第38話:声をかける者、離れていく者
噂は、もう否定されなくなっていた。
探協のロビー。
奈落の入口前。
どこにいても、同じ言葉が聞こえる。
「……あいつら、横取りしたらしいぞ」
「B+のくせに、浅い層で稼いでるって」
「一人、見殺しにしたって話だ」
誰かが言い、
誰かが頷き、
誰も確かめようとはしない。
噂は、事実である必要がなくなる。
“共有されている”というだけで、十分だった。
俺たちは、反論しなかった。
訂正もしなかった。
その結果、
アウルズパス以外の探索者たちとの距離は、
はっきりと開いた気がする。
挨拶が減る。
視線が逸れる。
通路ですれ違っても、声がかからない。
澪も、佐伯も、気づいている。
だが、誰も口にしない。
それが、正解だと分かっているからだ。
⸻
新人側の犠牲も、表に出始めていた。
四層。
五層。
銃を持って進んだ先で、戻らなかった名前が増える。
「……あのチーム、帰ってないらしい」
「銃持ってたとこだろ?」
「でも、四層までは余裕って……」
言葉は、途中で途切れる。
“余裕だった”という話と、
“戻ってこなかった”という事実が、
噛み合わなくなり始めている。
それでも、流れは止まらない。
「次はもっと装備を整えれば」
「弾を多く持てば」
「やり方を変えれば」
理由が、次々に上書きされていく。
銃が悪いわけじゃない。
無茶をした本人が悪い。
——そうして、誰も立ち止まらない。
⸻
その日、俺は一人で探協を出た。
次の探索まで、少し時間がある。
人の多い場所は、居心地が悪かった。
奈落の入口へ向かう通路。
人影が、一つだけこちらに向かってくる。
足音が軽い。
だが、気配は異様に静かだ。
顔を上げて、分かった。
——イカロス。リーダーの天城レイ
久しぶりに見る姿だった。
装備は軽く、傷もない。
だが、奥から戻ってきた人間特有の“遠さ”がある。
視線が合う。
天城は、俺を見ると、少しだけ首を傾げた。
「……あなたでしたか」
それだけで、こちらの状況を察したようだった。
「噂は聞いています」
軽い調子だ。
同情も、憐れみもない。
「くだらないですね」
はっきりと言う。
「他人の評価なんて」
一拍。
「英雄に必要なのは、
何を為したか。
それだけでしょう」
その言葉は、
今まで何度も耳にしてきた価値観だった。
だが——
今日は、胸に深く刺さる。
「生きづらそうですね」
天城は、穏やかに言った。
「もし、ここが息苦しいなら」
一歩、距離を詰める。
「私と来ませんか?」
思わず、足が止まる。
「あなたは、本来こっち側の人だったはずだ」
否定しきれない。
その自覚と憧れは確かにあった。
判断力。
勘。
生き残る力。
——それを、
“もっと先”で使う道。
「ここでは、
あなたは正しくても評価されない」
天城は続ける。
「ですが、下では違う」
「結果が、全てになります」
「戻るかどうかではなく、
何を持ち帰るか」
「誰を救ったかではなく、
何を成したか」
その言葉は、
今の世界の流れと、完全に噛み合っていた。
俺は、黙ったまま立ち尽くす。
噂。
距離。
沈黙。
全部、ここを離れれば関係なくなる。
——英雄になる道。
天城は、最後に言った。
「返事は、今じゃなくていい」
「ただ」
「あなたが“降りない側”で終わる人じゃないことは、分かっています」
そう言って、
何事もなかったように歩き去った。
⸻
一人、残される。
奈落の入口が、目の前にある。
下へ行けば、
評価がある。
結果が残る。
名が残る。
だが——
戻れなくなる可能性も、確実に増える。
俺は、
自分の手を見る。
これまで、
降りなかった手だ。
引き返す判断を選び続けた手だ。
それが、
間違いだったとは思っていない。
だが、
正しいままで居続けることが、
どれだけ孤独かも、知ってしまった。
——人生、思ったほど上手くはいかない。
それはかつて進む側にいた時の自分と同じ後悔だった。
「……」
答えは、まだ出ない。
ただ一つ分かっている。
誰もが前へ進む中で、
俺は今、
初めて“止まっている”。
奈落は、静かだ。
だが、
この沈黙は、
今までで一番、重かった。