第50話:噂が先に降りていく
一般開放は、想像以上に早かった。
探協の掲示板に貼り出されたのは、
慎重な文言と、最低限の注意書きだけ。
——未開拓五層、条件付き解放。
——撤退基準の厳守。
——天体図を含む資料の閲覧推奨。
だが、文字は読まれても、
意味までは伝わらない。
⸻
「……入ったらしいぞ」
ロビーで、そんな声が聞こえた。
「新人が」
「c+混じりで」
「敵、弱いんだろ?」
噂は、いつも都合のいい部分だけを拾う。
「素材がいいって話もある」
「皮も角も、加工しやすいらしい」
「数も多いって」
——弱い。
——旨い。
——行ける。
その三つが揃った時、
止まる理由は消える。
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最初の報告は、軽かった。
「……迷いました」
「でも、戻れました」
新人パーティ。
塹壕跡まで到達。
煙を見て、なんとなく右へ。
偶然、位相が合っていた。
「本来の推奨ランクより低かったですが、
運が良かったですね」
探協の担当者がそう言って、
それ以上は深掘りしなかった。
——それが、始まりだった。
⸻
次は、少し重い。
「戻れなくなりかけました」
別のパーティ。
敵は弱い。
素材も集まる。
階段を降りた先、森の色が変わっていた。
苔が薄くなり、
木々が低くなり、
足元が岩に変わる。
そして気がつけば一階層分も高く登っていた。
「……あれが六層、ですかね?」
誰も確証を持てない。
地図は役に立たず、
時間だけが過ぎる。
撤退を決めた時には、
階段と縦穴の位置が“合わなくなっていた”。
——未開拓五層の先。
——環境が切り替わる。
後で分かる。
これは、
「環境だけが切り替わり、戻れるが時間を奪われる道」
それが、ルートCだった。
時間をかけて、
傷だらけで、
なんとか戻る。
「敵は……本当に弱かったんです」
「だから……判断が遅れました」
その言葉に、
誰も反論できなかった。
⸻
三つ目の報告は、
形が違った。
「いつもの六層から、戻ってきました」
探協の空気が、一瞬止まる。
「……どういう意味ですか?」
「未開拓五層を進んで」
「階段を降りて」
「気づいたら……見覚えのある通路に」
既存六層。
人がいる。
情報がある。
支援がある。
——帰ってきてしまった。
「最初は、戻れたと思いました」
「でも……深度表示が合わない」
後から判明する。
それが、ルートAだった。
現状一番“優しい”道。
始まりの道。
進めるが、
未開拓領域から外れる道。
イカロスが、
今も掘り続けているルート。
そこに戻る道。
⸻
そして——
少しずつ戻ってこない報告が、出始めた。
「階段を降りたまま、連絡が途絶えています」
敵が強かったわけじゃない。
環境が急変したわけでもない。
ただ、
戻るタイミングを外した。
戻ってこれた探索者もいる。
——ただし、条件が噛み合った時だけだ。
後に、仮称がつく。
ルートB
そして――
最初から、
中層の報告にも上がらない
怪物レベルの敵性が混じる。
帰還不可。
現時点では、
救助も、調査も不可能。
ルートD
⸻
探協の会議室。
俺たちは、呼ばれていた。
机の上には、
複数の報告書。
赤、黄、白。
混ざり合っている。
「……断片が、揃い始めています」
担当者が、疲れた声で言う。
「未開拓五層は、単なる一層ではない」
「分岐点です」
澪が、静かに言った。
「通過層、ですね」
「はい」
担当者は頷く。
「通常六層へ戻る道」——ルートA(帰還可能・現状進展なし)
「通過層の延長のようなルート」——ルートB(正規探索ルートの可能性も有)
「環境が切り替わる未知のルート」——ルートC(低リスク・低リターン)
――そして、
「戻れない道」——ルートD(現状、完全封鎖)
⸻
俺は、天体図を広げた。
一枚じゃない。
重ねて描いたもの。
時間。
位相。
戻れた記録。
戻れなかった記録。
線が、浮かび上がる。
「……本来の奈落のルートは」
「あの縦穴を使うのではなく」
俺は、静かに言った。
「通常六層まで行く→ 調整層を経由して → 未開拓六層」
「この形で、繋がっていく」
それが、ルートB。
一番遠回りで、
一番優しくなくて、
きっと、一番深い。
そんな予感がする。
「奈落は……」
佐伯が低く言う。
「“正しく降りる道”を、隠してるのか?」
「隠してる、というより」
澪が続ける。
「“選ばせてる”んだと思います」
⸻
敵は、弱い。
素材は、旨い。
だから、人は進む。
でも——
戻り方を知らないまま進むと、
道は、噛み合わなくなる。
奈落は、
誰も押していない。
ただ、
“降りたい人間”の前に、
道を用意しているだけだ。
⸻
ロビーを出る時、
掲示板の前で足を止める探索者を見た。
「……ここ、どう読むんだ?」
天体図を指さしている。
誰も答えない。
俺は、その背中を見て思う。
世界は、もう動き出した。
そして——
次に問われるのは、
誰が、どの道を選ぶか。
俺たちは、
まだ降りていない。
だが、
もう知ってしまった。
——正しい道は、
一番、戻りにくい場所にある。
それでも進むのか。
それを決めるのは、
次の話だ。