『越えない探索者』   作:r_watanabe

43 / 60
第43話:一歩だけ、深く

第43話:一歩だけ、深く

塹壕跡を中心点として、俺たちは進路を定めた。

 

半円状に掘られた土塁。

崩れていない地面。

焚き火の跡。

 

ここは、明らかに「基準点」だった。

 

「……ここを折り返し地点にしよう」

 

佐伯が言う。

 

澪が地図に印をつける。

俺も、黙って頷いた。

 

ここまでは、間違いなく“戻れる側”の探索だ。

そう判断できる材料が、揃っていた。

 

だから——

一歩だけ、踏み込むことにした。

 

 

森は、静かだった。

 

発光する苔が足元を照らし、

大木に絡みつく菌糸が、淡い光を落としている。

 

最初に現れたのは、猪型の魔獣だった。

 

大きな体躯。

だが、動きは鈍い。

 

突進は単調で、

予測もしやすい。

 

佐伯が前に出て止め、

澪が脇から仕留める。

 

「……楽だな」

 

思わず、佐伯が漏らす。

 

次は、鹿型。

角は歪だが、跳躍は低い。

 

鳥型は羽ばたくが、

飛翔と呼べるほどの高度は出ない。

 

蛇型。

ウサギ型。

数種の虫型。

 

どれも、弱い。

 

数は多い。

だが、連携がない。

 

縄張りを守る様子もない。

 

「奈落の生き物って感じ、しないですね」

 

澪が、警戒を解かずに言う。

 

俺も、同意だった。

 

狩るために配置された敵じゃない。

そこに“居るだけ”。

 

勘が、何も言わない。

 

危険を告げない。

退けとも、進めとも。

 

——沈黙。

 

それが、一番厄介だった。

 

 

しばらく進んだ頃だ。

 

澪が、足を止めた。

 

「……あれ」

 

指差した先。

倒された木。

 

伐採跡。

切り口は古い。

 

「さっき……似たの、見ませんでした?」

 

佐伯が首を傾げる。

 

「森なら、似た景色はあるだろ」

 

俺も、その時はそう思った。

 

測定器に異常はない。

深度も変わらない。

 

時間感覚も、狂っていない。

 

——気のせい。

 

そう処理して、進んだ。

 

それが、間違いだったとは、

この時はまだ分からなかった。

 

 

二度目に見つけた時、

誰も言葉を発さなかった。

 

特徴的な倒木と

石の並び。

 

澪が、地図と照らし合わせる。

 

指が、止まった。

 

「……同じ、です」

 

静かな声。

 

「塹壕から北東に進んだ地点で見た痕跡と……一致します」

 

空気が、変わった。

 

「階層を一周、した……?」

 

佐伯が低く呟く。

 

あり得ない。

測定器は正常だ。

距離も、時間も、合っている。

 

なのに——

同じ場所に戻っている。

 

「……もしかして、動いてる」

 

澪が言う。

 

「木の配置が、少しずつ……」

 

その瞬間、

胸の奥が、ひやりと冷えた。

 

勘は働かない。

 

——おかしい。

 

だが、理由が分からない。

 

 

「流石に戻るぞ」

 

佐伯が、即断した。

 

異論はない。

誰も、前に進もうとは言わなかった。

 

だが——

 

「戻る方向、どっちだ?」

 

言葉が、重く落ちる。

 

地図は、ある。

記録も、ある。

 

だが、

それが「今の配置」と一致している保証がない。

 

敵の数が、少しずつ増えてきた。

 

相変わらず、弱い。

一体一体は脅威じゃない。

 

それでも——

時間が削られる。

 

「……ちくしょう」

 

佐伯が歯噛みする。

 

俺は、探索記録を見る。

苔の密度。

地形の起伏。

湿度。

 

勘は、役に立たない。

 

だから——

 

「……確率で行く」

 

俺は言った。

 

二人が、こちらを見る。

 

「高低差がある方向」

「伐採密度が低い側」

「敵の出現間隔が長い方」

 

「塹壕に近づく可能性が、一番高い」

 

勘じゃない。

経験と数字の話だ。

 

「間違ってもいい」

「止まるより、動く」

 

一瞬の沈黙。

 

それから、佐伯が言った。

 

「……了解だ」

 

澪も、頷く。

 

三人で、進む。

 

必死に、退路を“作る”。

 

 

発光苔の密度が、少しずつ変わる。

 

木々の間隔が、広がる。

 

——見覚えのある土塁。

 

「……ここまでは、戻れた」

 

誰かが、呟いた。

 

深度だけは動いてない。

敵の気配が、薄れる。

 

助かった。

 

だが——

誰も、笑わなかった。

 

 

塹壕の前で、俺は立ち尽くす。

 

今回は、たまたまだ。

判断が、当たっただけだ。

 

勘は、

何も教えてくれなかった。

 

「……自衛隊も」

 

澪が、ぽつりと言う。

 

「撤退しなかったんじゃなくて」

「できなくなりつつ、あったのかもしれませんね」

 

俺は、答えなかった。

 

信じたくなっているのは、

誰よりも、自分だからだ。

 

一歩だけ。

深く踏み込んだ。

 

その一歩で、

勘が頼れない場所があることを、

はっきり知ってしまった。

 

奈落は、静かだ。

 

敵は弱い。

危険は見えない。

 

それでも——

 

ここは、

「進むかどうか」を

確かに試してくる場所だった。

 

俺たちは、

今までで一番判断しづらい一線の上に、

立たされている。

 

進む先が帰路になるのか。

それとも――

戻った"つもり"で

さらに下へ引き込まれているだけなのか。

 

なにもわからない。

 

発光する森は、

静かに揺れていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。