『越えない探索者』   作:r_watanabe

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第53話:帯で選ぶ

第53話:帯で選ぶ

 会議室の空気は、ずっと乾いていた。

 

 怒鳴り声があるわけじゃない。

 誰かが責められているわけでもない。

 

 ただ——

「戻ってきた」と「戻ってこなかった」の間に、薄い膜みたいなものが張っている。

 

 机の上には報告書が積まれていた。

 探協のログ、クランの記録、他クランの聞き取り。

 写真、深度ログ、素材の検品票。

 

 戻れた者の紙が白なら、

 戻れなかった者の紙は、最初から赤かった。

 

 赤は少ない。

 少ないのに、部屋の空気を支配している。

 

「……ここまで集めた」

 

 佐伯が、壁の投影を指した。

 グラフでも地図でもない。

 ただの一覧だ。

 

 縦軸に“降下時刻”。

 横軸に“帰還先”。

 

 点は、四つの塊に分かれている。

 

 通常六層。

 未開拓五層。

 環境変化層。

 そして——未帰還。

 

「四ルートが“ある”ってことだけは、もう否定できない」

 

 佐伯の声は低い。

 不安を抑える声音じゃない。

 線を引く声音だ。

 

 澪が、別の紙束を開いた。

 彼女のノートはいつも整理されている。

 誰かの恐怖さえ、項目にしてしまう。

 

「でも」

 

 澪が言う。

 

「侵入時刻で揃えようとしても、揃いません」

「同じ時間帯に降りたパーティが、別の結果になっています」

 

 誰かが小さく舌打ちした。

 

「結局、運かよ」

 

 そう言いかけた声を、佐伯が目だけで止める。

 

「運で片付けたら、次は死ぬ」

 

 その言葉で、室内が静まり返った。

 

 

 俺は、天体図を広げた。

 

 円が重なっている。

 中心、観測点、時刻、煙の角度、塹壕の向きのズレ。

 戻れた線、戻れなかった空白。

 

 紙の端は擦れている。

 “戻るため”に描いた紙だからだ。

 

「時刻が揃わないのは、当たり前だ」

 

 全員の視線が集まる。

 

 俺は、指で投影の一覧をなぞる。

 

「みんな、侵入時刻を見てる」

「降りた瞬間に、どの穴に落ちたかを見てる」

 

 一拍。

 

「でも、奈落は——そこを見てない」

 

 誰かが眉をひそめた。

 

「じゃあ何だよ」

 

 俺は、天体図に点を打った。

 

「“行動”だ」

 

 言った瞬間、佐伯の目が僅かに細くなる。

 澪のペンが止まった。

 

「時間じゃない」

「もっと正確に言えば——時間の中身」

 

 俺は、報告書を一枚ずつ拾っていく。

 

 戻れたパーティ。

 戻れなかったパーティ。

 

 共通点は、時刻じゃない。

 

「焦ってる奴や急いでいる奴は、動き続ける」

「慎重な奴は、止まる」

「迷う奴は、行って戻ってを繰り返す」

 

 俺は紙を置く。

 

「同じ十時に降りても」

「十時二十分にどこにいるかは、全員違う」

 

 澪が、小さく頷いた。

 

「……侵入時刻じゃない」

「階層の中で、どんな行動をしたか」

 

「そう」

 

 俺は続ける。

 

「俺たちは“回転”を時間で測ろうとしてた」

「でも本質は違う」

 

 一拍。

 

「回転は背景だ」

「奈落が見てるのは、その上で人間がどう動いたのかだ」

 

 佐伯が低く言った。

 

「……帯」

 

 俺は頷いた。

 

「そう。帯だ」

 

 天体図の円の上に、太い線を引く。

 円周を四等分するんじゃない。

 揺れる幅で、塗り潰す。

 

「A帯」

「構造を理解せず迷って到達が遅れる。そして、やっと見つけた階段に侵入」

「結果、既存六層へ“戻ってしまう”」

 

 別の帯を塗る。

 

「C帯」

「慎重派。確認しながら進み、ゆっくりと階段に到達」

「環境変化の階層に当たる。結果的には戻れるが、時間を多く奪われる」

 

 さらに塗る。

 

「B帯」

「構造を理解して、位置と行動を調整しながら効率よく階段へ到達。」

「——もしかすると"奈落正規ルート”の可能性が高いかもしれない」

 

 最後の帯。

 塗り潰すのを一瞬ためらってから、黒くする。

 

「D帯」

「焦って階段に最速で到達。」

「欲張って進んでいると行ってもいい。」

「結果、噛み合いを外して、帰還不能」

「最速で到達することは有利にならない」

 

 室内が静まり返った。

 

 誰も、すぐに反論できない。

 反論できるだけの“運の証拠”がないからだ。

 

 

 澪が、静かに口を開いた。

 

「……一つ、気づきがあります」

 

 全員が澪を見る。

 

「ルートCに入った人たち」

「“撤退を決めた時刻”が似ています」

 

 俺はその言葉を、すぐに拾った。

 

「侵入時刻じゃないのがポイントだな」

 

 澪が頷く。

 

「はい。侵入時刻はバラバラです」

「でも、撤退判断のタイミングが似ている」

 

 佐伯が眉を寄せる。

 

「戻るのは固定されてる縦穴だろ」

「撤退時刻が似るのは、ただの偶然じゃないのか」

 

 俺は首を振った。

 

「撤退の“時刻”が似てるんじゃない」

 

 一拍。

 

「結果的に撤退できるタイミングが揃うんだ。」

 

 佐伯の視線が鋭くなる。

 

「……どういう意味だ」

 

 俺は、天体図の円を指で叩いた。

 

「階段を降りた先は六層。探索するつもりで進むならしばらくは五層へ"戻らない"」

「そして、五層と繋がる階段は時間で他のルートと"接続を切り替えている"」

「そうなると接続が噛み合うまで、六層にいる人間には“五層に戻る階段”が使えない」

 

 澪が補足する。

 

「つまり、六層で撤退を決めても階段が噛み合うまでは、戻れない」

「そうすると戻れた時のタイミングは基本的に揃っていく」

 

「そう」

 

 俺は頷く。

 

「だから、今後の未開拓領域の帰還の成否を分けるのは」

「“戻ろうとした時刻”がいつかじゃない」

 

 一拍。

 

「“戻る判断を下した時のタイミング”と」

「“戻れる階段が繋がるタイミング”を待てるだけの余力を持っていられるかだ」

 

 誰かが息を呑む。

 

 佐伯は、ゆっくり腕を組んだ。

 

「つまり——」

 

 言葉を選ぶ。

 

「撤退判断が遅いほど、探索者の余力が減る」

「余力が減るほど、階段の接続を待てずに動いてしまう」

「動けば、簡単に階段の接続タイミングを逃す」

 

 俺は、静かに頷いた。

 

「焦りが、戻れない事態をさらに誘発する」

 

 全員が、あの“戻れない”の赤紙を見た。

 

 欲。

 焦り。

 強行。

 深追い。

 

 紙の上では、全部ひとつの単語に見える。

 

 現場では、全部“たった一歩”だ。

 

 

 佐伯が、俺を見る。

 

「……帯を突き止めれば」

「ルートを狙えるってことか」

 

「狙える確率は上がる」

 

 俺は正直に言う。

 

「でも、確定にはならない」

「タイミングがどれだけシビアなのか、まだ分からない」

 

 佐伯はそこで、はっきり言った。

 

「なら、先には進めない」

 

 即断。

 感情じゃない。

 規則だ。

 

「ルートDに繋がる可能性がある以上」

「全員の命がかかっている以上」

「“ほぼ確定”じゃないと、俺は進まない」

 

 澪も反論しない。

 彼女は、危険の種類を知っている。

 

 俺は、天体図を見下ろした。

 

 空白がある。

 赤紙の空白。

 ルートBの空白。

 

 空白を埋めない限り、佐伯は動かない。

 動かないのは、正しい。

 

 だから——

 

 俺は顔を上げた。

 

「俺が帯を踏む」

 

 空気が、一瞬だけ止まる。

 

「踏むって」

誰かが声を上げかける。

 

 俺は続けた。

 

「不用意に階段は降りない」

「降りた先でも戦わない」

「素材も要らない」

 

 一拍。

 

「“帯”のタイミングだけを確認する」

「噛み合うかどうかだけ、見て戻る」

 

 佐伯の目が鋭くなる。

 

「……一人で?」

 

「一人が一番いい」

 

 俺は言った。

 

「全員で行けば、何かあった時に帯がズレる要素が増える」

「一人なら、行動が固定できる」

 

 澪が、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……あなたが行く理由は?」

 

 俺は、答えを選ばなかった。

 

「責任だ」

「ここまで言っておいて、誰かに命をかけろとは言えない」

「俺が見つけたモノで、誰かが死んでいくのはもうたくさんだ」

 

 それだけ言った。

 

 責任感から無理を選ぶ。

 それが自然だと、俺自身が一番知っている。

 

 でも今回は、無理じゃない。

 

 ——実験だ。

 

 

 会議が終わり、人が散っていく。

 

 佐伯が最後まで残って、天体図の端を指で押さえた。

 

「……条件がある」

 

「分かってる」

 

「時間を区切れ」

「次のタイミングを待てなかったら、すぐ戻れ」

「“狙って踏んだ”のに戻れないなら——それは結果じゃない。ただの事故だ」

 

 俺は頷いた。

 

「ああ、約束する」

 

 澪が、俺の横に紙を置いた。

 小さなメモ。

 いつもの癖で丁寧に整っている。

 

「合図を決めましょう」

「戻れない兆候が出たら、すぐ伝える」

「返事がなかったら、私たちは入らない……」

 

 俺はメモを見て、頷いた。

 

 佐伯が、最後に言う。

 

「……お前がいなくなったら」

「俺たちの探索は、全部止まるぞ」

 

 脅しじゃない。

 事実だ。

 

 だから、俺は笑えなかった。

 でも、目は逸らさなかった。

 

「分かってる」

 

 それだけで十分だった。

 

 

 夜。

 

 自室で天体図を広げる。

 

 帯。

 窓。

 空白。

 

 少しずつ、奈落の輪郭が“理屈”になっていく。

 

 理屈になった分、怖くなる。

 

 偶然なら、運だ。

 理屈なら、罠だ。

 

 奈落は、親切じゃない。

 でも、完全にランダムでもない。

 

 なら——

 こちらが“読む側”に回るしかない。

 

 俺は、天体図の黒い帯——Dの縁を指でなぞり、止めた。

 

 ここには行かない。

 行ってはいけない。

 

 明日、俺は踏む。

 

 降りない。

 だが——“タイミング”を確かめる。

 

 まだ引き返せる場所で。

 

 そして、もしも帯が本当に存在するなら。

 奈落の理屈を解明できたのなら

 

 その先を突き進むのは、きっと——

 俺じゃなくてもいい。

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