第4話 命の金額
奈落の中では、時間の感覚が曖昧になる。
どれくらい歩いたのか分からない。
気づけば、同じタイミングで入った探索者たちが、ぽつぽつと引き返していくのが見えた。
俺は、少しだけ先に進んだ。
無理はしない。
ただ、もう少しだけ奈落というものを見ておきたかった。
いくつかある枝道を、深く考えずに選ぶ。
慎重に、足音を殺しながら。
やがて、前方がわずかに明るくなった。
——広い。
岩肌が途切れ、天井も高い。
空間そのものが、ひと回り大きい。
顔だけ覗かせる。
……影犬。
数匹。三、いや四か。
黒い影が地面を這うように動いている。
まだ、こちらには気づいていない。
心臓が、嫌な音を立てた。
——無理だ。
一匹ならともかく、複数は論外。
俺はゆっくりと、音を立てないように後退する。
引き返す途中、別の枝道が目に入った。
何気なく視線を向けて——足が止まる。
岩壁の一部に、異物があった。
黒く、鈍い色をした石。
周囲の岩とは、明らかに質感が違う。
「……素材、か?」
触れると、ひんやりと冷たい。
硬そうだが、脆さは感じない。
俺はそれを外し、バッグに入れた。
その直後だった。
遠くから、悲鳴が聞こえた。
一瞬、耳を疑う。
だが、間違いない。
人の声だ。
嫌な予感が、背筋を一気に這い上がる。
——深追いする場所じゃない。
俺は、その場で決めた。
今回は、ここまでだ。
来た道を慎重に引き返して、奈落の出口が見えた時、思わず息を吐いた。
黒い岩肌から、コンクリートへ。
不安定な足場から、平坦な地面へ。
外の光が、やけに眩しい。
——帰ってきた。
出口付近で、最初に案内をしていた担当者に呼び止められる。
簡単な聞き取り。
遭遇したモンスター。
持ち帰った素材。
淡々としたやり取りの最後に、ひとつだけ聞かれた。
「……まだ、続けますか?」
少しだけ、間が空いた。
だが答えは、もう決まっていた。
「続けます」
担当者は、短く頷いた。
「では、こちらへ」
案内されたのは、奈落から少し離れた建物だった。
探索者協会。
通称——探協。
ここは、探索者とクランを統括する組織だという。
新人はここで素材を換金し、装備の加工を依頼し、クランの紹介を受ける。
内部では、いくつかのクランが早速声をかけてきた。
未知を求める冒険家たちのクラン。
理想を語る目は、まっすぐだ。
純粋に金を求める者たちのクラン。
計算高いが、嘘はなさそうだった。
新素材を研究・利用する企業体のクラン。
感情は薄いが、合理的だ。
——どれも、決めきれない。
俺は即答を避け、今日は持ち帰ることにした。
探協に提出したのは、影犬の牙と、黒い石。
査定は早かった。
「合計で……七万円ですね」
七万。
頭の中で、警備の給料と比べる。
勤務何回分だ?
安い。
誰かの命と比べれば、安すぎる。
それでも——
確実に、稼げている。
「加工もできますが」
提示されたのは、簡易改良ナイフとグローブ。
「それを作ると、手元に残るのは八千円ほどになります」
一瞬、迷った。
だが、奈落で見た自分のナイフを思い出す。
刃こぼれ。
歪み。
限界。
「……お願いします」
八千円。
警備1勤務分にも届かない金額、大した額じゃない。
それでも、装備が少し良くなる。
それだけで、生存率が上がる。
帰り道、ポケットの中の軽さを感じながら、俺は思う。
五万円の牙と二万円の鉱石。
七万円分の素材と最終成果が八千円の残り。
とても命を賭けるに値する金額じゃない。
それでも。
俺は、もう奈落から目を逸らせなくなっていた。