第54話:帯を踏む光
クランハウスの朝は、いつもより静かだった。
静か、というより——
皆が「音を立てないようにしている」。
調整五層の一般解放が始まってから、アウルズパスの中にも空気の層ができた。
行きたい者と、止めたい者。
稼ぎたい者と、守りたい者。
その間に立つのが、いつもの三人だ。
俺が地図を作り、澪が記録し、佐伯が線を引く。
——そして今日は、クラン全体が動く。
⸻
「考察はかなり現実味を帯びてると言ってもいいだろう」
「だが――」
「単独は却下だ」
会議室で、リーダーが最初に言った。
佐伯が即座に頷く。
澪は反論しない。
俺も、そうなる可能性は考えていた。
俺が「一人で踏む」と言った瞬間から、それはアウルズパスでは特に通らない話だった。
ここまで来た未開拓五層は、個人の冒険じゃない。
クランの資産で、クランの責任だ。
「今のままでは生きて帰れない可能性が消せない」
「代案を出す」
リーダーは続ける。
「お前ら三人は縦穴から五層へ入れ」
「お前らが“探索の基準を作れ”」
机の上に、もう一枚の資料が置かれた。
「追加でクランのパーティを一組出す。既存六層から調整五層へ繋がる“帰還側”のルートで入って合図を出す」
その言葉で、部屋の空気が変わった。
帰還側——逆方向から来る。
つまり、俺たちが「踏む」前に、既に誰かが帯を踏んで五層に帰ってくる。
それを、こちらが観測できる。
佐伯が低く言った。
「……それなら、検証になる」
澪が、ペンを走らせる。
「観測点を二つにできます」
「縦穴側と、既存六層側」
「こちらの推測と結果が一致していれば……」
リーダーは頷いた。
「考察が正しい可能性が上がる」
「そして――」
「観測者は澪と佐伯」
「お前(俺)は、踏む役だ」
俺は息を吐いた。
単独じゃない。
だが、役割は単独だ。
“責任”の形が変わっただけ。
「……分かりました」
それだけ答えた。
⸻
探協のロビー。
出発する探索者が多い。
一般解放が始まって、皆が同じ方向を見ている。
弱い、旨い、行ける。
だが、俺たちは違う。
行けるかじゃない。
戻れるかだ。
「最後に確認する」
佐伯が言う。
「今回は階段を降りた先で"進まない”」
「異常が出たら即撤退」
「合図は——閃光」
澪が頷く。
「私が中心側」
「佐伯が塹壕地点」
「あなたは階段前で待機」
俺は天体図を握った。
踏むのはCとB
Dは踏まない。
それだけが、絶対条件だった。
⸻
縦穴を降りる。
壁は動かない。
梯子もほとんど揺れない。
だからこそ、床が回っていることは“背景”になる。
——いつも通り。
いつも同じ。
それが罠だったと、今は知っている。
《Depth:Layer 5》
足が苔の上についた瞬間、森が光った。
発光する苔。
菌糸の淡い線。
一定の静けさ。
敵が出る。
猪型、鳥型、虫型。
弱い。
短い。
作業みたいに片付く。
澪が素材を拾い、佐伯が周囲を確認し、俺が位置を記録する。
“行動”を固定する。
次に来た時に同じ事ができるように備える。
行動を固定化して時間を揃えれば再現性が上がる。
⸻
塹壕跡に着く。
半円の土塁。
焚き火跡。
崩れていない地面。
だが、今日はそれを「安心」とは呼ばない。
ここが中心ではない。
中心“だった”場所だ。
床が回れば、中心はずれる。
いや——中心は変わらず、俺たちの立つ場所が変わる。
一旦澪と別れ、佐伯と配置に向かう。
「すぐに来るわけじゃないが……」
「後は任せたぞ」
佐伯とはここで分かれる。
「任せろ」
俺は階段側へと一歩を踏み出す。
「ここだな……」
「予定では後数分で来るはずだが」
俺は天体図を元に迷わず階段までは到達できた。
待つは既存六層側から戻ってくる予定の先輩パーティ。
「来た――」
「悪い、少し待たせたか」
「いえ、予定の枠には収まってたので、問題ありません」
――シュパ!!
俺は合図として、森の天井へ向けて閃光弾を撃ち上げた。
光そのものより、“同じ光を同じ瞬間に見た”という記録が欲しかった。
その時、澪は自分の観測地点で光を捉え、小さく息を吸った。
「観測できました!」
「予想タイミングとの差は微小です――」
⸻
先輩パーティはこのまま澪と佐伯の護衛についてもらう。
森の光の中で、俺は改めて考察結果の書いた紙を持ち、次のタイミングを待つ。
まずはC帯、Cのルートから確定させる。
渦がある。回転がある。位相が、予測と一致した。
先輩パーティのうち1人が走り寄ってくる。
「まだ行ってないな!!」
「はい」
その声に、短く返す。
「あんなに根拠を用意したんだ、きっと大丈夫だ!」
「俺はここで見送りしかできないが、武運を祈る!」
――――――――――
塹壕跡。
佐伯は腕時計を見て、息を吐いた。
「……階段を進むなら今頃か」
「心配か?」
「当たり前じゃないですか、
同じパーティの仲間なんですから」
あいつのことは止めない。
止められるなら、やめた方がいいなら、とっくに止めている。
――止めないのは、線が引けたからだ。
「お前達も大変だな」
「支えるって決めましたから」
「そうか、仲間はこの先も大事にしてくれ」
――――――――――――――
「Cを踏むなら、今が一番安定してるな」
考察結果の表を確認して、
俺は階段の方向を見る。
森の奥。
苔の光が途切れる先。
均一な段差。
“用意された下り道”。
だが今日は、誘いじゃない。
検証だ。
「じゃあ、行って来ます」
「絶対無理せず、戻れよ」
「はい!」
改めて俺は、階段の前に立つ。
近くで見ると、なおさら人工的だった。
削り出された角。
均一な幅。
埃が溜まっていない。
——新しい。
俺は息を吸い、足を置く。
「今のは“選んだ”じゃない。“合わせた”だ」
一段、二段。
空気が変わる。
五層の光が、背中から薄れていく。
代わりに、岩の冷たさが増える。
三段目で、景色が切り替わった。
少し進み、広い空間に一歩だけ出る。
苔が消えた。
木が低くなった。
足元が岩肌になった。
おそらく——Cルートだ。
俺は心の中で短く言った。
(当たりだ)
深度表示を確認する。
《Depth:Layer 6 ?》
“?”が付いているのが不気味だった。
測定器が迷っている。
だが今は、そこについて深入りはしない。
俺はその場で屈み、目についた素材を二つだけ切り取る。
独特な模様の石の欠片。
乾燥した植物の残骸。
神代が喜びそうな“環境変化の証拠”。
価値があるのかは、今は関係ない。
その瞬間、背後の空気が揺れた。
何か敵対するものが来たわけじゃない。
ただ——五層との接続が、不安定になっている。
そんな嫌な予感が走る。
俺はすぐに踵を返した。
階段を上る。
一段、二段。
五層の光が戻る。
——戻れた。
「ちゃんと戻って来れたな……成果は?」
「有りです!想定通りだと思います」
「そうか……そうか!」
先輩は嬉しそうに俺の肩を叩く。
「じゃあ合図送りますね」
「わかった」
俺は作戦成功を伝えるための赤の閃光弾を打ち上げた。
そして先輩と共に塹壕へ。
佐伯と澪が待つ基準点へ。
⸻
塹壕跡。
先に合流した二人が待っていた。
澪が俺を見て、目の奥をわずかに緩める。
安堵だ。
でも言わない。
佐伯が短く言う。
「赤の閃光ってことは成功だな」
俺は頷き、拾った素材を見せた。
「岩肌」
「植生が薄い」
「空気が乾いていた」
「それよりも――」
「……戻り際、想定より早く接続が揺れた気がした」
佐伯の眉がわずかに動く。
「それは、大丈夫なのか?」
「階段付近にいれば、予兆は感じられる」
「とりあえず、大きな問題はなさそうだ」
「次は——Bを見る」
そう言って、天体図の帯を指で押さえた。
分針が進むみたいに、位相がずれる。
今のC。
次のタイミング。
澪が時計を見た。
「……もうすぐ切り替わります」
俺は天体図を見た。
同じ階段。
同じ場所。
でも、行き先が変わる。
「踏むのはもう一度お前だけだ」
「俺たちは、再び配置について確認する」
俺は頷いた。
今は、判断を共有している。
それが、今までと違う。
⸻
位相が切り替わる。
中心点には焚き火はない。
だが、空気の流れが変わる。
苔の光の濃淡が、ほんのわずかにずれる。
帰りを待つ澪が呟く。
「……帰ってきてくださいね」
――――――
俺は再び階段へ走る。
急ぎ、階段を降りる。
同じ段数。
同じ体感。
だが——
景色が違った。
先ほどの
Cの乾いた岩肌じゃない。
空気が重い。
湿り気がある。
遠くで、水音がする。
《Depth:Layer 6 ?》
同じ表示。
同じ“?”。
でも、違う。
おそらく——B。
俺は、確信した。
勘は何も告げない。ここは“実験場”じゃなく、“通路”だ。
だが、今日は行かない。
今日は、踏むだけ。
俺はすぐに踵を返し、階段を上った。
五層の光が戻る。
——戻れた。
戻った瞬間、背中が汗で冷えているのに気づいた。
怖かったのは敵じゃない。
戻れないことだ。
その恐怖が、今日だけは“数字”になった。
⸻
塹壕跡。
再び合流した時、佐伯が言う。
「間違いなく景色が違ったか?」
「違う」
俺は短く答える。
「Cじゃない。空気が湿ってる。そして、水音がする」
澪が、震える手でペンを動かした。
「……説、立証ですね」
佐伯が、深く息を吐いた。
あの時抱いた止めたい気持ちは消えていない。
でも、止めるだけでは守れないことも知った。
「……よし」
佐伯が言う。
「今日の目的は達成だ」
「撤退する」
俺は頷いた。
撤退できる。
しかも、天体図がある。
戻るための線は、もう“偶然”じゃない。
⸻
縦穴が見えた。
森は回っているはずなのに、今日は迷わない。
位相を読める。
帯を踏める。
そして、戻れる。
それだけで、世界の形が変わった。
梯子を登りながら、俺は思った。
Bは、確かにある。
Cも、確かにある。
そして——
踏まないことを選んだDもきっと間違いなくある。
奈落は選ばせている。
なら、次は。
“選ぶ”ための準備を、しなければならない。
今度は踏むだけじゃない。
先に進むために。