第41話:断れない名前
収入が、静かに削れていた。
帳簿を見れば、すぐ分かる。
四層までの依頼が減り、
単価も下がっている。
数字は嘘をつかない。
ただ、何も言わないだけだ。
「……」
俺は帳簿を閉じた。
理由は分かっている。
だが、それを誰かに言うつもりはなかった。
言えば、心配される。
それが、正しい反応だと分かっている。
だから——
言わない。
⸻
探協からの連絡は、簡潔だった。
《至急、時間をください》
断る理由はない。
今は、断れる立場でもない。
応接室。
向かいに座る担当者は、今日は前置きをしなかった。
「指名依頼です」
短い言葉。
「3層の未到破領域の縦穴が簡易調査の結果、
推定五層まで続いているのがわかりました」
「その先の地形と敵性の調査依頼です」
未到破領域の先。
戻れるかどうかが、わからない場所。
書類を差し出される。
報酬額を見て、
一瞬だけ視線が止まった。
——高い。
理由も分かる。
危険度。
人手不足。
そして——
俺たちが、今“余っている”こと。
「……断る選択肢は?」
一応、聞く。
担当者は、首を振らない。
「可能です」
「ですが」
視線が、外れない。
「次があるとは、言えません」
それだけで、十分だった。
脅しじゃない。
現状の説明だ。
「……分かりました」
返事は、早かった。
「受けます」
担当者は、それ以上踏み込まなかった。
⸻
クランハウス。
書類をテーブルに置いた瞬間、
佐伯が気づいた。
「……未到破領域の先?」
声が、低くなる。
「急すぎないか」
「今の流れで受ける理由が分からない」
俺は、答えない。
「おい」
佐伯が一歩詰める。
「焦ってるだろ」
「今までのお前じゃない」
「……」
言えば、言える。
理由も、状況も。
だが——
それを言うのは、嫌だった。
弱さじゃない。
事情でもない。
ただ、
“格好悪い”だけだ。
「受けた」
それだけ言う。
佐伯は、言葉を失う。
澪が、静かに割って入った。
「……理由は、今は言わなくていいです」
佐伯が振り返る。
「澪?」
「本人が言わないって決めてるなら」
「無理に聞くと、壊れます」
澪は、俺を見た。
責めない。
詮索しない。
ただ、確かめるような視線。
「一人で決めちゃいましたね」
俺は、頷いた。
「……はぁ」
澪は、少しだけ息を吐く。
「分かりました」
「じゃあ——」
一拍。
「一緒に行きます」
「でも」
声を強くする。
「一人で抱え込むのは、やめてください」
佐伯が、歯を食いしばる。
「……くそ」
それから、俺を見る。
「止めたい気持ちは変わらない」
「でも、行くなら——」
一瞬、間を置く。
「戻る判断を最優先だ」
「結果より、生きて戻る」
「このクランの主義は守れよな」
それが、佐伯の答えだった。
「……ああ」
短く返す。
断れない依頼だった。
ただ、その理由を言えないだけだった。
それでも——
今は一人ではない。
事情を話さなくても、
背中を預けられる仲間がいる。
奈落は、今日も静かだ。
だが、
静かな場所ほど、
踏み出した時は、よく響く。
——その音が、
どこへ繋がるかは分からない。
今回は、
これまで踏み出さなかった場所に立つ。
それだけが、不安だった。