『越えない探索者』   作:r_watanabe

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第57話:それでも線を引く

第57話:それでも線を引く

今日は、探索を休む日だ。

 

そう決めたのは私自身なのに、

朝から胸の奥が落ち着かなかった。

 

奈落に降りない日でも、

頭の中では位相が回り続ける。

帯の幅。

戻れる線。

誰が、どこで、どれだけ余力を削り、

私達の情報で、誰かがさらに先へ進んでいるのか。

 

それでも今日は——

天体図を閉じて、病院へ向かう。

 

幼馴染のところへ。

 

 

私と天城と、凛花。

 

三人で同じ時間を過ごしたのは、

もうずいぶん前のことだ。

 

奈落が現れる前。

探索者という言葉が、まだ職業じゃなかった頃。

 

天城は昔から、前を見る人だった。

誰よりも先に走り出して、

誰よりも遠くを指さしていた。

 

凛花は、その後ろで笑っていた。

私は、その二人の間で、繋ぎ止める役だった。

 

——それは、今も変わっていない。

 

 

病室の窓は、午後の光を受けて白く滲んでいた。

外が晴れているのか曇っているのか、ここからでは分からない。

 

テレビの音だけが、部屋の空気を動かしている。

 

「……すごいね」

 

凛花が、ぽつりと言った。

 

画面には、奈落素材を使った新薬のニュース。

治験の進捗。

症状の進行を抑える可能性。

慎重な専門家の言葉と、希望を煽る字幕。

 

「少しずつだけど」

「ちゃんと、前に進んでるんだ」

 

凛花は笑っていた。

昔と同じ笑い方。

でも、同じじゃない場所にいる笑顔。

 

「……これでまた」

凛花は画面から目を離さないまま続ける。

「天城くんの、降りていく理由が増えたんだね」

 

胸の奥が、静かに沈んだ。

 

責める声じゃない。

喜ぶ声でもない。

ただ、事実を置いただけの言葉。

 

それが一番、重い。

 

「凛花は……怖くない?」

 

自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。

 

凛花は少し考えてから、首を振った。

 

「怖いよ」

「すごく」

 

それから、ゆっくり言う。

 

「でもね」

「自分の体が、薬で前より少し良くなるたびに」

「二人が、もっと遠くに行ってる気がして」

 

ベッドの端を、凛花の指が掴む。

 

「一緒にいた時間が長いほど」

「今、どれだけ離れてるかが分かる」

 

私は、何も言えなかった。

 

「……戻ってきてほしい」

凛花は、小さく笑った。

「それだけなのにね」

 

その言葉を、

私は天城には伝えない。

今の天城にはイカロスのリーダーとしての立場もある。

 

それが、私の線引きだった。

 

 

病院から戻って来て、探協のロビーに立ち寄ると

通路の奥で、パーティのリーダーと天城が立っていた。

 

「よく中層20層まで行って無事だったな」

リーダーのセリフに天城は笑う。

「……正直、少し焦った場面もありましたけどね」

 

リーダーが肩をすくめる。

 

「探索で無茶するからだ」

「英雄は、戻れないと意味ないだろ」

 

天城は一瞬、視線を逸らした。

 

「英雄……ですか」

「最初はそれが目標ではなかったんですけどね」

 

私は、少し距離を取って立つ。

会話に入らない。

入れない。

 

天城は続ける。

 

「英雄が生まれれば」

「それまでの犠牲も、無駄じゃなかったって言えますから」

 

主人公は、少し黙った。

 

「俺は……道を作った」

「少なくとも、誰かが戻って来られる線は引いた」

 

「それで本当に十分ですか?」

 

天城の声は強い。

 

「奈落からただ戻っただけで」

「世界を何も変えられないなら」

「私達は先に進む意味を見失う」

 

主人公は、ゆっくり答えた。

 

「それでも進む理由が増えるほど」

「戻る理由を忘れる」

 

一瞬、空気が張り詰める。

 

天城は笑った。

 

「それでも私達は進みます」

「それで誰かが、希望を持てるなら」

 

その言葉を聞いた瞬間、

病室の凛花の顔が頭をよぎった。

 

「……戻ってきてほしい」

英雄になろうと突き進む男にそう願う子がいる。

 

——それを、知ってほしいとは思わなかった。

 

知っても、天城は止まらない。

止まれないことを、私はもう知っている。

 

 

 

 

一人になって、天体図を広げる。

 

帯。

位相。

戻れた線。

戻れなかった空白。

 

天城は奈落の奥までひたすらに進む。

リーダーは奈落から戻れる可能性を残す。

凛花は奈落の外で待つ。

 

全部が同時に成立している。

 

「……それでも」

 

私は、線を引く。

 

誰かを犠牲にして生き残る道だけは、

この地図には描かない。

 

たとえ、

誰かの希望が、他の誰かを前に進ませてしまうとしても。

 

それでも——

戻れる場所だけは、消さない。

 

それが、

今の私にできる、唯一の抵抗だった。

 

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