査は、まだ行われていません」

 

「危険度が測れないためです」

 

澪が、わずかに眉を動かす。

 

「……じゃあ、どうして私たちに?」

 

職員は即答した。

 

「“引く判断”ができるからです」

 

その言葉が、胸に刺さる。

 

「深入りしない。

 だが、異常は見逃さない」

 

「条件を満たせるパーティが、

 今の三層レベルでは少ない」

 

一枚の書類が差し出される。

 

《指名探索依頼/三層未踏破領域の調査》

 

《達成条件:地形の詳細報告及び、状況の確認と帰還》

 

《報酬:協会規定通り》

 

そして、最後に——

 

《達成時:パーティランク B+昇格》

 

佐伯が、息を呑む。

 

「……ランク、ですか」

 

「ええ」

 

職員は事務的に頷く。

 

「昇格を目的にする必要はありません」

「ただ、結果として付いてくるだけです」

 

俺は、書類から目を離した。

 

自分から上を目指した覚えはない。

だが、流れが——確実に上へ押してくる。

 

「……受けます」

 

そう答えると、

職員は淡々と手続きを進めた。

 

 

三層の奥。

 

地図にない裂け目は、

相変わらず不自然に整っていた。

 

幅は狭い。

入り口は人一人が通るのがやっとといった状況だ。

だが、進むにつれて通路は広がっていく。

 

敵はいない。

気配もない。

 

静かすぎる。

 

最初に見つけたのは、

結晶化した装備の欠片だった。

 

規格品の留め具。

通信機の外殻。

銃床の一部。

 

「……装備、ですね」

 

佐伯が低く言う。

 

「しかも、かなり古い」

 

澪が、慎重に周囲を見渡す。

 

「戦闘痕が……ありません」

 

そうだ。

 

壊された形跡も、

逃げた跡もない。

 

ただ——

置いていった痕跡だけがある。

 

やっとたどり着いた

通路の最奥。

 

底が見えない縦穴。

 

縁にはボロボロになったロープ。

固定具の痕跡。

重くて邪魔になる装備が、整然と残されている。

 

「……降りたんですね」

 

澪が言う。

 

「自分たちの判断で」

 

俺は、縦穴を覗き込む。

 

光を落としても、何も映さない。

石を落とすが、音は返らない。

 

深さが分からない。

 

——自衛隊。

 

かつて、奈落の最序盤に突入し、

戻らなかった人たち。

 

特殊な訓練を受け、

暗闇への降下を“判断できた”人間たち。

 

だからこそ——

降りた。

 

勘は、何も告げない。

 

俺は、もう一度だけ縦穴を見た。

それから、視線を切った。

 

「……調査は、ここまでだ」

 

誰も反論しなかった。

 

降りられない理由はいくらでもある。

装備がない。

安全確保ができない。

 

だが、本当の理由は一つだ。

 

——俺たちは、まだ戻れる。

 

それを捨てる理由が、まだない。

 

 

地上に戻り、報告を終える。

 

職員は短く頷いた。

 

「確認しました」

「現時点では、該当区域の封鎖は行いません」

 

澪が、思わず言う。

 

「……あのまま、ですか」

 

「はい」

 

分からないものには触らない。

それが、探協の判断だった。

 

ただし——

 

「次回、縦穴の正式調査を検討します」

「その際も、指名する事になるでしょう」

 

俺は、頷くだけで答えた。

 

 

帰り道。

 

三人とも、無言だった。

 

奈落の入口が、遠くに見える。

 

先人が降り立って消えていった場所。

そして——

俺たちは降りずに今ここにいる。

 

俺たちは、

自ら踏み出したわけじゃない。

 

だが、

構造の方が、こちらを押してくる。

 

次に呼ばれた時、

今日と同じ判断ができる状態かは分からない。

 

あの縦穴は、

今も三層の奥で口を開けている。

 

降りる理由が揃った時、

また、そこに立つことになるだろう。

 

その時——

俺たちは、まだ「降りない」と言えるだろうか。

 

奈落は、変わらず静かだった。

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