『越えない探索者』   作:r_watanabe

47 / 60
第47話:用意された下り道

第47話:用意された下り道

探協のロビーは、朝から騒がしかった。

 

出発前の探索者が行き交い、装備の擦れる音と短い確認の声が重なる。

俺たちも、その流れの中にいた。

 

「……行くか」

 

佐伯が言い、澪が頷く。

縦穴用の装備を背負い、ロビーを抜けようとした、その時だった。

 

「——少し、いいですか」

 

低く、落ち着いた声。

 

振り返らなくても分かった。

 

神代だ。

 

研究主任。

ネクサス・マテリアルズ。

名刺の主。

 

白衣ではないが、どこか研究室の匂いが抜けない。

探協のロビーにいても、完全に浮いている。

 

「出発前ですよね」

 

神代は、俺たち三人を順に見た。

 

「未開拓五層、再突入と聞きました」

 

噂が早い。

だが、責める響きはない。

 

「……はい」

 

短く答える。

 

神代は頷き、少しだけ声を落とした。

 

「前回、持ち帰られた素材ですが」

「非常に“良質な反応”を示しています」

 

俺は眉をひそめる。

 

「良質?」

 

「ええ」

神代は淡々と言った。

「皮や角、素材そのものは実にありきたりです」

「ですが、幅が広い」

「環境変化に対して、異常なまでに“追従”する」

 

研究者の目だ。

危険を見ていない。

価値を見ている。

 

「正直に言います」

 

神代は続けた。

 

「危険かどうかは、私には分かりません」

「ただ——」

 

一拍。

 

「“奈落が何を作ろうとしているか”を知るには、これ以上に良い素材はありません」

 

名刺に触れるでもなく、

勧誘するでもなく、

ただ事実を置いてくる。

 

「……それだけですか」

 

俺が聞くと、神代は少しだけ笑った。

 

「はい」

「判断は、探索者の仕事です」

 

神代はロビーの人波に紛れた。

名刺は、まだ財布の中だ。

だが——

「素材」という言葉だけが、妙に残った。

 

 

集合地点で、三人が揃う。

 

「確認しよう」

 

佐伯が言う。

 

「撤退ライン」

「違和感二回で折り返し」

「野営は一回」

「塹壕跡を基準点」

 

澪が、地図を指でなぞる。

 

「杭の打ち込みは、三方向」

「戻りの確認は、必ず声出しで」

 

俺は頷く。

 

「守る」

「今回は、“新しいこと”はしない」

 

それだけで、空気が引き締まった。

 

 

縦穴の降下は、前回と同じだった。

 

風はない。

音も反響しない。

 

測定器の深度表示が、静かに下がっていく。

 

《Depth:Layer 5》

 

足が地面につく。

 

発光する苔。

光る菌糸。

森。

 

「……前回と同じだな」

 

佐伯が言う。

 

その“同じ”が、少しだけ安心を連れてくる。

 

 

最初の戦闘は、拍子抜けするほど軽かった。

 

猪型。

突進は鈍く、単調。

 

佐伯が止め、

俺が仕留め、

澪が回収。

 

次は鳥型。

低空を跳ねるだけ。

 

鹿型。

角は歪だが、間合い管理が甘い。

 

ウサギ型、蛇型、虫型。

 

数は多い。

だが、危険じゃない。

 

「……素材、悪くないですね」

 

澪が短く言う。

 

「持てる分だけひとまず回収」

佐伯が即断する。

「深入りしない」

 

戦闘は続くが、緊張感は薄い。

まるで——

置かれている標本を処理しているみたいだ。

 

 

塹壕跡が見えた。

 

だが、全員の足が止まる。

 

「……あれ?」

 

澪が、前回制作した地図と現地を見比べる。

 

「向きが……」

 

半円の塹壕。

前回と、微妙に違う。

 

「向きが……少しズレてる?」

 

佐伯が低く言う。

 

杭の位置。

土塁の角度。

焚き火跡。

 

消えていない。

壊れていない。

 

——動いた。

 

「階層の領域が、広がったのか」

俺が呟く。

 

「それとも……」

澪が続ける。

「前回私たちが“中心だと思っていた場所”が違った?」

 

答えは出ない。

 

だが、違和感は一つ。

 

「前回より……塹壕までの距離も少し遠い」

 

佐伯が言った。

 

基準点が、遠ざかっている。

 

違和感の一つ目だった。

 

 

調査に切り替える。

 

杭を打つ。

苔の密度を測る。

敵の出現間隔を記録する。

 

戦闘は続く。

相変わらず、弱い。

 

楽だ。

楽すぎる。

 

「……静かだな」

 

佐伯がぽつりと言う。

 

俺の勘も、同じだった。

 

相変わらず危険を告げない。

だが、安全だとも言わない。

 

沈黙。

 

 

その時だった。

 

森の奥。

縦穴から最も遠く。

苔の光が途切れる先。

 

「……階段?」

 

人工的すぎる。

 

だが。

異常はない。

敵の気配も、増えていない。

 

佐伯が、短く息を吐く。

 

「……違和感としては、数えない」

 

澪が、驚いたように見る。

 

「数えないんですか?」

 

「ルール上はな」

「気持ち悪いが、階層に続きがあるというのは、

 判断基準には引っかからない」

 

俺も、頷くしかなかった。

 

嫌な感じはする。

だが、次の階層への入り口を見つけただけで、

“引く理由”にはならない。

 

奈落は、

今日も静かだ。

 

そして確かに、

“下へ行く道”だけを、

丁寧に用意していた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。