第39話:選ばなかった場所
四層の探索は、相変わらず安定していた。
敵の配置は把握できる。
撤退ラインも明確だ。
戻る判断も、迷わない。
——それでも。
探協の掲示板の前に立つ時間は、
日に日に短くなっていった。
「……ないな」
佐伯が、小さく呟く。
割のいい依頼が四層より下に並んでいる。
五層以降。
条件付き。
受注ランク制限。
四層までの依頼は、
数も、単価も、目に見えて減っていた。
「新人が回してるから、ですよね」
澪の声は静かだった。
「銃がある」
「数が出る」
「三層までなら安定してる」
——それで十分。
俺たちがやってきた“戻れる探索”は、
もう必要とされていない。
⸻
クランハウスに戻ると、
リーダーが簡単な確認だけをした。
「四層、どうだ」
「様子見の範囲です」
俺は答える。
「無理はしていません」
「そうか」
それだけだった。
行け、とも言わない。
止まれ、とも言わない。
だが、
何も言われないこと自体が、
今は少しだけ重い。
「依頼は、減ってきているな」
リーダーが、淡々と言う。
「焦らなくていい」
「だが、現実は動いている」
それ以上は、言わなかった。
アウルズ・パスは、
判断を押し付けない。
あくまで生存が最優先。
だからこそ——
選ばない判断も、全部自分で背負う。
⸻
夜。
自室で装備の手入れをしていると、
財布が床に落ちた。
中身が、少しだけ散らばる。
カード。
現金。
そして——
一枚の名刺。
ネクサス・マテリアルズ
研究主任
神代
俺は、それを拾い上げる。
折れていない。
汚れてもいない。
ただ、ずっとここにあった。
使っていないだけだ。
「……」
返済日まで、まだ日数はある。
今すぐ詰んでいるわけじゃない。
だが、
次も同じように返済できる保証はない。
依頼は減っている。
評価は戻らない。
噂は消えない。
——行けば、変わる。
五層へ行けば。
結果を出せば。
名前を上げれば。
それは、分かっている。
だが。
俺は名刺を戻し、
財布を閉じた。
⸻
数日後。
探協のロビーで、
知った顔とすれ違うことが減った。
声をかけられない。
視線が合わない。
代わりに聞こえるのは——
「五層、行ったらしいぞ」
「銃あってもキツかったって」
「でも戻ってきたってさ」
戻った。
進んだ。
評価された。
——居場所が、そっちに移っている。
俺たちは、
進んでいない。
だが、戻っている。
それだけだ。
それだけなのに。
「……B+なのに、動かないんだな」
誰かの、そんな声が背中に刺さる。
反論はしない。
正解も、言わない。
ただ——
選んでいない。
⸻
屋上。
奈落の入口を見下ろす。
下に行けば、
結果がある。
評価がある。
居場所がある。
行かないなら、
ここには何も残らない。
イカロスの言葉が、ふと浮かぶ。
——英雄に必要なのは、何を為したか。
神代の名刺の感触も、思い出す。
——別のやり方も、知っている。
それでも。
俺は、まだ動かない。
選ばない。
掴まない。
降りない。
その選択が、
どれだけ自分を追い詰めているか、
もう分かっているのに。
奈落は、何も言わない。
だが——
進まない者の足元から、
静かに、床が削られていく音だけは、
はっきりと聞こえていた。