第33話:勘違いが広がる音
Ⅰ.噂が「形」になる
結晶化した装備の話は、もう噂と呼べる段階を越えていた。
探協のロビーでは、解析班の名前が具体的に挙がり、
「どの工程まで進んだらしい」という話が、普通に交わされている。
「銃身は、問題ないみたいだな」
「反動吸収も、結晶構造が仕事するらしい」
「弾は……まあ、まだ先か」
誰かが肩をすくめる。
「でもさ、“銃が形になる”ってだけで違うだろ」
違う。
確かに違う。
俺は、その言葉を聞きながら、胸の奥がひやりとするのを感じていた。
使えるかどうかは、まだ分からない。
奈落の生き物に通用するかも、未知数だ。
それでも——
「できるかもしれない」という事実だけが、独り歩きを始めている。
結晶化した装備を持ち帰ったのは、俺たちだ。
その結果が、
こうして人の口の中で形を変えて広がっていく。
(……また、一歩だ)
誰かが前に進むための、一歩。
それが、どこへ落ちていく一歩なのかは分からないまま。
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Ⅱ.評価と「お願い」
呼び止められたのは、その日の午後だった。
応接室。
形式ばった机。
この流れにも、もう慣れ始めている自分がいる。
「改めてになりますが」
探協職員は、書類をめくりながら言った。
「パーティランク、B+を正式に認定します」
澪が息を飲む。
佐伯は、無言で背筋を伸ばした。
「三層未踏破領域の調査」
「判断の適切さ」
「報告の精度」
評価項目が、淡々と読み上げられる。
「——全て問題ありません」
そこで、一拍。
職員は言葉を選ぶように視線を上げた。
「その上で……今後の探索についてですが」
来たな、と内心で思う。
「三層は、もう十分に経験されています」
「最近は新人の流入やランクでの制限も増えていますし……」
“トラブル防止”
“探索効率”
“区分け”
言葉は柔らかい。
だが、意味は一つだ。
——そろそろ、次へ行ってほしい。
命令じゃない。
拒否もできる。
ただ、ここに居続けることが、
だんだん“選びにくく”なっていく。
「四層以降の情報については」
「必要でしたら、追加で資料を出します」
俺は、短く頷いた。
「……検討します」
それ以上は、言わなかった。
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Ⅲ.勘違いは、善意の顔をしている
ロビーに戻ると、空気が少し違っていた。
声が、前より大きい。
表情が、前より軽い。
「なあ、聞いた?」
「銃、マジで使えるらしいぞ」
「銃があれば三層、余裕じゃね?」
若い声。
装備もまだ新しい。
「ランクもさ、次いけそうだし」
「Cって、結構上だろ?」
その場に、止める声はなかった。
誰も、嘘は言っていない。
誰も、悪意もない。
だが——
「次の階層何回か踏めば、ランク上がるはずだよな?」
「戻れりゃな」
笑い声。
その言葉に、誰も“戻れなかった話”を重ねない。
俺は、足を止めなかった。
声もかけなかった。
止める理由も、資格も、ない。
(……こうやって、増えていく)
勘違いは、
希望と一緒に広がる。
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Ⅳ.神代じゃない誰かの手
別の噂も、耳に入ってきていた。
「企業側が、また探協に文句入れたらしいぞ」
「ネクサスだけ素材集めすぎだって」
「あそこは探索チームが命張ってるからな」
「そうは言っても、他も黙ってないだろ」
名前が出る。
出ない名前もある。
だが、分かる。
神代がいなくても、同じ流れは起きていた。
素材が足りない。
契約が回らない。
成果が欲しい。
だから——
制度が作られる。
条件が増える。
線が引かれる。
その線の外で、
誰かが別のやり方を探す。
世界は、いつもそうだ。
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Ⅴ.三層が、後ろになる
クランハウスの屋上。
三人で、奈落の入口を見下ろす。
「……B+、ランクだけならほぼトップ層、
実感ないですね」
佐伯が言う。
「明確になっただけだよね」
澪が答える。
「明確な分、
越えさせる力が強い」
俺も、同じことを思っていた。
三層は、もう“挑戦の場所”じゃない。
戻ってくる前提の場所だ。
そして——
戻れる場所は、いずれ後ろに回る。
「四層、どうします?」
澪が、俺を見る。
俺は、すぐには答えなかった。
進む理由は、増えている。
進まない理由は、減っている。
それでも——
「まだ、決めない」
そう言うと、二人は頷いた。
この仕組みの先に何が待っているかは、
まだわからない。
だからこそ――
引き返せなくなるということだけは
はっきりとわかっていた。
奈落は、今日も静かだ。
だが、
人の側だけが、先に走り始めている。
その音が、
確かに近づいてきていた。