第52話:揃わない穴
探協から戻った翌日、クランハウスの空気は重かった。
誰も大声を出していない。
それなのに、情報だけが絶え間なく流れ込んでくる。
「……やっと戻ってきたらしい」
「いや、あれは“戻った”って言っていいのか?」
「六層側から出てきたって話だぞ」
ロビーの掲示板。
端末。
探索ログの速報。
断片、断片、断片。
だが——
それらは確実に、同じ方向を指していた。
⸻
会議室に集まったのは、三人だけじゃない。
クラン内の別パーティ。
そして、探索から戻ったばかりの者。
そして、戻れなかった別の探索者の記録を預かる者。
佐伯は、最初から地図を開いていた。
通常の地図じゃない。
俺の天体図を、さらに書き足したものだ。
「……まず、これを見てくれ」
佐伯が言う。
壁に投影されたのは、時刻ごとの到達記録。
縦軸が“侵入時刻”。
横軸が“帰還先”。
そして、奇妙なことに——
点は四方向に散っていた。
「戻った先が、四つある」
佐伯の声は低い。
「通常六層」
「未開拓五層」
「環境変化層」
「……未帰還」
澪が、記録を読み上げる。
「私たちと同じ縦穴を使っています」
「ほぼ同じ時間帯に入ったパーティもいます」
「それでも……結果が違う」
誰かが呟いた。
「……ワープ、なのか?」
佐伯は首を横に振る。
「違う」
「“選ばれてる”」
その言葉に、室内が静まる。
⸻
別パーティのリーダーが、手を挙げた。
「俺たちのケースを話す」
声は落ち着いている。
だが、どこか硬い。
「入ったのは午前十時」
「いつも通りの準備」
「いつも通りの速度」
「五層は静かだった」
「敵も弱い」
「素材も多い」
ここまでは、みんな同じだ。
「……だが」
「階段を降りた直後、五層とは明らかに違う地面に出た」
画面に映る写真。
苔が消え、岩肌が露出している。
「戻ろうとした時には」
「降りてきたはずの階段が無くなっていた」
澪が息を呑む。
「……位相が、ズレた」
「そうだ」
リーダーは頷いた。
「“ズレた”としか言いようがない」
彼らは戻れた。
だが、戻るまでに通常の倍の時間がかかった。
——ルートC。
⸻
別の報告が続く。
「俺たちは、未開拓領域を慎重に進んだと思った」
中堅探索者。
「階段を降りたら」
「見覚えのある六層に出た」
——ルートA。
佐伯が、静かに補足する。
「“戻れるが、先には進めない道”だ」
⸻
そして。
空白。
記録が、途中で途切れている。
「……これが」
澪が、声を落とす。
「ルートD……」
佐伯は、そこで手を止めた。
「違う」
全員が、彼を見る。
「“D”と呼ぶには、まだ早い」
「これは——」
一拍。
「噛み合わなかった結果だ」
「ルートBの可能性も捨てきれない」
その言葉は、冷静だった。
だが、重い。
⸻
俺は、天体図を前に出した。
「みんなの話を総括すると」
「四つのルートは」
「時間……」
「もっと正確に言えば——位相で決まる」
全員が、俺を見る。
俺は円を描き、点を打つ。
「床は回っている」
「そこで——」
俺は縦に線を引く。
「縦穴の存在が生きてくる」
「この縦穴と階段の位置が噛み合った瞬間だけ」
「選んだ“ルート”に落ちる事ができる」
佐伯が、低く言った。
「……だから」
「ほとんど同じ時間に入っても」
「微妙な行動差で、位相がズレて、結果が変わる」
「そうだ」
俺は頷いた。
「簡単に言えば」
「四ルートが“同時に存在するように見える”のは」
「階層を時計盤だとして、階段が分針だとすると、分単位で進むルートが入れ替わっているということだ」
室内が、静まり返る。
⸻
佐伯が、腕を組んだ。
「つまり——」
ゆっくり、言葉を選ぶ。
「俺たちは」
「“行けばどれかに当たる”場所には立っている」
「だが」
一拍。
「どれに当たるかは、運じゃない」
佐伯の視線が、俺に向く。
「ほぼ確定で読めなきゃ」
「俺は、先に進まない」
逃げではない。
線引きだ。
俺は、頷いた。
「正しい」
それしか言えなかった。
⸻
会議が終わり、人が散っていく。
澪が、小さく言った。
「……四つの穴が、同時にあるわけじゃない」
「“同時に見えていた”だけ」
「うん」
俺は天体図を畳む。
「奈落は、親切じゃない」
「でも、完全にランダムでもない」
佐伯が、最後に言った。
「噛み合う瞬間は、ある」
「それを“狙って踏む”しかない」
その言葉は、覚悟だった。
⸻
夜。
俺は一人で、天体図を広げる。
重ねた円。
記録。
戻れた線。
戻れなかった空白。
少しずつ——
窓が見えてきている。
だが、まだ足りない。
ルートC。
環境が切り替わる。
戻れるが、時間を奪う。
そこには——
試す余地がある。
俺は、静かに思った。
次は、降りない。
だが——
踏む。
噛み合うかどうかを、
確かめに行く。
奈落は、選ばせている。
なら——
こちらも、選ぶ番だ。
まだ、引き返せる場所で。